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CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

城下町「丹波篠山」散策記 on 2023-10-4  その4 平尾竹霞 誕生之地碑

2023年10月22日 05時03分20秒 | 神戸市以外の兵庫県

2023年10月4日(水)、城下町「丹波篠山」を散策してきました。

今回はその第4回で平尾竹霞 誕生之地碑をテーマに書いていきます。

丹波篠山へは2011年10月30日に「丹波の王墓、雲部車塚古墳の謎にせまる」という
シンポジウムがあり訪問しており、今回が2回目の訪問です。 

城下町「丹波篠山」散策記のIndex 




平尾竹霞(南画家) 誕生之地碑

上の写真は南画家 平尾竹霞の誕生之地碑です。
設置場所は多谷畳・敷物店(丹波篠山市河原町130)の隣地

現地説明板

説明版の要旨(一部加筆)を転記しておきます。
平尾竹霞(ひらおちくか)は安政3年(1856)3月28日、丹波篠山城下河原町の
王地山焼の陶画士平尾惣左衛門( そうざえもん)(画号竹郭)の長男として生まれ、
本名を織之助(おりのすけ)といい、竹霞はその雅号である。
幼少の頃から篠山藩学者渡辺弗措に漢書を学び、明治4年(1871)16歳で画家を志し
京都に出て日本画家(円山四条派)塩川文麟に、次いで南画家の田能村直入
(たのむらちょくにゅう)に師事し画業の研鑽に努めました。
次第に自らの画風を培い作品を発表 斯界に注目されるようになった
特に「嵐峡(らんきょう)12景」は皇室献納の栄誉に浴している
一方では、直入とともに京都府画学校(現京都市立芸術大学)開校 
日本南画協会設立等に尽力、南画の新興と発展に寄与し京都画壇の重鎮と称せられたが
昭和14年(1939)7月27日 84歳を一期に京都で病没した。
今年 生誕150年に当たり顕彰のため ここ生家跡に記念碑を建立する
  平成18年(2006)3月26日
  平尾竹霞顕彰会
  協賛 篠山文華学会


代表作「嵐峡十二景」について
保津峡の移りゆく風景を描いた作品です。
京都保津川の保津峡に3年間分け入り、四季に変わりゆく姿を画帳に収めた労作でした。

高風閣について
京都三条に高風閣(こうふうかく)という茶屋を建て、文人墨客と広く交わりました。

王地山焼について
王地山焼は、江戸時代中ごろの文化文政期(1804~1830)、当時の篠山藩主であった
青山忠裕(あおやまただやす)が王地山の地に築いた藩窯です。
 

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城下町「丹波篠山」散策記 on 2023-10-4  その3 普門山 観音寺

2023年10月19日 05時55分05秒 | 神戸市以外の兵庫県

2023年10月4日(水)、城下町「丹波篠山」を散策してきました。

今回はその第3回で曹洞宗の 普門山 観音寺をテーマに書いていきます。

丹波篠山へは2011年10月30日に「丹波の王墓、雲部車塚古墳の謎にせまる」という
シンポジウムがあり訪問しており、今回が2回目の訪問です。 

城下町「丹波篠山」散策記のIndex 


観音寺の基本情報
住所:丹波篠山市河原町165  TEL:079-552-0005 
宗派:曹洞宗 山号:普門山  観音霊場:丹波西国観音巡拝第十六番札所 
御本尊:釈迦牟尼仏 開山:永禄5年(1562)嶺久(れいきゅう)和尚
住職名: 紀本 亘隆 
篠山市雲部の洞光寺の末寺

所在地のGoogleマップを添付しておきます。


境内の写真 
上の写真は本堂と庫裡

上の写真は観音堂 十一面観音立像が安置 札所となっています。
上の写真は境内社 裏手に墓所があります。
上の写真は弁天社

入口の「曹洞宗 観音寺」と書かれた石碑は第19世、宏岳宣隆大和尚(昭和41年 2月寂) の時代に建立

現地説明板 
上の写真は入口付近に掲示されていた現地説明板です。要旨を転記しておきます。
永禄5年(1562)八上城主波多野晴秀は、深く信仰していた知足村の観音堂を
城下に移築し、洞光寺要山玄的和尚の高弟嶺久(れいきゅう)和尚を開山と
したのが当寺のはじまりです。
本尊は仏師春日または定朝の作という釈迦牟尼仏です。
天正期の戦後は、曽地村に観音寺を造営していました。
篠山城築城後に際し、ここに移されましたが、度々火災にあい、その都度再建されました。平安期作の十一面観音立像(町・文)が安置され、篠山城大書院
の障壁画も残っています。


お寺の歴史 
下記サイトに観音寺の歴史について引用紹介されていましたのでそのまま転記
江戸末期のたたずまいを残し、妻入り商家が建ち並ぶ河原町の通りを200メートルほど行くと、いかにも禅寺らしい「観音寺」がある。ご本尊は、仏師春日または定朝の作という釈迦牟尼如来坐像であり、丹波西国観音巡拝第十六番札所になっている。
永禄5年(1562)、波多野晴秀(晴通)公はかねて崇敬していた知足村西山麓(今の観音寺谷というところ)の「観音堂」を八上城下に移築のうえ、
母の秋臨院殿葉山妙紅大禅定尼を施主に、洞光寺の要山玄的大和尚の高弟嶺玖和尚を開山として観音寺を創建したのが、当寺のはじまりである(今も、八上に観音寺屋敷の地名がある)。
篠山に築城後、この地に移されたが、寛文10年(1670)、正徳4年(1714)、享保5年(1720)と焼失し、その都度再建された。
観音堂の木像十一面観音立像(町・文)は平安期の作で、もと東新町割場の
「宝寿院」の観音堂にあったのを奉安したものであり、古くは、三岳の寺院
にあったと言われている。また、篠山城大書院の障壁画や、南画の平地藍岳
の襖絵がある。最近山門と観音堂が立派に改修された。
「丹波篠山五十三次ガイド(改定版)」(平成7年8月発行)より
 
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城下町「丹波篠山」散策記 on 2023-10-4  その2 河原町妻入商家群

2023年10月18日 04時19分54秒 | 神戸市以外の兵庫県

2023年10月4日(水)、城下町「丹波篠山」を散策してきました。

今回はその第2回で河原町妻入商家群をテーマに書いていきます。

丹波篠山へは2011年10月30日に「丹波の王墓、雲部車塚古墳の謎にせまる」という
シンポジウムがあり訪問しており、今回が2回目の訪問です。 

城下町「丹波篠山」散策記のIndex 

河原町妻入商家群の町並み 






1620年頃から京街道に沿って町屋や寺院が整備された。商家町が整備されると
八上城下の商人や追入(おいれ)・宮田方面の商人たちが移住させられた。
寺院(観音寺、真福寺)も八上城下から移された。
江戸時代の建物が半数以上残っているとのこと。
商家は妻入と呼ばれる様式の建築が7割以上で、5mから8mほどの狭い間口で、
奥行きは大半が40m以上と深く京都の商家と同じような形式のものが多い。 

地図 



出典:「いらか」iraka2023のリーフレット裏面
上の写真は「いらか」iraka2023のポスター9月15日から10月9日の金曜と土曜日に
格子に灯りが灯されました。写真のような幻想的な光景が楽しめそうです。

所在地(丹波篠山市河原町)のGoogleマップを添付


上の写真は重要伝統的建造物群保存地区を橙色で示したもの

現地説明板 

上の写真は現地説明板 要旨を転記(一部加筆)しておきます。
篠山城下町は1609年築城の篠山城を中心に整備された町です。
河原町は1620年に町が築かれ、商業の町として栄えました。東西500mの通りに沿って
江戸時代から昭和前期に至る伝統的な町屋が数多く軒を連ねています。
町屋の7割以上が妻入で、特徴的な町並み景観を作り出しています。
2004年12月に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
2021年に電柱が撤去され、町並みの景観が良くなった。 





川端家住宅  

 商家建築、平入り、入母屋造、篠山市指定文化財
更に詳細は下の説明板を見てください。


西坂家住宅  


 商家建築(醤油屋)、妻入り、篠山市指定文化財
更に詳細は下の説明板を見てください。

小林家住宅



おみやげ処森本 






こちらでお土産として栗を買いました。

畳屋




水曜と日曜に開催の市 
地元の方もよく利用すという話を聞きました。

丹波古陶館
 住所:丹波篠山市河原町185  TEL:079-552-2524
 古丹波を中心に丹波焼の美術館  開館時間:10:00~16:30




能楽資料館
 住所:丹波篠山市河原町175  TEL:079-552-3513
 開館時間:10:00~16:30  休館日:月曜日


公園・休憩所 鳳凰苑



時間の関係でこの辺でアップします。
近くには王地山まけきらい稲荷がありますが、今回は訪問しませんでした。

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城下町「丹波篠山」散策記 on 2023-10-4  その1 JR福知山線 篠山口駅の観光案内掲示物など

2023年10月17日 03時37分00秒 | 神戸市以外の兵庫県

2023年10月4日(水)、城下町「丹波篠山」を散策してきました。

今回はその初回でJR福知山線 篠山口駅に掲示されていた観光案内をテーマに

書いていきます。
丹波篠山へは2011年10月30日に「丹波の王墓、雲部車塚古墳の謎にせまる」という
シンポジウムがあり訪問しており、今回が2回目の訪問です。  

日本遺産のまち丹波篠山

2015年に丹波篠山 デカンショ節―民謡に乗せて歌い継ぐふるさとの記憶ー篠山市(兵庫県) 
として日本遺産に認定されています。
2020年時点で104件の日本遺産が認定されています。
その内容については下記ブログで纏めています。
2020年以降の認定状況については文化庁の公式サイトで確認してください。
 ホーム > 政策について >文化財 >「日本遺産(Japan Heritage)」について

ストーリーの概要
 かつて城下町として栄えた丹波篠山の地は、江戸時代の民謡を起源とするデカンショ節によっ て、地域のその時代ごとの風土や人情、名所、名産品が歌い継がれている。 地元の人々はこぞってこれを愛唱し、民謡の世界そのままにふるさとの景色を守り伝え、地域へ の愛着を育んできた。 その流れは、今日においても、新たな歌詞を生み出し新たな丹波篠山を更に後世に歌い継ぐ取組 として脈々と生き続けており、今や300番にも上る「デカンショ節」を通じ、丹波篠山の街並み や伝統をそこかしこで体験できる世界が展開している。
掲示の文
(略)城下町、宿場町、農村集落、窯業集落の景観、黒大豆や山の芋類、緑豊かな
山並み、オオサンショウウオの棲む清流、京文化や播磨地方の影響を受けた祭礼など
今や300番にも上る「デカンショ節」には人々の喜怒哀楽や心意気、希望、誇りと共に
地域の文化遺産や産物が盛り込まれています。歌詞の世界がそのまま残る多種多様な
文化遺産や産物、風景はかけがえのない宝物です。




丹波篠山デカンショ祭

 
丹波篠山の春夏秋冬
上の写真はみどりの窓口自販機の横に掲示物です。
 春:大書院の桜
 夏:丹波篠山デカンショ祭
 秋:丹波栗
 冬:ぼたん鍋

丹波焼


上の写真は駅構内の丹波焼展示
上の写真は駅の外の丹波焼のお店の展示

三岳



上の2枚の写真は三岳連邦をイメージしたモニュメントと現地説明板
三岳は小金山、御岳、西ケ岳です。平安末期から中世にかけて奈良・和歌山の大峰山と
並ぶ修験道の行場であった。

丹波木綿


JR 篠山口駅




城下町方面のバス

城下町へは2番のバス乗り場から乗車します。当日は9時15分のバスで出かけました。
時刻表は2023年3月1日に改正のものです。変更される可能性がありますので
最新版を確認願います。

篠山口駅周辺の地図




見どころ案内
丹波篠山で最も有名な篠山城跡大書院と丹波焼




下水道マンホール蓋


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ヴィドフランス 三田店でのモーニング on 2023-10-4

2023年10月10日 03時59分57秒 | 神戸市以外の兵庫県
2023年10月4日、丹波篠山に散策に出かけた。
その途中、JR三田駅の改札に近い場所にヴィドフランス 三田店が有り、モーニングを
頂きましたので写真紹介します。ヴィドフランスはVie・de・Franceの方がなじみ深い。

ヴィドフランス 三田店の基本情報
住所:三田市駅前町1-38 JR三田駅NKビル2階 TEL:079-553-8660
通常表記: VIE DE FRANCE 
営業時間:7:30~21:00

上の写真は当日いただいたウィンナーロールのモーニングセット570円+さくっとフランス163円
合計733円(税込)でした。ヨーグルトかバナナを選択できます。
飲み物はホットコーヒーを選択しました。

上の写真はモーニングセットのメニュー表


上の写真はお店の外観です。

忘れないうちに丹波篠山の散策記を書きたいと思っています。
丹波篠山の写真を2枚だけ添付して筆を置きます。

上の写真は丹波篠山市河原町妻入商家群の街並みと篠山川堤防に咲くヒガンバナ
撮影:2023-10-4
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洲本市五色町都志の散策記 on 2023-6-14&6-15 その15 長林寺(最終回)

2023年08月03日 11時41分09秒 | 神戸市以外の兵庫県
2023年6月14日と6月15日に高田屋嘉兵衛の生まれ故郷&晩年を過ごした淡路島 洲本市五色町都志を
散策してきましたので写真紹介します。訪問先をシリーズで紹介していきます。
本日はその第15回で6月15日に訪問した「長林寺」について書いていきます。
今回でシリーズ最終回とします。

洲本市五色町都志の散策シリーズ過去の記事
 













長林寺は高田屋嘉兵衛の父母の法要と嘉兵衛の葬儀が行われた場所として知られています。

長林寺の基本情報
住所:洲本市五色町都志万歳975  TEL:0799-33-0121 
宗派:高野山真言宗   山号:平栖山 院号:清浄院
御本尊:十一面観世音菩薩、大日如来
創建:天平9年(737) 行基により創建と伝わる
札所: 淡路島七福神 福禄寿、淡路四国八十八ヶ所霊場四十五番 、
   淡路西国三十三ヶ所霊場十八番  

所在地のGoo地図を添付しておきます。

境内案内に入る前に主題である高田屋嘉兵衛と長林寺との関係について書いておきます。
高田屋嘉兵衛46歳、文化11年(1814)長林寺で父弥吉、母久利の法要を執り行いました。
大きな位牌(縦85cm、横24cm)を安置し、永代供養に金10両を奉納しました。
文政10年(1827)4月5日(新暦換算4月30日)に高田屋嘉兵衛の葬儀がここ長林寺で
行われ、遺体は都志本村の茅生の隈(ちよのくま)に埋葬されました。
埋葬地についてはシリーズ 第4回で紹介しています。
葬儀当日、埋葬に向かった葬列は2kmもの長さとなり、それでも後部は長林寺内に残っていた
とのエピソードが受け継がれています。
上の写真は長林寺にある高田屋嘉兵衛の位牌(中央)右は三弟の高田屋善兵衛
左は六弟の高田屋喜十郎
出典:高田屋顕彰館・歴史文化資料館 (菜の花ホール)の展示パネル

上の写真は境内の高田屋嘉兵衛に関する現地説明板

長林寺入口の福禄寿



上の2枚の写真は淡路島七福神 福禄寿 長林寺と書かれた入口の福禄寿
階段を登りきった所に長林寺の正門があります。
長林寺には、淡路七福神霊場の一つとして福禄寿が祀られ、境内には淡路島特産の
いぶし瓦でできた福禄寿像が参拝者を迎えています。(下の写真)


長林寺からの洲本市五色町都志の街の景観

上の写真は長林寺からの洲本市五色町都志の街の景観
当日は雨が降っており街は霞でハッキリと写っていません。手前は都志川

長林寺境内案内板

上の写真は長林寺境内案内板 判り易くよくできた案内板です。

本堂

上の写真は本堂 案内板によれば中央に大日如来、左右に七福神、孔雀明王が安置
堂内の拝観をしなかったので内部の様子はわかりません。

観音堂
上の写真は観音堂 案内板によれば堂内には福禄寿と旧本尊の十一面観世音菩薩が安置

鐘楼

弘法大師石像


六地蔵、無縁仏、墓所
上の写真は階段を登りきった左手にある六地蔵と不返地蔵尊
上の写真は無縁仏
上の写真は墓所 何故か八幡宮と書かれた石灯籠が入口にありました

不返地蔵尊


馬頭観世音菩薩ほか石造品
上の写真は馬頭観世音菩薩 背後の左手は浜砂大善神(おたぬきさん)や萬歳龍王の石造物あり
さらに奥は墓所になっています。

不動明王の石仏


境内の神社の祠
稲荷社

上の写真は境内社の稲荷神社

妙見堂と弁天堂



上の2枚の写真は妙見社(左手)と弁天社(右手)


長林寺のつかいだんじり

長林寺では、毎年 7 月 14 日の十一面観音菩薩の縁日の夜、勇壮な「遣いだんじり」が境内を
練り歩きます。「遣いだんじり」とは、二人の乗り子を乗せただんじりを縦横無尽に
ひっくり返しながら操り、様々な妙技を披露するもので、淡路島の個性豊かな伝統芸能を
伝える行事として知られています。

【神技・妙技】平成28年 兵庫県洲本市五色町都志万歳 長林寺夏祭り つかいだんじり
布団太鼓(春祭り)

シリーズを終えて
時間はかかったものの無事シリーズの記事を書き終えることができました。
今後も高田屋嘉兵衛をテーマとしたブログ記事を書いていこうと考えています。

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洲本市五色町都志の散策記 on 2023-6-14&6-15 その14  新在家金毘羅神社

2023年08月02日 05時59分29秒 | 神戸市以外の兵庫県
2023年6月14日と6月15日に高田屋嘉兵衛の生まれ故郷&晩年を過ごした淡路島 洲本市五色町都志を
散策してきましたので写真紹介します。訪問先をシリーズで紹介していきます。
本日はその第14回で6月15日に訪問した「新在家金毘羅神社」について書いていきます。


洲本市五色町都志の散策シリーズ過去の記事
 
















上の2枚の写真は新在家金毘羅神社の遠景と近景


上の写真は境内の摂社で片方は戎神宮と書かれていました。
高田屋嘉兵衛もこの付近を行き来していたと思われます。

新在家の人々の生業は漁業で漁業に関連した金毘羅宮や戎様が祀られています。


上の写真は高田屋顕彰館・歴史文化資料館 (菜の花ホール)の展示で浜辺での
魚の天日干しの作業で高田屋嘉兵衛が過ごした当時の光景が想像できます。

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洲本市五色町都志の散策記 on 2023-6-14&6-15 その13 都志港防波堤改築跡

2023年07月30日 04時37分06秒 | 神戸市以外の兵庫県
2023年6月14日と6月15日に高田屋嘉兵衛の生まれ故郷&晩年を過ごした淡路島 洲本市五色町都志を
散策してきましたので写真紹介します。訪問先をシリーズで紹介していきます。
本日はその第13回で6月15日に訪問した「都志港防波堤改築跡」について書いていきます。


洲本市五色町都志の散策シリーズ過去の記事
 











上の写真は2023-6-15に撮影の都志港の岸壁。わずかに下部に石組みが見えています。
高田屋嘉兵衛翁は防波堤の改修のため、10年の長期にわたって費用を寄付し続けました。
その後の変遷を経て、現在の都志港の姿からは想像しがたいものになりました。
それほどに変容し、現在はわずかな石組がコンクリート岸壁の下部に見える程度です。
防波堤の改修時期は文政8年(1825)高田屋嘉兵衛57才の時であった。
高田屋嘉兵衛は防波堤に規模をもっと長いものと考えていたが、地元の同意を得られず、
翌年の文政9年(1826) 嘉兵衛58才 津名郡塩尾浦の港改修工事を始めるに到った。
その際、銀66貫目(金千両)を寄付しています。
その他にも河川の整備や農業用ため池の新設にも積極的に支援しています。


上の写真は都志港に停泊の漁船。


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洲本市五色町都志の散策記 on 2023-6-14&6-15 その12 和田屋喜十郎邸跡 ー商売を学ぶー

2023年07月25日 04時18分06秒 | 神戸市以外の兵庫県
2023年6月14日と6月15日に高田屋嘉兵衛の生まれ故郷&晩年を過ごした淡路島 洲本市五色町都志を
散策してきましたので写真紹介します。訪問先をシリーズで紹介していきます。
本日はその第12回で6月15日に訪問した「和田屋喜十郎邸跡」について書いていきます。


洲本市五色町都志の散策シリーズ過去の記事
 










上の写真は現地説明板です。
判り難いのでそのまま転記しておきます。
和田屋喜十郎邸跡 ー商売を学ぶー
 和田屋の跡は今は他の人に譲られていますが、子孫は昭和40(1965)年まで
 和田屋の商号で菓子やたばこなどの店を続けていました。
 天明元(1781)年、13歳の時新在家の親類弥右衛門方で漁業をしながら、
 母の妹の嫁ぎ先である和田屋で商売の基礎を学びました。
 この辺りは、縦横に通る狭い道に挟まれた、当時の漁村の中心部にあたります。
 ここでの少年はやがて青年嘉兵衛に成長し、22歳で兵庫へと飛躍の第一歩を踏み出します。
上の写真は案内板のある位置付近の路地と家並み
白い2階建ての家の庭に現地説明板が設置されています。


上の写真は北前船寄港地・船主集落 都志浦の街並みと高田屋嘉兵衛の足跡
のリーフレットの地図で和田屋喜十郎邸跡の位置が示されています。


上の写真は和田屋喜十郎邸跡への案内板

明和6年1月1日(1769年2月7日) 、淡路島 都志本村
(現在の兵庫県洲本市五色町都志)で農民の子として生まれる。
父親は弥吉 母親は久利 6人兄弟の長男  幼名は菊弥
高田屋嘉兵衛は、天明元年(1781)13歳の時から、口減らしのために 
隣在所の新在家にある親戚筋(嘉兵衛の母親の妹の嫁ぎ先)の店、和田屋喜十郎宅に
奉公に出る。 新在家の若衆はよそ者の嘉兵衛を 目の敵にし、いやがらせを繰り返す。
そのようなこともあって寛政2年(1790) 22歳で兵庫の西出町 堺屋喜兵衛(和田屋喜十郎の弟) を
頼って新在家から逃亡することになる。
NHKドラマ「菜の花の沖」での和田屋喜十郎(笹野高史)と妻おらく(内田明里)の
写真を添付します。
右手の女性は網屋幾右衛門 宅で「おふさ」の身の回りの世話をしている播州はん(藤田弓子)
出典:2023年6月30日再放送 NHKBSプレミアム 菜の花の沖(1)「はてしなき夢」

ついでに同じくNHKドラマ「菜の花の沖」で和田屋喜十郎宅で会話する高田屋嘉兵衛(竹中直人)と
おふさ(鶴田真由)及び嘉兵衛の母「久利(西岡慶子)」の写真を添付して筆を置きます。



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洲本市五色町都志の散策記 on 2023-6-14&6-15 その11 網屋幾右衛門邸宅跡 ーふさを知るー

2023年07月22日 04時50分08秒 | 神戸市以外の兵庫県
2023年6月14日と6月15日に高田屋嘉兵衛の生まれ故郷&晩年を過ごした淡路島 洲本市五色町都志を
散策してきましたので写真紹介します。訪問先をシリーズで紹介していきます。
本日はその第11回で6月15日に訪問した「網屋幾右衛門邸宅跡」について書いていきます。


洲本市五色町都志の散策シリーズ過去の記事
 











上の3枚の写真は現地の説明板です。
説明板の内容をそのまま転記しておきます。
網屋幾右衛門邸宅跡 ーふさを知るー 
  網屋の屋敷はこの付近にあったようですが、海岸浸食のため、今は渚近くか、
  或いは海の中に没しているかもわかりません。歳月はそれほどに物事を風化させて
  しまいましたが、その中で一つのロマンスは今も語り継がれています。
  21歳の高田屋嘉兵衛はこの家の次女で、美人のふさと知り合いそっと恋の花を
  さかせました。しかしこれを知った地元の若衆からは羨ましがられ邪魔されたかも・・・
  このあと兵庫に出た二人は無事に結ばれることになります。

上の写真は北前船寄港地・船主集落 都志浦の街並みと高田屋嘉兵衛の足跡
のリーフレットの地図で網屋幾右衛門邸宅跡の位置を手書きで入れた



上の写真は説明版が設置されている場所の近くにある宿泊施設「嘉兵衛荘
現地に行くのに目安となる建物です。住所は洲本市五色町都志万歳456-2 

嘉兵衛荘の所在地のGoo地図を添付しておきます。


上の写真は現地説明板のある場所付近からの都志港の風景

司馬遼太郎の「菜の花の沖」を原作として2000年12月NHKがドラマを制作BSで放映された。
このドラマでおふさの役を鶴田真由さんが演じています。現在、BS3で再放送されています。
ドラマでは次のように描かれています。(以下、Wikipediaより引用)
おふさは嘉兵衛の妻。弥吉が生まれた頃までは夫婦仲も良かった。夫の無事を祈るなど
献身的な妻であったが、店の後継者を息子の弥吉ではなく弟の金兵衛にしようとする
ことに真っ向から反対。その後嘉兵衛とは別居状態になる。
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