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ナツノの日常のことを書いています。
しばらくの間コメントお休みさせてくださいね…by ナツノ

子供達に「生」を捨てさせたくない…

2006-10-30 | 暮らし

来てくださってありがとうございます。お返事、更新が送れてスミマセン。<(_ _)>

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どうして? どうして…とテレビを見てつぶやく。まただ、また…

誰が手をさしのべられるのか。その、優しく暖かく感じやすく、真っ直ぐな心に。

いじめにつながる行動を子供に耳打ちするのはだれなんだろう?

子供は大人を映す鏡。

お金がイチバンで、簡単に心の中身まで買えるかのような世の中を作った大人達。

今からでも遅くはない。大人達が変わることが要求されている。
もちろん私も含めて…

私達が…どんなコトバを伝えれば、子供達は「生」を捨てずにすむのだろうか。

誰かを守るため

2006-10-20 | 暮らし

「いじめを受けたことのない人はいない、いじめたことのない人はいない」と、どなたかがニュースで話していましたが…

確かに、そうかもしれません。いじめられた人がその経験を胸に引きずり、今度は誰かをいじめることもあるでしょう。大きないじめではなくても、ほんの少しの事でも…。
そうだとすれば、さかのぼったとして、どの段階で、誰が誰に受けた、どのいじめが、どのように、誰により非難されるのでしょうか?誰がそれを判断するのでしょうか?…わかりません。

でも現在、目の前に起こっているいじめだけは、周囲が感じ取り、いじめられている人を守ることが出来る可能性がありますし、本人も助けを求めることは可能なはずでは…。だから、目の前のいじめだけでも、なんとか出来れば…。…暴力の連鎖(コトバの暴力も)は断ち切ることが出来ないのでしょうか?

人を愛するために、愛する人や環境を守るために人間は、誰かを傷つけているかも知れないのです。ではそれは許されますか? 許されることではないでしょうけれど…。

でもそれが、いじめと違うところは「愛する人や環境を守るために誰かを、何かを、犠牲にする時には、自分の心も傷ついてもかまわない」というある意味の覚悟のようなものが、気持ちの奥に存在しているところではないでしょうか。

いじめは…「自分の心が傷ついてでも、行いたい事でしょうか?」答えは「否」だと思います。いじめは自己の快楽のためだけに行われるような気がします。自分は傷つかずに、人を傷つけてはいけないのだと思います。

守るものが多く、ストレスが多すぎるのでしょうか。力を示さずには、他人と比較し、優位に立たずには、いられないのでしょうか…競争社会ですものね。そうやって世の中は発展して来たんですものね。
でも、大人たちに降り積もったギスギスの気持が、すっかり拭い去られなければ…今のような子供達のいじめも無くならない気がします…。では、いったいどうしたら良いのでしょう…。

命を絶つことだけは止めて欲しい…今から逃げたい気持ちは分かるけど、貝になっても、石になってもいいから…存在だけはこの世から失くさないで欲しい…せっかくこの世に生まれたのだから…。





消えてゆくものと新しい風

2006-10-18 | 暮らし

チョキ チョキとはさみの音がさっきから絶え間なくしています。お隣の庭の木を切っているのです。何十年も育った木たちです。お庭の歴史と言うか、時を刻んできた木々の記録がなくなっていきます。
私はどうにもその、チョキチョキの音に、いたたまれなくて…、そわそわベランダと家の中を行ったりきたりしています。

本当のところ、ちょっと困ってもいたのです。狭い土地に寄り添う家々ですから、もちろん繁る木々もお互い様なのですが…伸びすぎてしまい、こちらにコンニチハした枝を切らしてもらってもいましたので…
なので、あまり感傷的にもなりたくないのですが、やはり黙って黙って切られて倒されてゆく、歴史のある木を見ていると、胸が少し痛みます。

今まで緑だった場所が、空が、空間に変わっていきます。
私自身、ここに住む時にすべての木を切りました。父の育てた木々でした。もう、今までのものは、何も要らない、と思ったのです。
私が「全部切って下さい」と言った時、担当の方が、やや驚いていたのを覚えています。でもこんな身勝手を、父は許してくれるのではないか…そう思っているんです。

今日のこの、あたたかな秋の風に乗り、お隣から草を切る香りがしてきます。
草も木も何も言いません。今日の夕方には、お隣に新しい風の通り道が出来て、優しいなぐさめの空気が流れることだと思います。そう願っています。