ちあの散歩道

輝いてアラカンヌ☆ありがとうの言葉を添えて暮らしのドアをそっと開けると今日も豊かな感動と新しい気づきが待っています。

「大地の芸術祭・妻有アートトリエンナーレ2009」⑥終りの章

2009年09月07日 | 



「大地の芸術祭・妻有アートトリエンナーレ2009」の観賞ツアー2泊3日の旅程の中で350枚の写真を撮りました。そのほんの一部をブログでご紹介しましたが、これで終わりにしたいと思います。
お付き合いくださいましてありがとうございました。

 
 
 

(写真上 「光の館」 ジェームズ・タレル)

宿泊できるアート作品として、一度は泊まってみたい「夢の家」と「光の館」。
今回は「光の館」の見学ができました。
和室に寝転がって天井を見つめていると、四角く切り取られた屋根が徐々にスライドし、開いて行きます。刻々と変わる空を見ているうちに、空を見下ろしているような錯覚に捉われました。高級旅館を思わせる落ち着いた設えの中に人工光・自然光が彩成して行く幻想の空間です。



広大な里山に広がる棚田、廃屋や廃校となった家や学校をリノベーションすることそのものがアート作品として甦った里の家や過疎地の学校、さらにそこに展開するアーチストのアート作品の数々は、都会の美術館などには収まりきれない得も知れぬ存在感を観るものに与えます。

 



バスの車窓から見た畑や田んぼ、公園の中に点在する作品は行政のポケットパーク事業として建てられたものも多く、それらの背景を持ち作品を際立たせるには都会の雑踏の中では不向きだなあとも思いながら見つめました。

 
 

集落には村ごとに小さな神社が点在し、手入れの行きとどいたその佇まいの美しさにも感動しました。
「この地域の神社だけを撮って歩いているカメラマンの方がいますよ」と教えて下さった地元の方もいました。
次回はそれらが作品として展示されるのかしらと、そうであればぜひ観てみたいと思いました。

 
  
 

(写真上 ポチョムキン カサグランデ&リンターラ建築事務所・フィンランド

「静謐で美しいもの、そしてサスティナブルなそれらのものは、都市がキャパシティを持たなくなってきている以上、都会の人たちが求め、また妻有の人たちも求めている」と説明を受け、そういう意味ではこの地に彷徨う旅人の私たちはお遍路さんかもしれないなあと思いました。
環境という視点でとらえたとき、作品「ポチョムキン」は力を感じました。
ゴミの不法投棄場となってしまったかっての子供の遊び場が静かな落ち着いた場所として生まれ変りました。ブランコがあり、見渡すと川のせせらぎがあります。

 

 
 

 
 
 

作家さんのお国柄により、民族の違いをあらわす楽しい作品もたくさんありました。
「お菓子の国」のような外観を持つ「かささぎたちの家」は韓国のキム・クーハンの作品です。
きのこのようなわらぶきの穀物倉庫を想わせる家は「戦後のラブレター」(キドラット・タヒミック フィリピン)です。

広範な地域を駆け巡り、個人で行っていたら、その遠さにあきらめて引き返していたかもしれないと思う場所や作品もたくさんありました。
ツアーの良さで、団体行動の中で、最後まで作品探索が出来たことを心より感謝しています。
お天気にも恵まれ、際立つ空の青さや雲の白さ、風の優しさ、花々の色の鮮やかな清浄さ、そして食べ物のおいしさ、トマトはトマトの味が、キュウリはキュウリの味がするという当たり前のことさえも失ってしまいつつある都会の暮らしをする旅人の私たちには多くのことを立ち返らせる巡礼地のようなふところの深さがある場所でした。



 

(写真上 「最後の教室」 松之山旧東川小学校)
この作品は、私が大好きなもののひとつです。2006年に続き2回目の訪問にも飽きることのない場所です。
人気のない静かな学校、幕を張られた中に入ると、そこはかっての講堂です。目が慣れるまでしばらく時間がかかります。照明は裸電球、床には藁が敷き詰められ、草の匂いがします。人がかって居たことの証しのように木の長椅子が配置され、背丈の低い昔ながらの扇風機が何台も回っています。何かに揺り動かされ涙が出そうな場所です。寂しいけれど無性に懐かしい温もりのある空間。暗がりの中、視覚の制限を受けて、聴覚に訴えてくるものがたくさんありました。

…………

そして、そして……。
来年は「直島」を視野に、スタディツアーを企画して下さるというお話もちらほら。
ぜひぜひ実現してほしいなと思っています。
素敵な参加者の皆さんとともに過ごせたことも、とてもうれしいことでした。
よいご縁をいただき、ありがとうございます。感謝。