「いじめを受けたことのない人はいない、いじめたことのない人はいない」と、どなたかがニュースで話していましたが…
確かに、そうかもしれません。いじめられた人がその経験を胸に引きずり、今度は誰かをいじめることもあるでしょう。大きないじめではなくても、ほんの少しの事でも…。
そうだとすれば、さかのぼったとして、どの段階で、誰が誰に受けた、どのいじめが、どのように、誰により非難されるのでしょうか?誰がそれを判断するのでしょうか?…わかりません。
でも現在、目の前に起こっているいじめだけは、周囲が感じ取り、いじめられている人を守ることが出来る可能性がありますし、本人も助けを求めることは可能なはずでは…。だから、目の前のいじめだけでも、なんとか出来れば…。…暴力の連鎖(コトバの暴力も)は断ち切ることが出来ないのでしょうか?
人を愛するために、愛する人や環境を守るために人間は、誰かを傷つけているかも知れないのです。ではそれは許されますか? 許されることではないでしょうけれど…。
でもそれが、いじめと違うところは「愛する人や環境を守るために誰かを、何かを、犠牲にする時には、自分の心も傷ついてもかまわない」というある意味の覚悟のようなものが、気持ちの奥に存在しているところではないでしょうか。
いじめは…「自分の心が傷ついてでも、行いたい事でしょうか?」答えは「否」だと思います。いじめは自己の快楽のためだけに行われるような気がします。自分は傷つかずに、人を傷つけてはいけないのだと思います。
守るものが多く、ストレスが多すぎるのでしょうか。力を示さずには、他人と比較し、優位に立たずには、いられないのでしょうか…競争社会ですものね。そうやって世の中は発展して来たんですものね。
でも、大人たちに降り積もったギスギスの気持が、すっかり拭い去られなければ…今のような子供達のいじめも無くならない気がします…。では、いったいどうしたら良いのでしょう…。
命を絶つことだけは止めて欲しい…今から逃げたい気持ちは分かるけど、貝になっても、石になってもいいから…存在だけはこの世から失くさないで欲しい…せっかくこの世に生まれたのだから…。