風と友達

山の中が私の故郷。風の良く通り抜けていく場所に生家がある。

昔のこと

2008-03-05 | 花日記
祖母の荷物を片づけて着物とか洋服等は欲しい人に持っていって貰ったが(そんなに良い物はない)今流に言うパッチワーク?布団の布を縫い合わせて押入の布団を包んであったものとか、端切れとかそんなもの集めてどうすると言われながら持ってきた。自分でもどうせたいして使わないだろうなあと思うけど、子どもの頃見た柄を見るとほっとする。


中でも地味な縞模様(上の方の奴)は「じじま」と言って女性の野良着「もんぺ」を縫うのになくてはならない布だったと思う。多分「地縞」と書くのだろうと思う。「水に浸けてから縫わんといかん」と母達が話していたのを覚えている。





今もんぺも進化?してカラフルで裏起毛の温いのもある。でもそんなのは生地が余り強くないので山の中には入っていけない。今は実家でも冬場もんぺをはいて仕事をすることもなくなったけど、子どもの頃母は年中もんぺを履いて働いていた。今の時期は炭焼きで、伐った木を運んだり、炭俵を編むカヤ(ススキ)を刈ったりしていた。合間には漬け物も漬けたり、ウシの草も刈らなければ行けないそんな時ジジマのもんぺに地下足袋だった。
ものごころ付いてからの祖母は家の仕事で地下足袋を履いて仕事はしてなかったけど、それでも畑仕事や、田植えの草引きなどもんぺ姿だった。

そしてまだ着物を普段の生活でも着ていた(私たちも小学低学年の頃まで寝間着は着物だった)パジャマというのを着たときはとても嬉しかった記憶がある。



あの頃山奥でこんな時代が来るとも知らないでぼ~っと暮らしていた(笑)この間のようでもあり遠い昔だったような気もする。
風の山にも何時も人影が見えて、生活の匂いがしていた。皆山を下りて両親と祖母が残った。その祖母も90を過ぎた頃施設に入り、父も2年前に風の山から消えた。そして今年又祖母も。墓石ばっかり多くなり。母が納骨堂にした。足が悪くなっては上がるのが大変だろうと一段下に下げた。見晴らしの良い場所で何時も行き帰り見ているような気がする。今の時期真っ赤なヤブツバキがぽたぽたと落ちて地面を赤くする。

ヒメカンアオイ何時の時代から有るものだろうか。まだ花が残っていた。
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10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんばんは (ぱぷりこ)
2008-03-05 20:17:27
「地縞」?水に浸けてから縫うの?
生地を〆るということなのですか?
味のある生地ね。

便利が良いと楽している私が言うのも、恥かしいですが自然を守る方々がいなくなったら、野草を見つけそれを伝える人もいなくなったら、と思います。
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今晩は! (cosumosu)
2008-03-05 20:24:55
一寸ご無沙汰しています。最近たまに自分のブログを開けると、変なコメントが2回も入り。消しましたが、困っています。どうしたらいいでしょうか。
今日は昔の懐かしい銘仙や絣等々の生地を見せて頂き私もほっとしています。私の祖母は反物のまま、あの終戦の頃私に良く見せていました。
もんぺは自分で縫っていました。勿論手縫いでした。また頭巾も縫いましたよ。今は昔の面影は何一つ無く
寂しい思いがします。只ずっと以前京都へ行ったとき、時代屋という店があり、そこで古代布を売っていましたので二枚買ってきました。本当に模様が古のもので、額に入れたりすると店の方にお聞きしましたが、まだ箪笥に大切に仕舞っています。何時日の目を見る事やら。でも時々出して、風さんや無いけど私も見て
心を和ませています。古いものには歴史が刻まれて本当に懐かしいですね。









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画像がでない ()
2008-03-05 22:37:54
22時頃まででていたのですが。。。ぱぷりこさん、cosumosuさん、明日ゆっくりコメントさせて下さいね。弥生の所に書いて下さってまーにゃさんも明日ね。やっぱりパソコン買い換え決心しました。
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遅くなりました ()
2008-03-06 09:45:30
>ぱぷりこさん、ぱぷりこさんは、そろそろお伺いしたいなあと思っている頃タイミング良く書き込んで下さるんですよね。ありがとう。

昔は縫う前に良く水に浸けていました。〆ると言えばその通りかもしれません。何でもいくらか生地が縮むんだそうで、そのために水に浸けてから縫っていたようです。これは「地縞」など綿織物だけだったかもしれません。今は技
術も良くなってそう言うことはないだろうと思います。昭和も20年代後半から30年代半ばの話しです(笑)

風の山も誰も住まなくなって、田圃も作らなくなって環境も変わっていけば、今までいた植物も大部消えていくだろうなと思います。私の時代にはなくならないだろうけど、次は分かりませんね。時の流れでしょうけど寂しいです。

>cosumosuさん、こちらも御無沙汰です。迷惑な書き込み黙って消すしかないですね。無作為に器械で選んで送っていると言うのが大変だと息子が言っていましたが、そうでないものもありますね。それも関連がなければ消すだけでしょうね。
今ネットの闇サイトなど問題になっているようですが、なかなか良い案はなさそうですね。実名しか書き込めないと言うことになっても今のように楽しめないのではないかなとも思います。

cosumosuさんのおばあさまは良い物を持っていらしゃったとおもいますが、田舎では嫁入りに持ってきた着物もいくらも着ないで布団になったと言います。
銘仙懐かしい言葉です。モスとか、ネルとか化繊とか言っていましたね。防空ずきんは経験ないですが、今又南海地震に備えて防空ずきんが見直されています。私も縫ってみようかなと思っています。
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私も大好き「です (aki)
2008-03-06 15:09:06
古い布は私も好きでインターネットでたまに買います。先日載せたお手玉の布もそうです。
みなさんの書き込み読ませていただいてると昔の懐かしい言葉や名前が出てきてとても懐かしい思いです。
子供の頃から縫い物が好きで布をよく買いましたがやはり一度水につけてから使っていました。
今では考えられないことが多かったですね。
今、仕事で洗濯方法を説明することがありますが若い方ならいざ知らず、私より年配の人に教える不思議?
防空頭巾は子供が小さい時に学校用に作りました。
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akiさん ()
2008-03-06 21:02:44
こんばんは、akiさんは京都から古布を取り寄せてお人形さんの着物を縫っていましたよね。akiさん子どもの頃から縫い物していたんですか?それでさーちゃん達にも上手に縫って上げられるんですね。

やっぱりきちんとしたものに仕立てようと思ったら、生地を一度湯のしする?昔洋裁の上手な友達がそんな風にしていた気がします。

職場ではただ売るだけでなく手入れの方法などもアドバイスするんですね。なるほど、そう言うことが出来るakiさんは仕事の途切れることがないはずです。年輩でも知らない人いると思いますよ。

防空ずきん、それほど効果があるのかと思うけど、有るとないでは随分違うようですね。本当は防炎の布が良いらしいけど、ないよりまし有るので縫ってみます。
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昔の事 (箱庭)
2008-03-07 08:43:03
私もいっぱい思い出しました。
ネルの寝巻き、何時頃まで着てたやろ。。。
当時はパジャマなんて金持ちの子が着るもんやと思ってた。笑

もんぺは母の普段着で見慣れたすがたやったし、小学校の入学式には母親は羽織ではなく「事務服」という袖の丸くなった羽織り物を着ていたと思う。

なつかし過ぎるぜ。笑

古布は今や持て囃される存在になってますね。
私にはどれが上等なのか安もんの銘仙なのかは分からんけど、こうして昔の事を懐かしむ気持ちが出てくるって事は、それだけ自分にも歴史が出来てるってことやなぁ。

風の山もず~っと先の先には又、人の手の入らん山にかえるのやろうか。。
鹿屋のじいちゃんの山もきっとそうなっていくのかなぁ・・と彦さんも考えさせられたみたいです。
御先祖さんが人生かけて切り開いて耕してきた山の畑も・・と考えると複雑やねぇ。
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箱庭さん ()
2008-03-07 11:15:14
大部温うなったねえ。着物の寝間着には、肩と腰当たりに縫い上げがしてあって、生長に連れてそれを伸ばして着いたぜねえ。着物に直接縫いつけた紐を袖の所(ミヤツグチいうたろうか)から通して後ろに回して後ろでくくったらのうが悪い(着心地が悪い)き前に持ってきてくくりよった。
そんなことから紐の結び方も覚えたねえ。

入学式母がどんなものを着ていたか記憶にないがです。勿論その頃カメラもないし記念写真もない(涙)新学期になってから明日は記念写真の撮影ですと言うたら、普段は仕舞ってある、よそ行きの服を着せて貰って学校に行ったことを思いだします。まあ普段とそう変わったこともないけんどねえ。言うことを忘れてネルのもんぺで撮した写真もある(汗)

もう一回子どもの頃からやり直しも嫌ややし、子どもにも戻れないけど、こうして子ども時代のものを見るのは何となく好きやねえ。60年立派な歴史ぜねえ。

手間暇かけて作った田畑が又山に帰っていくそれも自然やろうかねえ。今のうちに野山の自然を楽しんでおきましょう。
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古い布にしかないよさ (ジョルジュ)
2008-03-08 18:38:02
風さん、お裁縫は苦手な私ですが 布は好きです。
そして今 ちょうど
白州正子さんの昭和37年に出された本が 文庫になって再販されたのを
読んでいるところで、
絣や銘仙なども いいものが 安いものに駆逐されそうなのを
白州正子さんが 悔やみ、惜しんでいます。

かつて イバラキには 凝った絣のもんぺ生地がたくさんありました。
母の実家の会津には 伝統的な縞のもんぺばかりでしたので
‘あねさま’に買ってやりたい、と 呉服屋に行って探したら
時代が移り変わってしまって もんぺ生地なんて ろくなのがなくて
がっかりして帰って来たのを覚えています。
昭和40年代も半ばか 後半だったかと思います。

おそらくは まがい物ではなく 本当の本物、
お婆さまの形見、大切になさってくださいますように。
羽織の裏に使ったら素敵かも?と思うのがありますね。
いや、訪問着でしょうか。
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ジョルジュさん ()
2008-03-08 23:06:42
私も布は好きなんですが、手先はせんばんです(大したことはありません)母や祖母は器用に縫い物をしていましたが、そんな遺伝子は引き継が無かったみたいです。

ジョルジュさんは本当日本を良く読まれますね。白州正子さんお名前だけ聞いたことがあるようなないような。。。文庫本なら場所も取らないし買ってみようかな。

農家のユニホームもんぺ、ちょっとした柄の違いなどでおしゃれを楽しんでいたのかもしれないなあと思いながらジジマの柄を見ています。イバラキや会津の織物は又こちらとは違った柄の織物だったでしょうね。
今昔の柄を真似てプリントした生地が売られていますよね。
祖母のものは良いものではありませんが、その時代のもの懐かしいです。忘れるくらい着物を着ていません。

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