「ペルソナ手法」の報告を受け、すこし議論する。
世の中いろんなメソッドがあるので、まぁなんでも機会があればやってみたらいいとおもう。
と、表向きのわたしは言っておりますが、裏では「どうだか」とおもっているのさ。
まず、じぶんがどう感じるか、じぶんがどうしたいかをとことんかんがえるのが、先です。
いろんなやり方があるし、ターゲットユーザーは大事だけれど、そんなことより「自分」だ。
ターゲットユーザーが、「イルカと宇宙人」だったらちょっと難しいが、おなじ人間でしょう。
そんなに理解を超えたほど違うことなんかない。ないとおもうよ。年齢も性別もライフスタイルも、言うほど違わないって。そんな微妙な違いで判断放棄するほど微妙な商品だったら、なくていい。もっと普遍的な、なすべきことがあるはずだ。
わくわくして、ずっとほしかった憧れの商品を作ったのは、ずっと年上のアニキたちだったはずだ。
一流のホテルマンは、一流ホテルの常連ではない。
匠のバット職人が四番か?
ターゲットユーザーと、作り手が一致するのはおかしいし、
ターゲットユーザーの意見でモノができればメイカーはいらん。
作っているオノレを信じよ。
いろいろな手法を試すのもいいけれど、そのまえに、作っている商品をとことん使って、考えすぎるほど考えて、じぶんならどうしたいかを追求する。自分をとことん考えぬいたら、「自分じゃない誰かのため」に、どうすればいいのかも見えてくる。自分の気持ちなくして、他人の気持ちもない。
英語習う前に、日本語できてなきゃだめだ。
と、裏のゴーストは囁くのです。言わないけどね。
ペルソナにしろ、UCDにしろ、そもそも僕ら何を作りたいんだっけ?ということが抜けてると思います。それがしっかりしてれば、評価手法としてのペルソナ、UCDはまあ、ありですが。
ペルソナ、UCDのようなマーケティング的なアプローチ主導でもの作ってうまくいってる例であるんですかね?
恐縮ですがすばらしい上司だと思います、詩人さんの下で働きたいです。。
最近の商品開発は、たくさんの専門職者の考え抜いた意見よりユーザーたった一人の声に一喜一憂するという風潮が強いようですね。企業がデザイナーを信用していないというか。世の流れというのもあるのかもしれませんが、だんこはんたいっ。
その為にも詩人さんのおっしゃるように専門職者は考え過ぎるほど考えて、しっかりした意見と自信を持つ事が大切だと私も思います。
こういうのって古い考え方なのでしょうか?
ユーザーの意見は、自分たちでかんがえればわかるはずです。だって、ふだんはユーザーだもの。
ものづくりのプロが、ユーザー目線を鍛えるほうが、ずっといいとおもいます。
そこに古いも新しいもないです。
それができるのが、デザイナーです。
自分たちが思う新しいモノ、コトを創造し、そして、それによって
ユーザーを驚かせたいと思っているのではないでしょうか。
あの人といっしょですね。
ということを、忘れそうになります。