時は1947年のカリフォルニア・パサディナのライヴハウスへタイムスリップ。
ジャズの歴史的名盤は数あれど、これはその中でも〝チョー〟が付くほどの決定版である。
この作品を知らずしてジャズは語れない(語ってもいいけど、ジャズファンとしてはちょいとなさけない)。
このアルバムはもちろんライオネル・ハンプトンのリーダーアルバムだが、彼はタイトル曲の1曲にしか登場してこない。
実際は何曲も演奏を行ったのだが、それはレーベルの違う3枚のレコードに分けて収録されており、その3枚全てを聴かないとその日の全容が掴めない。つまりそれぞれのレコード会社がバラバラに曲を買い取ってレコード化したためにこんな結果となったのだ。
このへんが何ともレコード業界のいやらしいところではあるが、それくらいこの日の演奏がすばらしかったということなのだろう。
私はこのレコードからジャズの楽しさをいくつも教わった。
まずウィリー・スミス(as)やチャーリー・シェイバース(tp)のユーモア精神である。
あの唸るような吹奏から、ジャズはいかにリラックスすることが重要か、観客との一体になることが重要かを教えられたのだ。
パフォーマンスといえば、続くスラム・スチュアート(b)によるアルコとハミングの合わせ技の妙技にも恐れ入った。こんなベース弾きのスタイルは生まれて初めて聴いた。
これは実際に聴いてもらうよりわかってもらえる手だてがないが、これが実に快感なのだ。お陰で私にとってこのアルバムイメージは、彼のハミング色で染まっているといっても過言ではない。
そして極めつけがラストで転がるように登場するライオネル・ハンプトンの硬質ヴァイヴである。
もともとはドラマーだったということが証明されるような強力なマレットさばきと、次から次へと溢れ出るアドリヴ。いやはや文句のつけようがない。正に息を飲む入魂のプレイである。
これは歴史を超えて今なお輝き続ける名盤だ。
やっぱりこれを聴かねばジャズは語れない。