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山陽電車網干駅周辺散策記 その5 大覚寺

2020年01月12日 04時09分36秒 | 神戸市以外の兵庫県

山陽電車の広報誌「ESCORT]2019年12月号で山陽網干駅周辺の紹介記事があり
ダイセル異人館と龍門寺の紹介記事が掲載されていました。
これに触発され2019年12月27日(金)に山陽網干駅周辺を散策してきましたので
写真紹介していきます。
山陽網干駅の周辺には2017年11月5日に室津に午前中に訪問後、午後に訪問。
さらに魚吹八幡神社に2018-3-25、2019-3-30に訪問していますが今までブログ記事
にしていなかったのでこれらの訪問記を含めてシリーズとして紹介していきます。
今回はシリーズの第5回で大覚寺を写真紹介します。
過去の記事:
 第1回 ダイセル異人館

 第2回 龍門寺

 第3回 魚吹八幡神社

 第4回 旧網干銀行本店

大覚寺の基本情報

 住所:姫路市網干区151 TEL:079-273-8825

 宗派:浄土宗西山禅林寺派 山号:鶴立山 御本尊:釈迦如来

 開基:天福元年(1233)定翁隆禅上人 中興:寛永11年(1634)空韻俊与上人

 公式サイト:http://www.daikakuji-himeji.jp/

 

本堂

本堂は寛永11年(1634)に建立されたものです。

 

総門

総門は推定17世紀後半建立

 

現地説明板

 

 大覚寺は天福元年(1233)隆禅上人が余子浜の古網干に光接院を建立したことに

始まる。古網干は港津機能が発掘で確認されており網干湊とみられ、時代とともに

揖保川の砂堆で港機能は余子浜、興浜へと移るとみられる。

江戸時代の史料に建長7年(1255)後深草院の勅で毎年八月に法会勤修を命ぜられた

寺院に網干大覚寺があった。永正年間(1504~21)に真言宗から浄土宗に転宗。

天文3年(1534)浦上政宗と宇喜多能家の交戦で焼失し、弘治2年(1556)尭淳上人

が興浜の地に再興したという。天正4年(1576)播州網干宛織田信長禁制、天正8年

(1580)網干郷宛羽柴秀吉禁制、慶長5年(1600)網干三ケ村宛徳川家康禁制があり、

延享3年(1746)以来、大覚寺が保管しており、網干地域の中心的な位置にある。

天正20年(1592)3月、豊臣秀吉は海路で肥前名護屋に向かう途中、大覚寺に一泊し

曼荼羅図を見たという。江戸時代にいたり姫路城主池田輝政から寄せられた黒印地

30石は徳川家光により朱印地30石とされた。「三葉葵」の紋を許され、十万石の

大名と同じ格式を持ち、また丸亀京極家の参勤交代の本陣ともなっていました。

扁額は勅額であり寛永の三筆として名高い近衛信尹筆、龍門寺開祖の盤珪国師や

林田藩校教授の河野鉄兜も幼少の頃当寺に学んだという。

本堂は寛永11年(1634)建立、荒神社本殿は寛永12年(1635)建立、観音堂は

寛文11年(1671)建立、総門は推定17世紀後半建立でいずれも姫路市指定重要

有形文化財。なお境内の八幡社に天文7年(1538)の棟札が遺されている。

また国指定の絹本着色釈迦三尊像と絹本十六羅漢図、県指定の絹本著色当麻曼荼羅図、

市指定の地蔵菩薩像、孔雀文聲、木造毘沙門天立像など数多くの美術工芸品を守り

伝えている。なお網干浴衣祭ともいわれる三宝荒神夏祭が毎年6月にあり、多数の

地域住民が集い賑わいをみせている。

  平成27年3月  姫路市教育委員会

 

 

 

境内案内図

鐘楼

観音堂

観音堂は寛文11年(1671)の建立

浜の松

地蔵堂

大覚寺由緒記

薬師堂

庫裡・荒神社

 

毎年、6月26日から28日に開催の荒神祭は「ゆかた祭」と呼ばれ境内に屋台が並ぶ

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