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昭和21年(1946)廃墟の神戸元町通り3丁目に出現したジュラルミン街

2021年08月31日 03時36分46秒 | 神戸情報

本日は昭和21年(1946)廃墟の神戸元町通り3丁目に出現したジュラルミン街(ジュラ街)

について書いていきます。

記事を書くキッカケとなったのは市民のグラフ「こうべ」No.171 1987年1月号Page12に

ジュラルミン街の写真が掲載されていたからです。(下の写真)

上の写真の説明文として下記のように記載されています。

復興の意気に燃えた商店主たちが軍需工場から払い下げを受けたジュラルミンを

バラックに張りつめたもので、幾何学的な新しい感覚があふれていた。

 

神戸元町ジュラルミン街 CAVE 可視化 プロジェクト 2013年夏 完成版

上の動画は兵庫県立大学 大学院シミュレーション学研究科 の有志が、昭和21年 (1946年)

の12月、終戦後わずか 1年少しで奇跡の復興を遂げた「神戸元町ジュラルミン街」を、

3次元立体視が可能な装置においてコンピューター・グラフィックスで再現した、

その成果の概要を紹介するビデオです。

 

次に「海鳴りやまず 第4部 神戸近代史の主役たち」神戸新聞社編(1979) Page42-45

でジュラ街の出現について詳述されていますので要約して紹介します。

神戸元町3丁目では瓦礫の山で三宮の闇市や新開地に賑わいと較べて閑散としていた。

復興しようにも金はなく、商人はやる気を失っている。そんな折、洋服屋の奈良山勉治が

耳よりな話を持ち込んだ「新聞に出とるんやが、横浜では長屋式の商店街ができたらしい」

復興に意欲のある同じ神戸元町3丁目の近藤常吉(マスヤ)、吉川進(風月堂)には、

それは大げさに言えば「天の啓示だった」という。

3人が横浜に対抗して復興を決意したのは昭和20年の暮であった。3丁目の商店主はざっと

50人。みんな食べていくのに精いっぱい。そういう人たちを一堂に集めて話がまとまる

自信などは発起人の3人には全くなかったが、とにかく「サイを投げてみよう。」

早速、第一回の会合を高架下のラジオ店で開催した。およそ1年間の粘り強い説得で

最初は否定的であった人達も「街は共同経営」を合言葉に店主たちがまとまるようになった。

3人の描く3丁目の将来図はこうだった。通りには飛行機のジュラルミンを張り、ウンドーも

防弾ガラスで統一する。店の間口は各自の持ち分でまちまちだが、奥行きはいずれも9m。

建設費は3.3㎡当たり5,000円。バラックの2,000円に比べて2.5倍かかるが、この際ガレキの暗い

イメージを「ジュラ」の持つ明るさに一変するのだから少々の出費はやむを得ないという発想

だった。肝心の資金計画は、戦災保険を担保に銀行から借りるつもりだった。この方は、会計の

吉川が帝国銀行にかけ合って融資の道をつけた。「ジュラは竹中工務店がどっさり持っていたん

ですよ。からっとした明るさで、イメージを変える上でまさにピッタリでした」(吉川)

準備会はやがて復興委員会に組織を変え、諏訪山会館で開いた設立総会では全員の賛同を得た。

昭和21年(1946)10月、大げさに言えば、焼け跡にこつ然と出現した「純白のストリート」だった。

1~2丁目と4丁目以東はバラックがぽつりぽつりとあるだけだったから、3丁目はいやでも目立つ。

売る商品は不足し、資金繰りに困る毎日でも「やり遂げた」という3丁目商人の自信は大きかった。

元町のジュラ街-ウィンドーに飾る商品は不足していたが、戦災でうちひしがれた市民は競って

街に飛び出し、元ブラを楽しんだ。

吉川進(風月堂)は「できてみると、苦労も吹っ飛んだ。人波があふれ、そのうち商品も揃う。

よその通りも飾り立て、2-3年で戦前の繁華街に復活しましたね」と語る。

昭和22年(1947)淡路を巡行された陛下が中井神戸市長に「神戸のジュラ街はどうか」と

質問されたとのエピソードも残っています。200mそこそこの商店街が全国に名を売った。

「ジュラルミン街」として敗戦からわずか1年2か月で復興させ、戦後の混乱の中で

平和と希望の象徴として輝きを放った。

 

また、2001年5月26日の毎日新聞掲載記事の一部を転載させていただきます。

 1945(昭和20)年5月5日、米軍機B29が6機で神戸を空襲。 墜落した1機から神戸の航空写真が発見され、川西航空機甲南工場が5月11日に攻撃されることが分かった。 人々は米軍が日本の軍需産業を正確に把握していることに驚きながら、 書類や資材を4日間で疎開させ、空襲に備えた。
 終戦後、元町商店街にできた「ジュラルミン街」(通称・ジュラ街)は、 このとき同工場から神戸松蔭高等女学校へ疎開させた航空資材、 ジュラルミンの払い下げを受けて出来たもの。 3丁目の店主が共同店舗を建てる際の外装に利用し、 終戦翌年の46(同21)年末には銀色に光るジュラ街が誕生した。

上の写真は神戸新聞 昭和21年(1946)10月14日の記事で神戸復興のシンボル的な

存在として明るい話題となった。

 

最後に今も残るジュラルミン街の痕跡があるということで「神戸トピックス」さんの

ブログにリンクさせていただきました。

 元町ジュラルミン街のなごり : 神戸トピックス (exblog.jp)

 

 

 


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