久しぶりにバスに乗りました。窓ぎわに座り、外の景色を見るのがスキです。
車に乗っていても、電車でも…外の景色を眺めています。
一瞬だけ、目の端から端へと走り去ってゆく「路地」を眺めるのがスキです。
それぞれの路地や十字路や、曲がり角の先には
「私の知らない時間(とき)」が長く長く…細い川のように流れているのです。
自分との出会いは一瞬ですが…走る車の窓から、その空間(路地)を垣間見る時、
瞬間でもそこに流れる時間(とき)に、私も触れることが出来ます。
人はみなが帰る所があり、夜になれば、あの路地の先にも明かりが灯るでしょう。
その灯りの下には誰かの生活があり、誰かを想い、誰かを待っているんだと…
きっと笑顔も悲しみもあり、子供が走り、花を育て、何かを食べ、自転車に乗り…
路地や曲がり角の先には、そこに住む人達の
途切れない生活の息遣いが、降り積もり、出来上がった「唯一で特別な空間」
が存在していると思います。
それぞれの路地にそれぞれの生活がある…というところがいいなぁと思います。
私が知ろうと、知るまいとそれは存在する…というところがいいなぁと思います。
とーってもよく分かるような気がします。
私が感じていることを言葉にしてくださったような・・・
そういうとき、私は、温かくフワッとした気持ちと、切なくキュンとなる気持ちが入り混じった気分になって、静かにドキドキしてしまうんです
「その一つ一つの輪が、どこかで誰か他の人とつながっていて、もしかしてわたしとつながっていて・・・世の中ってフシギだなぁ」って。
なんか、漠然と思っていたんですよ。
ナツノさんの文だとそれがより具体的に心の中に浮かんでくるような気がします。
誰かを想い、誰かを待っている
とか
子供が走り、花を育て、何かを食べ、自転車に乗り…
とか
あぁ、なんて素敵な文章なんでしょう。
路地や明かりを見たとき、ナツノさんのこの文をふっと思い出すことと思います。
こんにちわ。
きてくださってありがとうございます。
今日はこちらはうす曇の寒い日です。。。
そらももさんのほうはいかがですか?
自分の知らないところで自分と同じように、
迷ったり考えたり、喜んだり…
そうして生活している人がいるのかなぁと
思う時、少しだけ元気をもらえる気がします。
わんの散歩の時でも、
フトこの路地の先に住む人達の事を考えたりして…
でも、道の真ん中で
あちこちじろじろキョロキョロしている私は
挙動不審に見られちゃうかもしれないですネ!
こんにちわ。
>「あの灯りの一つ一つに、誰かの世界が一つ一つあるんだな~」
うん、うん。そうですよね~!
私も明かりを見て、
同じような気持ちになります。
昼間は見えない生活の場所を
夜の灯りは「ここにも生活があるよ」と
映し出してくれているみたいですよね!
夜中に起きてしまった時など、外を見て
どこかの部屋に明かりがついていると
まだ起きている人がいるんだなぁと、
救われたように思います…
その場所にいる人が私の方を見るのでなく
その灯りが私のためにあるのではないのだけど…
それが何故か
悲しいという感情ではない「キュンッ」とした気持ちがして…不思議な気持ちに…。
みなさんも同じ気持ちになるんだなぁと
なんだか仲間を見つけたほっとした気持ちです^^
もっぷさんが
キュンとなるのは…なんでだろう…
やっぱり
その灯りが「誰かの大切なもの」なんだと
もっぷさんが
感じるから、なのかな?
もっぷさんの「優しさ」が
キュンとさせるのかもしれないです、
そう思います…