以前,このブログでソウル日本人学校の裏山に埋められたタイムカプセルのことを書いたことがあります(→リンク)。
その後,卒業生たちから情報をいただき,日本人学校の閉校直前,当ブログのコメンテイターの高木正雄さん(ペンネーム)が,裏山を発掘してくださいました。しかし,大規模な発掘調査のかいなく,タイムカプセルを発見することはできませんでした。
今回の出張では,高木さんへの感謝と慰労のために一席設けました。
高「教職員の方々は引っ越しの荷造りで忙しかったけれど,何人か手伝ってくれましたよ」
日本人教諭は3年の任期で次々に交代するので,タイムカプセル埋設当時のことを覚えている人はいません。ただし,韓国人の先生(養護?)の中には長く勤めている方がいらっしゃるとのこと。タイムカプセルが埋められたときのことを記憶しているようでした。
高「確かハセ先生でしたよね?」
犬「そうです。長谷先生です」
高「でも,彼女はそんな名前の先生じゃない。ナガイ先生だった言い張るんですよ」
犬「?? おかしいですね」
(まてよ,長谷先生って,もしかして…)
犬「あっ,それ,ナガヤ先生だ」
4人の子どもたちの担任の先生は十数人にも及ぶので,とてもすべての名前を覚えてはいませんが,「ナガヤ」という名前は記憶にありました。日本人の名字は本当に難しい。
高「で,その韓国人の先生が,鉄の棒をもってきたんです。彼女の記憶ではタイムカプセルは3つぐらい埋まってるはずで,いつか掘ろうと思っていたって。それでその棒であちこちの土中を探ってみたんですが,だめだったですね」
ほかの学年のタイムカプセルの関係者もそれぞれ発掘を試みたようですが,結局,タイムカプセルは出ずじまい。数年前に行われた整地工事で撤去されていたのではないか,というのが結論だったとのこと。とんだ無駄骨を折っていただいたことになります。
で,夜の食事はシンチョン(新村)のテジコギ(豚肉)の店。高木さんが最近気に入って通っているという店です。私と高木さんのほかに,11月に帰国が決まったという別の駐在員もごいっしょしていただきました。
その店(豚マニア)の人気メニューはカルメギサル。字義通りには「カモメの肉」ですが,豚の特殊部位の名称です。横隔膜と肝臓の間の肉だそうで,脂が少なく,牛肉ではないかと思えるような味わいの肉です。
そしてもう一品は,チーズケーランマリ(チーズ入り厚焼き卵)。
かつて,韓国の人々はチーズを食べませんでした。スーパーにも売っていなかった。でも,一方で韓国人はピザが大好き。ピザにのっていたチーズに口が慣れてきて,最近では別の料理にもチーズを使うようになったようです。このケーラン(鶏卵)マリも,とろりとしたチーズと絶妙の調和を保った一品でした。
途中,Sさんからも携帯メールが入った。出張前に約束をしていたのに,この日電話してみると「お客さまの都合により当分の間停止しています」というメッセージ。しかたないのでPCのメアドにメッセージを入れておいたんですね。
実はSさん,日本に一時帰国していたにもかかわらず,私の出張に合わせて帰国日程を早めてくれていたそうです。ところが,かなり長期の帰国だったため,携帯電話の支払いが滞り,止められたとのこと。そのため,今では探すのも難しい公衆電話から連絡してくれました。
4人が勢ぞろいしたのは同じ新村のコムチャンオの店。
私にとっては懐かしい店です(→リンク)。ただ,昔のような生きながらの炙り焼きではなく,すでに焼かれた状態ででてきたのはちょっとがっかり。また,味のあったトイレ(→リンク)も面積の半分が倉庫に転用されたようで,昔の味わいがなくなりました。
夜も更け,三次会は世宗文化会館の裏手のバーへ(→リンク)。
前回行ってから半年近くが経過していたため,ママは代替わりしていました。前のママは日本語ができないからか,空いた席で一人でドラマを見ているという商売気のなさ。交替もやむをえないでしょう。
新しいママさんは,やはり日本語はできないものの,われわれが声をかけると喜んで同席。4人全員が韓国語ができたのを幸いに,酔いが回るにつれて,調子づいてきます。なんでも,今年関西方面に観光旅行に行ったそうですね。京都や奈良を回るというので,事前に日本の歴史を勉強したらしい。そして俄然,日本に興味がでてきたようなのです。
「もっと日本について知りたいから,だれか日本人男性を紹介してちょうだい」
話の雲行きが少々怪しくなってきたので,会はお開きに。(確かここで「ディープコリア研究会」の趣旨の再確認が行われたような気がしましたが,このへんの記憶はあいまいです)
その後,卒業生たちから情報をいただき,日本人学校の閉校直前,当ブログのコメンテイターの高木正雄さん(ペンネーム)が,裏山を発掘してくださいました。しかし,大規模な発掘調査のかいなく,タイムカプセルを発見することはできませんでした。
今回の出張では,高木さんへの感謝と慰労のために一席設けました。
高「教職員の方々は引っ越しの荷造りで忙しかったけれど,何人か手伝ってくれましたよ」
日本人教諭は3年の任期で次々に交代するので,タイムカプセル埋設当時のことを覚えている人はいません。ただし,韓国人の先生(養護?)の中には長く勤めている方がいらっしゃるとのこと。タイムカプセルが埋められたときのことを記憶しているようでした。
高「確かハセ先生でしたよね?」
犬「そうです。長谷先生です」
高「でも,彼女はそんな名前の先生じゃない。ナガイ先生だった言い張るんですよ」
犬「?? おかしいですね」
(まてよ,長谷先生って,もしかして…)
犬「あっ,それ,ナガヤ先生だ」
4人の子どもたちの担任の先生は十数人にも及ぶので,とてもすべての名前を覚えてはいませんが,「ナガヤ」という名前は記憶にありました。日本人の名字は本当に難しい。
高「で,その韓国人の先生が,鉄の棒をもってきたんです。彼女の記憶ではタイムカプセルは3つぐらい埋まってるはずで,いつか掘ろうと思っていたって。それでその棒であちこちの土中を探ってみたんですが,だめだったですね」
ほかの学年のタイムカプセルの関係者もそれぞれ発掘を試みたようですが,結局,タイムカプセルは出ずじまい。数年前に行われた整地工事で撤去されていたのではないか,というのが結論だったとのこと。とんだ無駄骨を折っていただいたことになります。
で,夜の食事はシンチョン(新村)のテジコギ(豚肉)の店。高木さんが最近気に入って通っているという店です。私と高木さんのほかに,11月に帰国が決まったという別の駐在員もごいっしょしていただきました。
その店(豚マニア)の人気メニューはカルメギサル。字義通りには「カモメの肉」ですが,豚の特殊部位の名称です。横隔膜と肝臓の間の肉だそうで,脂が少なく,牛肉ではないかと思えるような味わいの肉です。
そしてもう一品は,チーズケーランマリ(チーズ入り厚焼き卵)。
かつて,韓国の人々はチーズを食べませんでした。スーパーにも売っていなかった。でも,一方で韓国人はピザが大好き。ピザにのっていたチーズに口が慣れてきて,最近では別の料理にもチーズを使うようになったようです。このケーラン(鶏卵)マリも,とろりとしたチーズと絶妙の調和を保った一品でした。
途中,Sさんからも携帯メールが入った。出張前に約束をしていたのに,この日電話してみると「お客さまの都合により当分の間停止しています」というメッセージ。しかたないのでPCのメアドにメッセージを入れておいたんですね。
実はSさん,日本に一時帰国していたにもかかわらず,私の出張に合わせて帰国日程を早めてくれていたそうです。ところが,かなり長期の帰国だったため,携帯電話の支払いが滞り,止められたとのこと。そのため,今では探すのも難しい公衆電話から連絡してくれました。
4人が勢ぞろいしたのは同じ新村のコムチャンオの店。
私にとっては懐かしい店です(→リンク)。ただ,昔のような生きながらの炙り焼きではなく,すでに焼かれた状態ででてきたのはちょっとがっかり。また,味のあったトイレ(→リンク)も面積の半分が倉庫に転用されたようで,昔の味わいがなくなりました。
夜も更け,三次会は世宗文化会館の裏手のバーへ(→リンク)。
前回行ってから半年近くが経過していたため,ママは代替わりしていました。前のママは日本語ができないからか,空いた席で一人でドラマを見ているという商売気のなさ。交替もやむをえないでしょう。
新しいママさんは,やはり日本語はできないものの,われわれが声をかけると喜んで同席。4人全員が韓国語ができたのを幸いに,酔いが回るにつれて,調子づいてきます。なんでも,今年関西方面に観光旅行に行ったそうですね。京都や奈良を回るというので,事前に日本の歴史を勉強したらしい。そして俄然,日本に興味がでてきたようなのです。
「もっと日本について知りたいから,だれか日本人男性を紹介してちょうだい」
話の雲行きが少々怪しくなってきたので,会はお開きに。(確かここで「ディープコリア研究会」の趣旨の再確認が行われたような気がしましたが,このへんの記憶はあいまいです)
ピロク見つからなかったとはいえ,皆様のあたたかい心遣いと支援をいただき,子どもたちは本当に幸せものだと思います。
ご努力いただいた方々にあらためて御礼申し上げます。
バンコク駐在員妻様
高木正雄です。
丁寧な御礼の言葉、、、恐縮至極であります。
あれだけかなり絞り込んだ情報をいただいたのに、空振三振で面目ない。。。
本当に私だけではなくて、現在赴任中の日本人学校の先生方も、大勢てつだってくださいました。
でも特に上記の 女性の先生(当時のことを記憶していた唯一の先生)が一番で、
「あの2~3年間はタイムカプセルがはやったのよね~」
などとつぶやきながら、日本の某県に帰任された当時の教頭先生の連絡先を探しだしてくださったり、上記の秘密兵器をもってきてくれたり、大活躍で、本当に 後光がさしてみえました。
まだあきらめていない先生もいて、ソウル市と交渉し、工事の途中経過でも視察にいってくれる先生や、
『何か出てきたら連絡もらうようになっています。』
という先生もいて、異国にいて、人のやさしさというものがどれほどありがたいものなのか思い知りました。
このような経験がさせてもらえてありがたかったです。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
残念ではありますが、ご足労いただいた高木さんに心よりお礼申し上げます。
本当にありがとうございました。