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中欧の旅 ~チェコ、プラハ編 Pt.2~

2008-11-23 | travelog


普段の私は典型的な夜型で、休みの日はお昼近くまで寝ているが、旅行の時は早起きし、朝早くから行動する。そしてこれも普段は殆んど歩かないのだが、旅先では恐ろしく歩く。そこで、以前sundayさんのブログで読んだ万歩計の記事を思い出し、出発前日に急に思い立って万歩計を購入した。
さて、今回の旅では何歩歩くのか、楽しみでもあった。(笑)

★10月28日 : プラハ(Praha)
プラハ2日目、外は雨・・・ショック・・・。
この日はプラハの独立記念日。この独立記念日と雨が、後に私の旅計画を乱すことに・・・。
7時からのホテルの朝食を摂りにレストランへ行き、窓際の席から外を見ると、かなり降っている。少しくらいの雨では傘は差さずに行動するが、本降りである。
もうそれだけでブルーになった。やはり綺麗な景色を望むには、雨は悲しい。
それでも出かけないわけには行かないので、雨の中を昨夜とは違うルートでカレル橋を目指した。
朝と夜とでは街の風景も違って見え、中世の雰囲気が残る薄茶色の石造りの建物が並び、雨に濡れた石畳の感触が、ブルーな気持ちを少し和らげてくれた。
 多くの観光客で賑わうKarlova通りも、朝はこんな感じ

カレル橋は、1400年に完成したヨーロッパに現存する最古の石橋で、全長516メートル。
昼間や夜はまるで日曜日の原宿竹下通りのようになる早朝のカレル橋は、犬の散歩をする人がチラホラ歩いているだけで、欄干に並ぶ彫像をゆっくり眺めながら、橋向こうのマラー・ストラナ地区まで歩いた。
カレル橋の真ん中が工事中で、メインの彫像でもある聖ヤン・ネポムツキー像の前が見事に鉄柵で遮られていた。でも柵の隙間からかろうじて見ることができた。
 カレル橋
 聖ヤン・ネポムツキー像

プラハの街には路面電車(トラム)がくまなく走っていて、どこに行くのも便利。マラー・ストラナ広場からトラムに乗って、プラハ城を左手に坂を上ってストラホフ修道院を目指した。トラムを降りる時は、ボタンを押しておくと、停留所に着いた時にそこのドアが開く。
ストラホフ修道院には見事な図書館があり、それぞれ 「神学の間」 「哲学の間」 と名付けられている。中まで入ることはできないが、全体を見ることができた。
それにしても、これが図書館!?と思うくらいの豪華な部屋。「神学の間」 の立体的に見せるだまし絵の天井画、「哲学の間」 のシックなフレスコ画。もし、こんなステキなところで本を読んだり勉強することができたら、きっと一日中ここで過ごしそう・・・。
 神学の間   哲学の間

図書館を出たあと、坂道を下りながらプラハ城に向かった。途中、ロレタ教会の前を通り、横から裏道を抜けて歩いて行ったのだが、そこで見たことのある風景に出会った。
ドラマでは夜だったが、『のだめ~』 で、千秋とのだめが抱き合ったシーン。ちょっとミーハーな気分になった。(笑)
細い石畳の路地の雰囲気は最高で、色づいた葉っぱの蔦に覆われた家や落ち葉が綺麗だった。途中、独立記念日の一環であろう、何台ものジープの走行に出くわした。
 『のだめ~』 のロケ地


プラハ城の正門前には警備隊が出ていて、城前のフラチャニィ広場は柵で入れなくなっていて、多くの人がその柵を囲むように立って何かを待っていた。
どうやら、お城に来賓があるらしい。というのも、プラハ城には大統領官邸がある。その上、この日は独立記念日だ。きっと関連の何かがあるに違いない。
人だかりを抜けて城の横にある新王宮階段の方に行ったが、ここも人がたくさんだったので、その脇から “天国の庭園” というステキな名前の庭に入った。
庭の展望スペースから街を見たが、雨で見晴らしが悪くてガッカリ・・・。(タイトル写真)
庭から旧王宮に入り、プラハ城の中庭に抜けて行った。プラハ城は、見学できる場所の数によってコースがいくつかあるのだが、チケットを買いに行ったら、この日は全コースの見学はないと言う。独立記念日の式典のためだった。「明日は?」 と聞くと、明日も同じと言う。せっかく来たのだから、見学できるところは全部見たいし、見れなくなっている場所は外せない場所だったので、懲りずに 「あさっては?」 と聞くと、あさってからは通常通りだとのこと。
プラハには5泊する。その間にはお天気も良くなるだろう・・・と思い、別の日に出直すことにした。計画立て直しである。
お城の敷地内は無料なので、聖ヴィート大聖堂や聖イジー教会などを見て通り抜け、旧王宮階段を下りようと思ったら、下から団体客が固まりのようになって上ってくるところだったので脇道から下り、マラー・ストラナ広場横の聖ミクラーシュ教会を見学した。
聖ミクラーシュとは、英語読みで聖ニコラス。そう、サンタクロースの聖ニコラス。プラハでは、クリスマス前の12月6日に聖ミクラーシュの日というのがあり、天使と聖ミクラーシュが子供たちにお菓子を配るそうだ。
 聖ミクラーシュの彫像  
 モーツァルトが弾いた聖ミクラーシュ教会のパイプオルガン

ここらでひと休み。普段朝食を摂らないが、この日はたっぷり食べていたので、あまりお腹は空いていなかったが、ケーキでもと思い、カレル橋マラー・ストラナ橋塔近くのこじんまりしたカフェ 「Café Kafičko(カフィチコ)」 に入った。
オーダーしたのは、チョコレート・ケーキとカプチーノ。ケーキはほど良い甘さでとっても美味しくて、このケーキが今回の旅の私のケーキ三昧の始まりとなった。
さり気ないセンスのある落ち着いた内装で、アットホームな感じのとても雰囲気のいいお店で、ゆっくりとこのあとの計画を立て直した。
 Café Kafičko

美味しいケーキに満足し、カフェを出たあとは、その近くの “ジョン・レノンの壁” を見に行った。
これは、1980年代に若者たちがジョンの歌にインスパイアされ、平和を祈って描かれたもの。でも、当のジョンはプラハには一度も来たことがないらしい。その壁の横には 「John & George」 といういかにも、と言う名のカフェもあった。
 ジョン・レノンの壁

プラハ城の見学を別の日にしたことで、翌々日行く予定にしていたチェスキー・クルムロフ行きを翌日に変更することにし、そのバスのチケットとプラハのあとウィーンに行く列車のチケットを買いに、下見を兼ねてFlorenc(フローレンツ)のバス・ターミナルとプラハ本駅に行ったあと、旧市街に戻って散策した。
ミュンシャ(チェコ語ではムハ)が手がけた絵がステキな、アールヌーボー建築の市民会館のある共和国広場から、途中、可愛い雑貨屋さんに入ったり、キュビズム建築の “黒い聖母の家” や、モーツァルトのオペラ 『ドン・ジョヴァンニ』 が初演されたスタヴォスケー劇場、カレル大学などを見ながら旧市街広場まで歩いている内に、雨も上がった。
旧市街広場は、祝日ということもあってものすごい人だかりで、広場の真ん中のヤン・フス像の前にステージが設けられ、ビートルズのカヴァー・バンドが、メドレーでビートルズの曲を演奏していた。
雨はかろうじて止んだが、まだ空はどんより。旧市庁舎の時計塔に登って景色を眺める予定も延期した。
 市民会館と火薬塔
 ヤン・フス像の前でビートルズ・ナンバー演奏中

少し歩き疲れたので、ティーン聖母教会裏にある 「Ebel Coffee House」 に入った。
飲みものだけにするつもりだったが、ケーキに目が行き、結局カフェ・ラテとラズベリー・タルトをオーダー。ここもケーキがめちゃくちゃ美味しくて、幸せな気分に浸る・・・。(笑)
 Ebel Coffee House

しかし、そんな幸せな気分を一転させる、血の気が引く事件が起きた。
お会計をしようと小銭入れを取り出したところ、その中に入れていたスーツケースの合鍵がない! 鍵と言っても、100円ショップで買った小さな南京錠だが、合鍵はスーツケースに入れたままだ。バッグの中やポケットを何回も探したが、やっぱりない!
どこで落としたのか・・・。さっき買い物した雑貨屋か? それとももっと前? 貴重品は置き去りにしていないが、一応部屋を出る時は鍵を掛けるので、今朝鍵を掛けて出かけたっけ・・・、まだ旅はこれから、もし鍵を掛けていたらどうしよう・・・と、もう気が気ではなかった。
その後散策する予定を急遽変更し、一旦ホテルに戻ることにした。一応雑貨屋に寄って落ちていなかったか聞いてみたが、無駄足だった。
100円ショップのやわな鍵だし、なんとかこじ開けられるかも知れないと思い、スーパーで針金は見つからなかったのでヘアピンを買った。でも、もし開かなかったら・・・。
ホテルに戻ると、フロントのおじさんは部屋番号を言わなくてももう覚えてくれていて、笑顔でスッとキーを渡してくれたが、「Děkuju!(デュクユ : チェコ語でありがとう)」 と言ったその時の私の顔は、きっと引きつっていたに違いない。
しかし、部屋のドアを開けて真っ先に見たスーツケースには、南京錠を引っ掛けてはいたものの、鍵は掛けていなかった。その時の安堵と言ったら、それはそれはもう・・・。張り詰めていた気が緩んだら、一気にお腹が空いてきた。さっきケーキを食べたばかりなのに・・・。(笑)
ホテルの近くからトラムに乗って、すっかり暗くなった街に再び繰り出した。
旅行の時は、ほとんどファースト・フードやスーパーで食料を買ってホテルで食べることが多いのだが、プラハにはひとりでも気軽に入れるカフェやレストランがたくさんあって、しかもコースでオーダーしなくてもいいので、小食の私にはありがたい。
観光客で賑わう旧市街広場やカレル橋近くのお店は、英語メニューは観光客用で、チェコ語のメニューとは遥かに値段が違うらしい。
もちろんそういう店は避け、旧市街からヴルタヴァ河に架かるレギー橋を渡ったところにある 「Café SAVOY」 に行った。このお店は、チェコ名物グラーシュ(ビーフシチューみたいなもの)が美味しいという情報収集済み。
感じのいいウェイターのお兄さんに迎えられ、早速グラーシュと、ミニ・サラダとカプチーノ、デザートにバニラ・アイスクリームをオーダーした。
グラーシュはじっくり煮込まれたお肉が柔らかくて、味も濃くはなく、日本人の舌に合ってとっても美味しかった。
クネードリーキという、モチモチした食感の蒸しパンのようなものにソースを絡めながら一緒に食べるのだが、くるみが入っていて美味しかったので、ステンレス・パンに入ったおかわり用の熱々のクネードリーキも戴いた。
 
Café SAVOYのグラーシュとアイスクリーム

プラハでは、たくさんある教会で毎晩コンサートが開かれている。教会の入口にはフライヤーがあり、演奏曲目が載っているので、選り取り見取りだ。
滞在中に一度は行こうと思っていたので、食事のあと、プラハ最古の鐘を持つ旧市街の聖イリイ教会に行った。
チケットは約3000円。あれだけたくさん教会があって、どこもかしこもコンサートが開かれているのに、満員になった。観客は観光客だけではない。
この日はヴァイオリン、パイプオルガン、ソプラノ歌手のアンサンブルで、バッハやモーツァルト、ドヴォルジャークの聴き慣れた曲を約1時間堪能。
教会の造りが素晴らしい音響効果を生み出し、特にパイプオルガンは普段あまり生で聴く機会がないので、その音色に感動した。
教会を出たあと、まだ9時過ぎだったので、午前中に歩いたプラハ城付近を歩いてみたくなり、トラムで再びストラホフ修道院近くまで行って、午前中と同じルートを辿ってみた。
昼間見た 『のだめ~』 のロケ地はTVで見たまんまで、昼間人が多くて通れなかった新王宮階段を下って、夜のマラー・ストラナ地区をじっくり散策してからホテルに戻って一日を終えた。
 
『のだめ~』 再び。ドラマを見た人ならわかる?
 新王宮階段  
 夜の聖ミクラーシュ教会


★この日の万歩計の成果 : 歩数40.845歩、消費カロリー742.4Kcal、歩いた距離18.3km

中欧の旅 ~チェコ、プラハ編 Pt.1~

2008-11-22 | travelog


今回の旅の行き先は、3月に行ったローマからの帰りの飛行機の中で決めていた。
機内誌の世界地図を見ながら、次はどこに行こう・・・と漠然と考えていた時、プラハの情景が頭に浮かんできた。
お正月に観た 『のだめカンタービレ in ヨーロッパ』 も、気持ちを掻き立たせた理由のひとつかも知れない。
そして、それから今回の旅計画は始まった。今回ガイドブックは買わず、いろんな本を読んで歴史を勉強し、インターネットで情報収集して地図や交通機関の路線図をダウンロードし、オリジナルノートを作った。そして、世界にひとつだけのガイドブックが出来上がった。

★10月27日 : プラハ(Praha)
飛行機は、ネットで大好きなルフトハンザ航空を予約。乗継のフランクフルトまでは、共同運航便のANAだった。
ANAの国際線は快適。オンデマンドで映画やドラマ、ゲームが楽しめる。早速 『Sex and The City』 を観た。美味しい機内食を完食したせいで、苦しいくらいにお腹もいっぱい。満足満足(笑)。
ところが、気流のせいで離陸が30分遅れ、乗継の時間が1時間しかないので、不安になった私は、CAに相談。
でも、「多分、現地で係員が待っていると思うのですが・・・。もし居なかったら、ゲートを確認して行って下さい。すみません、ハッキリ申し上げられなくて・・・」 と何とも中途半端な答え。
ただ乗り継ぐだけならいいのだが、フランクフルトで入国審査がある。少し不安な気持ちが消えないまま約11時間のフライトを終え、フランクフルトに到着。
でも、ゲートを出たところに “Prahaプラハ” と書いた紙を持った係員が立っていて、他にもプラハに行く3人の方たちと一緒に、入国審査も優先で通過。無事、乗継便に搭乗することができた。
プラハまで約1時間、定刻どおり18:40に到着し、5日間のフリーパスを買って(予定していた7日券はなかった)119番のバスで地下鉄Dejvická(ディヴィツカー)駅まで移動した。
 プラハ・ルズィニエ国際空港到着ロビー
 プラハ・ルズィニエ国際空港
 地下鉄Dejvická駅

プラハの地下鉄は、ABCの3線。Dejvická駅はA線の終点で、そこからホテルのあるMuzeum(ムゼウム)駅まで5駅。(あとで、ホテルの案内にあるMuzeum駅より、Můstek(ムーステク)駅の方が断然近かったことが判明) 地下鉄はとても綺麗で、赤い手すりのせいか、少し派手な感じがした。
地下鉄駅のエスカレーターが恐ろしく速いというネットでの情報が多かったので、“どんだけ~?” と思って少し期待していたが、そんなに驚くほど速くはなかった。
確かに日本と比べると速いが、逆に私は早く着くので、このくらいが丁度いいなと思った。
 プラハの地下鉄車内
 地下鉄Muzeum駅
 Muzeum駅のエスカレーター

外に出ると、目の前に国立博物館が!


ネットで予約したヴァーツラフ広場沿いにある老舗ホテル、アール・ヌーヴォー建築のGrand Hotel Evropa(エヴロパ)が、プラハでの宿泊先。
バス・トイレ共同で1泊1200CZK(チェココルナ)が現金払いで20%オフだったので、5泊で約24.000円弱(安い!円高に感謝!)。現金は、空港のレートは悪いと言われているので、予め日本で三井住友銀行の外貨宅配で両替していた。
フロントのおじさんに優しく迎えられ、無事にチェック・インを済ませ、部屋へと向かう。
1889年創業というだけあって、かなりの年期が入った造りは、とても趣きがあった。部屋はそこそこ広くて綺麗で、共同のバス・トイレも綺麗で広かった。
ホテルの1階にあるカフェは、『のだめ~』 のロケに使われたカフェ。滞在中に行ってみよう・・・。(ちなみに、ロケに使われたからこのホテルにしたのではない)
 別の日の昼間に撮ったGrand Hotel Evropa
 ホテルの階段
 客室前の廊下
 泊った部屋

ひと息付いたあと、夜の街に繰り出した。寒いかな・・・と思っていたが、11℃くらいの丁度今の東京の気候くらいで、マフラーもいらなかった。
オレンジ色の街灯が灯る石畳の道を歩いて、旧市街からカレル橋まで歩いて行った。土地勘を掴むために歩いたが、十分徒歩で行けた。
観光シーズンのピークは過ぎていたが、夜8時過ぎでもメイン・ストリートは結構たくさんの観光客で賑わっていた。でも、一本路地を入ると誰も居なかったり・・・。


カレル橋のたもとにある、スメタナ博物館前から見たプラハ城の夜景は、それはそれはとても綺麗で、ヴルタヴァ河に反射するカレル橋の灯りが煌いていた。
カレル橋の旧市街橋塔の横にある、アッシジの聖フランチェスコ教会で行なわれていた教会コンサートが丁度終ったところだったので、中を見学。
教会はどこを訪れても、その豪華絢爛さにため息が出る。そして、いつも神聖な気持ちにさせてくれる。
 ヴルタヴァ河越しのプラハ城とカレル橋
 カレル橋旧市街橋塔
 アッシジの聖フランチェスコ教会主祭壇の一部

そのあと旧市街広場まで行き、夜空にそびえるティーン聖母教会(タイトル写真)を眺めると、改めて “プラハに来たぞ!” という気持ちが高ぶった。
旧市庁舎の天文時計などを見たあとホテルに戻り、プラハ一日目を終えた。


★1CZK(チェココルナ)=5円で計算。

ローマ、旅立ちのとき・・・最終日

2008-04-04 | travelog


ローマ滞在もアッという間、残念ながら帰国の日を迎えた・・・。
フライトの時間が午後だったので、午前中いっぱいは観光。
毎日早起きしていたが、この日も7時にはチェック・アウトを済ませ、荷物をホテルに預かってもらって外に出ると・・・。
部屋からはあまりわからなかったのだが、有り得ないくらいのいい天気。
それまで毎日、合間に晴れ間が出て太陽も顔を出したりしたが、だいたいどんよりとした雲ゆきのあやしい天気で、時々小雨もチラついたりしていた。
それが帰る日になってコレだ。雲ひとつない真っ青な空、朝日がサンサンと輝いている。
ホテル近くのテルミニ駅近辺はまだ廻っていなかったので、まずはサンタ・マリア・マッジョーレ教会まで歩いた。
“なんなのコレ? 有り得ない!” と、天気に対して何度もブツブツつぶやきながら・・・。
まだ教会は開いていなかったので、近くのバールでカフェ・オレを飲んだ後、予定変更。
あまりにも空が綺麗だったので、ローマの街を見渡せるところに行きたくなり、バスでカンピドーリオ広場に行った。
目の前に広がるローマの街は、遠くまで視界が広がり、澄んだ空には鳥たちが舞っていた。
本当に悔しいほどにいいお天気。景色が良いところにもう一度行こうと決め、トリトーネ通りまでバスで移動し、システィーナ通りからスペイン階段の上、トリニタ・デイ・モンティ広場まで再び歩いた。
そして、5日前に辿ったのと同じルートで街を見渡しながらピンチョの丘まで行き、ポポロ広場を通ってスペイン広場まで歩いた。
ピンチョの丘から見るバチカンのサン・ピエトロ大聖堂は、朝日に輝いてとても美しく、名残惜しい気持ちが高ぶった。(タイトル写真)
早朝のポポロ広場もスペイン階段も、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。混み合う観光スポットは、早朝に来ると、全く違った顔を見せてくれる。
あんなに人だかりができていた 「破船の噴水」 の周りにも、誰もいない。

 カンピドーリオ広場からの朝日に輝く街
 早朝のポポロ広場
 早朝のスペイン階段

トリトーネ通りまで行く途中、昨夜ミサに参加したサンタンドレア・デッレ・フラッテ教会に再び立ち寄ってみた。
何故かこの教会が気に入っていて、最後にもう一度中を見ておきたかったのだが、またミサが行なわれていたので中に入るのは止めた。
バスで再び駅前近くまで戻り、共和国広場で下車。ローマ三越でトイレを済ませておこうと思って行ったが、月曜日の開店時間は12:30だったので、Uターンしてミケランジェロが設計した、サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会に行った。
ファサードに “BASILICA” の文字と十字架がなかったら、遺跡と間違えてしまうようなたたずまいだ。
クーポラの天窓から光が差し込み、明るい教会内は、大きな身廊と装飾が煌びやかな翼廊が印象的だった。
裏庭に出ることができたが、同じ敷地内にあるディオクレティアヌスの浴場跡へは行き来はできなので、一旦外に出て廻りこまなければならない。
出口に向かおうとした時、韓国人とアメリカ人のふたり組の女性に声をかけられた。
ベルニーニ作の天使の矢で心を射抜かれた聖女の彫刻はどこにあるか知っているか?とのこと。
ひととおり教会内を見たつもりだったが、彼女たちが説明する彫刻はなかったので、一緒に教会内をもう一度探してみたが見つからなかった。
彼女たちはどうしてもそれを見たい様子で、アメリカ人の子が教会の人に聞いたところ、別の教会だと言う。
折角の機会なので、一緒に行くことにし、教えられた方向に行ってみたが教会らしい建物がない。
彼女たちは本当に残念そうな表情。そこで、「教会の名前はわかる?」 と聞くと、私が持っていた地図に載っている教会だったので、目的のサンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア教会に無事ふたりを連れて行くことができた。
中では側廊でミサが行なわれていたので、そっと奥まで行くと、その官能的とさえ言える美しい 「聖テレーザの法悦」 は、翼廊にあった。
ノーマークだったこの教会。ふたりのお陰でこんなにも素敵な作品を見ることができたことに感謝。
私はまだ他に行きたいところがあり、時間も少なくなっていたので、まだそこに居るというふたりと別れ、ディオクレティアヌスの浴場跡に行った。
中は博物館になっていたのだが、じっくり見て廻る時間はなかったので、美しいキオストロ 「ミケランジェロの回廊」 だけはじっくり見てから、朝イチで一度行ったサンタ・マリア・マッジョーレ教会に向かった。
この教会は、「ローマ七大聖堂巡礼」 のひとつで、他の6つは街の周辺(当時の城壁外)にある中、ここは巡礼地の焦点になるように、唯一街の中心部に建っている。
ここでもミサが行なわれていたので、主祭壇の近くにあるベルニーニのお墓まで行くことができなかった。
近くにあるサンタ・プラッセーデ教会を地図で確認しながら、細い路地を歩いていたが教会らしい建物がなく、立ち話をしていたバールのおじさんに聞いても歩いてきた路地の脇にあると言う。
引き返して通り過ぎないように左右をゆっくり見ながら歩いていると、およそ教会とは思えない入口を見つけた。
しかし内部は煌びやかなモザイクで飾られ、中でも壁から天井まで一面がモザイクで飾られた 「サン・ゼノーネの礼拝堂」 は黄金の輝きを放ち、荘厳さに満ち溢れていた。

 共和国広場
 S.マリア・デッリ・アンジェリ教会
 「聖テレーザの法悦」
「ミケランジェロの回廊」
 サンタ・マリア・マッジョーレ教会
 サンタ・マリア・マッジョーレ広場のオベリスク
 サンタ・プラッセーデ教会のモザイク

教会のモザイク画が好きな私が、その素晴らしさに目を奪われている間に、空港行きの列車の時刻が迫っていたので、急いでホテルに戻って荷物を受け取り、早足でテルミニ駅に向かった。
途中、それまで一度も入ったことはなかったが、テーブルの仕度をしていた毎日のように顔を合わせていたリストランテのウェイターが、石畳の道を転がるスーツケースのキャスターの音に気付いたのか、私の方を見て “ciao!” と手を振ってくれた。
ギリギリセーフでレオナルド・エクスプレスに乗り込み、無事フライトのチェック・インを済ませた後、搭乗の時間まで余裕があったのでジェラートを求めて空港内を探し回ったが、フィウミチーノ空港の飲食設備はショボく、最後にもう一度食べたかったジェラートにありつくことができなかった。
フランクフルトでの乗り継ぎ時間が4時間あったので、フランクフルトは空港から街の中心まで列車で15分ほどで行けるため、1時間半ほど観光する予定を立てていた。
しかし、フライトの時間になってもなかなかゲートが開かない。そうこうしていると、ゲートが変わり、30分遅れるというアナウンスが流れた。
ま、30分くらいならいいか・・・と思ったが、待てど暮らせど一向にゲートが開かない。
またまたアナウンスが流れた。フランクフルトが悪天候のため、もう30分遅れると言う。
ちょっと心配になってきた。やっとゲートが開き、飛行機に乗り込んだものの、今度は機内アナウンスで、まだ離陸できないと言うではないか。
飲みものまで出て、機長がひたすら詫びるのだが、どのくらい待つかの目途が立たない様子。
それでも、その時点ではまだフランクフルト観光を諦めていなかった。しかし、そんなに遅れるなんて、どんだけ悪天候なんだ?ローマはこんなにいい天気なのに・・・と思いながら、結局離陸したのは定刻から1時間20分後。
さすがにここまで遅れると、行って帰ってくるだけだし、天気も悪いのなら仕方ないか、と諦めモードになって行った。
フランクフルトが近付いてきたが、別に雨が降っている気配もない。悪天候っていったい・・・。
遥かに到着が遅れたため、到着ゲートがなく、タラップを降りて外に出てバス移動だった。その外に出た時、もの凄い強風だったので、悪天候とはこのことか・・・と思うしかなかった。
ターミナルビルに着いて、それでもなんかスッキリしなかったので、空港ビルの地下にスーパーがあるのを知っていたので、ターミナルの外に出てスーパーでお菓子や紅茶を半ばヤケ買い。
ローマの空港で食べられなかったジェラート。でもドイツにジェラートはないよなぁ・・・と思っていた時、目に入ったのがハーゲンダッツ。
ハーゲンダッツは日本でも食べれるし・・・と一瞬思ったが、体はアイスクリームを欲していたので、 “ラズベリー・クラシック” という日本にはないフレーバーをチョイス。甘酸っぱいシャーベット状の、すっきりした味で美味しかった。
成田への便は、ルフトハンザと共同運航のANAだった。国内線はいつもANAだが、国際線のANAに乗るのは初めて。
真ん中辺りの後ろには誰もいない席だったので、後ろの人がぶつかる煩わしさもなく、充実した機内設備と美味しい機内食で、ゆったりとくつろいで帰路についた。
フランクフルトを観光することができなかったのが、残念でならない。そのためにデジカメのメモリを残していたのだが、悔しくて機内から空と雲の写真を撮りまくった。
 フランクフルト空港
 機内からの空 

ローマもフィレンツェもアレッツォもオルヴィエートも、今回行っていないところがまだまだあるし、行ったけど見足らないところやもう一度行きたいところがたくさんあるので、是非また訪れたい。
そのために、トレヴィの泉にお願いしたのだから・・・。

ローマ再び・・・滞在5日目 後編

2008-03-30 | travelog


オルヴィエートから戻り、再びローマ散策。
翌日は帰国、まだ行っていないところやもう一度行きたかったところをくまなく廻った。
カエサルが暗殺された場所、アレア・サクラを見たあと、たくさんの人で賑わうナヴォーナ広場に向かった。
その途中、面白い形をした湧水を見つけた。鹿の頭部と本がデザインされた泉で、帰国してから調べると、近くにローマ大学の学部があったので、学問のシンボルとしてデザインされたとのこと。ローマの人たちには、この泉の水を飲むと頭が良くなると言われているらしい。
ナヴォーナ広場には3つの大きな噴水があるのだが、真ん中にあるオベリスクを掲げるベルニーニ作のいちばん大きな 「四大河の噴水」 は修復中で、残念ながらフェンスで囲まれていたので、隙間から少し見えただけ。
「ムーア人の噴水」 と 「ネプチューンの噴水」 を鑑賞したあと、狭い路地を抜けて旧市街のジュリア通りまで歩いた。
バチカンから繋がるこの通りは本当に情緒があり、この日は日曜日で、3日前に来た時以上に歩いている人も通る車も少なく、シーンと静まり返っていた。
暫く歩いたあと、ミニバスでコロッセオを越えてサン・クレメンテ教会に行った。
この教会は、ほとんど12世紀のままに残されているとのこと。後陣のドーム部分に描かれたモザイク画 「十字架の勝利」 が見どころなのだが、ミサが行われていたので、近くで見ることができなかった。
教会を出た後、4日前に行った時に閉まっていて中に入れなかったサン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会までジェラートを食べながら歩き、ミケランジェロの 「モーゼ像」 を見に行った。
「モーゼ像」 は、素人の目にもいかに素晴らしいかが一目瞭然で感じることができた。
その姿はとても美しく、見据えるような表情、膝近くまで垂れた長い顎髭、筋肉隆々の二の腕など、全てに惹きつけられた。

 アレア・サクラ
 頭が良くなる(?)泉
 ナヴォーナ広場
「ムーア人の噴水」
 閑静な旧市街地のジュリア通り
 サン・クレメンテ教会
 ミケランジェロの 「モーゼ像」

「モーゼ像」 をたっぷり鑑賞したあと、次の目的地に行けるバスを探したが、そこから付近に行くバスがなかったので、一度ヴェネチア広場まで戻って乗り継いだ。
チルコ・マッシモの近くで降り、サンタ・サビーナ教会までアヴェンティーノの丘の脇の道を登って行った。
あらかじめ調べていた教会の閉館時間までまだ1時間近くあったのに既に閉まっていて、他に入口がないかどうかとウロウロしていたら、中からシスターが出てきたので聞いてみた。
しかし、英語が全く話せないお年寄りのシスターにはなかなか話が通じず、そうこうしていると今度は神父さんが来たので聞いてみると、“入りなさい” と言って教会の横にある普通の家のようなドアのあるところまで連れて行って中に入れてくれた。
しかしそこは礼拝堂ではなく、食堂や庭があって教会の裏側といった感じのところ。次々と地元の人たちがやってきて、庭の奥にある部屋に入って行っている。
案の定、私はかなり浮いていた。その庭にある部屋は図書室で、どうやらこれから聖書の朗読会が行なわれる模様だ。
受付のようなところにいた人に、礼拝堂の中を見せてもらえないかどうか聞いてみたが、もう閉めてしまったのでごめんなさい、とのこと。
礼拝堂の床に描かれた、モザイクで飾られた墓石を見たかったのだが諦め、お礼を言って外に出た。
真実の口の近くのバス停まで歩き、バスを待っていると、皮ジャンを粋に着こなしたちょいワルおやじならぬ、ちょいワルじいさんって感じのおじいさんが声を掛けてきた。
“テルミニ駅に行くのか” と聞くので、トリトーネ通りまで行ってサンタンドレア・デッレ・フラッテ教会に行くと答えると、“6つ目のバス停だよ” と言って教会への道を教えてくれた。知ってるんだけど・・・と思いながら・・・。
【6つ目のバス停と言っても、ローマのバスも地下鉄も車内アナウンスなんかない。バス停の表示も、バスの中からは見えない。私は地図で場所を確認しながら、その場所が近付いてきたら降車ボタンを押して降りていたが、通り過ぎたところで気が付き、ひとつ手前まで引き返すことも何度かあった。】
そのおじいさんはローマの生き字引のような人で、バスがなかなか来なかったので、その間いろんな話しをし、“今までどこに行った?” という質問に答えた場所全てに、解説を付けて話してくれた。 
“日本は行ったことはないけど、たくさんの地名を言えるよ” と言って、“発音合ってる?” なんて確認しながら、東京はもちろん、広島・札幌・長崎・静岡・・・と言ってバス待ちの時間を楽しませてくれた。
暫くしてバスが到着。握手と軽いハグをしておじいさんと別れ、サンタンドレア・デッレ・フラッテ教会に向かった。
実はローマ2日目に一度この教会には入ったのだが、なんとなくもう一度行きたくなってやってきた。中に入ると日曜夜のミサが行なわれていた。
いい機会だと思い、後の椅子が空いていたので座り、ミサに参加してみた。神父さんの話はもちろんイタリア語で、時々聞こえてくる “クリスト” という言葉以外は、全く何を言っているのかわからなかったが、見よう見真似で周りの人と一緒に立ったり座ったりしていた。
お説教が終わり、賛美歌を聞きながら(みんなは一緒に歌っている)、周ってきたシスターが持っているカゴに献金のコインを入れ、賛美歌が終わると両隣の人と握手。
そのあと神父さんの前に並んで、聖水に浸した丸くて白いおせんべいのようなものを口に入れてもらい、ローマ最後の夜にちょっと不思議で神聖な体験ができた。
教会を出たあと、バールでスパゲッティ・カルボナーラで夕食を摂り、フォーリ・インペリアーリ通りまで歩いて、オレンジ色にライト・アップされた夜の遺跡群を眺めたあと、荷物のパッキングをしなければならなかったので、早めにホテルに戻った。

 チルコ・マッシモ
 この祭壇の前でミサが行なわれた
 夜の遺跡群 「マルス神殿とフォロ」


★タイトル写真は、真実の口広場近くの神殿。

世界でいちばん美しい丘上都市、オルヴィエート・・・滞在5日目 前編

2008-03-25 | travelog


前日アレッツォに行った時と同じ時間のインターシティで、ローマから約1時間の街、オルヴィエート(Orvieto)に向かった。
この街もアレッツォ同様、フィレンツェを調べていて目に留まった街。
この日は2等車に乗車。1等車に比べると若干シートは固かったが、内装などはさほど違いはなかった。
しかしとても混んでいて、やはり指定席ということなど全く無視。私と向かいのおばさんは早くに乗車していたので自分の席に座っていたが、ヨーロッパの若者たちのグループがわんさかやってきて、勝手に席の上の荷物置場に大きなリュックを載せ、空いていた1つの席に3人で座るという有様で、その隣のおばさんの迷惑そうな表情が消えなかった。
おまけに通路に立っている3人の仲間も一緒になってめちゃくちゃうるさく、私のとなりに座っていた韓国人の男性は膝の上にコーヒーをこぼされてしまい、結局その後席を立って戻ってこなかった。
英語でもなくイタリア語でもなく、フランス語やドイツ語でもない言葉が飛びかっていたが、いったいどこの国の若者たちだったのだろう・・・。
しかし、海外で中国人以外でここまでうるさい外国人に出会ったのは初めて。
安い2等車だから仕方がないのかも知れないが、本当にうるさかった。音楽を聴いていなかったら、私も席を移っていたかも知れなかったが、他に空席もなかった。
我慢すること約1時間、オールヴィエートに到着。イタリアに限らず、ヨーロッパの列車のドアは、ユーロスターなどの超特急列車以外は手動というのが殆んど。
駅に着いてドアを開けるボタンに開閉可能のランプが点くと、私の前の男性が開けても半分も開かずに固まってしまったので、その男性とあわてて隣のデッキに移って下車した。こういうことは日常茶飯事らしい。

オルヴィエートという街は、大地から隆起した凝灰岩の自然の城壁に囲まれた要塞都市で、“世界でいちばん美しい丘上都市” と言われている。
私はお酒を飲まないので知らなかったのだが、白ワインの生産地としても有名な街なのだそう。
鉄道の駅から、フニコラーレという可愛いケーブルカーで街まで昇る。5分も経たない間に到着。景色を眺めている間もなかった。
ちなみに車で来た時は、街の中は大部分が車両通行止めなので、フニコラーレのある方の反対側の丘の下に大きな駐車場があり、車はそこに駐車してエレベーターとエスカレーターを使って街に入るのだそうだ。
フニコラーレの駅から街のドゥオモ広場まで、バスで坂を上って行った。
中世の面影を残す家並を抜けると、目の前がパーッと開け、信じられないほどの美しい建物が目の前に広がってきた。
“ゴシック建築の宝石” とも言われている、オルヴィエートのドゥオモ。フィレンツェのドゥオモも素晴らしかったが、それ以上にとても美しく、本当に宝石のようなその煌びやかさにうっとり。
まだ朝8時過ぎ。風が少し冷たくて、コートの襟を立ててマフラーを巻き直していると、ドゥオモの前を掃除していたおじさんが、“寒い?中に入る?” って声を掛けてくれたので、“もう中に入っていいの?” と聞き返すと、教会のドアを開けてエスコートしてくれた。
冷たく神聖な空気が張り詰めた広いドゥオモの中は、祭壇の前を掃除している2人のおじさんがいただけで私ひとりの貸切。
美しいステンドグラスや壁のフレスコ画、イタリア最大のパイプオルガンなどをたっぷり鑑賞したあと、ひとまず外に出てバールで一服。
サービスで出してくれたブリオッシュ(甘いクロワッサン)は、想像していたよりはさほど甘くなく、とてもおいしかった。
カプチーノであったまったあと、街の中心まで歩いた。ドゥオモ広場はとてつもなく広いが、そこ以外は狭い石畳の道が続いていた。
オルヴィエートは、市内に新たな住居を建てることが禁止されているため、新しい建物は、丘の下にある新市街に建てられる。なので、旧市街の建物は全て中世のまま。
トゥーフォという凝灰岩でできている建物の、味のある色は優しくて柔らかく、歩いているだけで気持ち良かった。
あいにくこの日もお天気がすぐれず、街の真ん中にある小さなサンタンドレア教会を出ると雨が降っていたので、傘を持っていない私は一旦ドゥオモ広場に引き返し、インフォメーションでドゥオモ内の聖ブリッツィオ礼拝堂の入場チケットを買って、再びドゥオモに入った。
祭壇の右袖廊にある礼拝堂は、祭壇のそばからでも見えるが、普段は暗くて中まで見えない。その薄暗かった部屋にライトが灯り、ルカ・シニョレッリのフレスコ画が壁一面に装飾された見事な礼拝堂に入った。
“最後の審判” をテーマにしたエピソードが天井と壁に描かれていて、色使いが美しく、線のタッチが柔らかいフレスコ画で埋め尽くされ、とても素敵な礼拝堂だった。

 丘の上にある街
 フニコラーレの線路
 ドゥオモのファサード
 イタリア最大のパイプオルガン
 聖ブリッツィオ礼拝堂

ドゥオモを出た後、目的を定めずに街を歩いた。お店が集まる通りには、可愛い手描きの花や果物をモチーフにした陶器が店先にたくさん並ぶお店が何軒かあった。オルヴィエートは、エトルリア時代から陶器の街としても知られている。
20分ほど歩いたところで、街のはずれに出た。霧雨がまだ降っていたが、城壁から眺めるウンブリア州の景色はとても綺麗で、かなりの時間をその周辺で過ごした。
その内雨も上がり、霧も晴れてきたので、眺める景色の視界も広がって行った。新鮮な空気をたっぷりと吸い込む。
城壁は私の好きな街の共通点だが、この街は街全体をぐるりと囲む城壁が殆んど全部残っていて、その頑丈な造りと重圧感は、要塞時代はもちろんのこと、歴史や遺跡を守ってきた証を感じる。
この辺りには殆んど歩いている人が居なく、時々地元の人の小さな車が通るだけ。人懐っこい猫が近寄ってきて、足元にまとわりついてきてなかなか離れようとしない。
のどかで時間の経つのも忘れ、のんびりすることができた。そのまま少し城壁づたいに歩き、坂道を昇ったり下ったりしながらドゥオモ広場まで違う道を通って戻った。本当に歩いているだけで十分満喫できる街。
約4時間の滞在で、帰りの列車の時間まで1時間を切っていたので、広場からバスでフニコラーレの駅まで行き、駅横のカーエン広場にあるサン・パトリツィオの井戸を見に行った。
深さ62mの凝灰岩をくり抜いた井戸は、覗くと吸い込まれそうになり、真上から差し込む光が深い底まで照らしていて、とても幻想的だった。
1527年に、ローマ略奪から逃れるためにオルヴィエートに避難してきた教皇クレメンテ7世の命によって、攻城に備えて水源確保のために造られたこの井戸は、248段の二重になった螺旋階段が、水管の回りを囲んでいる。
これは、一方は水を汲みに降りる階段、もう一方は水を地上に運ぶ階段として作られ、昇り降りの人々がぶつからないように設計された見事なアイデア。
時間がなかったので下まで降りることはできなかったが、いちばん下からの眺めも素晴らしいだろうなと想像だけして立ち去った。

 城壁から見た街並
 城壁から見た田園風景
 城壁
 城壁づたいの道
 可愛かったオルヴィエートの猫
 趣きのある小路
 サン・パトリツィオの井戸の外観
 サン・パトリツィオの井戸
 井戸の周りを囲む螺旋階段

鉄道駅に向かう下りのフニコラーレに乗り込むと、フニコラーレの操縦室があった。
そこにいたおじさんと目が合うと、愛想のよい笑顔が返ってきた。カメラを向けるとポーズを取ってくれたのだが、シャッターを押す寸前に発車のベルが鳴ったので、すぐに真剣な顔に戻ってしまった。
お互いに手を振って、フニコラーレが出発。単線なのだが、途中に分岐した箇所があり、昇ってくるフニコラーレとすれ違った。
その後、少し到着の遅れたインターシティに乗り、再び混み合う2等車に揺られ、ローマに戻った。
オルヴィエートは、夜になると街全体がオレンジ色にライトアップされ、とても幻想的で昼間とはまた違った美しい街並が見れるらしいので、また機会があれば今度は泊って滞在したい。
またひとつ、私の大好きな街ができた。

 すれ違い様のフニコラーレ

後編につづく。

花の都フィレンツェを歩く・・・滞在4日目 後編

2008-03-22 | travelog


アレッツォを出発して列車で約1時間、予定通りお昼にフィレンツェ(Firenze)に到着。
フィレンツェの中央駅サンタ・マリア・ノッヴェラ駅も、ローマのテルミニ駅に負けない大きさだった。
フィレンツェ散策は半日、夜8:40のユーロスターでローマにトンボ帰り。
まず、ツーリスト・インフォメーションに行って地図をもらったが、全体の位置関係を見るにはいいが、通りの名前などをパッとすぐに見つけるにはあまりにも細かかったので、あらかじめ自分で用意していた地図をポケットに入れて行動開始。
駅前のサンタ・マリア・ノッヴェラ教会の前には、露店が並んでいた。正面は反対側なので教会の横をサンタ・マリア・ノッヴェラ広場の方へ歩いて行き、中には入らず写真だけ撮った。
そこからメディチ家礼拝堂の屋根が見えたので、だいたいの位置を頭に入れ、駅前に戻ってから地図を頼らずにその方向に歩いてみた。
ここら辺の路地を曲がった辺りかな?と方向を定めながら歩き、無事到着。ここも中には入らず、となりのサン・ロレンツィオ教会と併せて見たあと、ドゥオモを目指した。

 サンタ・マリア・ノッヴェラ教会のファサード
 サンタ・マリア・ノッヴェラ教会の裏側

フィレンツェと言えば、映画 『冷静と情熱のあいだ』。でももう随分前に一回観ただけだったので、映画に出てきた場所はドゥオモしか覚えていなかった。
その映画の影響もあってか、ドゥオモのクーポラに昇るのが日本人観光客の定番となっているようだが、私はどうしてもフィレンツェの街とクーポラの天蓋が一緒に入る写真を撮りたかったので、ジョットの鐘楼に昇ることにしていた。
サン・ジョヴァンニ広場に差し掛かかると、目の前に壮大な光景が広がった。八角形の、ダンテも洗礼を受けたというサン・ジョヴァンニ洗礼堂の向こうに、圧倒的存在感で建つドゥオモ。
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂は、このサン・ジョヴァンニ洗礼堂とドゥオモ(大聖堂)とジョットの鐘楼の3つで構成されている。
ドゥオモのファサードは、白を基調とした淡いピンクや緑の大理石で装飾されていて、そのひとつひとつの装飾がとても繊細で、優しさのある華やかさだった。
横に廻ってジョットの鐘楼に入った。狭くて結構急で、上に行くにつれて細くなって行く階段を、ひたすら昇る昇る。バチカンのサン・ピエトロ大聖堂のクーポラに昇った時もそうだったが、普段の生活では駅の階段でさえ不精してエスカレーターやエレベーターを使う私が、414段もの階段をよく昇ったものだと、今更ながら思ってしまう。
途中、何ヶ所か外を見晴らせる場所があり、ベンチに腰掛けて休憩している人もいた。
階段の途中からの景色を見ながら頂上に達した時、目の前に広がる赤レンガのフィレンツェの街並は、それはそれは可愛くてきれいで、ため息が出た。
360度見渡す限りの赤い街並は、私の大好きなイギリスの街ヨークを彷彿させた。
向かいにクーポラが見え、たくさんの人が昇っていた。でもジョットの鐘楼の頂上は空いていて、ゆっくりじっくり景色を眺めることができた。
ここでも残念ながら真っ青な青空は期待できなかったのだが、かなりの時間をそこで過ごしている間に雲が少し晴れてきた。夕焼けを密かに期待する。
ジョットの鐘楼を降りたあと、ドゥオモの中入って鑑賞し、サン・ジョヴァンニ洗礼堂のミケランジェロが名付けた “天国への門”(レプリカ) の前に行くと、意外や意外、人だかりにはなっていなかったので、じっくりとその見事な旧約聖書の10場面を描いたレリーフを観ることができた。

 ドゥオモ(大聖堂)とジョットの鐘楼
 サン・ジョヴァンニ洗礼堂と「天国の門」
 ドゥオモとクーポラ
 ジョットの鐘楼からの街並
 クーポラと街並

その後、多くの人が行き交うメイン・ストリートのカルツァイウォリ通りを抜けて、シニョーリア広場へと向かった。
フィレンツェもローマ同様、かなりの日本人観光客がいて、学生の卒業旅行っぽい5~10人くらいのグループがやたら居たが、こっちが恥ずかしくなるくらいうるさくてうんざり・・・。
おなかも空いてきたので、シニョーリア広場の近くのバールで食事。この日は贅沢しようと決めていたので、ひとりでも気軽に入れそうなテラスのあるバールを選んで、ほうれん草のクリーム・パスタを注文した。
私のテーブル担当のウェイターは、何かを持ってきてくれる度にとても愛想良くお茶目に声をかけてくれた。
パスタは当然の如く美味しく、デザートのティラミスとミルクたっぷりのラッテ・マキアートは絶妙だった。
ウェイターにパスタはどうだった?ティラミスは?と聞かれ、“モルト・ブォーノ!” とお礼を言い、おなかいっぱいになってバールを後にし、シニョーリア広場に戻った。
広場に面するヴェッキオ宮殿の前には、ミケランジェロの傑作 “ダビデ像” があった。でもこれはレプリカで、本物はアカデミア美術館のガラスの中に保管されている。
フィレンツェに来てウフィッツィ美術館に行かないのは邪道だ、と言われそうだが、今回半日しかないことだし美術館には入らず、前だけ通ってアルノ河岸まで歩いた。
噂通り、美術館はかなりの行列が出来ていた。ポンテ・ヴェッキオ(ヴェッキオ橋)を眺めたあと、ダンテの家を見てから、共和国広場を通って一旦駅前まで引き返した。友達に頼まれていた、サンタ・マリア・ノッヴェラ薬局での買い物があったからだ。しかし、これが後で行動ミスになるとはこの時は思わなかった。

 ヴェッキオ宮殿
 ミケランジェロのダビデ像(レプリカ)
 ウフィッツィ美術館
 ポンテ・ヴェッキオ

途中少し迷ってしまい(そのお陰で可愛い教会を発見!)、何人かに道を聞き駅前に着いた。
薬局は分かりにくいところにあるということを、下調べで知っていたので、真っ直ぐツーリスト・インフォメーションに行って場所を確認。最初に行った時、聞いておくべきだったと悔やむ。だって、その分時間のロス。
薬局・・・と言っても、サンタ・マリア・ノッヴェラ教会が営んでいるので、お店と言った感じは全くなく、まさに教会の中という感じで、その世界最古の薬局の扉を開けると、薬草の香りが漂う店内にいるお客さんは、なんと日本人ばかり・・・(苦笑)。
その香りは、さすがハンニバル・レクター博士も愛用するだけあって(?)とても高貴な香りで、ちょっと値が張ったが自分用にもハンド・クリームを購入。
薬局を出たあと、ミケランジェロの丘に向かった。
実はその前に、どうしても行きたい教会があったのだが、ミケランジェロの丘でフィレンツェの街を一望し、夕暮れを楽しむつもりだったので、そこに行っていると夕暮れに間に合いそうになく、途中そこを通るバスもわからなかったので、ちょっと時間的に早かったがひとまずバスに乗って向かった。
途中、桜が咲いていたのに驚きながら、もうひとつのダビデ像のレプリカが立つ広場に着いた。
そこから眺めるフィレンツェの街は、それはそれは美しく、とてもロマンティックだった。
山の方は夕焼けで空がオレンジ色に染まり、ドゥオモやポンテ・ヴェッキオも見えて、本当に最高の眺めだった。
6時頃にはだんだんと暗くなってきて、街にもポツポツと灯りがともり、更にロマンティックな景色を眺めることができた。



 

ローマの教会は6時半か7時頃まで開いていたので、その行きたい教会、サン・クローチェ教会もまだ開いていますようにと切に願い、教会の方向に行きそうなバスに乗り込んだ。
バスが進む道を地図で確認しながら乗っていると、予想どおり教会近くの道に差し掛かったのでバスを降り、時計を見るともうすぐ6時半。すっかり日も暮れ、急ぎ足で向かった。
しかし、教会の前のサン・クローチェ広場に人はまばらで、教会の周りも階段に何人か座っているだけだった。
横に廻って入口らしきところを探したが、どこも閉まっていて人が入っている気配がない。
その時、丁度向こうから歩いてきた日本人男性ふたり組に声をかけ、ガイド・ブックを持っていたらこの教会のオープン時間を見てほしいと頼んだ。
しかし、サン・クローチェ教会はガイド・ブックには取り上げられていなかったので時間はわからず、その人たちは昼間中に入ったので、入口がどこかを教えてくれたのだが、そこは既に柵で閉ざされていてもう入れないことを確信。
一旦駅前に戻る前、少し距離はあったと言えど、先に行っておけば良かった・・・もしくは、駅に戻った時にインフォメーションで、ミケランジェロの丘に行く途中にここを通るバスを聞くべきだった・・・と悔やむ。
何故そんなに悔やむのかと言うと、この教会にはミケランジェロとガリレオ、そして私の好きな作曲家、ロッシーニのお墓があるのだ。
悔やんでも悔やみきれない・・・。でもどうすることもできないので、その後しばらくそこに立ち尽くしてじっくり教会を見つめていた。

 中に入れなかったサン・クローチェ教会

その後アルノ河沿いの道を歩いてポンテ・ヴェッキオまで行き(そんなに遠くなかったので、またまた後悔・・・)、夜景を堪能した。
あらかじめ調べておいた、安くて美味しいジェラート屋 “dei Neri” に行き、ブルーベリーとカプチーノのジェラートを買って、夜のフィレンツェの街を散歩。
そのジェラートは評判通りで、これまで食べたジェラートの中でも群を抜いて美味しかったので、とっても満足。
夜のドゥオモを見たあと、ユーロスターの中で食べるためのパニーノを買って駅に向かった。
発車時刻間際になっても、時刻掲示表にはまだ入線するホームが表示されず、待合室で注意しながら待つこと15分。その内遅れのアナウンスが流れた。
本当に直前にホームが表示される。こういう時、日本の時間に対する意識と正確さは優秀だな~とつくづく思う。
ミラノから約30分遅れて到着したユーロスターの1等車、私の席には案の定人が座っている。指定席だがそんなのおかまいなし、というのも日本と違うところ。空いているところに座ればいいじゃん、という風習なのだ。検札の車掌も何も言わない。
なのでもちろん私も空いている席に座り、インターシティの1等車と比べるとかなり豪華なユーロスターの1等車は飲みものも出て、ローマまで1時間半、快適な列車の旅で一日を終えた。

 夜のポンテ・ヴェッキオ
 アルノ河
 激旨のジェラート
 ユーロスター・イタリア

エトルリア人が築いた街、アレッツォ・・・滞在4日目 前編

2008-03-16 | travelog


この日は列車の旅。テルミニ駅6:55発のインターシティでフィレンツェに向かう途中、トスカーナ州のアレッツォ(Arezzo)という小さな街に途中下車した。
イタリアの鉄道のきっぷには、特急列車などが対象の、出発日の前日の夜24時まで購入すると10ユーロ以上のきっぷが20%オフで購入できる、AMICA(アミカ)というお得なきっぷがある。
席に限りがあるので、ローマに着いた日、あらかじめ購入しておいた。
イタリアの鉄道は遅れるのが当たり前と言われているが、テルミニ駅始発なので、まずその心配はなさそうだった。
駅の時刻表でホームを確認して行ったが、入線している列車はとてもボロくて、その時はとてもそれがインターシティだとは思わなかった。
しかしホームを少し歩いていると、列車のボディに “Inter City” と書いてあった。
ちょっと贅沢に1等車を取っていたので、シートはまずまずだった。3人掛けシートが向かい合って個室になっている。
自分の席に行くと、紳士がひとり既に座っていた。挨拶を交わして出発を待つ。その後、もうひとり女性が来たが、何故かその女性は荷物だけ座席に置いて、ずっとデッキに立っていた。

ローマから約2時間、9時前にアレッツォに到着。駅を出ると、のんびりとした空気が漂ってきた。
駅横のツーリスト・インフォメーションで地図をもらおうと思ったのだが、9時オープンなのに誰もいなく、鍵がかかっていた。
あらかじめインターネットで調べた情報のメモと、プリント・アウトした地図を持っていたので、諦めてそのまま旧市街へと向かった。フィレンツェに向かう列車の時間まで2時間。どこまで廻れるか・・・。
駅前のグイド・モナコ通りを歩いて行くと、間もなくサン・フランチェスコ広場に突き当たった。しかし丸い広場は工事中で、周りはぐるっと鉄板で覆われていた。
そのまま進むと、サン・フランチェスコ教会が見えてきた。ここには、アレッツォの近郊出身のルネッサンス期の画家、ピエロ・デラ・フランチェスカの代表作のフレスコ画、「聖十字架伝説」 がある。
中に入ると、お祈りをしている人がひとり居ただけで、シーンとしていた。外の光だけの薄暗い礼拝堂の後陣部分に、2000年に15年かけて修復が終わったその 「聖十字架伝説」 があった。
キリスト磔刑に使用された聖十字架を捜し発見するまでの物語が、話題別に分けて描かれていて、真ん中空中に十字架が架けられている。
イタリア・ルネッサンスにおける最も重要な作品のひとつと言われているその絵は、タッチが優しく、とても色使いが綺麗で、それはそれは本当に素晴らしかった。

 サン・フランチェスコ教会
 「聖十字架伝説」

教会を出て、石畳の路地を歩く。実はこの街、ロベルト・ベニーニ監督主演の映画 『ライフ・イズ・ビューティフル / La Vita e Bella』 の舞台となった街で、監督の出身地でもある。
映画で何度も出てきたグランデ広場に出た。残念ながらここも工事中で、広場の中に入ることはできなかった。
たくさんのアーチの丸いファサードが印象的なサンタ・マリア・デッラ・ピエーヴェ教会と、その隣にアレッツォ出身の芸術家、ヴァザーリが設計したロッジアの宮殿があり、回廊にはバールやリストランテがあった。
その回廊から坂道に差し掛かる階段も、何度も映画の中に出てきていたので、劇中のシーンを思い出しながらそこを歩いてみたり・・・。
歴史と文化が刻まれている街並を眺めながら、そのまま坂道を登って行くと、大聖堂が見えてきた。
大聖堂の前の階段・・・雨の中、水溜りを気にするヒロインのために赤い絨毯を広げたあの階段だ。映画のシーンそのまんまの風景が、目に飛び込んできた。
大聖堂の中も2~3人しか人がいなく、フレスコ画やたくさんの美しいステンドグラスを堪能することができた。
大聖堂の横にインフォメーションがあり、バール兼お土産屋さんでトイレを借りたあと、イル・プラトの敷地内のテラスに出ると、そこから城壁を越えた向こうの街並が見渡すことができ、もっと晴れていればきっと綺麗な展望だったのにな・・・と残念に思う。
その後、ロマネスク様式の可愛い形をした鐘楼がある、サン・ドメンコ教会の前まで行き、また大聖堂の前の広場まで引き返した。
大聖堂の前には市庁舎があり、そこにある時計塔が歩いてきた途中何度も見えて、きっとアレッツォの人たちの目印にもなっているんだろうなと感じた。
結構急なアンドレア・チェザルピーノ通りの坂を下って行くと、再びサン・フランチェスコ教会の前に出た。
さっき来た時は外にもほとんど人がいなかったが、小学生のグループが教会を見学に来たらしく、何やら賑やかな教会前だった。
そろそろ駅に向かった方が良さそうな時間になっていたので、ジェラートを食べようと思い、アレッツォで人気という “PARADISO” に行ったのだが閉まっていたのが残念! 食べたかったな~。仕方がないので駅前まで行き、列車の時間までバールで過ごした。

 サンタ・マリア・デッラ・ピエーヴェ教会
 ロッジアの宮殿
 市庁舎
 大聖堂
 サン・ドメンコ教会

別に映画のロケ地を巡りたかったのではなく、フィレンツェを調べていた時に目に留まった街アレッツォ。
映画も行くのを決めた後で観たので、まだ新鮮に街の様子が目に焼き付いていて、歩いていてとても楽しかった。
アレッツォの教会の前には、必ず彫像が建っていたのが特徴のひとつだったことも発見できたし、石畳の坂道や石造りの建物は風情があり、のんびりした空気が漂い、高い建築技術を持っていたエトルリア文化の歴史があちこちに残る、ステキな街だった。
それに、日本人には全く出会わず、観光客らしい人もほとんど見かけなかった。
2時間という短い時間でも旧市街を十分に廻ることができたが、もう少しゆっくりしたかったなというのが本音。
でも、お昼にはフィレンツェに着いていたかったので、5分遅れで到着した予定の列車に乗った。

 風情のある石畳の坂道

後編につづく。

ローマ・ルネッサンス散策~バチカン博物館・・・滞在3日目 後編

2008-03-14 | travelog


バチカンを後にし、テヴェレ河岸に建つサンタンジェロ城へと向かった。イタリア語でSant' Angelo、聖天使という名のお城。
前日行ったバルベリーニ宮の博物館の人が 「ROME PASS」 を何もチェックしなかったので、ここは3ヶ所目なのに無料で入れた。ラッキー!
特にコレと言った展示物はないのだが、中世に教皇の要塞・避難所として、また牢獄として使用されていたので、城の中の薄暗い通路や階段にはその名残があり、通風口やあちこちにある壁のくぼみ、弾薬庫の跡などがあった。
テラスに出ると、頂上には城の象徴である大天使ミカエルの像がそびえ立っていた。この像はレプリカで、本物は城の中に保管されているらしい。
お天気がだんだん良くなってきていて、早朝にサン・ピエトロ大聖堂のクーポラから眺めた時よりも、視界が晴れていた。
城の前にはテヴェレ河に架かるサンタンジェロ橋があり、欄干の両脇は、ベルニーニによる天使の像が飾られている。本当にローマの街には、ベルニーニの作品がわんさかある。

 サンタンジェロ橋から見たサンタンジェロ城正面

橋を渡ってローマ旧市街へと向った。バンコ S.スピリト通りからバンキ・ヌオーヴィ通りに入る。
この辺は地元の人ばかりで、観光客は歩いていない。見慣れぬ東洋人の私をじっと見つめながら、お年寄りや子供たちとすれ違う。ニコッとすると、ニコッと笑みが返ってきた。
バールで買ったハムとチーズのホット・サンドを食べながら、ローマ・ルネッサンスのおもむきが残るバンキ・ヌオーヴィ通りの細い路地をゆっくり歩いた。
建物や小さなお店、立ち話をする人々・・・ローマの人たちの生活が見え隠れする。
ブラスキ宮殿(ローマ博物館)の前を通って、V.エマヌエーレ通りに出たところにサンタンドレア・デッレ・ヴァッレ教会があった。
ドメニキーノの見事なクーポラのフレスコ画や、ベルニーニ親子のキューピッドの像などを鑑賞。
教会横の路地を進んで、カンポ・デイ・フィオーリ広場に到着。古い家並みに囲まれた広場一面に、果物や野菜、花や雑貨、古着を売るマーケットのテントがぎっしりと並び、たくさんの人で賑わっていた。
活気溢れるその空気に、生のローマの人たちの日常生活を感じ取ることができた。
その先にある、教皇パウロ3世を輩出したファルネーゼ宮殿の脇を、ツタの絡まる塀づたいに進むと、突き当たりに泉が見えた。
オヤジの顔のようなこの泉、「仮面の泉」 と呼ばれていて、ファルネーゼ家が祝いの時に、ここからワインを流したそうだ。
角を曲がって、とても情緒のある石畳の静かな広いジュリア通りに入り、「ファルネーゼのアーチ」 をくぐった。残念ながらツタは枯れていて、緑のツタのアーチではなかった。

 バンキ・ヌオーヴィ通り
 カンポ・デイ・フィオーリ広場のマーケット
 「仮面の泉」
 ジュリア通りのツタのアーチ
 
テヴェレ河沿いの道に出てバスに乗り、再びバチカンへと向かった。目的は博物館。
そのバスに、ジプシーの子供たちが乗ってきた。大声で話しながら後の方を陣取り、もちろん誰も近付かず、乗客みんなけげんそうな表情をしていた。でもどうしてあの子たちはみな、お腹がポッコリ出ているのだろう。10歳くらいの子も5歳くらいの子も、みんな妊婦みたいだった。
バチカン近くに着き、バスを降りると、ジプシーの子供たちも同じところで降りた。ササッと交わして反対側に渡って離れたが、大勢の観光客が集まるバチカンで物色するのだろうか・・・。
オッタヴィアーノ通りでジェラートを買って、リソルジメント広場でひと休み。たくさんの店が軒を連ねるこの通りには、ジェラート屋も何軒かあり、中には日本人がたくさん入っている店もあった。
ガイド・ブックか何かで紹介されている店なのだろう。でも、天邪鬼な私は、敢えてそういう店には入らない。(笑)
この時選んだフレーバーは、早くも病みつきになっていたピスタチオと、ブラックチェリーのヨーグルト風味。ホント、美味しい!!
博物館に行く前に、サン・ピエトロ広場の入口の方に歩いてみた。途中、バチカン職員の通用門があり、そこにいたスイス衛兵の警備員もおしゃれな制服で身を包み、全然警備員っぽくなかった。
朝来た時とは違って、サン・ピエトロ広場はたくさんの人で溢れ、大聖堂の入口も行列が出来ていた。
博物館に向かって、15分ほど城壁づたいに歩いた。1時間2時間並ぶのは当たり前と情報収集した時に知っていたので、少なくとも並ぶことを覚悟で向かったが、一度も立ち止まることなく、スルーですんなり入館できた。この時点で、午後1時過ぎ。混みあう午前中を避けて、午後にしたのが大正解だった。
バチカン宮殿の大半を占める博物館、当然中はとてつもない広さ。目的を絞って、約3時間半ほどかけて廻った。中でのことはここでは割愛するが、中もとても空いていた。
ただ一ヶ所、ミケランジェロの大天井画と最高傑作 「最後の審判」 が見れるシスティーナ礼拝堂だけは、混みあっていた。
この礼拝堂では、教皇選出のコンクラーベが行われる。薄暗い部屋の両脇にベンチがあったので、空いたところに座り、壮大で見事な作品をじっくり眺めた。
言葉で表現することなどできない、息を呑むほどの圧倒的なスケール。ため息が何度も出た。
礼拝堂を出て絵画館などを見たあと、セルフ・サービスのフード・コートに入り、ペンネ・アラビアータで腹ごしらえした。まずまずの味。

 博物館づたいの城壁
 ピーニャの中庭
 博物館の中
 博物館の中

渦巻き型の丸い螺旋階段(タイトル写真)を降りて博物館を出たあと、地下鉄とバスを乗り継いで、コロンナ広場まで行き、そのままパンテオンに向かって歩いた。
パンテオンは、現存するローマ時代の建築の中で、最も完全な形を残しているのだそう。太い石造りの柱が支える正面の柱廊を抜けて中に入ると、大理石の床とドーム型の天井が広がる聖堂になっていた。
ここは無料で入れるということもあってか、かなりの人で混んでいた。
ラファエロの墓があり、500年近くも前に亡くなった世紀の巨匠がここに眠っているのか・・・と思うと、何とも言えない気持ちになり、その前にしばらく佇む。
パンテオンの横を抜け、ミネルヴァ広場に出た頃には、だんだんと日も暮れてきて、“ミネルヴァのおちびちゃん” と呼ばれる子象の像の背中に乗ったオベリスクの前にある、サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会に入った。
「受胎告知」 のフレスコ画や、ミケランジェロの彫刻などを鑑賞したあと、教会裏の路地に廻ると、ガリレオが地動説の放棄を誓わされた異端審問にかかわった、旧イエズス会ローマ学寮の壁が立ちはだかっていた。
ホテルに戻るルートを考えていた時、目の前をミニバスが通ったのでバス停を探し、次のミニバスでバリベリーニ広場まで行った。
何度か来ている場所だったが、まだ見ていなかった 「蜂の噴水」 を見てから、地下鉄でホテルに戻った。

 パンテオンの列柱
 ミネルヴァのおちびちゃん
 旧イエズス会ローマ学寮
「蜂の噴水」

途中、ピッツェリアで切り売りのピザを買って、ホテルの部屋で夕食。MTVにチャンネルを合わせると、アニメを放送していた。もちろんピザは絶品!
なんか日本のアニメっぽいなと思ったが、当然セリフはイタリア語。画面から目を離していた時、突然日本語の歌が流れてきた。歌はオリジナルなのだ。
でも、なんのアニメかは見たことがないものだったのでわからなかったが、遠く離れたヨーロッパの地で、公共の電波から日本語が流れてきたのには驚いた。
翌日は、それまで以上に早起きしなければならなかったので、シャワーのあと歩き疲れて棒のようになった足に “休足時間” を貼って、即行寝た。

世界最小の国バチカン・・・滞在3日目 前編

2008-03-12 | travelog


朝、前日行ったテルミニ駅横のバールにまた行ってカプチーノを飲み、バスで向ったのは、カトリック教会の総本山バチカン市国(Vatican)。人口僅か800人ちょっとで、総面積0.44k㎡、世界最小の都市国家。
ここを訪れることは、今回の旅を計画するよりもずっと前からの夢だった。
念の為に最初に断っておくが、私はクリスチャンでも何でもない。でも教会が好きで、海外に行くと必ず教会に訪れる。
ロザリオなどのクロスのアクセサリーが好きというのもある。別に詳しくはないが、教会の建築や内装、フレスコ画、モザイクや彫刻を眺めているだけでいいのだ。
じっと座っているだけで落ち着くし、歩き疲れた足を休めるのもたいてい教会の中。
バチカンに行くことができると決まってから、朝日新聞社の元ローマ支局長、現東京本社外交国際グループ次長である郷富佐子著の 「バチカン~ローマ法王庁は、いま」 を読んで、過去と現在のバチカンについて更にいろんなことを知ることができた。

さて、バスを降りたのは、エマヌエール2世橋でテヴェレ河を渡ったところのコンチリアッツィオーネ通りの角。
通りの向こう真正面に、ドーンとサン・ピエトロ大聖堂が現れた。うぐぐ・・・ものすごいオーラを放って建っている。
午前7:10頃、まだ通りを走る車はわずか、人もほとんど歩いていない。広い通りの真ん中に立って真正面から何度も大聖堂を眺めながら、ゆっくりとだんだんと近付いて行った。
そして、ついにバチカン市国に足を踏み入れたその瞬間、何か足元から体の中をひと筋の光が通り抜けたような感覚に陥った。
大袈裟かも知れないが、真ん中にそびえるオベリスクと左右に広がるサン・ピエトロ広場の列柱の回廊が、圧倒的壮大なスケールで出迎えてくれて、本当に何とも言えない感覚になった。
「ついに来たよ、来てしまったよ、バチカン!」 という感じだ。
広場にはまだ誰も居ない。両手を広げると、世界遺産をひとり占めしているようで、爽快な気分になった。
ベルニーニによって設計された、楕円形の巨大な広場にしばらく佇む。回廊の上には、彼の弟子によって制作された、歴代の教皇と天使の像が立っている。

 サン・ピエトロ大聖堂とオベリスク

 284本の列柱の回廊

15分くらい経っただろうか・・・、何人かの人が訪れ、その後団体客なども来たので、大聖堂を目指した。
大聖堂の入口は少し列が出来ていて、入口で荷物のセキュリティ・チェックがあった。
ほとんどの人は皆大聖堂の中に入って行ったが、私の目的はクーポラに昇ることだったので、入口にいた係員に尋ねたところ、8時にオープンするから横で待っているようにと、とても丁寧にその場所を指して教えてくれた。
先客で日本人の女の子がひとりで待っていたので声を掛けると、ヨーロッパを5週間かけて廻っているとのこと。
意気投合し、自然と一緒にクーポラに昇ることになった。オープンすると、まずチケット(7ユーロ)を購入。私は途中までエレベーターで行くコースを、彼女は全部階段コースを選び、「後でね」 と声を掛けて一旦別れた。
エレベーターの方に向うと、結構イケメンの係りのお兄さんが、“あっちだよ” と指差して誘導してくれたのだが、どう考えても暗くて行き止まりの方向。実はそれは冗談だった。イタリアン・ジョークだろうか・・・?
クーポラに昇るのも昼間は行列になるのだが、朝イチはまだ人がほとんど居なく、エレベーターは私ひとりの貸切だった。
エレベーターを操作してくれた係りのお兄さんに、“クーポラが貴女を待ってますよ” と洒落たことを言われてる内に、アッという間に到着。エレベーターはほんの途中までで、階段で来た彼女とすぐに合流した。そして、その後ふたりで300段以上もの狭い階段を昇った。
途中で中を見下ろせる場所があり、一周してまだ誰もいない大聖堂の床を見下ろしたり、クーポラの上を見上げたりしながら、螺旋や梯子状などいろんな形の階段を昇って上を目指した。
時には体を横にしないと通れないくらいの狭い場所もあり、果てしなく続く階段を息を切らしながら昇り、先に外の光を見つけた最後は一気に駆け上がった。
私たちがいちばん乗り。外に出ると、そこは雲の上?と疑うような高さで、目の前にさっき佇んでいたサン・ピエトロ広場とローマの街が見渡せた。(タイトル写真)
凄い・・・としか言い様がなかった。
ひとつだけ残念だったのが、お天気。曇りだったのでもやが少しかかり、それでもまずまずの見晴らしだったが、抜けるような青空は仰ぐことができなかったこと。
何度も何度も周りを歩いて、ひとしきり360度で眼下のバチカン市国を眺めながら、旅の話をして過ごした。

 途中で見下ろした大聖堂の中
 クーポラに続く階段
 クーポラに続く階段

 クーポラの上から見たバチカン市国

十分に満喫した後、昇りとは違う階段で降り、途中のテラスにあるギフト・ショップに立ち寄った。
私はいろいろ買いたいもの、見たいものがあったので、その日ベルリンに向かう彼女とそこで固い握手をして、お互い楽しもうねと言って旅の安全祈って別れた。
そしてアクセサリーなどを購入したあと、下まで降りて大聖堂の中に入った。
広い! とにかくめちゃくちゃ広かった。柱も天井も床も全てが想像を絶するスケールで、言葉を呑んでしまうほど。
写真で見たミケランジェロの 「ピエタ」 や 「聖ペテロの椅子」 などが、目の前に実際に存在している。
中でもベルニーニによる 「ブロンズの天蓋」 は圧巻。ひたすら見上げていたら、かなり首が痛くなった。
私はクーポラから中に入ったので、扉の外に出ると、正面ファサードから向かって右にコンスタンティヌス帝の騎馬像、左にカール大帝の騎馬像が立っていた。
カール大帝のは柵の向こうに見え、コンスタンティヌス帝の方は、ガラスの扉の中に入っていて警備員が真ん中に立っていたが、お願いすると至近距離で見させてくれ、写真も撮らせてくれた。
そして、2000年の聖年に開けられた 「聖なる扉」 を見て正面階段を降り、改めてファサードを見上げた。
コンクラーベで新しい教皇が選出されると、発表の場として使われるバルコニーも見えた。ここに、亡きヨハネ・パウロ2世や、現教皇ベネディクト16世が立ったのか~と見上げる。
毎週水曜日は、教皇の謁見があるので教皇の姿を拝むことができるが、人出が多いと思い、敢えて水曜日は避けたが、その時人々が集まるためのスペースが柵で囲まれていた。
外にはミケランジェロがデザインした、カラフルな制服に身を包んだスイス衛兵が、関係者口に立っていた。そのおしゃれな制服は、ひとつの観光名物だったりしている。私も写真をパチリ。
博物館へは午後に行く予定だったので、そのまま歩いてバチカンを後に、城壁づたいにサンタンジェロ城まで歩いた。

 大聖堂の中
 ミケランジェロの 「ピエタ」
 ベルニーニの 「ブロンズの天蓋」
 「聖なる扉」
 スイス衛兵
 ベルニーニ作サン・ピエトロ広場の噴水

後編につづく。

ローマは一日にしてならず・・・滞在2日目 後編

2008-03-11 | travelog


教皇がバチカンに移るまで長い間カトリック教会の中心だった、サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂に暫く佇んだ後、トレヴィの泉に行くため、トリトーネ通りまでミニバスに乗った。
このミニバスが、ローマの街で大活躍している。椅子は7席あるだけで、空いたスペースに人が立って、満員になってもせいぜい全部で12~3人くらいしか乗れない小さな可愛いバス。
そしてローマの狭い石畳の路地を、ビュンビュン飛ばすのだ。当然の如く、揺れる揺れる。それが結構愉快だったりする。

 ローマのミニバス

トレヴィの泉は、トリトーネ通りという大通りから路地に入り、少し歩いたところにある。
まさかこんなところにあったとは・・・。バロックの豪華絢爛な泉が、建物の間の狭い路地を歩いていると突然目の前に広がるのだから。
そして、ここでこれまで行ったローマのどこの場所よりも人がたくさんいた。故に、怪しい物売りの姿も・・・。
ベルニーニが考案したトレヴィの泉は、ポーリ宮殿の壁の一部になっていて、海神ネプトゥーヌス(ポセイドン)を中心に、女神たちがまるで舞台役者のように出迎えてくれる。(タイトル写真)
そして忘れてはいけない、トレヴィの泉と言えば、後ろ向きにコインを投げると願いが叶うという言い伝え。
いるいる、みんな投げている。コンイの数によって願いが異なり、1枚は 「またローマに来れますように」、2枚は 「大切な人と永遠に一緒にいられますように」、3枚は 「恋人や夫・妻と別れられますように」 という願い。
私は、2日目にして早くもまたローマに来たいという気持ちが大きかったので、1枚投げてきた。

その後、システィーナ通りに入ったところでジェラートを買って、アンデルセンが住んでいた建物の前を通り、スペイン階段の上のトリニタ・デイ・モンティ広場まで行ったところでひと休み。
日本で食べるイタリアン・ジェラートはシャーベットのような印象が強かったのだが、本場のジェラートはなめらかなアイスクリーム。でもソフト・クリームとはまた違う。
たくさんあるフレーバーの中からチョイスしたのは、ピスタチオとリモーネ(レモン)。ピスタチオのアイスクリームというのを初めて食べたのだが、これまた絶品。
リモーネはシャーベット状のもので、ピスタチオの甘みとレモンの酸っぱさが絶妙に絡んで、まろやかで冷たすぎず甘すぎないその食感がたまらなく美味しかった。
スペイン広場を上から見下ろすと、そこもトレヴィの泉くらいの人だかりだった。でも、夏の観光シーズンはこんなものではないのを写真で見て知っていたので、この時期に来て良かったとつくづく思った。
残念ながら三位一体のオベリスクは修復中で布が掛かっていたのだが、そこにオベリスクがあるかのように、布にオベリスクの絵が描かれていた。
広場から遠くの方にバチカンのサン・ピエトロ大聖堂のクーポラが見えた。
お天気も回復しつつあったので、見渡しはいいとはいい難かったが、「おおっ! バチカンだ~、明日行くよ!」 と心の中で叫び、丘の上の三位一体教会、トリニタ・デイ・モンティ教会に入ったあと、街の景色を見ながらピンチョの丘を目指した。
ピンチョの丘の見晴らし台に着くと、街を超え、家並を超えて見えるサン・ピエトロ大聖堂は、更に近くにとらえることができ、下には市民の憩いの場所でもあるポポロ広場が広がっていた。
そこに降りて、丸くてとてつもなく広い広場の中心にそびえる、ベルニーニによって装飾されたオベリスクを見上げながら佇む。
本当に何もかも大きくて高い。ローマは歩けばすぐに次のスポットに行けるというくらい狭い街なのに、果てしなく大きくて高くて広いものばかりに遭遇する。

 ピンチョの丘からの眺め
 ポポロ広場のオベリスクと双子教会

サンタ・マリア・デル・ポポロ教会に入り、主祭壇に飾られたフレスコ画を鑑賞したあと、ポポロ広場のオベリスクを挟むようにして建つ双子教会の間を通る、賑やかなメイン・ストリート、コルソ通りを歩き、スペイン広場に到着。
さっきは上から眺めた下の広場には、ベルニーニの破船の噴水があった。噴水の周りには、おしゃべりしながらジェラートを食べたりしている人がたくさん座っていた。
映画 『ローマの休日』 では、アン王女がジェラートを食べながらスペイン階段に座っているシーンが有名だが、今は階段でジェラートを食べることは禁じられているらしい。

 スペイン階段
 破船の噴水

階段には昇らず、またミニバスに乗ってベルニーニとボッロミーニが手がけたバルベリーニ宮殿に行き、そこの国立絵画博物館に入った。
「ROME PASS」 対象の施設で、コロッセオに続いて2ヶ所目なので無料なのだが、チケット・カウンターの人は何もチェックしなかった。
ラファエロの恋人の肖像画などをゆっくり鑑賞し終わった頃にはいい感じで日も暮れ、夜の名所巡りへと繰り出した。
バスで移動し、パンテオンに到着。これもまたすごく大きい。もう閉館していたので、ライト・アップされた外観だけ見たあと路地を歩き、可愛いお店がたくさんあったので、買い物をしたりしながら再びトレヴィの泉に行った。
ライト・アップされたトレヴィの泉は、それはそれは煌びやかで黄金色の輝きを放ち、昼間と違って人も少し減っていたので、暫く座って鑑賞していた。
ロンドンの友人に、ローマは昼間見た所を夜も見なきゃだめよと言われていた。なるほど、本当にため息が出るほど綺麗だった。

 ライト・アップされたパンテオン
 夜のトレヴィの泉

この日はここで締めくくり。帰り途中、夕飯用にパニーノとデザートを買ったバールおじさんが、「モッテカエル?」 とちょっと変な発音で連発したのがおかしかった。