犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

ソウル最後の夜

2007-07-21 23:20:30 | 日々の暮らし(韓国~2007.7)
 いよいよ帰国です。

 最後の夜だからといって,特別なイベントの計画があるわけじゃありません。むしろ,荷物の整理がろくにできていなかったので,最後の夜ぐらいは何の予定も入れず,「立つ鳥あとを濁さず」で,捨てるべきは捨て,きれいにして後任者(アパート探しの間だけ居住)に明け渡そうと思っていました。

 でも,入っちゃったんですね,送別会が。

 長い間連絡をしていなかった元大統領秘書官に,やっぱり帰国の挨拶はしておこうかとメールを送ったところ,早速返信があって,帰国前にぜひ会いたいと。しかし,帰国までの夜のスケジュールはすでにぎっしり。結局,最後の最後の夜しかないということで,「食事だけ」の約束で,会うことにしました。

 お医者さんの奥さんが,アメリカの大学病院で研修を受けるため,一人娘を連れて渡美(渡米),「キロギアッパ」生活をしているということは聞いていましたが,今回の電話で,奥さんと離婚したこと,その理由は奥さんがアメリカ移民を強く希望し,自分はいずれ国会議員選挙に出るからそれはどうしてもできないと(まだそんなこと考えてるんだ)。アメリカに家と車を買ってやり,娘とは2か月に一度ぐらいは会っているとのこと。

 当日は,最近友人に紹介されたという知り合いの女性と,日本留学経験のある男の友人も連れてきました。メニューは私にまかせるというので,「やはり韓国最後の夜は犬鍋で締めようか」と,1週間前にも行った東大門の朝鮮族風犬鍋屋に行きました。

 元秘書官,帰国時に荷物になるだろうことなどまるで考えないのか,プレゼントだと言って大きな袋を持ってきた。一つは炭で作ったシャンプーと洗顔フォーム。今,自分が支社長をしている会社の製品らしい。
 もう一つは,「韓国に30個しかない」貴重なものだという。2002年のワールドカップでベスト4に終わった大韓戦士が,2006年ドイツ大会でのリベンジを誓うために作った楯。そりゃ,ドイツ大会も終わった今まで,こんなものを保存している人は少ないだろうなあ。今残っているのは30個じゃなくて,10個以下じゃないだろうか。
 それにもう一つは,スイスミリタリーのボールペン。これだけが唯一かさばらず,実用的で気が利いている。これだけにしてくれればよかったのに。

 さて,例によってまずは羊の串焼きから。

「犬鍋さん,爆弾酒にしましょう」

(おっと,食事だけじゃなかったの?)

 酒は,中国の38度の酒(コーリャン酒?)。それにハルピンのビールを頼む。

「実は,私,今の会社に爆弾酒で入ったんですよ」

(???)

「ソウルの支社長公募の一次面接で,『趣味は何ですか』と聞かれたから,『酒を飲むことです』と答えました。すると,向こうの社長が『特技は何ですか』というもんだから,『趣味を生かすことです』と答えたんです。社長さん,しかめっ面をして聞いていましたが,『じゃ,これで終わりです』と言うじゃないですか。こっちは,業界のことも下調べしておいたし,自分の能力をこの会社にどんなふうに生かせるか等々,いっぱい用意してきたのに,そのことは何にも聞かない。だめだと思いましたね。面接室を出るとき,『君の特技を見せてもらいたいから,夜,飲みに行きましょう』と。それで重役たちと飲みに行ったわけですね。そして,その席で,『韓国の飲み方はこれです』と言って,爆弾酒を披露しました。私は8杯,社長も3杯ぐらいと飲みました。飲み会が終わるとき,『一次面接は合格だ。明日二次面接をするから9時に来なさい』と言われました。爆弾酒を8杯も飲んだからちょっときつかったけれど,行きましたよ,時間通りに。すると社長が来ていない。30分遅刻してきた社長の第一声が『昨日の爆弾酒のせいで,起きられなくてね』と。3杯しか飲んでいないくせに。結局,2次面接も通って,支社長になったんですが,ひとえに爆弾酒のおかげで受かったようなもんです」

 そう言いながら,コーリャン酒とハルピンビールの朝鮮族式爆弾酒を作り,乾杯する。そのあとに出てきた犬鍋は,ケンニプの代わりにコス(香菜)がたっぷりと入ったもので,女性は犬肉がだめ,男二人はコスがだめで,結局,私ばかりがぱくついていました。

 連れの女性がいた手前,前の奥さんのことだとか,離婚の経緯だとかは触れられず,もっぱら10年以上前の思い出話に明け暮れました。埼玉の家に招いて川遊びをしたこと。正月休暇に招いたときは,正午に待ち合わせたのに連絡が来たのが3時,駅に迎えにいったらさらに1時間待たされたこと(当時は携帯という便利なものがなかった)…。

「犬鍋さん,よく飲みに誘ってくれましたけど,いつも安い居酒屋でしたね」

「あのときは安月給だったからね」

「でも,駐在員になってからもちっとも誘ってくれなかったじゃないですか」

「忙しかったから…」

「犬鍋さんは,がないんですよ」

(出た…)

「約束,覚えてますよね」

「えっ,なんだっけ?」

「とぼけないでください。私が国会議員選挙に出るときは,支援金を出してくれるって言ったでしょう?」

「うそ! 大統領だっただろ?」

「違いますよ。国会議員。来年の夏に出ますからお願いしますよ」

「う,うん…」

(さて,どうやってごまかすか…)

 そのとき携帯にメールが入りました。

(お帰りはいつですか)

 ついこの間,まさにこの店で送別会をしたイさんでした。電話をしてみると,もう帰ったかと思ったが,だめもとでメールしてみたとのこと。ぜひ会いたいというので,二次会で,ダーツバーで会うことにしました。

(荷物整理はどうなっちゃうんだろう)

 しばらくして今度は,スンドゥブさんからメールが入る。われわれの行動を見越したように,

(今日はダーツバーに行きますか?)

(行きますよ)

 なんだか,最後の晩にいろんな人が勢ぞろいしそうだな。

 犬鍋に入れた麺も平らげ,先に帰った女性を除いた3人で,漢南洞のダーツの店に向いました。実は,ダーツの店には前日に最後の挨拶に行き,店に置いていた「マイダーツ」を持ち帰っていたのですが。
 この日,ちょうどダーツの機械が新型のものに変わるということで,ダーツの「師匠」(福岡の大会で3回優勝)を初め,ダーツにはまった面々が集まっていました。

 われわれが飲み始めてすぐ,イさんが来たところで元大統領補佐官とその友人は別の飲み会に行くといって,暇を告げ,しばらくしてスンドゥブさんが漢南洞の駐在員クラブの二次会を中座して駆けつけてくれました。

 実は,スンドゥブさん,日本からエポック社のダーツセットを取り寄せ,毎日練習しているらしい。はまっている口です。

 イさんはやらないというので,お店のアガシを入れて3人での勝負は,アガシに負けてしまいましたが,そのあとのスンドゥブさんとのソウル最後の勝負では,花を持たせていただきました。

「今日が最後だから,もう一軒行きましょう」

 誰からともなくそう言うと,ダーツバーのすぐ隣のバーに。

(ああ,荷物の整理…)

 実は,ここのママさんとはすでに忠武路のカンジャンケジャンの店で送別会食をしたのですが,ソウル生活の最後の最後の店になりました。ジャックダニエルを酌み交わすうちに,時刻は12時をはるかに回り…。

「じゃ,荷造りもあるので,この辺で…。ソウル最後のいい思い出ができました。ありがとう」

 イさんは,「もう一軒」と言いたげな表情でしたが,これ以上飲むとアルコール性記憶喪失を発症し,飛行機に乗りそびれるという不祥事を起こしそうなので,やや強引にタクシーに乗り込みました。

 家に着いたのは2時半

 それからトランク二つの荷造りと,後任者に引き渡す遺留品(?)の整理。目覚まし時計を7時半に合わせて床に就いたのは,明け方の4時でした。

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