以前にも書いたのですが,現在,「LAW&ORDER」というアメリカドラマにハマっています。
「LAW(法)を守るのは警察,ORDER(秩序)を守るのが検察」というテーマで作られた
刑事&裁判,のドラマ。
このドラマで,とくに気に入っているのが,裁判の部分です。
どう考えても,あの人が殺人犯だろう,と思っても,
証拠がなければ無罪になることが,
このドラマではしばしば描かれています。
警察側が提出した証拠も,「法的」に認められる証拠でなければ,明らかに犯人だと示す証拠でさえ,証拠になりません。
そういう状況を見ると,「あいつが明らかに犯人なのに,証拠がない,という理由だけで無罪とはおかしい!」と
怒る方もいらっしゃると思います。
でも,私はそういう状況を見て,心が救われることがあります。
小5のときにいじめられたとき,
私は「悪い奴」というイメージをもたれ,それが「いじめ」に発展しました。
私をつぶそうとしたある人物が,私と仲の良い子に,私のあることないことを話し,
次第に,友人(当時)たちは,私に悪い印象を持ち始めました。
「あの子は,裏で,私たちを馬鹿にして悪口を言っているらしい」とか
「あの子は,人によって態度が違う」とか・・。(・・だと推測しています。)
実際に,私は悪口なんて言ってないし,態度だって変わらない。
だんだんと,友人たちの中で,私は「悪い奴」になりました。
彼女たちには,目の前にいる私の行動は,表面上のもの,だと思い込んだのです。
目の前の私より,「うわさ」を信じたのです。
彼女たちは,「悪いやつを倒す正義の味方」として,私を倒そうとしたのです。
しかし,それは「いじめ」です。
結局,私は弁解の余地を与えられないまま,「悪いやつ」のまま,残りの小学校生活を過すことになりました。
私が「悪い奴」と,誰もが思っても,
そこには確たる証拠はなかったですよね?
証拠があるからいじめていいわけではない(いじめそのものが絶対ダメ!)けれど・・。
「LAW&ORDER」では,証拠がなければ「無罪」です。(もしくは減刑)
だったら,
私も,あのとき,「悪い奴」という犯人として友人たちに捕らえられたけど,それは,違法捜査であり,冤罪であったのだと。
人は,自分が一番心地よい真実や,自分のイライラを解消するためのでっちあげの真実を,「真実」とすることがしばしばあります。
小5という,自我の目覚めを始めたころ,というのは,「自分」の嫌な部分が見えてきたり,他の子との差が見えてきたりします。
その嫌な部分や他人との差を受け入れるのは,そうとうな精神力が必要。
なので,小5の時期には,その受け入れがたい自分の嫌な部分を認めたくないために,他人を「悪者」にすることがあるのだと。
他人が「悪者」なら,その「悪者」をこらしめる自分は「正義の味方の良い奴」なんです。
私は,当時の彼女たちの格好の餌食だったのでしょう。
今でも,彼女たちがやったことは許せません。
でも,もう,この「いじめ」の証拠は,私の記憶の中でしか存在しません。
だから,私が彼女たちを罰することもできません。
でも,それで良いんです。
同じルールの下,私は生きていく。
彼女たちはルールを犯した。でも,その証拠は今はない。
彼女たちを許せないけど私は,「ルールを破らない」よう生きたいです。(無意識に破っていたら,本当に申し訳ないのですが・・)
それが,せめてものプライドです。
※こちらはあくまで私個人の意見で,特定の人物や事件を非難したものではありません。
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