犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

「虎に翼」に思う~ソクラテス

2024-06-12 22:44:28 | 朝ドラ

 朝ドラ「虎に翼」で、寅子の大学時代の同級生、花岡が死にました。

 花岡は東京地裁で、闇米などの経済犯を裁いていた。終戦直後は極度の食糧不足。配給米は少なすぎ、人々は闇米を買うことで食いつないでいたが、闇米を裁く立場の自分が闇米を食べるわけにはいかないと言って口にせず、その結果餓死したということです。

 この事件にはモデルがあります。

 1947年に餓死した山口良忠判事。

『デイリー新潮』に記事があります。

【虎に翼・第50回】花岡悟が衝撃の餓死…モデルとなった山口良忠判事はどんな人だったのか

 有名な事件なので、終戦直後を扱ったテレビ番組などでくり返し取り上げられ、私も家族(父母、祖母、伯母)から聞いたことがあります。

 私の家族は、家にあった着物などを持って農家を回り、米に換えてもらうということをしていたそうです。闇米を買ったこともあったでしょう。闇市で活躍していたのは、朝鮮半島出身者だったという話も聞きました。

 記事には、「山口判事は、古代ギリシャの哲学者・ソクラテスによる「悪法も法」という言葉を守ろうした」と書かれています。

「悪法も法なり」はソクラテスの言葉として人口に膾炙していますが、古代ギリシア哲学の研究者、納富信留(のうとみ・のぶる)東大教授によれば、これは日本(と韓国)に特有の現象だそうです。

 ソクラテスは古代ギリシアのアテナイで、不敬神、若者を堕落させたなどの告発を受け、死刑判決を受けました。死刑執行の前、弟子たちが看守を買収するなどして脱獄のてはずを整えましたが、ソクラテスは拒否、みずから毒杯を仰ぎます。

 その経緯は、プラトンの「対話篇」3部作、『ソクラテスの弁明』『クリトン』『パイドン』に描かれています。

「悪法も法」という言葉をソクラテスが使ったとすれば、『クリトン』(弟子のクリトンが脱獄を勧める場面)のはずですが、『クリトン』にはそのような発言は記されていない。

 納富教授は、同じソクラテスの言として流布する「無知の知」(納富教授は「不知の自覚」とすべきと主張)と並んで、「悪法も法なり」を、日本におけるソクラテス理解の誤りとして指摘しています。

 …やはりソクラテスに帰される「悪法も法なり」も、日本近辺でのみ流通するこういった不精確な理解の一つである。プラトン『クリトン』において、アテナイの法律を守って脱獄の提案を拒絶するソクラテスは、そのような表現を語らない。彼が友人クリトンに向ける論理は、より複雑で精妙である。この標語は、日本では、ローマの法学者ウルビアヌスに由来する法格言「厳しい法でも、法である」と混淆され、流布したようである。無論、両者は含意も起源も異なる。だが、この誤った表現ゆえに、ソクラテスは「法実証主義」の起源と解されてしまっている。

 他方で、このようなわかりやすい標語をつうじて、この哲学者が日本の風土に馴染んでいったことも無視できない。だが、それが誤解として「哲学」を誤って伝える面があるとしたら、今すぐにも歴史的、哲学的に検証し、私たち自身が改めるべきではなかろうか。


 二十世紀初めから第二次世界大戦終結まで、大日本帝国の植民地として文化的にも支配下におかれた朝鮮半島では、京城帝国大学を中心に日本から導入された西洋哲学が研究されていた。明治以来の圧倒的なドイツ哲学の影響は、ソウル大学を中心に、戦後の韓国でも長く続いている。韓国語でも、やはり「無知の知」が巷間に流布しているという。その誤りの遡源が日本の哲学受容史にある以上、そこから改める必要がある。


 同様に日本から韓国に広まった「悪法も法なり」という標語は、戦後の韓国軍事政権が政治的抑圧を行なう際の言い訳に用いられていたという…。

(『哲学の誕生―ソクラテスとは何者か』2017年筑摩文庫)

 この本の単行本の刊行は2005年。

 韓国では本書の指摘を受けてか、2010年代に教科書から削除されたということです。

教科書から消えた「悪法も法なり」
京郷新聞2022年4月25日付、韓国語

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