至高のカルテット解散後の、新生「コルトレーン」のコンボが、再び「ヴィレッジ・ヴァンガード」にやって来た。
そして、その時に録音されたのが、このライヴ・アルバムなんです。
「コルトレーン」縁の1曲目「ナイーマ」と、同じくライフ・ワークの曲が、2~3曲目の「マイ・フェイヴァリット・シングス」…このアルバムに収められているのは、たった2曲です。
とにかく、後期「コルトレーン」が演奏する曲は、1曲、1曲が長大で、(時には1曲で1時間以上なんてことも…)もはや人間業を超越して、正しく「神」や「賢者:グル」の声とも言うべき、サックスからの魂の絶叫が聴けます。
そして、この演奏のわずか1年後には、天に召されるので、まじめに骨身(命)を削って、演奏に没頭していた事は、紛れも無い事実でしょう。
是非「ジョン・ウィリアム・コルトレーン」の魂の叫び(絶唱)を聴いて下さい。
それから、「コルトレーン」を崇拝し、サポートする若き精鋭たちの演奏も聴いて下さい。
アルバムタイトル…ライヴ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード・アゲイン
パーソネル…ジョン・コルトレーン(ts、ss、b-cl)
ファラオ・サンダース(ts)
アリス・コルトレーン(p)
ジミー・ギャリソン(b)
ラシッド・アリ(ds)
マニュエル・ラヒム(perc)
曲目…1.ナイーマ、2.イントロダクション・トゥ・マイ・フェイヴァリット・シングス、3.マイ・フェイヴァリット・シングス
録音…1966年5月28日 ヴィレッジ・ヴァンガードでのライヴ録音
原盤…impulse A-9124 発売…ワーナー・パイオニア
CD番号…32XD-598
演奏について…1曲目の「ナイーマ」も「コルトレーン」の生涯演奏・録音の中でも上位の演奏だと思うが、やはり彼のライフ・ワークである、2曲目~3曲目にかけての、約27分に渡る長演奏の、「マイ・フェイヴァリット・シングス」から解説させて頂きましょう。
2曲目の「イントロダクション・トゥ・マイ~」は、言うなれば「マイ・フェイヴァリット~」へと橋渡しするための「ジミー・ギャリソン」の長大なベース・ソロの事であります。
この演奏…ベースの好きな方なら…正しく私はその一人ですが…聴いていてワクワクさせられ、尚且つ類稀な緊張感も感じえます。
「ギャリソン」の重厚なピッチカートと、時々使用するボウイングの何れもが、腹の底に響き渡る様な、重低音で心の奥底まで迫ってきます。
古い日本の特撮映画に、「大魔神」と言うのが有りました。
大魔神が悪人を退治する時、海が割れます(十戒も海が割れるなぁ)が、正しく「大魔神」様が通るために海を割る道の役目をしているんです。
泣く子も黙る、名演奏です。
3曲目「マイ・フェイヴァリット・シングス」の本丸に「ギャリソン」の重厚ベースが橋渡しをして、大将(神)の「コルトレーン」が、ソプラノ・サックスを引っさげて登場します。
まるでインド音楽の様に、ソプラノ・サックスを矢継ぎ早に運指して、パルスの様な高速で、音の閃光を光らせ続けます。
サイドでは、ピアノを乱打する「アリス」、そしてドラムを敲き捲る「ラシッド・アリ」が、これでもかの、狂乱の音のシャワーを、「コルトレーン」のソプラノ・サックスを修飾する様に乱れ打ちます。
それを受けて、「コルトレーン」が、激しくそして天空に飛び立つ鷲の様にどこまでも高く…大袈裟だが、宇宙までも飛び上がって、いつしかフェニックス(不死鳥)に変貌を遂げていくのです。
「マイ・フェイヴァリット~」のメロディ・ラインを一つ吹くだけでも、そこに筆舌し難い高貴な芸術性が、飾らない裸の姿で立っています。
大将のリードを受けて、いや、駅伝で言う襷を受けて、弟子:第3走者の「サンダース」は、一心不乱に牛や馬が嘶くが如く、野生の本能で、唾を垂れ流しながら…鷲の後を受けて、テナー・サックスを使用して、全力疾走します。
鷲の様に空は飛べないが、無心で走り続け、鷲の意思を繋げようと、健気に倒れながらも、テナー・サックスを持ちながら懸命に走るんです。
口から血や反吐をはきながらも、まだまだ走る…走る…走る!!
「ファラオ・サンダース」が走るんです。
この命がけの走りを見た「コルトレーン」は、天空から引き返し、この牛(馬)に付き合って、併走し、ソプラノ・サックスで激しく、そして優しく抱きしめます。
そして、牛「サンダース」を休ませて、駅伝の襷を再度受けて、またまた自らが命燃え尽きるまで、今度は走るんです。
よたって、転んで、傷ついて…一所懸命に走り続けます。
そして、ゴールが見えて来ると、もう一度テーマを思い切り吹き切り、ゴール・テープをタッチします。
「アリス」の優しいピアノに励まされて…「コルトレーン」が、感動のゴールをします。
演奏の質だけならば、「初代ヴィレッジ・ヴァンガード」の方が上かも知れませんが、精神性の高さは、この「アゲイン」の方が上回っているのでは?と思います。
1曲目の「ナイーマ」…後に嵐の様な、叫びの演奏がされる…その幕開けとは思えない程、序奏のテーマ、バラードを吹く「コルトレーン」は、暖かで神々しい。
とても静かに、ベース「ギャリソン」、ピアノ「アリス」、そしてドラムス「ラシッド・アリ」のリズム・メンが、「コルトレーン」を保護する。
しかし、「ファラオ・サンダース」のテナー・サックスは、恐れを知らない若きライオンの様に、本物の牙をむき出して、この曲に挑みかかります。
しかし、「ファラオ」のガチンコ勝負を受けても、「アリス」は「ドビュッシー」の様に幻想的に受け流し、「ラシッド・アリ」も、(パーカッションの「ラヒム」も)、真っ向からは組み合わずに、リングをサイドステップで廻る様に、流した演奏をします。
しかし、それでも「ファラオ」は、口から血を吐きながらも、この曲を噛み切る様に戦いを挑んでいます。
やがて「ファラオ」は疲れて、リングの外で「コルトレーン」にタッチして休むと、「コルトレーン」が「ファラオ」同様に、テナー・サックスで、スーパー・カデンツァを吹き切るんです。
やはり、「ファラオ」より実力が数段上なので、「コルトレーン」は、絶叫しながらも余裕が有ります。
その分、フリーに吹いていても、アドリブに充分な歌心が宿っていて、この曲がバラード曲だと言う事を忘れさせないんです。
結局…最終的には、「コルトレーン」が、この演奏&曲を、素晴らしいバラード曲・スタンダードとして、纏めて〆てくれるんです。
流石、「ジョン・コルトレーン」です。
最後に…当たり前で、恐縮ですが、このアルバム…絶対にBGMでは聴かないで下さい。
まぁ、実際は、BGMで聴こうとするのは、やろうとしてもとても困難です。
私の様な下衆人は、こう言うアルバムを聴く時は…正座で聴かないとダメなぐらいです。
そして、その時に録音されたのが、このライヴ・アルバムなんです。
「コルトレーン」縁の1曲目「ナイーマ」と、同じくライフ・ワークの曲が、2~3曲目の「マイ・フェイヴァリット・シングス」…このアルバムに収められているのは、たった2曲です。
とにかく、後期「コルトレーン」が演奏する曲は、1曲、1曲が長大で、(時には1曲で1時間以上なんてことも…)もはや人間業を超越して、正しく「神」や「賢者:グル」の声とも言うべき、サックスからの魂の絶叫が聴けます。
そして、この演奏のわずか1年後には、天に召されるので、まじめに骨身(命)を削って、演奏に没頭していた事は、紛れも無い事実でしょう。
是非「ジョン・ウィリアム・コルトレーン」の魂の叫び(絶唱)を聴いて下さい。
それから、「コルトレーン」を崇拝し、サポートする若き精鋭たちの演奏も聴いて下さい。
アルバムタイトル…ライヴ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード・アゲイン
パーソネル…ジョン・コルトレーン(ts、ss、b-cl)
ファラオ・サンダース(ts)
アリス・コルトレーン(p)
ジミー・ギャリソン(b)
ラシッド・アリ(ds)
マニュエル・ラヒム(perc)
曲目…1.ナイーマ、2.イントロダクション・トゥ・マイ・フェイヴァリット・シングス、3.マイ・フェイヴァリット・シングス
録音…1966年5月28日 ヴィレッジ・ヴァンガードでのライヴ録音
原盤…impulse A-9124 発売…ワーナー・パイオニア
CD番号…32XD-598
演奏について…1曲目の「ナイーマ」も「コルトレーン」の生涯演奏・録音の中でも上位の演奏だと思うが、やはり彼のライフ・ワークである、2曲目~3曲目にかけての、約27分に渡る長演奏の、「マイ・フェイヴァリット・シングス」から解説させて頂きましょう。
2曲目の「イントロダクション・トゥ・マイ~」は、言うなれば「マイ・フェイヴァリット~」へと橋渡しするための「ジミー・ギャリソン」の長大なベース・ソロの事であります。
この演奏…ベースの好きな方なら…正しく私はその一人ですが…聴いていてワクワクさせられ、尚且つ類稀な緊張感も感じえます。
「ギャリソン」の重厚なピッチカートと、時々使用するボウイングの何れもが、腹の底に響き渡る様な、重低音で心の奥底まで迫ってきます。
古い日本の特撮映画に、「大魔神」と言うのが有りました。
大魔神が悪人を退治する時、海が割れます(十戒も海が割れるなぁ)が、正しく「大魔神」様が通るために海を割る道の役目をしているんです。
泣く子も黙る、名演奏です。
3曲目「マイ・フェイヴァリット・シングス」の本丸に「ギャリソン」の重厚ベースが橋渡しをして、大将(神)の「コルトレーン」が、ソプラノ・サックスを引っさげて登場します。
まるでインド音楽の様に、ソプラノ・サックスを矢継ぎ早に運指して、パルスの様な高速で、音の閃光を光らせ続けます。
サイドでは、ピアノを乱打する「アリス」、そしてドラムを敲き捲る「ラシッド・アリ」が、これでもかの、狂乱の音のシャワーを、「コルトレーン」のソプラノ・サックスを修飾する様に乱れ打ちます。
それを受けて、「コルトレーン」が、激しくそして天空に飛び立つ鷲の様にどこまでも高く…大袈裟だが、宇宙までも飛び上がって、いつしかフェニックス(不死鳥)に変貌を遂げていくのです。
「マイ・フェイヴァリット~」のメロディ・ラインを一つ吹くだけでも、そこに筆舌し難い高貴な芸術性が、飾らない裸の姿で立っています。
大将のリードを受けて、いや、駅伝で言う襷を受けて、弟子:第3走者の「サンダース」は、一心不乱に牛や馬が嘶くが如く、野生の本能で、唾を垂れ流しながら…鷲の後を受けて、テナー・サックスを使用して、全力疾走します。
鷲の様に空は飛べないが、無心で走り続け、鷲の意思を繋げようと、健気に倒れながらも、テナー・サックスを持ちながら懸命に走るんです。
口から血や反吐をはきながらも、まだまだ走る…走る…走る!!
「ファラオ・サンダース」が走るんです。
この命がけの走りを見た「コルトレーン」は、天空から引き返し、この牛(馬)に付き合って、併走し、ソプラノ・サックスで激しく、そして優しく抱きしめます。
そして、牛「サンダース」を休ませて、駅伝の襷を再度受けて、またまた自らが命燃え尽きるまで、今度は走るんです。
よたって、転んで、傷ついて…一所懸命に走り続けます。
そして、ゴールが見えて来ると、もう一度テーマを思い切り吹き切り、ゴール・テープをタッチします。
「アリス」の優しいピアノに励まされて…「コルトレーン」が、感動のゴールをします。
演奏の質だけならば、「初代ヴィレッジ・ヴァンガード」の方が上かも知れませんが、精神性の高さは、この「アゲイン」の方が上回っているのでは?と思います。
1曲目の「ナイーマ」…後に嵐の様な、叫びの演奏がされる…その幕開けとは思えない程、序奏のテーマ、バラードを吹く「コルトレーン」は、暖かで神々しい。
とても静かに、ベース「ギャリソン」、ピアノ「アリス」、そしてドラムス「ラシッド・アリ」のリズム・メンが、「コルトレーン」を保護する。
しかし、「ファラオ・サンダース」のテナー・サックスは、恐れを知らない若きライオンの様に、本物の牙をむき出して、この曲に挑みかかります。
しかし、「ファラオ」のガチンコ勝負を受けても、「アリス」は「ドビュッシー」の様に幻想的に受け流し、「ラシッド・アリ」も、(パーカッションの「ラヒム」も)、真っ向からは組み合わずに、リングをサイドステップで廻る様に、流した演奏をします。
しかし、それでも「ファラオ」は、口から血を吐きながらも、この曲を噛み切る様に戦いを挑んでいます。
やがて「ファラオ」は疲れて、リングの外で「コルトレーン」にタッチして休むと、「コルトレーン」が「ファラオ」同様に、テナー・サックスで、スーパー・カデンツァを吹き切るんです。
やはり、「ファラオ」より実力が数段上なので、「コルトレーン」は、絶叫しながらも余裕が有ります。
その分、フリーに吹いていても、アドリブに充分な歌心が宿っていて、この曲がバラード曲だと言う事を忘れさせないんです。
結局…最終的には、「コルトレーン」が、この演奏&曲を、素晴らしいバラード曲・スタンダードとして、纏めて〆てくれるんです。
流石、「ジョン・コルトレーン」です。
最後に…当たり前で、恐縮ですが、このアルバム…絶対にBGMでは聴かないで下さい。
まぁ、実際は、BGMで聴こうとするのは、やろうとしてもとても困難です。
私の様な下衆人は、こう言うアルバムを聴く時は…正座で聴かないとダメなぐらいです。