播磨国風土記に登場する「玉丘古墳」と周辺を歩く「ふるさと再発見ハイキング
玉丘古墳と玉野路の石仏」が2月22日(日)午前9時~12時、
兵庫県加西市玉野町・玉丘町であり参加しましたのでその様子を写真紹介します。
加西市へは一乗寺を訪問しただけで今回2回目の訪問です。
午前9時、玉丘史跡公園ガイダンス棟に集合、当日周る予定のコース説明、玉丘古墳と
亀山古墳の説明などがあり出発した。当日はあいにくの雨でしたが降ったり止んだり
であったものの楽しくウォーキングが出来た。
加西市歴史街道ボランティアガイドと市観光まちづくり協会が主催したイベントで
約40名の参加者がありました。
当日巡ったコースは下記のとおりです。
1.玉丘古墳→2.玉丘町道標→3.逆池遺跡→4.亀山古墳→
5.女のみち歌碑→6.山伏峠石棺仏→7.玉野薬師堂→8.玉野石仏
朝9時に集合のところ8時過ぎに到着した為、玉丘史跡公園内を散策した。
主催者のイベント案内には次の記述があった。
玉丘古墳は4世紀末の前方後円墳で、
悲恋物語「根日女伝承」の主人公、根日女が眠るとされる同古墳の歴史などを学ぶ。
玉野町などの一帯は同風土記で「楢原の里」と呼ばれ、栄えていたという。
南北朝時代の石造物がある山伏峠や、鎌倉時代の五輪塔などのある玉野薬師堂、
玉野石仏など約4キロのコースを巡る。
上の写真は玉丘史跡公園の案内板です。(駐車場付近に掲示)
玉丘史跡公園は平成13年3月竣工 面積:6.2ha
玉丘古墳を中心とした古墳が玉丘史跡公園を中心に散在しています。玉丘古墳群は
玉丘古墳、クワンス塚古墳、陪塚第1号墳・第2号墳、壇塔山古墳、北山古墳
実盛塚古墳、笹塚古墳、マンジュウ古墳、逆(さかさ)古墳の計10基を指す。
玉丘古墳は昭和18年(1943)9月8日に国史跡に指定された。
昭和53年(1978)9月18日に玉丘古墳の周辺の9基の古墳を追加し合計10基の
古墳を玉丘古墳群として追加指定された。
玉丘古墳群の説明は文化庁のサイト(下記)にある。
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=216989
加西市のサイトでは国指定史跡の玉丘古墳群に名のあった北山古墳、実盛塚古墳、
逆古墳の名前がなく亀山古墳、小山古墳とジヤマ古墳の3基が記載
ガイダンス棟にはもう少し広域の古墳の分布を図示して説明されています。
(下の写真)
玉丘古墳(後述)以外の玉丘史跡公園内の古墳について記載していきます。
上の写真は愛染古墳(移築されたもの)と説明板
上の写真は愛染古墳(円墳)の横穴式石室内の家形石棺。
上の写真は壇塔山(だんとうやま)古墳の遠景と説明板。
古墳時代中期(5世紀前半)の円形墳で直径17m、周溝幅2m。円筒埴輪が出土
上の写真は実盛塚古墳と説明板。
円墳 直径21m 周濠と埋葬施設は不明 築造期:古墳時代中期(5世紀)
上の写真はクワンス塚古墳とガイダンス棟の説明板
2段構造を持つ円墳 直径35m 斜面には凝灰岩の葺石 各段から円筒埴輪等が出土
築造:古墳時代中期(5c前半)
円頂部に縦型石槨 長さ5m 幅1m 割竹形木棺があったと推測
副葬品として、剣、直刀、三角板革綴じ短甲、鉾などの武具、斧などの農工具、
鶏形埴輪などの形象埴輪や土器類、杵形、突起付棒形、棒形、円盤形、籠目形
などの土製品が発掘
さて、本題に移り下記のコースの見学記を書き記していきます
1.玉丘古墳→2.玉丘町道標→3.逆池遺跡→4.亀山古墳→
5.女のみち歌碑→6.山伏峠石棺仏→7.玉野薬師堂→8.玉野石仏
上の写真はハイキングコース(地図)
イベント案内とハイキングコース(地図)について下記のサイトに掲載しました
http://seiyo39.blog.eonet.jp/default/2015/02/post-f72e.html
1.玉丘古墳
古墳時代中期(5c前半)の前方後円墳で全長約109m、幅約54m(前方部)、
約64m(後円部径)で墳丘が3段築成からなり、兵庫県下6番目の規模をほこる。
墳丘には幅約20mの周濠が巡らされ、出土遺物から外堤には円筒埴輪が多数並べられて
いたと推測されている。出土された埴輪には家形、鶏形のものも含め円筒埴輪が多い
この古墳は根日女と二人の皇子との出会いから始まる根日女悲恋の物語の舞台で
あることが知られ、『播磨国風土記』賀毛郡の条に記されている。
以上Wikipediaより引用紹介
上の写真は玉丘古墳の遠景
上の写真はガイダンス棟の説明板
玉丘古墳の説明版(上の写真)
玉丘古墳と播磨風土記の説明
上の写真は玉丘古墳の東側の石碑と説明板
上の2枚の写真は東側から観た玉丘古墳。
2.玉丘町道標
山崎・宍粟方面から旧北条町に向かう旧山崎街道からの旧街道の3又路が
玉丘町付近にあり3又路には道標と地蔵菩薩などの石造品があります。
右手に行くと小野、三木、明石、兵庫、大坂へ続く兵庫街道 左手に行くと
杜、古市、篠山、亀岡、京に続く西京街道になります。
山崎街道は北条に入ると横尾街道又は京街道と呼ばれています。
道標には右 三木 はんじょう 左 杜と刻まれています
上の写真は玉丘町の3又路 手前が旧山崎海道 右手が三木方面(兵庫街道)
左手が杜方面 西京街道
下の動画は加西市歴史街道ボランティアガイドによる説明
3.逆池遺跡
逆池の中の島はすべて古墳。石器時代のサヌカイト製の石器が出土している
そうです。
逆池でコハクチョウ、鴨、青サギの姿を見つけましたので添付しておきます。
2015年5月24日のテレビで逆池のメガソーラー発電が紹介されていたので
その画像を添付しておきます。(TV局や番組名は不明)下の2枚の写真
2015-11-16追記
4.亀山古墳
加西市笹倉町亀山822の亀山山頂に所在し、直径役40mの円墳です。高さは7m
築造:古墳時代中期(5c)
上の2枚の写真は玉丘史跡公園ガイダンス棟の説明パネル。
出土の剣などは現品は国立博物館に複製品は加西市埋蔵文化財整理室にあるそうです
亀山古墳は昭和43年3月30日加西市の史跡に指定
上の写真は現地の説明板。
5.女のみち歌碑
上の写真がおんなの道の歌碑です。宮史郎が加西市出身であり、「女のみち」が、
歴代のシングルCD(レコード)売り上げ2位であることを初めて知りました。
関連ブログ http://blog.livedoor.jp/kasaikanko/archives/50360556.html
6.山伏峠石棺仏
3基の石棺仏(南北朝時代)があります。
上の写真は上り口にある石棺仏で浮彫 阿弥陀如来坐像 建武4年(1337)の銘
石棺の形式は家形石棺(6c~7c)でその蓋を利用して制作
高さ:2.07m 幅:1.34m 厚さ:60cm
兵庫県有形文化財(昭和47年3月24日指定)
上の写真は中間の1基で 南北朝から室町時代の作
上部が半円状で定印を結んで蓮華座の上に乗る阿弥陀如来像が彫られています
上の写真は浮彫 地蔵菩薩半跏像(石棺仏) 加西市山伏峠の西側に立つ3基の
石棺仏の1番奥にあるもので長持形石棺(6世紀)の蓋を利用し慶応元年(1338)
に仏像が彫られた。 兵庫県有形文化財(昭和47年3月24日指定)
高さ:1.82m 幅:1.315m 奥行:17cm
7.玉野薬師堂
番号は配布資料の番号に合わせた
1)玉野薬師堂 石造五輪塔 加西市指定文化財 昭和46年(1971)3月30日指定
応永4年(1371)の銘が地輪にあり
高さ:1.62m
2)阿弥陀三尊種子板碑
上下2つに割れている 復元すると214cmとなる
組み合わせ石棺としては播磨地方で最大級の大きさである。
鎌倉時代中期 建治3年(1277)に築造、凝灰岩
底石の裏に阿弥陀三尊の種子が刻まれている
3)阿弥陀三尊種子板碑 (市指定文化財 鎌倉時代 高さ68cm 幅36cm 厚さ9cm)
4)浮彫石仏
写真を撮れず 残念
5)法華曼荼羅曼荼羅種子 板碑
市指定文化財、鎌倉時代後期、凝灰岩、高さ 55.4Cm 幅 48Cm 厚さ 11.4Cm
中央の右に釈迦の種子「バク」、左に多宝如来の種子「ア」の二仏
周囲は上から時計回りに、文殊菩薩の種子「ア」、薬王菩薩の種子「バー」、
妙音菩薩の種子「ア」、常精進菩薩の種子「ア」、
無尽意菩薩の種子「アク」、観音菩薩の種子「ボ」、普賢菩薩の種子「アン」、
弥勒菩薩の種子「ユ」の八菩薩を刻む
以上配布資料より転載
上の2枚の写真は玉野薬師堂の遠景と堂内
堂内にも石仏があるそうだが当日は確認できず
上の写真は無造作に散らかっている石造品
上の写真は石仏群の台石となっている家形石棺蓋石
8.玉野石仏
上の写真は玉野石仏の遠景
上の写真は玉野石仏の表面と裏面 浮彫 阿弥陀如来坐像 鎌倉時代
裏面に字が刻印されているが読めなかった。
外出する時間になったため取り敢えずアップします。
根日姫(ねひめ)伝説に関連の史跡訪問記にリンクしておきます(小生のブログ)
志染(しじみ)の石室(いわむろ) on 2013-4-14
三木市 別所町下石野の王子神社 on 2013-7-13
神戸市西区押部谷町木津の顕宗仁賢神社 on 2011-5-9
玉丘古墳と玉野路の石仏」が2月22日(日)午前9時~12時、
兵庫県加西市玉野町・玉丘町であり参加しましたのでその様子を写真紹介します。
加西市へは一乗寺を訪問しただけで今回2回目の訪問です。
午前9時、玉丘史跡公園ガイダンス棟に集合、当日周る予定のコース説明、玉丘古墳と
亀山古墳の説明などがあり出発した。当日はあいにくの雨でしたが降ったり止んだり
であったものの楽しくウォーキングが出来た。
加西市歴史街道ボランティアガイドと市観光まちづくり協会が主催したイベントで
約40名の参加者がありました。
当日巡ったコースは下記のとおりです。
1.玉丘古墳→2.玉丘町道標→3.逆池遺跡→4.亀山古墳→
5.女のみち歌碑→6.山伏峠石棺仏→7.玉野薬師堂→8.玉野石仏
朝9時に集合のところ8時過ぎに到着した為、玉丘史跡公園内を散策した。
主催者のイベント案内には次の記述があった。
玉丘古墳は4世紀末の前方後円墳で、
悲恋物語「根日女伝承」の主人公、根日女が眠るとされる同古墳の歴史などを学ぶ。
玉野町などの一帯は同風土記で「楢原の里」と呼ばれ、栄えていたという。
南北朝時代の石造物がある山伏峠や、鎌倉時代の五輪塔などのある玉野薬師堂、
玉野石仏など約4キロのコースを巡る。
上の写真は玉丘史跡公園の案内板です。(駐車場付近に掲示)
玉丘史跡公園は平成13年3月竣工 面積:6.2ha
玉丘古墳を中心とした古墳が玉丘史跡公園を中心に散在しています。玉丘古墳群は
玉丘古墳、クワンス塚古墳、陪塚第1号墳・第2号墳、壇塔山古墳、北山古墳
実盛塚古墳、笹塚古墳、マンジュウ古墳、逆(さかさ)古墳の計10基を指す。
玉丘古墳は昭和18年(1943)9月8日に国史跡に指定された。
昭和53年(1978)9月18日に玉丘古墳の周辺の9基の古墳を追加し合計10基の
古墳を玉丘古墳群として追加指定された。
玉丘古墳群の説明は文化庁のサイト(下記)にある。
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=216989
加西市のサイトでは国指定史跡の玉丘古墳群に名のあった北山古墳、実盛塚古墳、
逆古墳の名前がなく亀山古墳、小山古墳とジヤマ古墳の3基が記載
ガイダンス棟にはもう少し広域の古墳の分布を図示して説明されています。
(下の写真)
玉丘古墳(後述)以外の玉丘史跡公園内の古墳について記載していきます。
上の写真は愛染古墳(移築されたもの)と説明板
上の写真は愛染古墳(円墳)の横穴式石室内の家形石棺。
上の写真は壇塔山(だんとうやま)古墳の遠景と説明板。
古墳時代中期(5世紀前半)の円形墳で直径17m、周溝幅2m。円筒埴輪が出土
上の写真は実盛塚古墳と説明板。
円墳 直径21m 周濠と埋葬施設は不明 築造期:古墳時代中期(5世紀)
上の写真はクワンス塚古墳とガイダンス棟の説明板
2段構造を持つ円墳 直径35m 斜面には凝灰岩の葺石 各段から円筒埴輪等が出土
築造:古墳時代中期(5c前半)
円頂部に縦型石槨 長さ5m 幅1m 割竹形木棺があったと推測
副葬品として、剣、直刀、三角板革綴じ短甲、鉾などの武具、斧などの農工具、
鶏形埴輪などの形象埴輪や土器類、杵形、突起付棒形、棒形、円盤形、籠目形
などの土製品が発掘
さて、本題に移り下記のコースの見学記を書き記していきます
1.玉丘古墳→2.玉丘町道標→3.逆池遺跡→4.亀山古墳→
5.女のみち歌碑→6.山伏峠石棺仏→7.玉野薬師堂→8.玉野石仏
上の写真はハイキングコース(地図)
イベント案内とハイキングコース(地図)について下記のサイトに掲載しました
http://seiyo39.blog.eonet.jp/default/2015/02/post-f72e.html
1.玉丘古墳
古墳時代中期(5c前半)の前方後円墳で全長約109m、幅約54m(前方部)、
約64m(後円部径)で墳丘が3段築成からなり、兵庫県下6番目の規模をほこる。
墳丘には幅約20mの周濠が巡らされ、出土遺物から外堤には円筒埴輪が多数並べられて
いたと推測されている。出土された埴輪には家形、鶏形のものも含め円筒埴輪が多い
この古墳は根日女と二人の皇子との出会いから始まる根日女悲恋の物語の舞台で
あることが知られ、『播磨国風土記』賀毛郡の条に記されている。
以上Wikipediaより引用紹介
上の写真は玉丘古墳の遠景
上の写真はガイダンス棟の説明板
玉丘古墳の説明版(上の写真)
玉丘古墳と播磨風土記の説明
上の写真は玉丘古墳の東側の石碑と説明板
上の2枚の写真は東側から観た玉丘古墳。
2.玉丘町道標
山崎・宍粟方面から旧北条町に向かう旧山崎街道からの旧街道の3又路が
玉丘町付近にあり3又路には道標と地蔵菩薩などの石造品があります。
右手に行くと小野、三木、明石、兵庫、大坂へ続く兵庫街道 左手に行くと
杜、古市、篠山、亀岡、京に続く西京街道になります。
山崎街道は北条に入ると横尾街道又は京街道と呼ばれています。
道標には右 三木 はんじょう 左 杜と刻まれています
上の写真は玉丘町の3又路 手前が旧山崎海道 右手が三木方面(兵庫街道)
左手が杜方面 西京街道
下の動画は加西市歴史街道ボランティアガイドによる説明
3.逆池遺跡
逆池の中の島はすべて古墳。石器時代のサヌカイト製の石器が出土している
そうです。
逆池でコハクチョウ、鴨、青サギの姿を見つけましたので添付しておきます。
2015年5月24日のテレビで逆池のメガソーラー発電が紹介されていたので
その画像を添付しておきます。(TV局や番組名は不明)下の2枚の写真
2015-11-16追記
4.亀山古墳
加西市笹倉町亀山822の亀山山頂に所在し、直径役40mの円墳です。高さは7m
築造:古墳時代中期(5c)
上の2枚の写真は玉丘史跡公園ガイダンス棟の説明パネル。
出土の剣などは現品は国立博物館に複製品は加西市埋蔵文化財整理室にあるそうです
亀山古墳は昭和43年3月30日加西市の史跡に指定
上の写真は現地の説明板。
5.女のみち歌碑
上の写真がおんなの道の歌碑です。宮史郎が加西市出身であり、「女のみち」が、
歴代のシングルCD(レコード)売り上げ2位であることを初めて知りました。
関連ブログ http://blog.livedoor.jp/kasaikanko/archives/50360556.html
6.山伏峠石棺仏
3基の石棺仏(南北朝時代)があります。
上の写真は上り口にある石棺仏で浮彫 阿弥陀如来坐像 建武4年(1337)の銘
石棺の形式は家形石棺(6c~7c)でその蓋を利用して制作
高さ:2.07m 幅:1.34m 厚さ:60cm
兵庫県有形文化財(昭和47年3月24日指定)
上の写真は中間の1基で 南北朝から室町時代の作
上部が半円状で定印を結んで蓮華座の上に乗る阿弥陀如来像が彫られています
上の写真は浮彫 地蔵菩薩半跏像(石棺仏) 加西市山伏峠の西側に立つ3基の
石棺仏の1番奥にあるもので長持形石棺(6世紀)の蓋を利用し慶応元年(1338)
に仏像が彫られた。 兵庫県有形文化財(昭和47年3月24日指定)
高さ:1.82m 幅:1.315m 奥行:17cm
7.玉野薬師堂
番号は配布資料の番号に合わせた
1)玉野薬師堂 石造五輪塔 加西市指定文化財 昭和46年(1971)3月30日指定
応永4年(1371)の銘が地輪にあり
高さ:1.62m
2)阿弥陀三尊種子板碑
上下2つに割れている 復元すると214cmとなる
組み合わせ石棺としては播磨地方で最大級の大きさである。
鎌倉時代中期 建治3年(1277)に築造、凝灰岩
底石の裏に阿弥陀三尊の種子が刻まれている
3)阿弥陀三尊種子板碑 (市指定文化財 鎌倉時代 高さ68cm 幅36cm 厚さ9cm)
4)浮彫石仏
写真を撮れず 残念
5)法華曼荼羅曼荼羅種子 板碑
市指定文化財、鎌倉時代後期、凝灰岩、高さ 55.4Cm 幅 48Cm 厚さ 11.4Cm
中央の右に釈迦の種子「バク」、左に多宝如来の種子「ア」の二仏
周囲は上から時計回りに、文殊菩薩の種子「ア」、薬王菩薩の種子「バー」、
妙音菩薩の種子「ア」、常精進菩薩の種子「ア」、
無尽意菩薩の種子「アク」、観音菩薩の種子「ボ」、普賢菩薩の種子「アン」、
弥勒菩薩の種子「ユ」の八菩薩を刻む
以上配布資料より転載
上の2枚の写真は玉野薬師堂の遠景と堂内
堂内にも石仏があるそうだが当日は確認できず
上の写真は無造作に散らかっている石造品
上の写真は石仏群の台石となっている家形石棺蓋石
8.玉野石仏
上の写真は玉野石仏の遠景
上の写真は玉野石仏の表面と裏面 浮彫 阿弥陀如来坐像 鎌倉時代
裏面に字が刻印されているが読めなかった。
外出する時間になったため取り敢えずアップします。
根日姫(ねひめ)伝説に関連の史跡訪問記にリンクしておきます(小生のブログ)
志染(しじみ)の石室(いわむろ) on 2013-4-14
三木市 別所町下石野の王子神社 on 2013-7-13
神戸市西区押部谷町木津の顕宗仁賢神社 on 2011-5-9