ちあの散歩道

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映画「蕨野行」(わらびのこう)をテレビで

2009年09月28日 | 映画・芝居・芸術など
NHKハイビジョンで9月27日放映された「蕨野行」(わらびのこう・2003年恩地日出夫監督作品・村田喜代子原作)を観ました。
主演は市原悦子さん、清水美那さん 。他に石橋蓮司  、中原ひとみ 、李麗仙 、左時枝さんなど実力派の俳優さんたちで脇が固められています。

あらすじは、60歳を迎えた者はそれまでの村での身分に関係なく蕨野という原野に送り出され、そこでは作物を作ることも許されず、野にあるものを食し、里に下りてその日の食料の恵みを受けることでのみ命をつないで行くという村の掟の中で生きる、いわば死と隣り合わせの中で老いた者同士が命尽きるまで暮らすという設定。

姑レン(市原悦子)と嫁ヌイ(清水美那)との交流が、まるで詩を詠うような抒情に満ちた言葉の韻の美しさを通して語られ、里山の静謐な風景とともに物語りが展開して行きます。
2時間もの上映(放映)時間を忘れるほど強く画面に引き寄せられ観続けました。

飢饉に苦しむ人々の口減らしのための知恵とでもいうべき村の掟。不文律の中で代々その掟を守り継ぎ、蕨野の生活の中で、“生きるとは?”、“死ぬとは?”と、家族とのあり様や家族を超えた一個人として到達する死生観をあぶり出し、それを通した人生観をも描き出します。
この世とあの世の境界ともいえる死の際(蕨野)に住むジジババたちの所作や会話が中心となってドラマは進行します。
里に下りてモノを乞うことは乞食行さながらですが、歩行が困難になったり身体の不調が起こると里に行くことも出来ず、死を待つことになります。
季節が移り、雪深い冬を迎えると飢えと寒さに凍え、生命の淘汰ともいえる試練の中で死出の旅への出立となり、蕨野は家族に看取られることや弔われることのない墓場となります。

貧しく飢饉に苦しむ当時の日本。
今もそれらしき風習の名残を映す祭りなどが残っている地域があり、その祭りの中では撮影や記録が禁止されていると、土俗的な祭りを訪ねたカメラマンや映画監督に直に聞いたことがあります。

その前日に観たNHKアーカイブス「冬構え」(1985年作品・笠智衆主演・山田太一脚本)の中での笠智衆演じた70代の老人の姿にも心を打たれました。

それにしても今の私の年齢は、当時口減らしの対象となった老婆(ババ)なのですね。

ちなみに村田喜代子さんの原作「蕨野行」はさっそくアマゾンで頼みました。映画とは違い文字だけの文学の世界で原作はどう描かれているのか楽しみです。
独特の節回しと文体で異界ともいえる世界を描き出す村田文学。
村田喜代子さんの「耳納山交歓」を読み、村田ワールドにどっぷりと浸りましたが、「鍋の中」は本を取り寄せたものの積読状態です。早く読み終わらなければと思います。

黒澤明監督作品の「八月の狂詩曲」(1991年)は、村田喜代子作「鍋の中」が原作だということも調べていて知りました。
「八月の狂詩曲」は当時上映開始とともに熱狂的な黒澤ファンに誘われて映画館で観ましたが、難解な映画だなあと思ったくらいであまり印象にありませんが、「鍋の中」の映画化だと知って驚いています。今の私の、年齢を重ねた視点で観るとまた違った感想を抱くのかも知れないと思います。

何だか知れば知るほど知らないことがいっぱいです。
「灯火親しむ秋」ですね。しのぎやすくうれしい季節です。