つぶやき・ツッコミ・つれづれ語り

言わないけど内心でツッコミ入れている、日常語り。

「縄文」つながり①

2018年07月24日 | 歴史散策
先日、国立東京博物館の企画展「縄文」に行ってきました。



群馬県からも
たくさんの出土品が展示されています。

縄文と言えば岡本太郎、
この人が絶賛した「火焔土器」、初めて本物を見ました。

火焔式土器ってたくさんあるんですね。
いっぱい展示されていました。

どれが国宝だろうと思ったら
別に国宝コーナーがあってそちらに鎮座していました。

国宝の子はやはりシュッとしていてバランスが良い。

火焔だけなら
国宝じゃない子も
十分、炎が踊っているような感じに見えます。

そして、あの有名な土偶、
片足が無い遮光器土偶も本物に会えました。

土偶って中が空洞なんです。
土をこねて、空洞にして、焼いて作るって、高度な技術だと思います。

さらに、けっこう薄いんですよ。
こんなに薄く作れるのか・・・縄文時代に!

土器は、細長く紐みたいにした粘土を
くるくる高く積んで器にしているんですけど
縁の飾りは空洞なんです。

飾りは複雑で、
よく空洞になったな、という感じ。

やかんみたいな土器があって
注口があったんですけど
この注口はうるしで接着してあるそうです。



土器の棺があって
小さい子供用の大きさで、
母と子のような顔があるものがありました。

棺に入れた子供ごと
お母さんが棺を抱きしめている感じです。

縄文時代でも親子の情愛は変わらないね。

常設展に考古学体験コーナーがあって
ミミズク土偶が置いてありました。

子供を抱くように持ってくださいとあったので
その通りに持ってみたら
ミミズク土偶がすっごく可愛く見えました。



「縄文」、なかなか楽しく見てきました。

梁瀬二子古墳へ。

2018年07月06日 | 歴史散策
6/30は梁瀬二子塚古墳の説明会がありました。

国指定史跡になった記念の現地説明会で
普段は締め切ってある石室を公開するそうです。

こう聞けば
石室の中に入れると思うじゃないですか。

動ける服装に懐中電灯に軍手を持ちました。

石室に入る気満々です。

いざ、梁瀬二子塚古墳へ。

住宅が途切れると
突然目の前に現れる大きな山。

緑の芝生に覆われてふさふさしています。



石室近くにスタッフが立っていて
朝早くから来た人に質問攻めになっていました。

古墳の全長は80メートル。
前方後円墳の中でも小ぶりなもの。
6世紀前半のもの。
石室から骨は見つかっていない。

そんな話を耳に入れながら石室見学の列に並びます。

スタッフ「あ、中には入らないでください」

え-。

今日は中をのぞき込むのと
カメラを入れて撮影するまではOKだそうです。

石室公開って
普段閉じてある扉を開いただけだったんです。

ざ、残念-。

石室入り口の写真を一枚。
石室内部は奥が遠すぎて撮影できません。



内部は階段を降りるようになっている珍しい羨道だそうです。





玄室の中はべんがらで赤く塗られていました。

保存状態が良くなくて
べんがらはほとんど退色してしまっているそうです。

説明会まで時間があったのでガイダンス施設へ。

3Dで再現した
石室の動画を見ることができました。

ほとんど加工していない自然石を積んであるようです。
天井の石は大きいです。

やはり中に入りたかったな。

説明会の時間になりました。

夏の熱い日差しの中、たくさんの人が集まりました。

古墳前に集まるように言われて
ぞろぞろと古墳へ。



集合場所にあった倉庫の扉がツボでした。
石室にたまにある扉石がこれと同じなのです。

説明内容は石室の列に並びながら聞いたものとほぼ同じでした。

くびれからのぼって前方部に行き
次は後円部に行きました。



こちらはくびれ。

後円部の上には石碑がありました。
そのうちの1つは地主さんが古墳の主の供養のために立てたそうです。



後円部。



前方部。

ここは竹林に覆われていたため
古墳の墳丘がほとんど作られた当時のまま残っているそうです。

古墳の表面に敷いてある石を葺き石と呼ぶのですが
古墳時代のままにしては葺き石がないな~と思ったのです。

そうしたら
古墳の上に厚さ50センチの保護土を盛り芝生を植えてあるため
葺き石は土の中だと言われました。

古墳は芝生でふさふさしているイメージだったのですが
あれは保護土だった模様です。

石室の前にはたくさんの人が並んでいて
説明を聞いた人がその後に並びました。

石室に入る気満々だったため、物足りず
副葬品が展示してあるという「ふるさと学習の森」へ行きました。

ここの古墳から出土した
三連の金箔入りガラス玉を見てみたいなと思ったのですが
「貸し出し中」って書いてありました。

ガッカリ。

でも、こちらの施設で
梁瀬二子塚古墳の企画展をしたときの冊子を買うことができました。

梁瀬二子塚古墳を最初に発掘調査したのは明治初期、
その時に描かれた副葬品の図解も載っていました。

個人的にすごいと思ったのですけど
出土した装飾品の図に紐が通っていたのです。

板状の石製品を中央につけて
紐も網のように複雑に編んであって
ガラス玉や勾玉をちりばめるように付けたように見えます。

古墳時代、もしかしたら
装飾品をすごくおしゃれに付けていたんじゃないかな。


なかなか興味深い古墳でした。

埋蔵文化財調査事業団へ。

2018年07月04日 | 歴史散策
先日、群馬県埋蔵文化財調査事業団に行ってきました。

発掘情報館で
「甲を着た古墳人の武器・武具」
という企画展を開催中です。



古墳時代の人が
甲を着た状態で発掘されたものです。

調査の結果、6世紀初頭、
榛名山の噴火の火砕流に巻き込まれた人でした。



こちらはレプリカです。

今まで何度か見たことがあるけど
改めてみるとさびだらけ。

さびているということは鉄製、
当時、貴重だった鉄の甲を着ている有力者ということです。

近くから出た女性も
装飾品で身を飾っていたそうです。

近くから「赤玉」と呼ばれる
赤くて丸い染料がごろごろ出土しています。

この頃、古墳の石室内部を赤く塗っていたのですけど
古墳を作る準備をしていたのかも。

展示してあるのは本物の甲です。





さびてすっかり合体していますが
よく見ると小さい札状の鉄板が分かります。

榛名山は石灰質で
酸化しにくくて、さびの進行が遅かったのかも。

特に枚数が多い(千枚超え)そうです。

個人的に面白いと思ったものは
骨で作った甲です。

硬度を考えると実用品では無いそうです。



白い甲・・・
やっぱり「漫画で白ランは生徒会長」的な発想は
古墳時代からあったのかも。

注:甲の古墳人はおじさんです。

骨の小札の隣に
鉄製品がいくつか展示してありました。



こちらは銅鏡です。

祭祀用の鏡は直径10センチくらいですごく薄いものでした。

残念ながら氏族などはまったく不明。

文献などがなくて
裏付ける資料が無いのが残念です。

大室古墳群 内堀1号墳へ。

2018年06月20日 | 歴史散策
6/10大室公園で行われた古墳イベントに行ってきました。

大室公園には前方後円墳が5つあります。

最後に行ったのは内堀1号墳。



こちらも小ぶりながら見事な前方後円墳です。



前は畑だったとか。

復元のやり方が雑だったのか
古墳の盛り土が風雨で削られています。

周囲を歩けば歩くほど、
崩れのひどい部分を見つけて、なんだか悲しい気分に。



どれがくびれで、
どれが割れ目なのやら。

古墳の盛り土が
千年以上、山のまま残っているって
技術がすごいってことなんだなと思いました。

説明文には帆立貝型古墳とありますが
パンフレットには前方後円墳と書いてありました。

写真で見た感じだと、前方後円墳に見えるけれど。

大室古墳群 小二子古墳へ。

2018年06月20日 | 歴史散策
6/10大室公園で行われた古墳イベントに行ってきました。

大室公園には前方後円墳が5つあります。

続いて小二子古墳へ。



こちらの古墳は立入禁止です。

生け垣に囲まれて近寄れません。



ここの古墳の魅力は埴輪で、
前方後円墳の形を引き立たせるみたいに埴輪で飾ってあります。

武具や馬が見えます。



近寄れないのが残念。

よく見ると石室の開口部が土で埋まっていました。
中には入れないんだ・・・

さらに残念。

前方部には人物や馬の埴輪が並んでいます。



後円部には武具の埴輪が並んでいました。



北側に山があって
こちらから古墳を見下ろせるようになっています。

計量スプーンを伏せたみたいな
完璧な前方後円墳です。



よく見ると2段になっていて、
実は大きい古墳だということが分かりました。

大室古墳群 後二子古墳へ。

2018年06月20日 | 歴史散策
6/10大室公園で行われた古墳イベントに行ってきました。

大室公園には前方後円墳が5つあります。

続いて後二子古墳へ。

小ぶりな古墳でシルエットも愛らしいです。
好みのタイプv



周囲は円筒埴輪で装飾されていました。

入り口の近くに
お皿がたくさん置かれていました。

食べ物を祀ったのでしょうか。



今回、石室見学ができました。

ここの石室に入るのは初めてです。

普段は非公開と思ったのですが
調べたら見学可の日があるようです。



ちょっと狭いのですが
あまり苦労をしないで中に入れました。

前二子古墳の石室に比べると横幅が広い感じです。
奥行きはあまりありません。

入れるのは玄門まででした。

こちらの石室にも照明が付いていました。
床には砂利が敷かれています。

奥の玄室には入れませんが
壁は大きくて平らな石、
すばらしい加工技術です。



人が多くてあまり写真が撮れませんでした。

大室古墳群 中二子古墳へ。

2018年06月19日 | 歴史散策
6/10大室公園で行われた古墳イベントに行ってきました。

大室公園には前方後円墳が5つあります。

次は園内で一番大きい中二子古墳へ。



最初に登った前二子古墳から全景がよく眺められました。

周りの堀の上を歩いてみましたが
木がたくさん生えていて
前方後円墳のくびれがよく分かりません。

古墳の周囲に円筒埴輪と
楯持人埴輪が並べてありました。



楯持人埴輪は魔除けのはず。

ここの古墳、
まだ石室が見つかっていないそうです。

前二子古墳より少し後の6世紀前半の古墳なので
横穴式石室が隠れている可能性が高いです。

古墳までの通路はありますが
登っていいのか分からなかったので止めました。

木がふさふさしていて
古墳のくびれがうまく撮れませんでした。


大室古墳群 前二子古墳へ。

2018年06月19日 | 歴史散策
6/10大室公園で行われた古墳イベントに行ってきました。

大室公園には前方後円墳が5つあります。



天気はあいにくの雨。

ボランティアによる古墳の説明があるのですが
人が集まる気配がありません。

ひとりで回ることにしました。

最初に前二子古墳へ。

大室古墳群の中でも一番古い
6世紀初頭の古墳です。

公園の一番南にあり
古墳に登ることができます。

木が生えていないので展望よし、
隣の古墳の全体を見るのにちょうどいいです。



1回、古墳の上に行き、
反対側に降りると後円部の石室へ続く道があります。

南側に石室が開口していて中に入れます。



横穴式石室、
入り口の高さはかがめば通れるくらい。

内部の天井は高く、
幅が狭いので奥行きがある印象です。

ここの古墳は照明付きで懐中電灯が要りません。

行けるのは玄門の手前の扉石までです。



奥に見える大きな一枚の石が扉石です。
これがある石室は珍しい。

扉石の上から奥を覗く事ができます。

玄室の前には壺や杯の復元品が並べてありました。



壁には道具で石を荒く削った跡がくっきり。
壁が荒削りなのに対して床は平らで、きれいな加工です。

奥がきっと玄室。

ライトの加減なのか、
まったく奥が見えませんでした。

ここの石室は赤く塗られていたそうです。

明治時代、
イギリスの外交官が当時の化学分析に出していて
赤い塗料は酸化鉄(べんがら)と判明したそうです。

石室の奥から出口に向かって撮影。



玄室から見たのではないのですが
両袖型という、部屋が広くて羨道の幅が狭いタイプでした。

出土品を見てこなかったのが悔やまれるのですが
馬具、ガラスのビーズ、銀のビーズ、が出土したそうです。

銀製のビーズは珍しいv

ガラスのビーズは写真だと青玉多め、
黄色と緑の玉も多数あり
きれいだったんだろうなぁと思いました。

明治時代に発掘したときの記録だと
玄室の部屋の四隅に馬具っぽいものを置いているのです。

金色に光る飾りで玄室の四隅を飾ったのだと思うのですが
たぶんこれは結界だろうなぁ。

なかなか興味深い古墳です。

綿貫観音山古墳へ。

2018年05月10日 | 歴史散策
先日、高崎市の綿貫古墳群に行って来ました。

この古墳群は
前方後円墳が3つ並んでいます。

最後に向かったのは綿貫観音山古墳です。

公園として整備されています。



私が通信制の大学に行っていた頃
「群馬の古墳」という講義を受けていました。

通信制なのですが
学校に行って受ける授業もあったのです。

群馬の古墳を講義してくれたのが
綿貫観音山古墳を発掘した方でした。

地元の人が古墳を壊して桑畑にしたいと言うので
発掘をしてみたところ
盗掘の跡があったそうです。

でも、古墳の石室が崩れていたため
盗むことができず
埋葬された時のものがそっくり残っていました。

そのときのたくさんの写真をスライドで投影し
熱心に発掘当時のことを説明をしてくれたのです。

思えば私が古墳好きになったのは
あの授業を受けてからです。

私にとって
きっかけになった古墳です。

古墳の上へ。



後円部には石室があります。
中に入るには事前予約が必要です。

入り口は小さいけど
中は、立つことができるくらい大きい石室です。





古墳周辺には
儀式の様子を表した埴輪が並べてあったそうです。

この埴輪は
近くの県立歴史博物館で見ることができます。



出土した品は馬具や武器が多数、
大陸から持ち込まれたと思われる容器は日本で唯一のもの。

このことから
大陸に派兵した人物ではないかという説があります。

群馬の古墳もたいしたもんだ、なんて思っている古墳です。

普賢寺裏古墳へ。

2018年05月09日 | 歴史散策
先日、高崎市の綿貫古墳群に行って来ました。

この古墳群は
前方後円墳が3つ並んでいます。

不動山古墳の北にある
普賢寺裏古墳へ。

公民館の庭から古墳の近くに行けました。



周りのくぼんだ土地は周堀の名残でしょうか。

古墳の周りを歩いていたら
思いがけなく、くびれが現れました。

まさか、ここって、前方後円墳!?

(足を運んだときは前方後円墳だと知らなかった)

ここの古墳の資料があまり見つからなかったのです。

後で調べたら、本当に前方後円墳でした。

上に行けそうでした。



時間が無かったので
墳頂には登らなかったのですが

ここの古墳の墳頂の石の様子から
縦穴式石室であろうと推測できるんだそうです。

そんな貴重な古墳なら
登ってみれば良かったです。

野良度、高め。