SENTIMENTAL JAZZ DIARY

感傷的ジャズ日記 ~私のアルバムコレクションから~

WYNTON KELLY 「KELLY BLUE」

2008年12月13日 | Piano/keyboard

外で聴くジャズと家で聴くジャズは違う。
このところは家にいるとヨーロッパ系のピアノトリオなんかをターンテーブルに乗せる回数が多い。
本当はそうでもないのもしれないが、あくまでイメージするとそんな気がしてくるのだ。
実際家ではジャズ喫茶のように大音量で聴くことが難しいというのがその理由かもしれない。
だからといってヘッドホンなんかで聴きたくない。難聴になる原因だし、何よりヘッドホンだと音を身体で受け止めるという醍醐味がない。ただ単に音がでかければいいというものでもないのだ。
だから自ずとかけるジャズはおとなしめのものになってくる。
しかしそんな毎日を過ごしていると、やっぱりジャズは大音量でなければダメだ!という感情がむくむくと頭を持ち上げてくる。
で、おもむろにかけるアルバムはというと、バリバリのハードバップである。
このハードバップ・ジャズは大音量で聴いてナンボのものなのだ。
私にとってのジャズ喫茶は、そんな欲求を満たすためだけにあるといってもいい。

このウィントン・ケリーの代表作「KELLY BLUE」は、正にジャズ喫茶の花形だった。
マイルス・クインテットの「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」やジャズ・メッセンジャースの「モーニン」等と並び、ジャズ喫茶で最初に思い浮かぶアルバムがこれだ。実に当たり前なことを書いているが、このアルバムからはジャズ喫茶で出される珈琲の匂いがするといっても過言ではないのである。
1曲目のイントロを聴いただけでぞくぞくする。ケリーはもとより、ポール・チェンバースのかっこよさにもノックアウトされた。
さらに2曲目の「朝日のようにさわやかに」。この水がしたたり落ちるようなシングルトーンがたまらなかった。
この曲はソニー・クラークの演奏が有名かもしれないが、私は断然ケリーの演奏が好きだったし、この曲のベストがこれだと今でも思っている。
この曲はピアノトリオで演奏されているが、明らかに今流行りのヨーロッパ系の音とは違う。大音量で聴きたいピアノトリオなのだ。
だからこれが気持ちよくかかってさえすれば、そこはちゃんとしたジャズ喫茶なのだった。
私にとってのジャズ喫茶はアメリカそのものなのである。