何とか昔のペースにもどれそうな・・・・・ (・・;

2006-08-26 14:17:47 | Weblog
塾で3年間のブランクは大きかった。
後2年くらいすれば昔のペースにもどれるかもしれない。
一度やめようと考えたのが間違いのはじまりだったのかな。
それによって得たモノも多かったが、塾を再開したらやはりそちらには手が回らない。どうしたらイイモノカ。

再開して1年半がたつ。
そろそろ、教室・生徒構成などを再検討する時期だろうナ。
楽しいには楽しいが今のままでは先が見えている。

浪人なんかする子もでてくるだろうし、それに対する方法を考えておかなければ無責任だろうナ。

予備校に行ってもらえばそれはそれでいいんだが・・・・・。
だが予備校に行った場合の失敗はいやというほど見てきている。
あのとき無理矢理でも面倒みてやればヨカッタと何回思ったことか。

大学出て機械エンジニアをやっていたがそれよりもはるかに長い間塾をやってきてしまった。塾を辞める気になったのは、いろんな事を整理して再出発と考えたため。


ここに来てよく考えてみると塾は自分の天職なのかもしれない。
機械エンジニアとしても十分にやっていける自信はあったし、いまでもやってやれないことはないと思う。まだまだアタマは十分に柔らかい (^-^)



ある時突然、たのまれて塾をやることになった。
地域の幼稚園の園長さんが園児たちの将来を考えてのものだった。
この地域のレベルは低い。この子たちをイイ高校大学に進めてやりたいという言葉に打たれた。
長期計画だったのだ。まず地域のレベルをアゲル。
そういった環境が整えば今いる3.4才の子たちも助かるだろうとのことだった。

結果は利益が出ず3年で中止決定。
じゃこの子たちどうするんだ~~。
子供たちに聞いてみた。どうする??

一緒にやっていたもう一人はいまは大会社の重役をやっている。
あまり言いたくはないが会社の都合で塾を休むことがよくあった。
chimoさんはどこに出張していても帰ってきて塾をやった。
相棒が休んだところも埋めてやった。
結果として生徒にはchimoさんのほうが慕われた。

やってくれるなら高校いっても続けたいという。
当時高校生の塾なんてなかった時代。

だが場所がない。
自宅の庭にプレハブを建てた。ここで塾がはじまった。
その子たちが高校3年になったとき、決心しないといけなくなった。
中途半端じゃ大学進学なんてデキナイ。
よおーーーーーーーーし。会社やめるぞ。塾一筋で行く。
こいつたちと心中だ。

7人いたが全員イイと言われる大学に入れた。
次の年は人数すくなかったがこの年もなんとかなった。
京大・東北大・名古屋大・都立大・早大・慶応大・千葉大・学習院大・信州大などなど。
心中しなくてすんだ (笑)

このスグ後に「なおぴー」たちが入ってくる。
楽しかったな (^-^)



そんなこんなで、ヤッパリ塾を本業とするか (笑)
ホームページ作ったり、パソコン教えたりするのムチャ楽しいのだが・・・・。
やっぱ、無理か。

分身の術がつかえたらなぁ~~。あと5人とはいわない。3人ほしい。


本人はトウゼン遊んで暮らすが・・・・ (笑)