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山陽電車網干駅周辺の散策記 その2 龍門寺

2020年01月04日 04時10分55秒 | 神戸市以外の兵庫県

山陽電車の広報誌「ESCORT]2019年12月号で山陽網干駅周辺の紹介記事があり
ダイセル異人館と龍門寺の紹介記事が掲載されていました。
これに触発され2019年12月27日(金)に山陽網干駅周辺を散策してきましたので
写真紹介していきます。
山陽網干駅の周辺には2017年11月5日に室津に午前中に訪問後、午後に訪問。
さらに魚吹八幡神社に2018-3-25、2019-3-30に訪問していますが今までブログ記事
にしていなかったのでこれらの訪問記を含めてシリーズとして紹介していきます。
今回はシリーズの第2回で龍門寺を紹介します。

過去の記事:

 第1回 ダイセル異人館

龍門寺の基本情報

 住所:姫路市網干区浜田812 TEL:079-272-1276

 宗派:臨済宗妙心寺派 山号:天徳山 御本尊:十一面観音座像

 創建:寛文元年(1661)盤珪国師により創建

   (丸亀藩主京極氏の帰依と網干の豪商佐々木家の援助による)

公式サイト:http://www.ryomonji.jp/

江戸時代の初期から中期の建立された堂宇がたくさん残っており立派な境内であった。

大方丈

上の2枚の写真は龍門寺の中心の堂である大方丈と前庭の説明板

寺伝によれば安永元年(1772)に再建されたようです

龍門寺の概略説明

要旨を転記します。開山の盤珪永琢国師(1622~1693)は網干の浜田郷に生まれ、

17歳のとき赤穂随鴎寺の雲甫和尚について出家し、厳しい修行を重ね、インド、中国

にも見られない新しい禅思想「不生禅」を説いた江戸時代初期の禅僧です。

江戸から長崎まで各地を行脚し多くの人の帰依を得て開創した寺は47か所に及ぶ。

寛文12年(1672)妙心寺218世住持となり、元禄3年(1690)仏智弘済禅師の号を賜与

された。元禄6年(1693)72歳で示寂し、元文5年(1740)に大法正眼国師の号を特諡された。

平戸藩主松浦鎮信・大洲藩主加藤泰興・丸亀藩主京極高豊の帰依が厚かった。

龍門寺は盤珪永琢国師の根本道場で、丸亀藩主京極高豊と地元網干のの豪商、佐々木道弥、

正意、道珠の三兄弟の巨額の援助により寛文元年(1661)に創建された。

 

大門

上の写真は大門 延宝8年(1680)に建立されました

創建が寛文元年(1661)なので大門は創建後の早い時期に建立されたものである

 

開山堂

上の2枚の写真は開山堂と現地説明板

元禄7年(1693)、盤珪国師の弟子らが国師の長久を祈願するために建立した堂。

禅堂

上の2枚の写真は禅堂と現地説明板

寛文9年(1669)以前に建立。

庫裡

上の写真は庫裡で 延宝3年(1675)に建立。

不動堂

上の写真は不動堂と現地説明板

不動堂は 貞享3年(1686)に建立。

鐘楼

上の2枚の写真は鐘楼と現地説明板。鐘楼は 元禄5年(1692)に建立。

鐘は浜田の天満屋清右衛門により延宝3年(土)1675)に鋳造された。

水掛け一願不動尊

上の2枚の写真は水掛け一願不動尊と現地説明板。

観音堂

上の2枚の写真は観音堂と現地説明板。観音堂は 寛文年中(1661-1673)の建立。

 

地蔵堂

上の2枚の写真は地蔵堂と現地説明板

地蔵堂は 延宝7年(1679年)建立。盤珪国師が母の為に建立した寿堂とされる。

龍門水子地蔵尊

上の2枚の写真は龍門水子地蔵尊と現地説明板

経蔵

上の写真は経蔵(奥の白い壁の建物)。経蔵は 享保4年(1719)に建立。

墓所
墓所には行かなかったが創建時、資金面で貢献した佐々木一族の墓や

貞閑尼(田捨女)の墓があるようです。

田捨女(1634-1698)は江戸時代の女流歌人・俳人。貞門派の女流六歌仙(六俳仙)の1人

句碑

上の2枚の写真は池田龍眠の句碑と現地説明板

年中行事

Wikipediaの解説文を引用
 観音講(毎月18日)
地蔵講(毎月23日)
不動講(毎月28日)
大般若経転読会(1月1日から1月3日)
涅槃会(2月15日)
献茶会(4月第1日曜とその前日)
花祭り(5月5日)
開山忌(11月3日)
成道会(12月8日)

 

 

コメント
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