無精髭

無精者の日記です

驚きの声明ー民主主義日本でこんなことがまかり通るのか

2014-10-16 22:23:19 | 日記

 数日前の報道でいささか恐縮なのですが、東北電力が10KW以上の太陽光発電の買い取り中止を発表しました。 その理由は、太陽光発電の増加によって停電や周波数の不安定をもたらす、送電線網の容量をオーバーするというものです。  あれれ・・そうなんですか、たしかに今までと比べると目立つのが太陽光発電なのですが、果たしてそうなの?と疑問を感じて調べてみると、電事連が公表しているデータをみてビック、エエー !! このデータを見て皆さんはどうおもいますか?

 

 このデータを見てほしい総発電電力量に対して新エネルギーの割合が1.6%なのです。   この発電量が電源供給を脅かす発電量なのでしょうか?   確かに太陽光発電は日中に限られています。 新エネルギーのすべてが太陽光発電だとして実質発電時間が9時から4時としましょう。 7時間に発電が集中しますから単純に考えれば日中の発電割合は約3倍になります。 1.6x3=4.8%です。  4.8%の発電量が全電力の安定供給にどれほどの影響をおよぼすのでしょう。 しかも電力の使用量は平日の日中にそのピークがあり、1年のピークは真夏の最高気温にあるのです。 真夏の最高気温の日はおそらく晴れでしょう。 つまり一番電力がほしいときが太陽光発電が一番活躍するときなのです。 こんな都合の良い太陽光発電をもっと増やすべきではありませんか。  電力各社と政府は原子力発電の再稼働がないと電力料金が高騰すると国民を脅していますが原発がいかに高くつくかを想像しない国民は少数派でしょう。 全く発電しない高速増殖炉、いまだに稼働できない再処理工場、自治体対策の裏金、それぞれに兆円単位の経費が費やされたばかりか、ありえないはずの原発のメルトダウン事故による損失は金銭に変えられない国土の喪失、住民をおそった悲惨な現状をもたらしました。まともな感覚をもった人間なら子や孫のために原発をなくそうと考えるのが当たり前ではないでしょうか。

 原発事故が起こる前まで電力各社は夜間電力の有効利用を喧伝していました。 実はこれこそが原発の弱点でもありました。 ソ連のチェルノブイリ事故が起こった原因を思い出してください。 彼らは原発の出力調整を試みていたのです。 いらない夜間電力は出力を下げたい、しかし原子力発電が安定的に運転できるのは定額出力時なのです。  原発は一旦発電をはじめれば定額出力で運転を続けるのが安全運転なのです。 有り余った電力をどう使ってもらうかが電力各社の課題でした。 水力発電は本来安価な電力の代表です。 なんせ燃料は雨で無料なのです。 電力会社はこの優等生の水力発電に思わぬ重荷を背負わせました。 揚水発電です。 原子力発電の使えない夜間電力を揚水に使い、電力が不足した時に落水して発電しようというわけです。 これはこれでいいのですが、このときに水力発電に原発の濡れ衣を着せられたのです。 揚水発電は下流の水を一旦高い水源地に揚水して必要な時に落水して発電するのですから揚水する電力は無駄になります。 無駄を承知で揚水しなければならないのは、いらない電力を無駄に発電し続ける原発のためです。 それなのにこの経費はなんと水力発電の経費として計上されているのです。  金食い虫の原発の発電経費がここでもごまかされています。  

 こんなごまかしに私たちはだまされてしまうのでしょうか? TVではまことしやかにヨーロッパで自然エネルギーが増えすぎて政策変更が進んでいるなどとコメンテーターがはなしていますが、ちょっと待ってと言いたくなります。 ヨーロッパの自然エネルギーの割合を見てください。 電力の20~30%にもなっているのです。  日本では何%になったのでしょう。 水力を足してやっと10%の自然エネルギーなのに見直しなのですか? むしろもっとスピードアップする必要があるでしょう。 原発震災ご3年と数か月なのになぜ電力各社はこんな非常識な発言ができるのか驚くばかりです。 民主主義とは結局金権主義でしかないのでしょうか。 未来の子供たちのためにも現在を生きてきた私たちの良心に照らしてもこの異常な政策変更を許すことはできません。

 電力各社で働くみなさん、このままでいいのですか? 電力は全国民の生活を担っています。 電力なしでは今や生活も生産も成り立ちません。 しかし巨大化した電力は今や私たちの生活を根底から破壊する原発という怪物をつくってしまいました。 しかし皆さんの努力で原発ゼロで生活ができています。  原発再稼働に費やす資金やエネルギーを将来を明るくする自然エネルギーへの転換に投資しませんか? 人生一度きりです。 世界史に残る原発震災を経験した私たちはどんな選択をしたのか歴史に刻まれるときを私たちは生きているのです。