2016年1月11日、性海寺(しょうかいじ)の修正会に行ってきましたので写真と
動画で紹介します。例年1月の第2月曜日の成人式に合わせて実施されます。
性海寺では追儺式、鬼踊り、鬼追式、鬼やらいという名称ではなく
修正会(しゅしょうえ)という名称を前面に出しておられるので表題も修正会
としました。
式次第は下記のとおり。(時間は目安です)当日の掲示ポスターより引用
1:00~ 法要
1:50頃 1回目踊り
餅撒き
2:30頃 2回目踊り
餅撒き
3:00頃 3回目踊り
餅撒き
まず、性海寺(しょうかいじ)の紹介をしておきます。
性海寺の基本情報
住所:神戸市西区押部谷町高和1318 TEL:078-994-0067
宗派:真言宗 山号:高和山
御本尊:如意輪観世音菩薩 開基:天平2年(730)伝行基
御詠歌:舟つなぐ 磯辺に近き 性海寺 高和の山に 波やこゆらん
中興:1100年頃 By叡尊(興正菩薩)
七堂伽藍を完備し七十余の僧坊を有し、播州の学山として栄えた
廃仏毀釈:二十四か寺の塔頭寺院が存在したが龍華院、宝珠院、福智院が残った
龍華院の公式HP:http://www.ryugein.or.jp/index.html
性海寺は聖武天皇時代の天平2年(730)行基により開基されました。
天正年間(1573-1591)豊臣秀吉の三木城攻めのおり、性海寺ぼ僧兵が、
別所方についた為、性海寺は全焼した。しかし徳川時代に入り
徳川家光から慶安元年(1648)朱印を下賜され、寺は再興された。
同時に天下泰平、国家安穏の修正会、追儺式を命ぜられ、その行事は
現在も継承されている。
現在、塔頭(たっちゅう)には龍華院、福智院があります。
比較的最近まで残っていた宝珠院は現在廃寺、跡地は「自然環境活用センター」
となっています。
上記から追儺式は徳川家光の時代から継続しているとすると360年余の
歴史があると思われます。
前置きが長くなりました。修正会の話題に戻します。
修正会(しゅしょうえ)、正式には修二会(しゅにえ)の付帯行事として鬼追いが
行われます。追儺式での鬼は悪鬼ではなく、災いを取り除き、大地を清め
踏み固める鬼で悪鬼を祓い疫病を封じ、五穀豊穣、家内安全を願うものである。
追儺(ついな)とは、大晦日(12月30日 (旧暦))の宮中の年中行事であり、
平安時代の初期頃から行われている鬼払いの儀式。「鬼やらい」(鬼遣らい、
鬼儺などとも表記)、「儺(な)やらい」とも呼ばれる。
追儺はもとは中国の行事であり、宮廷の年中行事となり、現在の節分の元と
なった行事である。
したがって、節分の豆まきと同じような儀式があります。
修正会の結願に行われる鬼追式では7回鬼の踊りがあります。
鬼は赤鬼、青鬼、チョキ鬼と呼ばれています。
上の写真は4番目の赤鬼と青鬼の踊りです。赤鬼は10年以上のベテランさん青鬼は
今年から出演しているとの紹介がありました。
上の写真は赤鬼と青鬼の入場場面(1番目の鬼の踊り)
鬼の踊りの合間に子鬼の踊りがあります。
上の写真は鬼追式の前の法要です。内陣の祭壇に鬼のお面が置かれています。
上の写真は牛王印を押してもらっている場面です。
私も押してもらいました。
上の動画は4番目の赤鬼と青鬼の踊りです。
上の動画は鬼が見学している人達の中に入っていく場面です。
上の動画は子鬼の最後の踊の場面です。
それまでの踊と異なり全体に広がっていた踊りが、密集型に変化します。
そして、一人が単独で一人一人と棒で叩き合いまわります。
上の動画は3回目の餅まきの場面です。
動画で紹介します。例年1月の第2月曜日の成人式に合わせて実施されます。
性海寺では追儺式、鬼踊り、鬼追式、鬼やらいという名称ではなく
修正会(しゅしょうえ)という名称を前面に出しておられるので表題も修正会
としました。
式次第は下記のとおり。(時間は目安です)当日の掲示ポスターより引用
1:00~ 法要
1:50頃 1回目踊り
餅撒き
2:30頃 2回目踊り
餅撒き
3:00頃 3回目踊り
餅撒き
まず、性海寺(しょうかいじ)の紹介をしておきます。
性海寺の基本情報
住所:神戸市西区押部谷町高和1318 TEL:078-994-0067
宗派:真言宗 山号:高和山
御本尊:如意輪観世音菩薩 開基:天平2年(730)伝行基
御詠歌:舟つなぐ 磯辺に近き 性海寺 高和の山に 波やこゆらん
中興:1100年頃 By叡尊(興正菩薩)
七堂伽藍を完備し七十余の僧坊を有し、播州の学山として栄えた
廃仏毀釈:二十四か寺の塔頭寺院が存在したが龍華院、宝珠院、福智院が残った
龍華院の公式HP:http://www.ryugein.or.jp/index.html
性海寺は聖武天皇時代の天平2年(730)行基により開基されました。
天正年間(1573-1591)豊臣秀吉の三木城攻めのおり、性海寺ぼ僧兵が、
別所方についた為、性海寺は全焼した。しかし徳川時代に入り
徳川家光から慶安元年(1648)朱印を下賜され、寺は再興された。
同時に天下泰平、国家安穏の修正会、追儺式を命ぜられ、その行事は
現在も継承されている。
現在、塔頭(たっちゅう)には龍華院、福智院があります。
比較的最近まで残っていた宝珠院は現在廃寺、跡地は「自然環境活用センター」
となっています。
上記から追儺式は徳川家光の時代から継続しているとすると360年余の
歴史があると思われます。
前置きが長くなりました。修正会の話題に戻します。
修正会(しゅしょうえ)、正式には修二会(しゅにえ)の付帯行事として鬼追いが
行われます。追儺式での鬼は悪鬼ではなく、災いを取り除き、大地を清め
踏み固める鬼で悪鬼を祓い疫病を封じ、五穀豊穣、家内安全を願うものである。
追儺(ついな)とは、大晦日(12月30日 (旧暦))の宮中の年中行事であり、
平安時代の初期頃から行われている鬼払いの儀式。「鬼やらい」(鬼遣らい、
鬼儺などとも表記)、「儺(な)やらい」とも呼ばれる。
追儺はもとは中国の行事であり、宮廷の年中行事となり、現在の節分の元と
なった行事である。
したがって、節分の豆まきと同じような儀式があります。
修正会の結願に行われる鬼追式では7回鬼の踊りがあります。
鬼は赤鬼、青鬼、チョキ鬼と呼ばれています。
上の写真は4番目の赤鬼と青鬼の踊りです。赤鬼は10年以上のベテランさん青鬼は
今年から出演しているとの紹介がありました。
上の写真は赤鬼と青鬼の入場場面(1番目の鬼の踊り)
鬼の踊りの合間に子鬼の踊りがあります。
上の写真は鬼追式の前の法要です。内陣の祭壇に鬼のお面が置かれています。
上の写真は牛王印を押してもらっている場面です。
私も押してもらいました。
上の動画は4番目の赤鬼と青鬼の踊りです。
上の動画は鬼が見学している人達の中に入っていく場面です。
上の動画は子鬼の最後の踊の場面です。
それまでの踊と異なり全体に広がっていた踊りが、密集型に変化します。
そして、一人が単独で一人一人と棒で叩き合いまわります。
上の動画は3回目の餅まきの場面です。