「和」ってさ、ナニかな。
辞書を引いてもピンとくる答えは載っていない。
「和」ってさ、「全体の美」とか「宇宙」じゃないかなぁと思うんだけど。
でさぁ、「和」を表現してるものってなんだろうと思ったら、「枯山水」がやってきたワケ。
これがすぐに自分の頭の中にやってきた。
これって、学校の授業で習ったと思うんだけど、こんなにすぐに自分にやってきたというのが
不思議に思える。
で、「枯山水」をネットで検索してみたら、「推古天皇28年(620年)頃、
蘇我馬子が飛鳥川畔につくった「島」が日本庭園の最も古い記録」とあった。
。。。推古天皇ですか。。。ほほ~う。
またもや飛鳥時代。今、にょ~にはまっている飛鳥時代。
京都・奈良ですね。斑鳩の法隆寺。
。。。どうせなら行ってみますか。
辞書を引いてもピンとくる答えは載っていない。
「和」ってさ、「全体の美」とか「宇宙」じゃないかなぁと思うんだけど。
でさぁ、「和」を表現してるものってなんだろうと思ったら、「枯山水」がやってきたワケ。
これがすぐに自分の頭の中にやってきた。
これって、学校の授業で習ったと思うんだけど、こんなにすぐに自分にやってきたというのが
不思議に思える。
で、「枯山水」をネットで検索してみたら、「推古天皇28年(620年)頃、
蘇我馬子が飛鳥川畔につくった「島」が日本庭園の最も古い記録」とあった。
。。。推古天皇ですか。。。ほほ~う。
またもや飛鳥時代。今、にょ~にはまっている飛鳥時代。
京都・奈良ですね。斑鳩の法隆寺。
。。。どうせなら行ってみますか。
そうですねぇ。。。全部のお像の確認はしてはいないのですが、写真の撮り方で随分と印象が違うみたいですね。
お顔がアップに映っている写真も多くて、それぞれ、ステキだなと思うんですが、私は、どちらかというと、全身ショットで映っていらっしゃるお写真が好きです。
立っていらっしゃるお像は、「立っていらっしゃるだけでお美しい」し、また、座っていらっしゃるお像(右足は組んでいらっしゃって、左足は下に下ろしていらっしゃるタイプが好きです)は「座っていらっしゃるだけでお美しい」と思います。
それって、日本伝統芸能の「所作」というものに繋がっているような感じもしなくもないような感じかな。よくわかんないけど。。。
是非、お像を実際に観させていただいて、そしたら、また違う印象をうけることができるかもしれません。
ところで、suraさんは、ブログでご紹介なさっていた、救世観音像と、百済観音像、広隆寺の弥勒菩薩像、中宮寺の弥勒菩薩像、この4つの中で、最も印象が強いのは、どのお像ですか? ぶなはですね~。あ、いや、また後日。
それではまた。
男性も、父性と同時に母性をも兼ね備えておりますが、相手を、衆生を、どこまでもどこまでも慈しむことがてきるという点においては、女性に到底及ぶものではありません。推古天皇が、なるべくして天皇となったと考える所以です。
輝いてますね、飛鳥時代 (^o^)
ぶなが聖徳太子さまに魅かれていったのは、3・4ヶ月前でした。み仏・菩薩としての太子さまに、魅了されております。
ぶなは、実は仏教徒でして、日常の行動の指針として、太子さまの言葉、suraさんご存知の、「和を以て貴しと為す」とか、「世間は虚仮にして、唯仏のみ是真なり」に、すがっているわけです。
まだ2冊しか本を読んでいません。太子さまその人を、そしてまた太子さまを取り巻く時代の状況を、もっと知りたいですし、それにも増して、上の2つの言葉に託された太子さまの願いを、仏教信仰の上に、もっともっと具体化していきたい、と思っています。
(つづく…)
suraさん。こんばんは。
「チーム推古」、的を射た名前ですね♪ 仏教を基盤に据えて、国づくりを進める3人。その活動は、国民1人1人の真の幸福を願うものだったはずです。さながら、母親が子どもを慈しむ眼差しでしょうか。どうにかして庶民に、笑顔に満ちた穏やかな日々を過ごさせてあげたい。その一心だったに違いありません。
「仏心とは大慈悲これなり」と申します。慈悲とは、相手の苦を抜きさり、楽を与えること。これこそが、み仏のみ心なのだそうです。1人のもれもなく、全ての衆生を救わんとするみ仏、そしてまたチーム推古。仏教は、母性並びに女性性そのものだと、ぶなは思います。
そう考えますと、チーム推古を束ねるその人は、まさに推古天皇でなければならなかったと、思うのです。
仏法に通じた、み仏・菩薩である太子さま。政策調整力・政策遂行力に秀でた馬子さん。そして、どこまでも衆生を大慈悲で包み込もうとする仏心・和の精神・女性性・母性そのものである、推古天皇。
(つづく…)
コメントありがとうございます。
ぶなさんは、聖徳太子に魅かれてずいぶんと長いんですか?
なんか、そんな感じを受けました。
私は太子に関しての1冊目の本がよかったのか、最近になって、聖徳太子はもちろん、飛鳥時代というものに、はまってきています。
1冊目の「聖徳太子の仏法」は、その当時の方々に失礼のない感じで書かれてあったとおもいます。
もう1冊読んでいるのですが、それは、テレビ番組とのコラボみたいで、やはりテレビ的というか、ワイドショーみたいな、やじ馬的な視点に感じて、こちらから読んでいたら、飛鳥時代に気付くのがもうすこし遅くなっていたんじゃないかと思っています。
また、この本の中で、蘇我馬子が、嫌な感じで書かれているけど、私はそんな方じゃないような気がするんです。
推古天皇と蘇我馬子と聖徳太子。
他にも沢山の方がかかわっていらっしゃったと思う。それこそ、名前も書かれていない方だっていらっしゃると思う。
そんな方々が1つのチームとなって、いろんなアイデアを出し合い、日本を創り上げていこうとしていたんだと思うんです。
その中のエースはもちろん聖徳太子。
太子は、クールながらもモチベーションは高く、そんな太子と、いろんな意見を出し合い、またぶつかり合ったり、励ましあったり。。。そう、現代と変わりない感じで、お仕事をされていたんじゃないかと、またもや勝手に想像しまくっています
人は、波動に反応していくんじゃないかと思っているこのごろ。
この飛鳥時代の波動は、きっと強くそしてよい物ではないのでしょうか。
でないと、あの頃から1300年たった現代に、その影響が残っているはずがないと思うんです。
あの当時の天皇は推古天皇。だからして、「チーム推古」と勝手に思っていて、そんな「チーム推古」の人間関係も、1つの「和」だったんじゃないかなとこれまた勝手に思っています。
なんか、古代のことを考えるのは楽しいですね。
わくわくします。
ぶなさんのお勧めの本を是非読んでみたいと思います。
新たな想像に繋がるんじゃないかと楽しみです。
それでは。
(2ページ目)
ただ、氏が指摘するところの絶対知(ぶなが思うに、それはすなわち、=悟り=真の幸福)という共通の目的、この目的を実現するには、立場を越えて歩み寄ることが必要だとする点、いずれも、官吏の職務上の論議の場だけでなく、一般平民の日々の生活にも妥当するものです。
また、太子の一生を貫く真意は、仏法による全市民の安寧・真の幸福にあったようです。
ですので、官吏の論議上の規範である第一条の文言の背後に、全市民を包み込む太子の思いを読み取ることもありだと、ぶなは思います。
おおっ。枯山水ですか~。穏やかに調和した世界ですね。太子がおっしゃる「和」の心が浸透し、全市民が真の幸福に包まれている、平和な平和な世界を、枯山水は表現しているのかな~、と思ったり。
そおだ。suraさんに、おすすめの本があるんですよ~。
●『聖徳太子の本』学習研究社、初版1997年
が、それでして。冒頭の聖徳太子摂政像は、圧巻です。太子さま、相当お怒りです。ちなみに、ぶなの部屋におられる太子さま(のお像)も、怒っておられます(泣)
いろいろな伝説も紹介されており、また、ビジュアルにたのしめる1冊です。ぜひ♪
それではまた。
(1ページ目)
はじめまして。ぶな と申します。
私も、聖徳太子に魅かれています。魅かれすぎるあまり、自分の部屋に、太子のお像をお招きしてしまいました。
きっかけは、え~っと、そう、太子が晩年に言っていたという、「世間虚仮 唯仏是真」の一言でした。
「和を以て…」の一文は、それに劣らず、重みのある言葉だと感じます。
今まで、「和」の意味について、素人ながら、慈悲の心だと思っていました。慈悲=苦を抜きさり、楽を与える。「自分のことは、とりあえず脇に置いて、まずは相手の苦を抜きさり、楽を与える」。そ~んな意味かなあと。
その慈悲の心=和の心=やさしさを、全人類60億人全員が徹底させれば、戦争・貧困・犯罪・虐待・家庭不和、あらゆる問題が解決し、真の幸福・真の平和に至ることができる。そう、今でも思っています。
だからこそ、和が最上、和が最高、「和を以ちて貴しと…せよ」なのだと。
ですが、suraさんおすすめの、佐藤正英『聖徳太子の仏法』をひもとくと、「そうではないのだ」と佐藤氏はおっしゃっておられますよね。第一条に言う「和」は、官人共同体における論議の指針に留まるものなのだそうですね。