6/30は梁瀬二子塚古墳の説明会がありました。
国指定史跡になった記念の現地説明会で
普段は締め切ってある石室を公開するそうです。
こう聞けば
石室の中に入れると思うじゃないですか。
動ける服装に懐中電灯に軍手を持ちました。
石室に入る気満々です。
いざ、梁瀬二子塚古墳へ。
住宅が途切れると
突然目の前に現れる大きな山。
緑の芝生に覆われてふさふさしています。
石室近くにスタッフが立っていて
朝早くから来た人に質問攻めになっていました。
古墳の全長は80メートル。
前方後円墳の中でも小ぶりなもの。
6世紀前半のもの。
石室から骨は見つかっていない。
そんな話を耳に入れながら石室見学の列に並びます。
スタッフ「あ、中には入らないでください」
え-。
今日は中をのぞき込むのと
カメラを入れて撮影するまではOKだそうです。
石室公開って
普段閉じてある扉を開いただけだったんです。
ざ、残念-。
石室入り口の写真を一枚。
石室内部は奥が遠すぎて撮影できません。
内部は階段を降りるようになっている珍しい羨道だそうです。
玄室の中はべんがらで赤く塗られていました。
保存状態が良くなくて
べんがらはほとんど退色してしまっているそうです。
説明会まで時間があったのでガイダンス施設へ。
3Dで再現した
石室の動画を見ることができました。
ほとんど加工していない自然石を積んであるようです。
天井の石は大きいです。
やはり中に入りたかったな。
説明会の時間になりました。
夏の熱い日差しの中、たくさんの人が集まりました。
古墳前に集まるように言われて
ぞろぞろと古墳へ。
集合場所にあった倉庫の扉がツボでした。
石室にたまにある扉石がこれと同じなのです。
説明内容は石室の列に並びながら聞いたものとほぼ同じでした。
くびれからのぼって前方部に行き
次は後円部に行きました。
こちらはくびれ。
後円部の上には石碑がありました。
そのうちの1つは地主さんが古墳の主の供養のために立てたそうです。
後円部。
前方部。
ここは竹林に覆われていたため
古墳の墳丘がほとんど作られた当時のまま残っているそうです。
古墳の表面に敷いてある石を葺き石と呼ぶのですが
古墳時代のままにしては葺き石がないな~と思ったのです。
そうしたら
古墳の上に厚さ50センチの保護土を盛り芝生を植えてあるため
葺き石は土の中だと言われました。
古墳は芝生でふさふさしているイメージだったのですが
あれは保護土だった模様です。
石室の前にはたくさんの人が並んでいて
説明を聞いた人がその後に並びました。
石室に入る気満々だったため、物足りず
副葬品が展示してあるという「ふるさと学習の森」へ行きました。
ここの古墳から出土した
三連の金箔入りガラス玉を見てみたいなと思ったのですが
「貸し出し中」って書いてありました。
ガッカリ。
でも、こちらの施設で
梁瀬二子塚古墳の企画展をしたときの冊子を買うことができました。
梁瀬二子塚古墳を最初に発掘調査したのは明治初期、
その時に描かれた副葬品の図解も載っていました。
個人的にすごいと思ったのですけど
出土した装飾品の図に紐が通っていたのです。
板状の石製品を中央につけて
紐も網のように複雑に編んであって
ガラス玉や勾玉をちりばめるように付けたように見えます。
古墳時代、もしかしたら
装飾品をすごくおしゃれに付けていたんじゃないかな。
なかなか興味深い古墳でした。
国指定史跡になった記念の現地説明会で
普段は締め切ってある石室を公開するそうです。
こう聞けば
石室の中に入れると思うじゃないですか。
動ける服装に懐中電灯に軍手を持ちました。
石室に入る気満々です。
いざ、梁瀬二子塚古墳へ。
住宅が途切れると
突然目の前に現れる大きな山。
緑の芝生に覆われてふさふさしています。
石室近くにスタッフが立っていて
朝早くから来た人に質問攻めになっていました。
古墳の全長は80メートル。
前方後円墳の中でも小ぶりなもの。
6世紀前半のもの。
石室から骨は見つかっていない。
そんな話を耳に入れながら石室見学の列に並びます。
スタッフ「あ、中には入らないでください」
え-。
今日は中をのぞき込むのと
カメラを入れて撮影するまではOKだそうです。
石室公開って
普段閉じてある扉を開いただけだったんです。
ざ、残念-。
石室入り口の写真を一枚。
石室内部は奥が遠すぎて撮影できません。
内部は階段を降りるようになっている珍しい羨道だそうです。
玄室の中はべんがらで赤く塗られていました。
保存状態が良くなくて
べんがらはほとんど退色してしまっているそうです。
説明会まで時間があったのでガイダンス施設へ。
3Dで再現した
石室の動画を見ることができました。
ほとんど加工していない自然石を積んであるようです。
天井の石は大きいです。
やはり中に入りたかったな。
説明会の時間になりました。
夏の熱い日差しの中、たくさんの人が集まりました。
古墳前に集まるように言われて
ぞろぞろと古墳へ。
集合場所にあった倉庫の扉がツボでした。
石室にたまにある扉石がこれと同じなのです。
説明内容は石室の列に並びながら聞いたものとほぼ同じでした。
くびれからのぼって前方部に行き
次は後円部に行きました。
こちらはくびれ。
後円部の上には石碑がありました。
そのうちの1つは地主さんが古墳の主の供養のために立てたそうです。
後円部。
前方部。
ここは竹林に覆われていたため
古墳の墳丘がほとんど作られた当時のまま残っているそうです。
古墳の表面に敷いてある石を葺き石と呼ぶのですが
古墳時代のままにしては葺き石がないな~と思ったのです。
そうしたら
古墳の上に厚さ50センチの保護土を盛り芝生を植えてあるため
葺き石は土の中だと言われました。
古墳は芝生でふさふさしているイメージだったのですが
あれは保護土だった模様です。
石室の前にはたくさんの人が並んでいて
説明を聞いた人がその後に並びました。
石室に入る気満々だったため、物足りず
副葬品が展示してあるという「ふるさと学習の森」へ行きました。
ここの古墳から出土した
三連の金箔入りガラス玉を見てみたいなと思ったのですが
「貸し出し中」って書いてありました。
ガッカリ。
でも、こちらの施設で
梁瀬二子塚古墳の企画展をしたときの冊子を買うことができました。
梁瀬二子塚古墳を最初に発掘調査したのは明治初期、
その時に描かれた副葬品の図解も載っていました。
個人的にすごいと思ったのですけど
出土した装飾品の図に紐が通っていたのです。
板状の石製品を中央につけて
紐も網のように複雑に編んであって
ガラス玉や勾玉をちりばめるように付けたように見えます。
古墳時代、もしかしたら
装飾品をすごくおしゃれに付けていたんじゃないかな。
なかなか興味深い古墳でした。