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松原城跡(神戸市北区)の発掘調査結果の概要

2021年08月30日 04時47分44秒 | 神戸情報

松原城跡(住所表示:神戸市北区道場町日下部字西山)は神戸市文化スポーツ局文化財課

により平成31年(2019)3月18日から令和2年(2020)1月28日まで発掘調査されました。

発掘調査結果の概要について纏めてみました。

現地説明会は下記の2回、実施されています。

  1) 松原城跡 第1回現地説明会資料 2019.8.31

  2) 松原城跡 第2回現地説明会資料 2019.12.1

 

松原城の概要

 所在地:神戸市北区道場町日下部字西山の住所表示地で神鉄道場駅の東側の独立丘陵地

 立地:交通の要衝であった(下の地図) 道場河原は宿場町としても栄えていた。

  

    周囲の城:立石城、横山城、宅原城、三田城 松原城は三田城の付城として築城

   下の写真は各城の位置を示した地図

    出典:松原城跡 第1回現地説明会資料 2019.8.31

 別名:タンポポ城、道場城、道場河原城など

 堀:有野川を利用した堀があった

発掘調査の概要

 

上の写真は発掘調査された箇所を示した図です。以降名称は上記名称によります。

出典:松原城跡 第2回現地説明会資料 2019.12.14

 

上の写真は松原城近景 出典:松原城跡 第2回現地説明会資料 2019.12.14

 

前置きが長くなりましたがこれから発掘調査の中身について記載していきます。

構成としては第1回の現地説明会(2019-8-31)までの発掘調査とそれ以降の発掘調査結果

の2部に分けて書いて行きます。

 第1回の現地説明会(2019-8-31)までの発掘調査

  曲輪2(西の丸跡)

上の写真は曲輪2の全体図 上側が北 出典:松原城跡 第1回現地説明会資料 2019.8.31

  ・南西側から北東側の3方向に土塁(帯郭)が築かれています。

  ・曲輪全体の形状は方形を意識して整形

  ・約20m×約30m曲輪

  ・南側に虎口(城への出入口)

  ・築城以前、築城時、改修時、廃城後の4地層を確認

  ・遺構として建物礎石(2m間隔 建物は3間×6間)、井戸、土坑、溝など

  ・北西側の土塁に沿って石敷遺構が確認されています。(下の写真)

上の写真は曲輪2の石敷遺構 出典:松原城跡 第2回現地説明会資料 2019.12.14

石敷遺構は石が2層に敷き詰められています。

 上層:玉石大の石(幅約1m 長さ約8m)

 下層:拳大の石(幅約2m、長さ約8m)

上の2枚の写真は曲輪2の北西側土塁(上)と南西側土塁(下)

 出典:松原城跡 第2回現地説明会資料 2019.12.14

曲輪2の三方向を囲む土塁は場所によって構築方法が異なることが判りました。

北西側の土塁内では、改修前の土塁は頂上から内部側へ1つ段を設け、石を据えていた。

改修時にさらに土を盛って土塁を高くしています。

南西側土塁は、斜面部に土を盛って造成して曲輪を広げ、その上に土塁を築いていた。

北西側土塁と同様、さらに土を盛って高くしていました。

信長の三田城攻め(1578年)の際に急いで改修された跡とみられています。

 

 

  曲輪4

上の写真は曲輪4 出典:松原城跡 第1回現地説明会資料 2019.8.31

曲輪2の北東側に位置する長さ29.5m、最大幅10.5m 面積約200㎡で腰曲輪の中でも

規模の大きな曲輪で武者溜り(戦いの際に兵が駐屯)と思われます。

西辺は岩盤・地山を削り出した急斜面の切岸

東端は曲輪14から続く土塁がある。 遺構:炭溜まり土杭など

 

  曲輪5

上の写真は曲輪5  出典:松原城跡 第1回現地説明会資料 2019.8.31

曲輪2の北東側、曲輪の西側に接して位置します。平坦部の大きさは南北4.0m、東西4.6m

曲輪4に比べて約2m高い位置にあります。南東辺の裾に石列

  堀切(空堀)

上の2枚の写真は曲輪2と曲輪1の間にある箱堀状の空堀

出典:松原城跡 第1回現地説明会資料 2019.8.31

8月以降の発掘で曲輪14にこの堀切からつながり、曲輪1の裾をめぐる横堀が検出

 

 第1回現地説明会(2019-8-31)以降

  曲輪1(本丸跡)

   ・北東側から南西側の3方向に土塁  

   ・北西側の土塁(1.5mH)の上にはかって神社が建っていた。

   ・平坦部の建物跡は確認できていない

   ・遺構は石敷遺構、溝、土杭、石囲い遺構、方形マウンド状遺構

上の写真は曲輪1の北西土塁 出典:松原城跡 第2回現地説明会資料 2019.12.14

上の写真は曲輪1の石敷遺構  出典:松原城跡 第2回現地説明会資料 2019.12.14

 

  曲輪3(東の丸跡)

    ・岩盤を削って平坦部を整形

    ・近代の攪乱が激しく、遺構はほぼ残存しない

    ・南西側には曲輪1へと続く土塁状の高まりがある

 

かっての松原城の全体配置図

  下記のサイトには、本丸、東の丸、西の丸、帯郭、堀、大手門、搦手門などの

  配置図が掲載されていますのでリンクさせていただきました。

  城跡探訪・道場城(松原城) (coocan.jp)

 

関連サイト

  織田信長軍が改築した「付城」が出現!  消滅が惜しまれる神戸・松原城 | 朝日新聞デジタルマガジン&[and] (asahi.com)

 

  松原城に関わる伝説「タンポポ城と鶴の松」 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)


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