風土記の丘だよりinかい

やまなしの考古博物館やmaibunCの活動のこと
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遺跡の現地公開がありました・・・『町屋口遺跡』

2010年09月18日 | maibun日記


 今日は、天候にも恵まれ、発掘調査の大詰めを迎えた町屋口遺跡(富士川町)で、
一般公開(現地説明会)が行われました。
まずは、仮設テントの中で、受付と概要説明が行われ、その後、テントの向こう側に広がる
発掘調査区に出ての現地説明、最後にまたテントのところに戻り、出土遺物の見学・説明
そんな段取りで、午前と午後に1回ずつ行われたのでした。



 この調査での目的、ないしは成果のいちばんは、何といっても道路の遺構。
この写真の左右を貫いて、白く見えるのがそれです。
江戸時代から明治の御代までの甲府盆地の歴史の中で、「甲州三河岸」というのが
よく知られていますが、そのうちの青柳の河岸に続く、物流のための道路なのであったようです。

 調査区のずっと向こうで、説明が続いています。
近寄ってみましょう、道路以外にどんな発見があったのか、気になりますものね。



 見学会ご参加の皆さんが熱心にご覧になっていたのは、水路の後。
担当者の1人が、発見された水路の中に入り、どのような構造になっていたのか、
どのようなことが注目されるのか、説明しているところですが、
参加された皆さんの中に、遺跡にまつわるより詳しい情報をお持ちの方もいらして、
参加者を交えてのやりとりも見られました。



 遺跡の周辺では、もう稲刈りが進められていました。
コンバインで、脱穀までを一気に進める最新の収穫光景の見られる田もありましたが、
機械刈りではありますが、刈り取った稲を「牛」と呼ばれる干し竿に掛けて天日干しをする
伝統的なやり方もまだ残っています。
 遺跡からは、道路の後や、水路跡のほか、当時の水田区画も確認され、
水田畦畔や水口、排水口など、また水田面には、農作業に従事した際の足跡なども見られました。
またそれが、洪水により埋没したことも・・・。
 遺跡の場所は、調査終了後は、中部横断自動車道の建設工事が始まります。
この部分は、盛り土区間なので、土手のような中に半永久的に取り込まれてしまいます。
歴史とともに、土地利用は、次々に時代の要請によって変わっていきますが、、
そうしたことを考えされてくれる時間が、今日、流れていたのでした。

(撮影:2010.9.18 富士川町の現地で)
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