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洲本市五色町都志の散策記 on 2023-6-14&6-15 その4 高田屋嘉兵衛埋葬地

2023年07月08日 03時42分07秒 | 神戸市以外の兵庫県
2023年6月14日と6月15日に高田屋嘉兵衛の生まれ故郷&晩年を過ごした淡路島 洲本市五色町都志を
散策してきましたので写真紹介します。訪問先をシリーズで紹介していきます。
本日はその第4回で6月14日に訪問した「高田屋嘉兵衛埋葬地」について書いていきます。

洲本市五色町都志の散策シリーズ過去の記事
 




上の2枚の写真は高田屋嘉兵衛埋葬地の墓碑です。
墓には長い石材を使った石室が造られているそうです。
この埋葬墓の他に多聞寺墓地に参り墓があります。
参り墓については後日、記事を書く予定です。

右手が高田屋嘉兵衛の墓で左手は嘉兵衛の弟(四男) 金兵衛 の墓です。
埋葬地は地元では茅生の隈(ちふのくま)という場所です。
埋葬地はウェルネスパーク五色高田屋嘉兵衛公園(洲本市五色町都志1087)の
一角にあり夢工房から階段を下った場所にあります。
ウェルネスパーク五色(高田屋嘉兵衛公園)のリーフレット埋葬地の位置が記載されて
いますので添付しておきます。

上の地図でHの施設が夢工房
地図の作者は明石市在住の伊藤太一さんです。
上の写真は高田屋嘉兵衛埋葬地への案内標識
200m手前の位置に設置

上の写真は高田屋嘉兵衛埋葬地の現地説明板です
説明文をそのまま転記しておきます。
高田屋嘉兵衛埋葬地
1818年(文政元年)、事業を弟達に譲り郷里都志に引退した嘉兵衛は、都志八幡神社随神門
の寄進や灌漑用井堰の築造・都志港などの修築等郷土の開発に尽くた。
しかし、1827年(文政10年)4月5日(太陽暦4月30日)、病のためその波乱に満ちた
生涯を閉じ、ふるさとを見下ろすこの地に手厚く埋葬された。
墓碑は多聞寺に祀られている。享年59才。
 法号 高誉院至徳唐貫居士

葬儀は、都志の長林寺で執り行われたが、この地への葬送の列は道中途切れることなく、
まだなおお寺の境内にあふれていたと言われ、嘉兵衛の人望とその偉大な業績が偲ばれる。

埋葬地の近くには「日本の誇る高田屋嘉兵衛翁此の地に眠る」と刻まれた時の総理大臣羽田孜の石碑が平成6(1994)年に建てられています。(下の写真)

高田屋嘉兵衛を中心とした家系図
高田家は元々尾張の国の武家であった。永禄年間(1558~1570)に淡路島に
移ってきた高田孫八郎が鮎原(あいはら)北山に住みついたのが始まりである。
代が進むにつれ武士から農民や町人の身分となったが高田屋嘉兵衛は父・弥吉から
武士道の教えや読み書き算盤の大切さを教えられ育った。

最後に第1回で添付した高田屋嘉兵衛を中心とした家系図を再掲載して筆を置きます。
出典:五色町教育委員会編「高田屋嘉兵衛」(1960) 著作権消滅 

出典:童門冬二著「物語と史蹟をたずねて 高田屋嘉兵衛」成美堂(1988)


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