Pa'Lante!(パランテ!)

ジャズじゃ、ロックじゃ、サルサじゃ、ソウルじゃ、ファンクじゃ、歌謡曲じゃ、ジャージャー。

ワタシの音楽遍歴~そのホネグミのパート1

2005-07-05 23:50:00 | オンガク道
何か、ココ数日gooブログが重くてのぉ。
今日はマトモな更新ができるか、ココロモトないんで、消えても良いブンショー(ワタシの音楽遍歴~そのホネグミのパート1)で、お茶をニゴスのよ。みょ~ん。

はい、ハジマリマス。

ワタクシは、1969年11月、ソ連の影響下にある、ホッカイドウ州トカチ県カミシホロ(上士幌)・ヴィレッヂに、コミンテルンの密命を受けていたかもしれない(嘘)中学教員のチョーナンとして生まれた。当たり前のようにヒョーテンカの日に生を受けたので、物理的に寒カッタ。ダカラ、人生も寒くなった。(ほんとけ?)

時はウツロイ、バショもハコダテに移り、ソ連からミグ戦闘機が飛んで来た1976年秋、ピンクレディの「ペッパー警部」に初めて音楽的ショックを受ける。小学一年生である。ちなみにラジオであったので、見た目の色気は関係ない。(と思ったのも束の間、実はその数ヶ月前、田中星児「ビューティフルサンデー」に音楽的衝撃を受けていた事を、たったイマ、思い出した!なお、リアルタイムで初めて覚えているポップミュージックは、さらにさかのぼるコト数週間、「木綿のハンカチーフ」でアリマス。と、思ったのも束の間、1973年の山本リンダを映像付きで覚えている事にたったイマ、思い当たりました!・・・オレの音楽的ジンセイの最初は山本リンダだったのネ!道理デ!)

1977年秋、沢田研二「憎みきれないろくでなし」、野口五郎「風の駅」と、初めて自分のコヅカイでドーナッツ盤を購入。(アネはキャンディーズの「わな」とか買ってたな。)

この前後よりHBCラジオの「ベストテン北海道」(月~金 16:00~18:00?)で、ヒットチャートにかぶり付く。(ありがとう、DJ・ミスター・デーブマン!)ちなみに、この番組が当時のホッカイドウの少年少女に与えた影響は、ブレジネフ書記長と比較してもトンデモナク大きい。現在30代後半の北海道出身の人間で、この番組のお世話にならなかったと言える者は、ジョウダン抜きで皆無に近いとオモワレル。デーブマンに最敬礼!!!(追記2005/7/10:ワタクシ知らなかったんですが、その後も、パーソナリティは交代しつつ、ず~っと番組は続いているようです。今も!!!それもまたスゲェエエーーーッ!!!)
この頃のワタクシのキーワードとなるヒトビト→野口五郎、キャンディーズ、太田裕美、岩崎宏美、西城秀樹、松山千春、アリス、ゴダイゴ、庄野真代、渡辺真知子などなど。時代が分かるべ?

1978年、自分のコヅカイで初めてLPを買うた。「交響組曲宇宙戦艦ヤマト」(1977)でゴザイマス。(コレは今のワシの耳で聞いてもホントにスバラシイ。流石に、ジャパン歌謡界の超弩級大物・宮川泰氏の作品でアリマス!)

というコトで、70年代後半から80年頃にかけてのワタクシは、チャートに敏感な(というか、年の割に良く知っていた)クソガキであった。井上望だって覚えてるゼ!
しかし、ビミョーに一時期、ポップミュージック外のオンガクにキョーミを示す2年ホドがあったのでアリマス。危うし、ピンクレディー!危うし、ニッポン歌謡界!(つづく)

というコトで、次回はイツになりましょうね?

コメント (2)
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