わたしはその日
月の岩戸の小部屋で
スケッチブックに小さな天使の絵を描いていた
白い紙の上を細いペンがすべると
少女の愛の夢物語のような
かわいい天使の姿ができてくる
ふと小窓の方から
しゃらんという鈴の音がした
わたしがスケッチブックから目をあげて
小窓の方を見ると
小さな星が ごめんなさいと言って
勝手に中に入ってくるところであった
手にはゼンマイに似た不思議な植物を持っている
これは土産です
あなたの胸の傷に とてもよい薬です
そのまま胸にあてて しばらく眠っていると
それだけで棘がいくつかなくなります
星は言った
わたしはありがとうと礼を言って
その植物を受け取った
すると確かに それを手に取るだけで
何か胸のあたりにある痛いものが
溶けようとして揺れ動くような気がする
星はシェダルだと名乗った
カシオペイアの宮で働いていると言った
シェダルは言った
遠いところをせっかく来たので
いろいろと見物してきたのですが
ここは騒がしいところですねえ
みなが 自分が一番偉いと言っている
わたしは答えて言った
ええ 彼らは しょっちゅう言うのです
いなかったらいやだというものになりたいと
絶対にいてほしいというものになりたいと
それで いろいろと奇妙な知恵を回しては
ずいぶんとえらくなっている
ここには それはたくさん 偉い人がいますよ
するとシェダルは明るく笑いながら言うのだ
やれやれ 大変だ
いてほしいと言ってもらわなければ
自分がいなくなるとでも思っているのかな
できるものなら 教えてあげたいものだ
この世界で一番偉いのは
古本屋のおやじだと
わたしはそれを聞いて
玉をこぼすように笑ってしまった
ほんとうに けれども彼は
のおべるへいわしょうなんぞ
もってこられたら きっと
冗談はよしてくれと 青ざめて逃げるでしょう
するとシェダルはそれを受けてまた言うのだ
人間は あんなものが欲しいと
まだ思っているんですねえ
わたしとシェダルはしばらく
会話を楽しんだ
シェダルは話を面白く言うのが得意で
少々口下手なわたしにも
とても気楽に楽しく話をすることができた
ではこのへんで そろそろ
今度いい薬を見つけたら
また持って来ますから
シェダルはそういうと
手を振りながら 小窓から出て行った
このなかでいちばんえらいのは
もっともちいさな 馬鹿です
わたしは記憶に残っているイエスの言葉を
自分なりに言い換えて言ってみた
本当に 自分が自分であれば
自分を飾るために必要な名誉など
何もいらないのだ
でも 自分を少しも飾ろうとしない人間は
ほかの人間にはとても馬鹿なものに見えるのだろう
ウジェーヌ・ポルは生涯古本屋の主人だった
安物で質素だが清潔なスーツを着ていた
人々を心から愛していた
それだけで幸せな王様だったのだ