久々にプロレスについて語る。
現在はストーリーや舞台設定(アングル、ブック)があることが知られ、勝敗などのケツもほとんど最初から決まっていること(ケツ決め)、そして、相手の魅力を引き出すこと(受け、セール)も公然の秘密ですらなく公開も同然で、スポーツとしての権威は地に落ちてしまった感がある。
しかしながら、総合格闘技やK-1もすっかり人気を落とし、プロレスのほうがまだ人気面では踏ん張っていると聞いている。
私は野球とサッカーのファンだった間にプロレスファンでもあったので、いろいろな裏話を見聞きしていた。ミスター高橋氏の書籍が出る前に「週刊ファイト」「東京スポーツ」「プロレス365日」とか故・梶原一騎氏原作で残酷極まりない描写の「新・カラテ地獄変」(それでも4年前に、とある食堂で読んだレディースコミックの描写よりはましだったが。恐るべし・・レディースコミック・・・)を読んでいれば、プロレスの何たるかはうすうす伝わっていた。
馬場さんは善人で、猪木は金のためなら何でもする極悪人という見方も皮相的であることもわかった。猪木が第一次UWF設立時に新間氏や浦田氏、ラッシャー木村選手・前田明選手(UWF移籍時から「前田日明」に)らを裏切り、UWF移籍の約束を反故にし自分だけ新日本に留まったことも知っている。
だから、第一次UWF崩壊後、新日本に復帰参戦したUWF勢を応援し、前田日明選手が猪木を関節技やキックでリング上で見せしめに半殺しにすることを期待していたこともある。ただ、彼らの格闘スタイルや客に「わからない奴は見に来るな」という態度には憤りを感じ、この頃から観戦熱は醒めていった。この頃からはブロディ新日本参戦と小川VS橋本戦しか注目していなし記憶にない。
馬場・全日本のタイトルであったPWF本部の場所、とか、猪木・新日本のタイトルであるIWGP(設立当時は争奪戦の大会)の日本以外の予選の実態についても、プロレス・マスコミぐるみで隠蔽されていた。
アメリカプロレス界がショーとして開催・運営されてずいぶんと長い年月がたつのに(ルー・テーズの時代にはとっくにショーになっていたのとこと)、善玉の日本人レスラーの対抗として不可欠な人材を多く頼ってきた日本のプロレスが完全な真剣勝負(この場合、相手の攻撃を可能な限りかわして自分の攻撃を対戦相手に容赦無くぶち込むこと)というはずが無い。
ただ、私もアマレスリングにヘッドロックやら関節技を加えただけの競技ではショーとして極めてつまらなくて金も稼げず、不具や負傷の危険も高いので、致命的な攻撃の禁止や技の交換義務が選手間において"暗黙の了解"があり、タイトルマッチなど重要な試合だけは試合結果を決めていないと誤解していた。
UWFを経て総合格闘技・K-1へ真剣勝負に回帰するものと、それらが絶大な人気を博していたとき、多くの人達は信じていたようだが、それならば、そもそも、「プロレス」自体が誕生することなく、ボクシングと同様の競技スポーツで運営していけたはずと思っていたので、その考えは間違っていると当時から思っていた。単に見た目に新鮮だっただけである。
プロレスの復興策は万策尽き果てた感があり、今後は細々と日本人を主体としたチンケな旅芸人の舞台演芸としてやっていくしかないだろう。
安価なブッキング料で良心的だったかつてのWWF(現・WWE)のような国外の協力団体が無い限り、スケールの大きい国際色豊かなものは二度と見られないだろう。
しかしながら、あえて復興策を考えるなら、以下の方針が必要だろう。
○業界全体でアウトロー性、ドロップアウトの雰囲気を醸し出すこと
○対戦の評価をなんとか採点できるよう試合判定基準や裁定機関の設定
○競技性保持や選手の新陳代謝促進のため、全公開でなくても良いからアマレスリングを基本とした各種競技会を年1,2回開催すること
○プロモーターの書いたシナリオに完全に沿うのでなく、参加選手や他の圧力団体(笑)
の横槍や筋書き変更等の仕組みを確立し、それらを克明に記録して、公開レベルに応じて一定期間後に公開すること
実現可能性は極めて低いが、例えば、国全体や特別区域内で「プロレスラー」認定されたら、特権(相手を負傷させても罪に問われない、大麻・ストロイドなど禁止薬物が使用できる等)が与えられる代わりに、人権が制限される(決闘で死んでも相手に殺人罪適用なし)
馬場-猪木が心底反目していたか疑問に思っている。興行人気が無く潰れそうだった全日本を皮肉にも活性化したハンセン移籍に代表される外国人引抜合戦や長州ら維新軍団電撃参戦は、トップシークレットで両者が合意していたシナリオでなかったか。妄想なら良いが今更どうでも良いことである。
(本日はここまで 1/29)
現在はストーリーや舞台設定(アングル、ブック)があることが知られ、勝敗などのケツもほとんど最初から決まっていること(ケツ決め)、そして、相手の魅力を引き出すこと(受け、セール)も公然の秘密ですらなく公開も同然で、スポーツとしての権威は地に落ちてしまった感がある。
しかしながら、総合格闘技やK-1もすっかり人気を落とし、プロレスのほうがまだ人気面では踏ん張っていると聞いている。
私は野球とサッカーのファンだった間にプロレスファンでもあったので、いろいろな裏話を見聞きしていた。ミスター高橋氏の書籍が出る前に「週刊ファイト」「東京スポーツ」「プロレス365日」とか故・梶原一騎氏原作で残酷極まりない描写の「新・カラテ地獄変」(それでも4年前に、とある食堂で読んだレディースコミックの描写よりはましだったが。恐るべし・・レディースコミック・・・)を読んでいれば、プロレスの何たるかはうすうす伝わっていた。
馬場さんは善人で、猪木は金のためなら何でもする極悪人という見方も皮相的であることもわかった。猪木が第一次UWF設立時に新間氏や浦田氏、ラッシャー木村選手・前田明選手(UWF移籍時から「前田日明」に)らを裏切り、UWF移籍の約束を反故にし自分だけ新日本に留まったことも知っている。
だから、第一次UWF崩壊後、新日本に復帰参戦したUWF勢を応援し、前田日明選手が猪木を関節技やキックでリング上で見せしめに半殺しにすることを期待していたこともある。ただ、彼らの格闘スタイルや客に「わからない奴は見に来るな」という態度には憤りを感じ、この頃から観戦熱は醒めていった。この頃からはブロディ新日本参戦と小川VS橋本戦しか注目していなし記憶にない。
馬場・全日本のタイトルであったPWF本部の場所、とか、猪木・新日本のタイトルであるIWGP(設立当時は争奪戦の大会)の日本以外の予選の実態についても、プロレス・マスコミぐるみで隠蔽されていた。
アメリカプロレス界がショーとして開催・運営されてずいぶんと長い年月がたつのに(ルー・テーズの時代にはとっくにショーになっていたのとこと)、善玉の日本人レスラーの対抗として不可欠な人材を多く頼ってきた日本のプロレスが完全な真剣勝負(この場合、相手の攻撃を可能な限りかわして自分の攻撃を対戦相手に容赦無くぶち込むこと)というはずが無い。
ただ、私もアマレスリングにヘッドロックやら関節技を加えただけの競技ではショーとして極めてつまらなくて金も稼げず、不具や負傷の危険も高いので、致命的な攻撃の禁止や技の交換義務が選手間において"暗黙の了解"があり、タイトルマッチなど重要な試合だけは試合結果を決めていないと誤解していた。
UWFを経て総合格闘技・K-1へ真剣勝負に回帰するものと、それらが絶大な人気を博していたとき、多くの人達は信じていたようだが、それならば、そもそも、「プロレス」自体が誕生することなく、ボクシングと同様の競技スポーツで運営していけたはずと思っていたので、その考えは間違っていると当時から思っていた。単に見た目に新鮮だっただけである。
プロレスの復興策は万策尽き果てた感があり、今後は細々と日本人を主体としたチンケな旅芸人の舞台演芸としてやっていくしかないだろう。
安価なブッキング料で良心的だったかつてのWWF(現・WWE)のような国外の協力団体が無い限り、スケールの大きい国際色豊かなものは二度と見られないだろう。
しかしながら、あえて復興策を考えるなら、以下の方針が必要だろう。
○業界全体でアウトロー性、ドロップアウトの雰囲気を醸し出すこと
○対戦の評価をなんとか採点できるよう試合判定基準や裁定機関の設定
○競技性保持や選手の新陳代謝促進のため、全公開でなくても良いからアマレスリングを基本とした各種競技会を年1,2回開催すること
○プロモーターの書いたシナリオに完全に沿うのでなく、参加選手や他の圧力団体(笑)
の横槍や筋書き変更等の仕組みを確立し、それらを克明に記録して、公開レベルに応じて一定期間後に公開すること
実現可能性は極めて低いが、例えば、国全体や特別区域内で「プロレスラー」認定されたら、特権(相手を負傷させても罪に問われない、大麻・ストロイドなど禁止薬物が使用できる等)が与えられる代わりに、人権が制限される(決闘で死んでも相手に殺人罪適用なし)
馬場-猪木が心底反目していたか疑問に思っている。興行人気が無く潰れそうだった全日本を皮肉にも活性化したハンセン移籍に代表される外国人引抜合戦や長州ら維新軍団電撃参戦は、トップシークレットで両者が合意していたシナリオでなかったか。妄想なら良いが今更どうでも良いことである。
(本日はここまで 1/29)