つぶやき・ツッコミ・つれづれ語り

言わないけど内心でツッコミ入れている、日常語り。

不動山古墳へ。

2018年05月09日 | 歴史散策
先日、高崎市の綿貫古墳群に行って来ました。

この古墳群は
前方後円墳が3つ並んでいます。

最初に不動山古墳へ。



後円部の墳頂にお不動さんが祀られていて
前方部は崩されて道路が走っています。





道路から、階段で後円部の墳頂へ。

お不動さんの裏手に
舟形石棺が置かれていました。

蓋は残っていません。



石棺には突起がありましたが
この突起に縄をくくりつけられるのかなぁ?という感じでした。

もしかしたら、突起は装飾なのかも。

上野国分寺跡へ。

2018年05月04日 | 歴史散策
先日は国分寺跡に行ってきました。

古墳好きの私にとって
仏教の伝来は古墳時代に終焉をもたらした脅威です。

最初に上野国分寺館へ。

ここには国分寺の七重の塔の模型があります。



本当にこんなきらびやかな建物があったのかなと思ったら、
奈良の建物などを参考に作ったらしい。

南大門の両側にあった築垣が復元されています。



実際に築垣跡が出土したところに、
当時のつくり方で(棒で固める)作ったそうです。

門を通り過ぎると左に基壇が見えました。



塔があった場所だそうです。



さらに奥に進むと右手にも基壇が見えてきました。



こちらは講堂の基壇だそうです。

柱の台に使った石は蓮の花びらのような形をしていました。





こんなコーナーもありました。

国分寺の瓦に触れます。



小さな欠片も
大事に展示しているところが好きです。

滝沢古墳へ。

2018年04月30日 | 歴史散策
群馬県の吉岡町で
花と緑のぐんまづくり、というイベントをしていまして。

会場案内の地図を見ていたら
吉岡町役場の庭に古墳があるんです。

これは行くしかない(笑)

「滝沢古墳」とありました。



葺石がいい感じです。

2段の円墳で、
直径は10メートルあるかどうか。

説明書きがまったくありませんでした。

横穴式石室、
入れませんが、格子ごしに中を撮影できます。





天井石が大きい、
壁の石は未加工ですがきれいに積まれています。

古墳時代後期の古墳かな?

井出二子山古墳へ。

2018年04月30日 | 歴史散策
八幡塚古墳の次に井出二子山古墳へ。

この古墳は
真っ白な石を葺いて
赤く焼いた埴輪で飾りをつけたそうです。

とっても派手な外見をしていたと言われていますが
今は笹に覆われて緑一色でフサフサです。



墳丘の上へ。

この古墳も竪穴式だったらしい。
墳頂に石棺のパネルがありました。



石棺は元に戻したとあったように記憶しています。

くびれ。



前方後円墳の回りにある丸い台は
こんな感じです。



この古墳の周囲には
円筒埴輪が並んでいましたが
壊れてはその都度作り直していた形跡があるそうです。





今でも同公園内ではにわを焼いていて
壊れたら埴輪を新しいものに取り替えるということを
今でも続けているそうです。

八幡塚古墳へ。

2018年04月30日 | 歴史散策
先日、上毛野はにわの里公園に行ってきました。



公園内には前方後円墳がふたつ整備されています。

行ってびっくりしたのは
人、人、人。

みんなスマホを眺めながら歩いていました。

博物館の駐車場に車を置いて
まずは八幡塚古墳へ。

榛名山の噴火で埋もれていたため
当時のまま残っていたそうです。

なのでパッと見た感じ、石の山です。

古墳の周囲には魔除けの盾持ち埴輪が並んでいます。



儀式を再現した埴輪も並んでいたそうです。

埴輪の位地の正確な記録が残っていたため
こちらも再現されています。

王の継承の儀式を伝えるものだと言われています。
私のお気に入りは琴弾男子埴輪です。





古墳に登れます。

周囲には丸い台が4つ作られています。
上から見ることを意識していたのかも。

くびれを撮影してみたり。





八幡塚古墳は竪穴式石室です。

この古墳が身近すぎて気がつかなかったのですけど
考えてみたら竪穴式石室に入れるってすごい気がします。

調べたら、
古墳が大きく崩れていたので
見学できるように整備したらしい。

中には表面がなでらかな舟形石棺がひとつあり、
隣に石槨の跡がありました。

なので、葬られたのは、少なくとも二人以上、だそうです。


館林城攻め。(尾曳稲荷と城沼)

2018年04月12日 | 歴史散策
館林城の説明書きを見たときに
「尾曳の狐伝説」というのが心に残りました。

館林といえば
茂林寺を舞台にした分福茶釜の狸で有名なのに
お城は狐なの?

子狐を助けてくれたお礼に
お城を建てるのにいいと館林の地を教え、

お城を建てるときは
老狐が現れて縄張り(設計図)を手伝った。

そういう言い伝えがあるようです。

城内にあったという
尾曳稲荷を訪ねてみました。



こちらはお城があった頃から位置が変わっていないそうです。

たくさんの鳥居があって
信仰の深さがうかがえます。

狛狐の阿形が子連れの狐でした。



吽形の方は子連れじゃなかったので老狐の方なのかも。



奉納されているたくさんの狐の像も
ちゃんと子狐とセットになっていて可愛いかったです。



お稲荷さんの敷地には弁天様と三峯のお社もありました。

尾曳稲荷からさらに歩くと城沼があります。

城沼を見ておきたいと思って足を運んでみました。



沼の周りは6km、
公園として整備されていました。

館林城攻め。(本丸を探しに)

2018年04月09日 | 歴史散策
やはり城攻めなら本丸ですよね。

本丸は八幡宮のそばにあったらしい。



途中で広場を見つけました。

本丸の土塁の南側は広場になっていたのですが、
かつて、ここは沼だったそうです。



お堀が沼だなんて、渡りたくないなぁ。

忍者失格。

八幡宮にご挨拶してきました。
この近辺が本丸だそうです。





館林城溝状遺構というのがあったので見てきました。



上に池があって
池の水が流れていました。


館林城攻め。(土橋門~三の丸)

2018年04月09日 | 歴史散策
先日、出掛けた先が、たまたま城跡でした。

だったら回るしかない。

いざ、館林城へ。

地図を参考に向かったのが土橋門です。

土塁の上に塀が復元されていました。

雰囲気満点です。



井戸もありました。
井戸ってなんだか好きなんです。



土橋門は
三の丸に通じていて
通用門として使われていたそうです。







野菜売りの気分で潜り戸をくぐったり。



土塁の上の塀は続いています。



これだけでもお城の雰囲気満点でした。

南高原1号墳へ。

2018年04月08日 | 歴史散策



先日、南高原1号古墳を見てきました。

7世紀に作られた円墳です。

石室の奥石と天上石が残っています。
鉄格子の隙間から中を覗くことができます。



北側の葺き石がきれいに残っていたというので
後ろに回ってみました。



この積み方で、よく残っていたなぁ。

ぐるっと一周。

2段の円墳だということがわかります。


高崎城攻め!

2017年09月20日 | 歴史散策
先日、高崎城周辺を歩いてきました。

高崎城は残っていないイメージだったのですが
城跡公園があり
良い感じにお堀が残っていました。





公園にあった高崎城周辺案内図です。





これによると
本丸は学校になっているらしい。

学校だと関係者以外は立ち入り禁止かも。

本丸行きを断念。



道ばたにあったこれは石垣かも。

市役所から烏川方面に向かうと
土塁が残っていました。



土塁の外にもお堀が残っていました。



そのまま南へ。

お城の中に植えられたと伝えられる
白木蓮の木がありました。

説明書きによると樹齢は約400年です。





さらに場内にあったという神社があることを知り
そこまで足を伸ばしてみました。

頼政神社へ。

あまりご機嫌よろしくなさそうな神社だったので
説明書きのみ撮影してきました。



NHK大河ドラマと関係がある場所なので
興味のある方は足を運んでみてはいかがでしょうか。