昨年秋に、急性肺炎のため37歳の若さで亡くなったフランスの俳優、ギョーム・ドパルデュー主演の 『ベルサイユの子』 を観てきた。
観光客で賑わう華やかなパリとは裏腹な、フランス社会の抱える現実問題を題材に描いた、2008年度カンヌ国際映画祭 “ある視点” 部門にも出品された作品。
小さな子供エンゾと共に路上生活を送る若い母親ニーナが、ある日ホームレス支援隊員に保護されて、パリ郊外のベルサイユにある施設で一夜を過ごす。
翌日、仕事を求めるためにパリに戻る駅へ向かう途中、ふたりはベルサイユ宮殿の森に迷い込んでしまい、その森に住む社会からドロップ・アウトした男ダミアンと出会う。
しかし、ニーナは翌朝エンゾを残して去ってしまった。置き去りにされたエンゾと一緒にいることを余儀なくされたダミアンは、最初はエンゾをうっとうしく思っていたが、やがて情が移り、父親を知らないエンゾにとってもダミアンとの森での生活は新鮮で、すぐに順応して行く。
その後、一度は森に戻ったニーナだったが、その時は既にダミアンの小屋は火事にあってふたりは別の場所に移動していたため会えずじまい。
やがて病気になったダミアンは、ベルサイユ宮殿に救いを求めに走ったエンゾのお陰で一命を取り止め、それを機に長年疎遠になっていた父親の元に戻る。
母親ニーナは、いつか必ずエンゾを迎えに行くという強い意志を持って介護の仕事に励み、一方ダミアンもエンゾの親権を得るために、社会に復帰する。
晴れて法律上の親子となったダミアンとエンゾ、これでふたりは幸せになるのか・・・。そして母親は・・・。
エンゾの母親と、エンゾとは何の縁もないダミアンが、それぞれ子供のために変わろうとして行く姿。そして、母親に置き去りにされても泣いたりしないで現実を受け止め、その場に順応して行く芯の強いエンゾ。
大人の身勝手さに振り回されながらも、必死で生きて行こうとするエンゾの姿には、心打たれるものがあった。
これが映画初出演というエンゾ役の子役は、クリクリした大きな瞳で訴えかけ、ほとんど台詞はないのに、その目としぐさでその時々の気持ちを伝える見事な演技。
ギョーム・ドパルデューは義足ということをあとで知ったが、そんなことは全く感じさせない演技で、突然一緒に暮らすことになった子供に対して、やがて芽生えた愛情に対する不器用な表現や、反発しながらも父親との確執を乗り越えて、エンゾのために人間らしさを取り戻して行こうとする姿を見事に演じていた。
ベルサイユ宮殿という華やかな舞台裏にある目には見えない現実、フランス社会が抱える深刻な問題、そしてその社会に対する制度などがわかり易く描かれていて、ちょっと重い内容だったが、考えさせられることも多分にあり、いい作品だった。
ただ、結末には納得できないが・・・。
この大きな瞳で訴えかけるいたいけな表情がたまらない!
次第に芽生える父性愛