クラージュせたがや ~Courage Setagaya~

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仰木彬 元近鉄・前オリックス監督のまさかの死去

2005-12-16 00:56:20 | 趣味(サッカー以外)
木曜日、23時半過ぎに帰宅するや否や
「仰木彬氏死去」のニュースを知った。
まさか・・・
ほんの3ヶ月弱前まで監督やってた方なのに・・・
スポーツニュース「すぽると」を見る限りでは
既に9月頃から練習時間に通院したりしていたようではあるが・・・


仰木氏は1935年4月29日、福岡県生まれ。
現役時代(54年~67年)は1328試合出場、打率2割2分9厘70本塁打で
成績自体は飛びぬけて素晴らしいものではなかったようだが
この間に故・三原脩監督から監督業の営み方を直伝されたのが
引退後に大きく活かされた。
(捕手業における、野村克也と古田敦也の関係のようなものか)


コーチ業を経て、88年に近鉄バファローズの監督に就任。(~93年)
この6年間、近鉄は西武と並ぶパ・リーグの強豪チームであった。
リーグ優勝こそ89年のみであったが、
近鉄は野茂をはじめ好選手を多く抱えるチームであったし
その選手たちが仰木監督の下でいきいきとプレーしていた。
近鉄球団と聞くと私はやはりこの時期を最初に連想する。
しかし仰木監督が去った後の近鉄はやがて野茂にも出て行かれて
しばらく低迷を余儀なくされる。

94年にはオリックスブルーウェーブの監督に就任。(~01年)
鈴木一朗の卓越した才能を見抜き、
彼を「イチロー」の名前で売り出したのは仰木監督だった。
イチロー、田口、長谷川といった現メジャーリーガーを
はじめとする好選手を見出し、かつ率いて
オリックスをリーグ優勝2回(95年、96年)
そして日本一1回(96年)に導いた。

今年、仰木氏は合併球団オリックスバファローズの監督に就任。
合併前の近鉄・オリックス両球団をリーグ優勝に導いた実績から
その手腕だけでなく合併球団のシンボルとしても期待された。
尤も、1近鉄ファンとしては
仰木監督がこのチームを率いているというのには
少しは惹かれるところがあったが
いざそのチームを見てみるとやはり応援する気にはなれなかった・・・
監督としての通算成績は
1856試合で988勝815敗54分、勝率5割4分8厘。

この合併球団の監督からは健康面の理由から今年9月末限りで退いたが
球団には「シニアアドバイザー」として残り
魅力ある球団づくりに余生を尽されるはずだったが・・・


仰木氏は確かにお歳を召してはいたが
氏でないとできないことは野球界とりわけ関西の野球界では
まだまだ多かったはずだ。
享年70歳。
非常に悔やまれる死だが、
心からご冥福をお祈りします。