図書館に行って、あるわけ無いよなァ~と思ったら、上下二冊ばっちり揃ってあるじゃないですか!「読書とジャンプ」のかずは様の感想に敬意を表しつつ、読み進めました。
まず最初に、この長いシリーズを克明に分析されて、判りやすく時系列に沿って一冊の本にして下さった皆川さんに心からの賛辞を送ります。いや~、これは凄いですよ。すっかり忘れていたような人と人との繋がりや出来事を、注釈つきで書き出してありますから、非常に嬉しく読む事が出来ました。
私は、リアルタイムな「ファースト」世代ですから、「Z」や「逆襲のシャア」世代の方たちや、後々過去に遡ってファンになられた世代の方たちとは、感想がだいぶ違うと思います。
ロボットが活躍するアニメが、最盛期を迎える初期の段階だった放映当初は、その深遠なテーマや、その後壮大なシリーズとなるであろうなどとは、主に視聴者だった中・高校生以上の人たちは思いもしなかったのではないでしょうか?中には聡明な方がおいでだったかもしれませんが、私の周囲を見渡す限りでは、そういう風にガンダムを観ていた者はいませんでした。カッコイイモビルスーツの戦闘シーンや、個性的なキャラクターや、戦争を真っ向から描いたお話に、夢中だったのです。
なかでも、アムロと近い年齢の私たちにしてみれば、シャアは「大人のカッコイイ男」そのものでした。両親に反抗し、人の生死の重さを知らず、戦争によって翻弄される大勢の人たちの境遇など、一切自分には関係の無い事だと喚くアムロを、我が身のように感じ取っていた私たちにとって、シャアはちゃくちゃくと自分の思うままに人生を切り開き、戦争を利用してのし上がって行く、全てを見通した大人の男のように感じられていました。
でも、今回この本を読んでいて感じたのは、シャアの生き様は私たちファースト世代そのものなんだという事です。
「ファースト」で憧れたシャアは、「Z」や「逆襲のシャア」という作品の中で、年齢を経ていきました。そして私たちもシャアと同じく年齢を経たいま、「二流」である自分を痛いほど自覚しつつも、周囲がそれ以上を期待してくる状況の中で、自分の矜持を賭けて全力を尽くす戦いを、シャアが名を変え場所を変え、時には惑い、時には無様に振る舞う生き様を、同じく自分が日常的にしている事に気づかされました。
私を例に挙げれば「主婦」は、家事や炊事に洗濯をこなし日常起きる様々な雑事をこなすという期待をされます。けれども、私は料理が得意ではなく大雑把で金銭感覚が怪しいです。「ピアノ講師」は、すぐにでもモーツァルトの小品やショパンのエチュードを楽々弾きこなす事を期待されます。けれども、電子オルガンを幼い頃から習っていて、ピアノは18歳から始めた私にとっては、譜読みは出来ても猛練習しなければ指が動きません。
でも、周囲の期待は一秒たりとも待ってはくれません。食事をしなければお腹が空きますし、仕事を選んでいてはお給料を頂けません。しくじって不味い料理になってもごまかし、無い知恵を絞って品数を増やし、買って来た料理を皿に移す術を得ました。子供たちに教える曲を練習し、CDを聴き楽譜を読んで、仕事をしました。
見ようによっては、自分に都合の良い、嘘でかためられた嫌なやつでしょうね。「情」が無いように見えますか?「情」が無いのなら、自分の不甲斐なさに苦しむ事も、失ってから如何に自分が依存していたかに気づかされる事もないでしょう。「ごくまっとうな普通の男」が戦争や出自の重さに振り回され、嵌まり込んでしまったのが、シャアだったんじゃないでしょうか。
一人の作家さんが、同じ主人公で長い連作を書かれた作品でも、同じように感じた事がありました。シャアは「たかが」アニメのキャラクターで、正確には大勢の制作スタッフさんが関わって、作り上げられた存在ですから、比べられないのかもしれません。ですが、富野監督もスタッフも、その時々のご自分のあり方や生き方を踏まえて、シャアという「稀有でありごく普通の男」を創られたんだと思うんです。だから、私たちは彼に「共振」させられるのだと思います。
長年のファンとしては「逆襲のシャア」で、シャアとアムロが戦えたのが、やはり嬉しかったです。たぶんずーっとシャアの心の奥底に変わらずあったのは「最高の敵であるアムロと純粋にモビルスーツ戦をしたかった」という想いだったでしょうから。しがらみも責任も放棄して、自分の純粋な望みが叶えられたのなら、どんなに素晴らしいでしょう!でもそれは、大勢の人の不幸や命と引き換えになるのを、私たちは知っています。だからこそ観たかった結末が観れて嬉しかったのです。
これは相変わらず、偏った感想です(笑)是非、ガンダムファンの皆さんに読んで頂いて(ハッキリ言って、一般の方が読んでもサッパリ面白くない類の本です・爆)感想をお聞きしたい作品です。
まず最初に、この長いシリーズを克明に分析されて、判りやすく時系列に沿って一冊の本にして下さった皆川さんに心からの賛辞を送ります。いや~、これは凄いですよ。すっかり忘れていたような人と人との繋がりや出来事を、注釈つきで書き出してありますから、非常に嬉しく読む事が出来ました。
私は、リアルタイムな「ファースト」世代ですから、「Z」や「逆襲のシャア」世代の方たちや、後々過去に遡ってファンになられた世代の方たちとは、感想がだいぶ違うと思います。
ロボットが活躍するアニメが、最盛期を迎える初期の段階だった放映当初は、その深遠なテーマや、その後壮大なシリーズとなるであろうなどとは、主に視聴者だった中・高校生以上の人たちは思いもしなかったのではないでしょうか?中には聡明な方がおいでだったかもしれませんが、私の周囲を見渡す限りでは、そういう風にガンダムを観ていた者はいませんでした。カッコイイモビルスーツの戦闘シーンや、個性的なキャラクターや、戦争を真っ向から描いたお話に、夢中だったのです。
なかでも、アムロと近い年齢の私たちにしてみれば、シャアは「大人のカッコイイ男」そのものでした。両親に反抗し、人の生死の重さを知らず、戦争によって翻弄される大勢の人たちの境遇など、一切自分には関係の無い事だと喚くアムロを、我が身のように感じ取っていた私たちにとって、シャアはちゃくちゃくと自分の思うままに人生を切り開き、戦争を利用してのし上がって行く、全てを見通した大人の男のように感じられていました。
でも、今回この本を読んでいて感じたのは、シャアの生き様は私たちファースト世代そのものなんだという事です。
「ファースト」で憧れたシャアは、「Z」や「逆襲のシャア」という作品の中で、年齢を経ていきました。そして私たちもシャアと同じく年齢を経たいま、「二流」である自分を痛いほど自覚しつつも、周囲がそれ以上を期待してくる状況の中で、自分の矜持を賭けて全力を尽くす戦いを、シャアが名を変え場所を変え、時には惑い、時には無様に振る舞う生き様を、同じく自分が日常的にしている事に気づかされました。
私を例に挙げれば「主婦」は、家事や炊事に洗濯をこなし日常起きる様々な雑事をこなすという期待をされます。けれども、私は料理が得意ではなく大雑把で金銭感覚が怪しいです。「ピアノ講師」は、すぐにでもモーツァルトの小品やショパンのエチュードを楽々弾きこなす事を期待されます。けれども、電子オルガンを幼い頃から習っていて、ピアノは18歳から始めた私にとっては、譜読みは出来ても猛練習しなければ指が動きません。
でも、周囲の期待は一秒たりとも待ってはくれません。食事をしなければお腹が空きますし、仕事を選んでいてはお給料を頂けません。しくじって不味い料理になってもごまかし、無い知恵を絞って品数を増やし、買って来た料理を皿に移す術を得ました。子供たちに教える曲を練習し、CDを聴き楽譜を読んで、仕事をしました。
見ようによっては、自分に都合の良い、嘘でかためられた嫌なやつでしょうね。「情」が無いように見えますか?「情」が無いのなら、自分の不甲斐なさに苦しむ事も、失ってから如何に自分が依存していたかに気づかされる事もないでしょう。「ごくまっとうな普通の男」が戦争や出自の重さに振り回され、嵌まり込んでしまったのが、シャアだったんじゃないでしょうか。
一人の作家さんが、同じ主人公で長い連作を書かれた作品でも、同じように感じた事がありました。シャアは「たかが」アニメのキャラクターで、正確には大勢の制作スタッフさんが関わって、作り上げられた存在ですから、比べられないのかもしれません。ですが、富野監督もスタッフも、その時々のご自分のあり方や生き方を踏まえて、シャアという「稀有でありごく普通の男」を創られたんだと思うんです。だから、私たちは彼に「共振」させられるのだと思います。
長年のファンとしては「逆襲のシャア」で、シャアとアムロが戦えたのが、やはり嬉しかったです。たぶんずーっとシャアの心の奥底に変わらずあったのは「最高の敵であるアムロと純粋にモビルスーツ戦をしたかった」という想いだったでしょうから。しがらみも責任も放棄して、自分の純粋な望みが叶えられたのなら、どんなに素晴らしいでしょう!でもそれは、大勢の人の不幸や命と引き換えになるのを、私たちは知っています。だからこそ観たかった結末が観れて嬉しかったのです。
これは相変わらず、偏った感想です(笑)是非、ガンダムファンの皆さんに読んで頂いて(ハッキリ言って、一般の方が読んでもサッパリ面白くない類の本です・爆)感想をお聞きしたい作品です。
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