goo blog サービス終了のお知らせ 

without A trace

favorite stuff...
music, trip, cinema, art, and so on.

中欧の旅 ~ハンガリー、ブダペスト&センテンドレ編~

2008-12-27 | travelog


★11月4日 : ブダペスト(Budapest)&センテンドレ(Szentendre)
ウィーンからハンガリーのブダペストまでは、列車で約3時間で行けるので、日帰り旅行に出かけた。しかし、この日の旅が今回の滞在でいちばん苦い一日になるとは思ってもいなかった。
ブダペスト行きのきっぷは、ウィーンに着いた日に購入していた。オーストリア連邦鉄道では、座席数限定で各方面片道10ユーロという格安の “Spar Schiene” というきっぷがある。しかし、当初計画していた6:25発の列車はEN(ユーロナイト)なので、その対象ではないとのことだった。一本前のは5時台で早すぎるし、ENは35ユーロとのことなので、結局7:52発の列車にし、ブダペスト到着は10:53。計画していたのより、1時間半遅い到着となった。
ブダペスト東駅(Budapest Keleti)に降り立ってまず感じたのが、駅がとても汚くて埃っぽかったということ。造りは立派で駅舎の外観も伝統的なのだが、鳩がバタバタ飛び交い、ゴミゴミしていた。
 ブダペスト東駅

オーストリアと比べると、ハンガリーの方が物価が安いので、帰りのきっぷはブダペストで買うつもりにしていた。ところが、どこを探してもきっぷ売場らしきところや案内板がない。あちこち歩いてやっときっぷ売場を表す、小さなピクトサインを見つけたので地下に行くと、窓口のおばさんに 「インターナショナルは上だ」 と言われた。上って、上のどこよ!って感じだ。聞いてみたが、おばさんは英語が分からず、とにかく上だとゼスチャーで示すだけ。仕方ないので再び上に行ってみたものの、端にそんなものはなく、飲食店や怪し気な露店が並んでいるだけ。とりあえずその近くに行ってみると、飲食店の奥に埋もれるように窓口がふたつだけの小さなきっぷ売場があり、クレジットカード会社のステッカーが貼ってあったので、“ここだ” と思い並んでいた。順番がきたので、乗りたい列車をプリント・アウトしていたものを見せると、ここでもまた 「インターナショナル?」 と言って反対側を指す。あっちってどこよ!って感じだ。その女性も英語が分からず、それ以上詳しく聞けなかったので、反対側に行ってみた。でも、どこをどう見ても、きっぷ売場なんぞない。汚い露店が並び、ピザ・スタンドがあるだけ。
駅員に聞いてみたら、やはりその辺りだと指す。何度聞き返しても、そっちへ行けというようなゼスチャーしか返ってこなかった。
ゴミゴミした店の間に通路があったので、そっちに行ってみると、外に出てしまった。とりあえず駅舎の周りを歩いてみると、奥にきっぷ売場があった。しかし、ここまで来る途中に、一切の案内板がなかった。
チェコでウィーン行きのきっぷを買った時は、ちゃんと国際列車のきっぷ売場はどこかとわかる案内標識があり、迷うことなどなかった。ブダペスト東駅も国際列車の発着駅なのに、なんて不親切なんだろう。
その売場はレトロな雰囲気だったが、ちゃっかり番号札があった。そして、驚いたことに、きっぷは手書きだった。でも、ウィーンでの発売額35ユーロよりうんと安く、6095HUF(ハンガリーフォリント:約3000円)だったのは有難かった。
ガイドブックを持っていたら、きっと書いてあったのかも知れないが、そんなこんなで帰りのきっぷを買うまでに40分もかかってしまった。それでなくても当初の計画より遅い列車で来たから、このあとの時間がなくなって行く一方。
次に両替。観光局のサイトでも、行ったことがある人の体験記でも駅の両替はレートが悪いので、駅前の銀行で両替するのがいいとの情報だったので、駅の近くに2件銀行を見つけ、近い方に行った。その日のレートが表示されていて、チェコの紙幣が余っていたので、両替に使うつもりだった。
列の前のおじいさんがなかなか終らず、15分ほど待たされた後に返ってきた言葉が、「今日は出来ない」。 はぁ~??だ! 何故だと聞いても、「私、英語わからない」 とカタコトの英語で言って、駅で出来ると言う。そんなこと知ってるし、出来ないのならどうしてレートを表示しているんだ!と腹が立つだけ。その内私の前を離れて、同僚と私語を始めた。あきれた私はその銀行を出て、もう1件の銀行に行き、そこではすんなりと無事両替が出来た。
これで、更にタイム・ロス。まず、ブダペストから郊外電車で、センテンドレという街に行く予定だったので、その電車の駅まで地下鉄で行かなければならなかった。しかし、今度は地下鉄の乗り場がわからない。プラハでもウィーンでも、ローマでもロンドンでも東京でも、地下鉄の駅に向かう入口のところには、必ずそのマークの付いたポールなどが立ってあるものだが、その標識がないのだ。“ブダペストはドナウの真珠です” なんていうコピーで、観光を大々的に宣伝しているわりには、観光客にとっても不親切なところだ。これはあくまでも個人的主観だが、まだまだ社会主義の名残がある国なんだなとつくづく思った。
結局駅の外でビラ配りをしていた人に聞いて、地下鉄駅の階段に行くと、階段天井の側面に地下鉄のマークがあった。こんなとこにあったって外から見えやしない。
そんなこんなでHÉV(ヘーフ)という郊外電車のBatthyány tér(バッチャーニ広場)駅まで行ったら、電車が出たばかり。
次の電車まで20分あったので、往復のきっぷを買ってから外に出てみると、ドナウ河越しに国会議事堂が見えて、遠くにはくさり橋も見えた。
そして、バッチャーニ広場の駅の入口には、東駅にはなかった地下鉄のマークがちゃんとあった。
 国会議事堂

HÉVで約40分、センテンドレに着いたのは午後2時前で、当初計画していた時間を遥かに過ぎていたが、小さな街なのでゆっくりと散策することができた。
街はもの凄く細い路地が迷路のようにたくさんあって、あちこちの路地を探検するように歩くのが楽しかった。
 体の幅ほどしかないいちばん細かった路地

ハンガリーはユーゴスラビアと隣国ということもあり、中でもここセンテンドレは、かつてオスマン・トルコ支配から逃れて来たセルビア人が多く住んでいて、セルビア教会がたくさんある。唯一見学ができるセルビア正司教教会に行くと、庭にいたおじさんに、セルビア博物館と共通のチケットで見学できると案内され、離れにある博物館にチケットを買いに行った私を待っていてくれたおじさんは、ヴァイオリンくらいの大きさの重そうな鍵で、教会の扉を開けてくれた。
中には煌びやかな黄金のイコン(神や天使や聖人を象徴とした模写絵や像)の祭壇があり、これまでいろいろ見てきたカトリック教会にはない豪華さが眩しいくらいだった。
 
セルビア正司教教会とイコンの祭壇

じっくり見学したあと博物館に立ち寄り、再び街を散策したり、ドナウ河べりを歩いたりしておいしい空気をたっぷり吸って歩いた。
可愛い家や、オシャレな看板がたくさんあり、歩いているだけで楽しかった。
ハンガリーはパプリカの産地として有名で、可愛い袋に入ったパプリカ・パウダーがたくさん売られていて、お店の外にはシシトウのような形のパプリカが、たくさん吊り下げられていた。
 パプリカがいっぱい!

中央広場のすぐ横の観光客用レストランのテラスには、日本人のツアー客が固まって食事やお茶をしていたが、もちろんそういうお店には入らない。中心部を少し離れたところにあった、「Kedves Kavezo」 というカフェで休憩。そこは、地元の人しかいなかった。
とっても感じのいい綺麗なお姉さんの手作りだというチョコレート・ケーキと、ラテ・マキアートを戴いた。ケーキは丁度いい甘さでほろ苦く、しっとりとした口当たりで美味しかった。
 

もうひとつ、ここセンテンドレで盛んに作られているのが、マルチパン(マジパン)と言うお菓子。
最後に、そのマルチパンで作った作品を展示している、マルチパン博物館に行ったのだが、これらが全部お菓子で出来ているなんて!と驚くばかりの作品だった。
日本のレストランの店頭にある、メニューの蝋細工も凄いと思うが、マルチパンの作品も素晴らしかった。何と言っても、その作品の全部が食べられるというのが凄い。そして、実演風景も見ることができた。
 
マルチパンの作品、マイケルは等身大!
 マルチパンで製作中

2時間ほどセンテンドレで過ごし、再びHÉVでブダペストに戻った頃には、もうとっくに日が暮れてしまっていた。
とりあえず王宮の丘に行くためのバス乗り場があるMoszkva tér(モスクワ広場)に行ったが、バス乗り場がたくさんあって、どれが王宮の丘行きのバス乗り場なのか全くわからない。案内板や見取図なんていうものはなく、何番のバスかはわかっていたが、乗り場が見つからなかった。
事務所のようなところから出てきた制服を着たおじさんに聞いてみたのだが、なんせ英語が通じないので、地図を見せて紙に書いたバスの番号を示しながら、身振り手振りでやっとのことで王宮の丘に行くバスのことだということが通じ、駅の反対側だと教えてくれて、途中まで一緒に行ってくれた。しかし、反対側もまたたくさんの乗り場があって、どれだか検討も付かなかった。
既に東駅で痛感していたが、ここでも私の頭の中は、“なんなのよ!ブダペストって!” というマイナスな気持ちが大きくなっていた。
待ち合わせをしているみたいな女性がいたので、英語がわかるかと尋ねると、少しならとのことだったのでバス乗り場を聞いてみたところ、たぶんその広場の後側の上だと思うという曖昧な答えだったが、上に行ってみた。しかし、またもやそこもたくさんの乗り場・・・はぁ・・・。
バス停ではないところに停車していたバスが目的の番号のバスだったので、ホットドッグを食べていた運転手さんに聞いてやっとのことで乗り場がわかり、ようやく王宮の丘に向かうことができた。
漁夫の砦のところでバスを降り、もう時間外だったので無料で入れて、そこからドナウ河越しのペスト側の夜景を鑑賞し、王宮の方に歩いて行く途中からも、綺麗な夜景を楽しむことができた。
“ドナウの真珠” と言われる夜景は、確かに宝石のように輝いていて、特にくさり橋が綺麗だった。
 漁夫の砦
 王宮の丘から見たくさり橋

王宮の丘から下のくさり橋まで丘の道を下り、くさり橋を渡ってペスト側に行った。橋の途中から王宮を見ると、黄金に輝く王宮の横に半月がくっきりと見え、真っ黒な空に映えていた。(タイトル写真)
夕方6時半くらいだったのだが、道路の車の渋滞が東京以上のもの凄い渋滞だったのにびっくり。
帰りの列車は20:10、もうあまりいろんなところに行く時間はなかったので、歩いて行ける聖イシュトヴァーン大聖堂に行ったが、教会コンサートのため、中を見学することができなかったのが残念。
もう一ヶ所、作曲家リストの音楽院があるところに行こうと思ったが、ここまでことごとくいろいろ惑わされてきたので、帰りの列車は最終列車で翌日は帰国だったし、乗り遅れては大変なので、冒険はせずに、東駅に行く地下鉄のDeák Ferenc tér(デアーク広場) 駅近くのカフェ 「ENTO」 に入って、チョコレート・ソースがたっぷりかかったパラチンタとラテ・マキアートで時間を潰した。パラチンタは、甘いソースにオレンジの酸味がマッチして、なかなか美味しかった。


ブダペストの地下鉄の駅はとても深く、長いエスカレーターを下りて行かなければならないので、その分の時間も移動時間に入れなくてはならないくらい。車両もとても古く、プラハやウィーンの地下鉄とは違い、日本の電車のように窓に沿った横長の座席だった。
驚いたことに、これだけ深いところを走っているのに、車内で携帯電話が繋がっていた。こんなところだけ進歩しているのか?とつい毒を吐いてしまう私・・・。
 地下鉄駅のエスカレーター

結局東駅で予定外のタイム・ロスをしてしまったため、行きたかった殆んどの所に行けず、センテンドレは大満足だったが、ブダペストでは王宮の丘とくさり橋と聖イシュトヴァーン大聖堂だけ。しかも夜景のみ。
しかし、トラブルはまだ終っていなかった・・・。東駅には列車の発車時刻の20分ほど前に着いたのだが、ホームの案内表示に30分遅れという表示があった。こんなことなら、まだ他の所に行けたのに・・・と思ったが、こればかりは予測できない。
最終のEN(ユーロナイト)を逃す訳には行かないので、念の為列車の横にいた駅員にきっぷを見せて、この列車でいいかと聞くと、“Next Train” と言う。えっ?!Next Trainって・・・である。案内板にはこの列車がウィーン行ENだと表示されているし、そんなはずはない。よく考えてみたら、ENはいわゆる寝台車だが、私が持っているきっぷは椅子席の車両のきっぷなので、きっとNext TrainではなくNext Carのことを言っているんだと判断し、いちばん前の車両の中にいた男性にウィーンに行くかどうかを確かめ、乗り込んだ。
しかし、遅れの30分経っても、全く動く気配はなく、アナウンスもない。だんだん心配になってきた。帰ってから荷物をパキングしなければならない。飛行機の時間は午後なので、万が一このまま運休になってもサイアクは翌朝戻れればいいのだが、やはり気が気でなかった。おまけに、iPodが突然動かなくなって、音楽で気を紛らすこともできなかった。(帰国後に復活)
それでも、車内にいた人たちは平気な様子。海外の列車が遅れるのは当たり前のことなのだが、幸いにもこれまで私はさほど大きな遅れに遭遇したことがなかった。
デッキまで行って時々外を見ても、先頭の動力車すら連結されていない。暫くすると車内の電気が消えた。夜行列車だから、電気を消すのか?これで発車か?と思ったが、やはり全く気配なし。そしてまた電気が点き、さすがに他の人も心配になってきたようで、外に行って様子を見に行ったりし出した。
やがて、作業服を着た人が数人線路沿いに歩いて行く姿が見えて、ガチャンという大きな音と振動がした。どうやら動力車が連結されたっぽい。
結局、予定時刻を1時間50分遅れてようやく発車した。当然のように車内アナウンスなどなく、検札に来た車掌も何も言わなかった。
プラハからウィーンに行った時の列車では、たった10分の遅れでも3ヶ国語でお詫びのアナウンスがあったから、チェコ鉄道と比べると、ハンガリー国鉄はまったく・・・と思うばかり。
ウィーン西駅に着いたのは、深夜1時を過ぎていた。列車を降りると、おばさんが怒り口調で話しかけてきた。ドイツ語は話せないと片言のドイツ語で言うと、申し訳なさそうな表情になったが、おばさんの口調で列車の遅れのことを言っているのだというのがわかったので、私は英語でおばさんはドイツ語でという奇妙な会話で文句を言い合った。遅れに慣れている人たちも、さすがに堪忍袋の尾が切れたようだった。
足早にホステルに戻り、急いでシャワーを浴び、パッキングが終った頃にはもう3時を過ぎていた。
殆んど観光らしい観光ができなかったブダペストだが、こういうことがあり、今は “また行けばいいし・・・” という気持ちはない。


★この日の万歩計の成果 : 歩数24.953歩、消費カロリー449.3Kcal、歩いた距離11.2km

中欧の旅 ~オーストリア、ウィーン編 Pt.3~

2008-12-21 | travelog


★11月3日 : ウィーン(Wien)
ウィーンに着いて3日目。この日はまるごとウィーンの日。朝早く起きてホステルを出ると、まだ外は少し薄暗かった。
西駅から地下鉄でまず向かったのは、フォルクス庭園。早朝のガーデン歩きは本当に気持ちいい。お天気もよくなりそうな空模様。
フォルクス庭園には、シシィの愛称で知られる絶世の美女と言われたオーストリア皇后、エリザベートの像があり、上品に座った姿と真っ白な像からも彼女の華麗さが伝わってくるようだった。
フォルクス庭園の向かいにある国会議事堂と、少し離れてその隣にある市庁舎は、2日前の夜には見えなかった彫像や建物の細かい部分までハッキリ見ることができた。
市庁舎前の広場は、毎年11月中旬からクリスマス・マーケットが盛大に開催され、ウィーンの名物にもなっているが、リースの飾り付けや屋台の設置など、丁度その準備が始まっていた。
 エリザベート像

それからいつも夜しか通っていなかった王宮に入り、カール大公やオイゲン公の騎馬像などを見ながら王宮広場を抜け、オペラ座まで行って地下鉄に乗る前に地下のトイレを見に行った。
ちょっとした名物にもなっているオペラ座地下の公衆トイレの名は、“Opera Toilet”。中からクラシック音楽が聴こえてきて、看板がなかったらトイレだとは思えないほど。女子トイレは大したことないとのことなので、有料だし入らなかったのだが、男子トイレは赤や青・オレンジ色の唇の口を開けた形の便器が歌い出すらしい。
 Opera Toilet

地下鉄でこの日の最大の目的地、シェーンブルン宮殿へと向かった。シェーンブルン(Schönbrunn)駅は工事中で封鎖されていたので、ひとつ先のヒートツィンク(Hietzing)駅で降りて、トラムひと駅で宮殿前近くに着いた。
信号を渡ると、クリーム・イエローの宮殿が目の前に広がった。大きすぎて宮殿全体を写真に入れようとすると、そこからしか撮れなかった。
 最初に目にした宮殿の姿

9時過ぎの宮殿は、まだ人もまばらだった。しかし広い・・・広すぎる。東京ドーム約36個分らしいが、想像できない。
シェーンブルン宮殿は、ハプスブルク家の歴代君主が離宮として使用していたが、中でもマリー・アントワネットの母マリア・テレジアの存在が大きく、彼女が財政の状況に応じて外壁に金を塗ろうとしたのを止め、黄金に近い黄色にしたことで、この色は “マリア・テレジアン・イエロー” と呼ばれている。
しかもこの宮殿は、今では観光客に公開されている2階部分以外は、賃貸住宅として一般に貸し出されているというのだから驚きだ。
宮殿の裏に回ると、遥か彼方に宮殿と向かい合う丘の上に、グロリエッテという建物が見えた。(タイトル写真)
私は宮殿内部の見学よりも、果てしなく広がる宮殿の庭に興味があったので、宮殿内には入らずに、庭を端から端まで隅々を歩きながら、噴水や泉や彫刻を見ながら、丘の上のグロリエッテまでたっぷり時間をかけて往復した。
フランス式庭園の両脇にある広葉樹の並木は、見事に綺麗な黄色に色づき、木漏れ陽を浴びながら歩くのはとても気持ちが良かった。
並木の中にはリスがたくさんいて、これがまた人懐っこく、近寄って行っても全然逃げず、足元でじっとこっちを見つめるリスは、本当に可愛かった。
 庭の並木とリス

庭は市民に開放されているので、ジョギングやウォーキングをする人たちもいた。こんなステキなところを毎朝散歩できるのは、羨ましい限り。
グロリエッテのテラスからは、ウィーンの街全体を見晴らすことができて、自分がいかに広い庭を遠くまで歩いて来たかを実感することができた。
 宮殿からのグロリエッテ  
 グロリエッテからの宮殿とウィーンの街

庭の散策に大満足したあとは、トラムで地下鉄の駅前まで戻り、「Café Wunderer(ワンダラー)」 に入ってひと休みした。
ショーケースの中に、ケーキは一種類しかなかったが、メニューを見るとパラチンタがあったので、マロン・クリームのパラチンタとメランジェをオーダーした。チェコではこのクレープのデザートを “パラチンキ” と言うが、ウィーンでは “パラチンタ” と言う。クリームは甘さ控えめで、生地はオムレツみたいだったので、軽食にもってこいだった。
ウィーンのカフェは煙草吸い放題なのだが、このカフェは珍しく分煙されていた。
 トラムの停留所もマリア・テレジアン・イエロー
 Café Wunderer

地下鉄で次の目的地に向かう途中、壁面をアール・ヌーヴォー風の花模様で美しく飾られた、オットー・ワーグナー作のマジョリカ・ハウスを見るために途中下車したあと、トラムに乗り換えてベルヴェデーレ宮殿に行った。
ベルヴェデーレ宮殿は庭園を挟んで上宮と下宮に分かれていて、上宮は現在美術館になってる。そしてそこには、クリムトの最高傑作 『接吻』 が展示されているが、以前日本で見たことがある私は、美術館には入らず、ここでも庭を散策。上宮前の池には、真っ青な青空が映り、シンメトリーに宮殿が映る姿がとても美しかった。
残念なことにものすごく風が強かったので、池の水が波立ち、完璧なシンメトリーは見れなかった。それでも、その青さは眩しいくらいに輝き、うっとりとするほどだった。
同じようにひとり旅をしていたポーランド人の女性とお互いの写真を撮り合って、このあとシェーンブルン宮殿に行くと言った彼女に、私が撮ってきた写真を少し見せて、おすすめスポットを教えてあげたりした。
 ベルヴェデーレ宮殿上宮

ベルヴェデーレ宮殿のあとは、再びトラムでカールスプラッツ(Karlsplatz)まで行って、カールス教会とオットー・ワーグナーが設計したカールスプラッツの旧駅舎を見に行った。
カールス教会には見事な天井画があるのだが、ウィーンの教会では珍しく有料で、観光客目当てとしか思えなかったので、中には入らなかった。
カールスプラッツの旧駅舎は、前述のマジョリカ・ハウス同様、花模様の装飾が綺麗だった。
そのまま歩いてブルク庭園に行くと、入口のすぐそばにガイドブックやいろんなところで何度も見たことのある風景、ト音記号の花壇の奥に立つモーツァルト像が見えた。
前夜通った美術史博物館と自然史博物館がすぐそばだったので、昼間の姿を見に行くと、夜はハッキリ見えなかった建物の装飾や、暗くてよく見えなかったマリア・テレジアの像もちゃんと見ることが出来た。
再びブルク庭園の前を通った時に目にした、日本人観光客がモーツァルト像の真下に雛壇の形になって団体記念写真を撮っている姿を見た時は、ちょっとぞっとした。
 ブルク庭園のモーツァルト像

王宮広場を抜けて、途中いろんな教会を見学したあと、シュテファン大聖堂に入ってじっくり見学した。主祭壇のフレスコ画や、立派なパイプオルガン、歴代のローマ教皇の胸像が付いた説教壇など、見どころたくさんで、広い聖堂内は多くの訪問者で結構混んでいた。
歴代皇帝の儀式が行なわれ、地下にはハプスブルク家の内臓を納めたカタコンベがあり、モーツァルトの結婚式も行なわれた場所に自分が居るということに、感慨深くなった。
シュテファン大聖堂には、北塔と南塔というふたつの塔があり、どちらも上ることができる。北塔の方が低いがエレベーターで行けて(有料)、南塔は階段で上る(無料)。内部見学を終えた私は、北塔を選んだ。それは、下からは見えない屋根のモザイクが見たかったからだ。
 右が修復中の南塔、左奥が北塔

エレベーターの前に並んでいたが、エレベーターはとても狭く、大人3~4人で満員。私は次の便になり、後ろに誰も並んでいなかったので、結局ひとりで乗った。とっても陽気なおじさんが運行していて、料金は中でそのおじさんに払う。ドイツ語で挨拶すると、「コンニチワ~!ニホンカラデスカ?」 と日本語で返され、鼻歌を歌いながら上まで連れて行ってくれた。別れ際にも日本語で、「タノシンデキテネ~」 と言ってドアを開けてくれた。
外に出ると、ハプスブルク家の紋章 “双頭の鷲” のモザイクが大迫力で迎えてくれ、そこだけ見ていると、大聖堂の屋根だとはとても思えないくらいカラフルでモダンだった。側面の精巧で細かな装飾は素晴らしく、間近で見ないと味わうことのできない驚きがたくさんあった。
下を見ると人は小さく、ウィーンの街を見渡すと、遠くにはプラター遊園地の観覧車も見えた。
 双頭の鷲のモザイク屋根
 精巧な装飾、道行く人は豆粒
 左端に見えるのがプラター遊園地の観覧車

大聖堂を出たあと、旧市街をいろいろ散策していた時、絵葉書を出していないことに気付いた。しかし、地図を見ても郵便局の印はないし、ここ何日間か街を歩いていても、郵便局は見かけなかった。
日本のようにあちこちにはないというのは確かだが、それでもアメリカやイギリスでは、探さなくてもどこかに必ずある。チェコもそうだったが、郵便局の数が少ないのだろうか・・・。それでも、前日ハイリゲンシュタットから戻る途中、1ヶ所だけトラムの中から見た記憶があった。ちょうどその近くに居たので、同じ路線のトラムに乗ったら、ひと駅で郵便局を見つけた。
そこは中央郵便局で、無事に母親と友達に絵葉書を出すことができた。日本以外にロンドンとカナダにも出したのだが、ヨーロッパ内は均一料金で、日本とカナダは同料金だった。
 
ウィーンの郵便局は黄色で統一、CDや文具も売られていた
 
郵便局の入口にあった可愛い標識、直訳すると “我々を入れてはならぬ”(笑)

郵便局探しで思わぬ時間のロスがあり、外に出るとすっかり暗くなってしまっていた。
夕飯にはまだ少し早かったが、バイスル(大衆食堂)でウィーン名物ウィンナー・シュニッツェルを食べようと思い、予め下調べしていたところに行ったのだが、別の店に変わってしまっていて、ひとりでは入りにくそうだったので、グラーベン(Graben)辺りまで戻り、とりあえずカフェに入った。
「Café Hawelka(ハヴェルカ)」 というカフェは、かつてウィーン幻想派の画家達とその周辺の人達の溜まり場だったところで、今でもその名残りがあり、芸術家や学生の溜まり場という雰囲気で、これまで入ったカフェとは違い、狭くて雑然としていて壁には演劇や映画のポスターが隙間なく貼られていた。
ここには、食べものはサンドウィッチくらいしかなかったので、メランジェだけ頼んだ。
 Café Hawelka

やっぱりウィンナー・シュニッツェルは食べなくちゃと思ったのだが、レストランの外に出ているメニューのシュニッツェルは大き過ぎて私にはムリ。調べてあったファースト・フード感覚で食べられる店に行くには、少し遠かった。でも偶然、シュテファン大聖堂の近くに、セルフ・サービスの 「Duran」 という店を見つけたので、迷わずそこに入った。
ウィンナー・シュニッツェルとは、豚肉の薄いカツのこと。大きさも丁度よく、注文してから揚げるので熱々で、お肉も柔らかくて美味しかった。それに、付け合せのポテトがフライドポテトのところが多く、揚げ物だらけになってしまうのだが、その店のポテトは、酸味のある味付けだったのが嬉しかった。
安くて美味しくて大満足!
 「Duran」 のウィンナー・シュニッツェル

まだ8時過ぎ。再び旧市街散策に繰り出した。ウィーンの街は、街灯が少なくてほのかにオレンジ色に照らされているだけの、かなり暗い路地が多く、大通りを外れると人通りもなく静かだが、怖いという感覚は全くなかった。逆に風情ある石畳の路地を楽しんで歩いた。
途中訪れたウィーン最古のルプレヒト教会の中は、とてもシンプルだった。そして、街中にあるのに “岸辺のマリア教会” という名前がずっと気になっていた教会まで行ってみた。
何故岸辺なのか? 言語での名はMaria am Gestadeで、直訳すると “岸の上にあるマリア” となるが、これはこの教会が昔ドナウ河の岸壁に位置していたために付けられたそうだ。そして、教会の前にはマリア階段(Marienstiege)と呼ばれる階段があるのだが、その階段が、長い年月の果てに切り立った、ドナウ河の岸壁の名残らしい。 
 岸辺のマリア教会

トラムでホステルに戻るために地下鉄のシュトゥーベントーア(Stubentor)駅に行ったのだが、そこでデザートのケーキを食べたくなり(←懲りない・笑)、「Café Prückel(プリュッケル)」 に寄り道した。
このカフェは、時々ライヴなども行なわれたりしている、明るくて活気のあるカフェ。ウィーンのカフェには必ず新聞が置かれていて、今は無線LANの設備も充実しているので、ゆっくりと長居する人が多い。ここも長居するのに快適そうな、感じの良いカフェだった。
もうすっかり私も定番化したメランジェと一緒に、ショーケースから直感でオーダーしたケーキの名前は忘れたが、期待通りでとっても美味しかった。
閉店時間の10時ギリギリまでカフェでゆっくりしたあと、歩きまくった一日を終えた。
 Café Prückel


★この日の万歩計の成果 : 歩数53.287歩、消費カロリー971.8Kcal、歩いた距離23.9km(旅行中最高値)

中欧の旅 ~オーストリア、ウィーン編 Pt.2~

2008-12-16 | travelog


★11月2日 : ウィーン(Wien)
ドナウ河のヴァッハウ渓谷の景勝地巡りの帰り、ウィーン市内郊外のハイリゲンシュタット(Heiligenstadt)に立ち寄った。
ここには、偉大な作曲家ベートーヴェンが、音楽家として聴覚を失うという苦悩から自殺を考え、『ハイリゲンシュタットの遺書』 を書いた家がある。
ベートーヴェンは引越魔だったそうで、ウィーン中を転々とし、このハイリゲンシュタットに住んでいた時に “遺書” を書くことによって、再び生きる決意をして更なる芸術への道を究めた、ベートーヴェンゆかりの土地である。
IC(インターシティ)を降りると、ハイリゲンシュタットの駅はとても綺麗で近代的だった。駅前からバスに乗り、ハイリゲンシュタット教会の前で降りた。
何の変哲もないシンプルな古い教会だが、ベートーヴェンはこの教会の鐘の音が聞こえなくなった為に自殺を考えたと言われている。
 ハイリゲンシュタット教会

そこからすぐのところに、「ハイリゲンシュタット遺書の家」 というそのまんまの名の家があり、かつてベートーヴェンが暮らし、今は博物館になっている。
入口を入るとパヴラッチェンという中庭に面したバルコニーがあり、2階に上がると “ベルを鳴らしてください” という札が掛かったドアがあった。ベルを鳴らすと中から品のいいマダムが出て来て、隣のドアの鍵を開けてくれた。入館料を払って更に中に入ると、マダムがかけた 『交響曲第8番』 が大音量で流れてきた。
中には “遺書” のほか、ベートーヴェンが弾いていたピアノや、直筆の楽譜、手紙や写真などが展示されていて、日本語で書かれた解説も置かれていた。
途中からブロンド・ヘアの美しい母娘が入ってきたので会釈し、いろいろなゆかりのものを鑑賞した。先に部屋を出た私は、マダムから日本語に訳された “遺書” を購入したあと、反対側にある博物館に入った。そこには、ベートーヴェンの髪の毛が展示されていた。
 ハイリゲンシュタット遺書の家
 ベートーヴェンのピアノ
 ベートーヴェンの髪の毛

“遺書の家” を出たあと、かつてベートーヴェンが住んでいた家で今は 「Mayer(マイヤー)」 という有名なホイリゲの前を通り、ベートーヴェンガング(Beethovengang:ベートーヴェンの散歩道) を抜けてウィーン中心地に向かうトラムD線の停留所まで歩いた。
“ベートーヴェンの散歩道” は、ベートーヴェンが周辺の自然を散策しながら 『交響曲第6番田園』 の構想を練ったという道で、当時の面影はないながらも、道の脇に小川が流れ、黄色く色づいた木々や緑が豊かな、とてものどかな小道だった。
 ホイリゲ 「Mayer」
 ベートーヴェンの散歩道

ウィーン旧市街に戻った頃には、観光するにももうすっかり陽が落ちていたので、美術館に行くことにした。
トラムを降りたショッテントーア(Schottentor)から、フライウンク(Freyung)の前にあるショッテン教会の外観だけを見て、その向かいの老舗カフェ 「Café Central(ツェントラル)」 があるフォルステル宮のアーケードを通り抜けて、地下鉄の駅があるヘレンガッセ(Herrengasse)まで歩いた。
 ショッテン教会   フォルステル宮の中の噴水

旅行前の下調べで、ウィーンのアート地区MQ(ミュージアム・クォーター)の中にある現代美術専門の美術館Kunsthalle Wien(クンストハレ・ウィーン)で、私の大好きなエドワード・ホッパーのアート展があることを知り、“ウィーンでホッパーが見れるなんて!” とワクワクしていた。
実は、そこでチケットを切った係りの女性のことは、今でも思い出すと腹が立つ。その女性は友達らしき二人組とずっと話をしていて、私が目の前に行っても目と手で “ちょっと待って” という合図をするだけだった。少しすると話しながら手を出してチケットを取り、ビリッッッ!と切取線を全く無視して破ったのだ。そのチケットは、ホッパーの絵が入っていて記念になるチケットだったので、ガッカリ・・・。よっぽど文句を言ってやろうかと思ったが、大人気ないので我慢した。
中は美術館というより、大きなギャラリーという感じで、現代美術専門というだけあって、とってもお洒落でモダンな造りだった。
ホッパー以外にもモダン・アートやオブジェがたくさん展示されていて、美術やデザインを専攻しているような感じの学生たちが、絵の前で熱く語り合っていたり、ビジュアル・アート・セクションでも皆熱心に見入っていた。
ニューヨークやシカゴにはなかった初めて見るホッパーの作品もあったので、大満足。
 クンストハレ・ウィーン

MQを出たあとは、すぐ近くにある美術史博物館と自然史博物館が向かい合って対で建っている間を歩き、更に王宮(タイトル写真)を通り抜けて、ミハエル広場にある 「Café Griensteidl(グリーンシュタンドル)」 に入った。
ここは、かつて多くの作家や文化人たちが愛したカフェだったが、長い間営業しておらず、1990年に同じ場所に復元されたカフェ。王宮前と言うこともあり、観光客もたくさんいて繁盛していた。
もちろんケーキをオーダー。ショーケースで見てひと目で “これはきっと美味しいはず!” と直感したトップフェントルテと、飲みものはやはりメランジェ。
ケーキは期待どおり、いや、それ以上で、レア・チーズケーキに似た味と食感にオレンジ・ピールが混ざっていて、それはそれは美味しかった。メランジェのミルクのフォームにも感激!
 
最高に美味しかったトップフェントルテとカフェ店内

美味しいケーキに大満足したあとは、オレンジ色の街灯に染まった旧市街の趣のある細い路地を散歩しながら、翌日の散策に備えて土地勘を掴み、シュテファン広場に出て地下鉄でホステルに戻った。
 バル小路(Ballgasse)


★前半のメルク&デュルンシュタインを含めたこの日の万歩計の成果 : 歩数28.576歩、消費カロリー530.2Kcal、歩いた距離12.8km


中欧の旅 ~オーストリア、ヴァッハウ渓谷編~

2008-12-12 | travelog


★11月2日 : メルク(Melk)&デュルンシュタイン(Dürnstein)
ウィーンに着いて2日目、まだほとんどウィーン市内を見ていないが、理由があってこの日はドナウ河の景勝地巡りに出かけた。
西駅から7:44発のザルツブルク方面行きIC(インターシティ)に乗り、途中ザンクト・ポルテン(St. Pölten)駅でローカル線に乗り換えて、ヴァッハウ渓谷のメルクという街に行った。
オーストリア連邦鉄道のICは、2列シートが向い合せになってテーブルがあり、各テーブルにパンフレットが置かれていた。中を見てみると、途中停車駅の到着時刻と発車時刻、及び各駅からの乗換列車の情報が載っていた。オーストリア連邦鉄道の行き届いたサービスに、ちょっと感動。
ザンクト・ポルテン駅で乗り換えたローカル線で検札に来た車掌さんが、私がメルクで降りることを覚えてくれていて、デッキに行くと “次ですよ” と言って着いたらドアを開けてくれた。(ヨーロッパの列車は自分でドアを開ける)
メルクに着いたのは定刻の8:52、私のほかに降りたのは、地元の人らしきおじさんひとりだけ。
メルクという街はとても小さな街だが、ここには世界遺産にも登録されている、とっても美しいベネディクト派のメルク修道院がある。実は一般公開はこの日が最後で、冬の間はドイツ語のガイド・ツアーだけになるので、ギリギリ・セーフで来ることができたのだ。
駅を出ると、目の前の丘の上にそびえる修道院が見えた。一応地図を見たが、どこからでも修道院が見えるので、道がわからなくても自然に辿り着ける。
“修道院への道” という意味のStiftswegという、とても風情のある細い路地を上って行くと、途中にある家の庭に可愛い猫がいた。少し戯れてから先に進むと、修道院と同じクリーム・イエローのアーチが見えてきた。
別の道から何人かの人が同じく修道院に入って行く。あとからわかったのだが、この人たちは観光客ではなく、教会の日曜日のミサに行く人たちだった。
 修道院への近道

メイン・ゲートを入るとまず綺麗な庭があり、その横の建物でチケットを購入したあと、更に建物を抜けて行くと、建物に四角く囲まれた広い中庭があった。
ここは、かつてマリー・アントワネットがフランス国王ルイ16世のもとに嫁ぐため、ウィーンからパリへの移動の途中で宿泊に利用し、モーツァルトが滞在したこともある由緒ある修道院。
 メイン・ゲート
 それを抜けると庭があり・・・
 更に抜けると広い中庭に着く

修道院の中に入ると、まずギャラリーがあった。中学生くらいの学生のグループが先生に引率されながら、ギャラリーを見学していた他は、見学者は誰もいなかった。子供の頃から、こんな素晴らしいところを見学できるというのはうらやましい。
先に進むと “マーブル・ホール” という大理石の間があり、淡い色使いが綺麗な天井のフレスコ画に見とれながら、その美しい広間にたったひとりで佇んだ時の気持ち良さと言ったら・・・。
マーブル・ホールのドアを開けると、そこはテラスになっていて、メルクの街やドナウ河の自然溢れる景色を堪能することができた。誰も居なかったので、セルフ・タイマーで自分の写真を撮ったりしながら(笑)、しばらくそこでゆっくり過ごした。
 マーブル・ホール  
 テラスからの景色

テラスを挟んでマーブル・ホールと対になっている建物に入ると、そこは美しい図書館。プラハのストラホフ修道院の図書館といい、ここの図書館といい、中世に造られたヨーロッパの図書館の、贅沢なまでの豪華な美しさに目を見張るばかり。
ここも天井のフレスコ画の色が綺麗で、奥にある小図書館の窓からは、緑豊かな風景が広がっていた。
 マーブル・ホールからテラスを通って図書館へ  
 修道院図書館

図書館を出たあとは、アール・ヌーヴォー調のステキな手すりのらせん階段を下りて修道院教会へ。教会ではミサの真っ最中。後ろでそ~っと見学して外に出ると、そこは丁度さっきのテラスの下の中庭だった。
 修道院教会、ミサ中   教会の外観
 中庭の像、後ろに見えるのがテラス

修道院を出て左側にあるガーデンに入り、奥にあるパビリオンの中のガーデン・カフェでお茶でも・・・と思ったのだが、次の街に移動するバス停の近くまで行っておいた方がバスの時間を気にせずゆっくりできると思ったので、美しい内装の中だけ見て立ち去り、街の中心まで戻った。贅沢な気分でお茶できそうだったので、ちょっと後ろ髪を引かれたが・・・。
中央広場の横のホテルの人にバス停の場所を教えてもらってからドナウ河の方に歩いて行くと、丘の崖の上にせり出す様に建っている修道院が見えた。
 美しい内装のガーデン・カフェ
 丘の上にそびえ建つ修道院

そのあとバス停近くの 「Café Central(ツェントラル)」 に入って、メランジェでひと休み。昔ながらのカフェで、壁に掛かったモノクロの写真がいい雰囲気を作り出しているステキなカフェだった。
 Café Central

バスの時間になったので、カフェをあとにした。5分ほど遅れてきたバスは、誰も乗っていなかった。運転手のおじさんに行き先を告げて料金を払い、貸切状態でドナウ河沿いを走る景色を見ながら、列車に乗り換えるシュピッツ(Spitz)駅まで行った。
夏のシーズンは、メルクからドナウ河を下る観光船のクルージングで、渓谷の景色を見ながら移動するのが定番のルートだが、もうこの時期は船の運航が終っていた。何とか移動方法はないものかとオーストリア連邦鉄道のHPで調べたら、バスと列車を乗り継いで行けることがわかり、バスの時刻も調べることができた。
 ドナウ河、バスの車窓から

この辺りは、ヴァッハウ・ワインの生産地で、可愛いシュピッツ駅の駅舎には、ぶどうが生っていた。駅のホームというものがなく、線路が2本あるだけだった。どっちの線路に着く列車に乗ればいいのかを、バスの運転手のおじさんに聞いたあと、回りの景色に見とれながら写真を撮っていると、いつの間にか列車が到着していて、心配したおじさんが駅舎の裏にいた私に声を掛けてくれたので、無事に乗り過ごすことなく乗れた。もし乗り遅れていたら、次の列車まで1時間待たなければならない。
 Spitz駅   シュピッツの街並

列車が動き出すと、おじさんは手を振って見送ってくれた。一両編成単線のローカル線の車内はとっても綺麗で、地元の人が2~3人乗っているだけ。車窓からは再びドナウ河ののどかな景色を楽しむことができ、反対側にはぶどう畑が一面に広がっていた。
 駅員さんと話しているおじさん(左)、ありがとう!
 綺麗な車内   ぶどう畑

目的地デュルンシュタインに近付いてくると、この街のシンボル、水色の教会が見えてきた。デュルンシュタイン駅は無人駅で、ここもホームはなかった。夏の間はたくさんの観光客で賑わう街だが、ほとんどの人は船を使うので、駅前には小さなお店が少しあるだけだった。
 デュルンシュタインの水色の教会が見えてきた
 このままここで列車を降りた

ぶどう畑の間を抜けて街に向かって歩いて行くと、山の上に城の砦が見えてきた。(タイトル写真)
砦まではハイキング・コースになっていて、30分くらいで歩いて行けるが、そこには行かず、まずは水色の教会、聖堂参事会修道院教会を目指した。
中を見学することはできないので、街中からドナウ河岸に下りて行き、崖の下から水色と白で彩られたその珍しい配色の美しい姿を眺めた。周りにあしらわれた天使の彫像も美しく、水色という色のせいか、なんだか夢の中にいるような錯覚にすらなった。
 街からドナウ河岸への道  
 聖堂参事会修道院教会

近くには観光船の船着場があり、教会下の広場にはレストランなどがあったので、きっとシーズン中は多くの観光客でごった返すのだろう。
ドナウ河沿いに道が続いていて、散歩を楽しむ地元のお年寄りたちの姿も見えた。河岸のベンチに座って広大なドナウ河を見ながら小休憩したあと、洞窟のような崖の道を上って街のメイン・ストリートに行くと、そこそこ人通りもあり、おみやげ店やレストランやホイリゲ(ワインの造り酒屋)が賑わっていた。
ヴァッハウ・ワインの中でも、ここデュルンシュタインはオーストリアの最高級ワインの産地として有名で、ホイリゲはもちろんのこと、レストランの店先にもワインがたくさん並べられていた。美味しいと評判のチェコ・ビールといい、この街のワインといい、私はアルコールが全くダメなので、その味を堪能することができないのが残念。
またこの街は、ウィーンのレストランや東京のオーストリア大使館にも冷凍輸送されているヴァッハウアー(Wachauer)という小さな丸いパンが有名なのだが、そのお店シュミードル(Schmidl)も日曜日で閉まっていたので、パンを買うこともできなかった。メルク修道院の見学の都合でこの日しか来れなかったので、日曜日は開店していないことは知っていたが、やはり残念である。
 教会下から街の中心へ   店先に並んだワイン

横道に入ったり、おみやげを買ったりしながら時間を過ごしたあと、カフェに入って軽く何か食べることにした。
カフェと言えど、外のテーブルでは皆ワインを嗜んでいた。何を食べようかと考え、カイザーシュマーレン(オーストリアのパンケーキ)はないかと聞いたがそこにはなく、ではヴルストゼンメル(ソーセージ・パン)は?と聞くと、気の良さそうな女主人は笑顔で腕まくりをし、“OK!” と言って早速作り始めてくれた。
ゼンメルとは表面がパリッと、中はふんわりとしたパンで、ヴルストとはソーセージのこと。ソーセージはどれにする?とプレーン・ソーセージとサラミを冷蔵庫から取り出して聞いてくれたので、両方挟んでほしいと頼み、飲みものはカプチーノにした。
実はこのヴルストゼンメル、オーストリアに来たら絶対に食べなくちゃと思っていたもの。ウィーンが舞台の大好きなドラマ、『Kommissar REX』 のREXの大好物なのだ。
ゼンメルは香ばしい味のパンで、ケチャップやマヨネーズも何も挟んでいないのに、ソーセージ2種の味とよく合ってシンプルながらも美味しかった。
アットホームな店内のカウンター越しに、気さくな女主人とここでもREXの話をした。共通の話題があるというのは、面白いことだ。


駅に戻る途中、ぶどうの木にぶどうが生っているのを発見。これが美味しいワインになるのだな(飲めないけど・・・)、なんて思いながら、ゆったりと楽しんだのどかなデュルンシュタインの街に別れを告げた。
再びローカル線でKrems(クレムス)駅まで行き、そこでウィーン行きのICに乗り換えて、ウィーン市内郊外のハイリゲンシュタット(Heiligenstadt)で降りた。
 ぶどうの木  
 駅の線路越しの景色
 
Krems駅で乗り換えたICはサッカーのイベント・カーだった


★「ウィーン編 Pt.2」 に続く。

中欧の旅 ~オーストリア、ウィーン編 Pt.1~

2008-12-10 | travelog


★11月1日 : ウィーン(Wien)
プラハからウィーンまでは、EC(ユーロシティ)で4時間半。2等車で料金は942CZK(チェココルナ)、日本円で約4,800円。安い!
3人掛けシート向い合せのコンパートメントで、おじさんがひとり同席。プラハを出発してすぐに検札がきた。
途中、駅でも何でもないとろこで停車して、チェコ語、英語、ドイツ語と3ヶ国語で、“信号トラブルのための一時停車につき、絶対に列車を降りないでください” と車掌さんのアナウンスがあったのだが、これには感心した。日本の新幹線なんて、英語のテープを流すだけだし・・・。
10分くらい停車したあと無事動き出し、その後も停車駅を発車する度に、遅れたことを詫びる放送があった。
のどかな車窓はとても綺麗で、だんだんと太陽が沈んで行く様子を見ながら、やがて国境手前のBřeclav(ブジェツラフ)駅に着いた。
 
チェコ第2の都市ブルノ(Brno)の駅を出てすぐ見えた聖ペテロ&聖パウロ教会
 車窓からの綺麗な夕焼け

ここで、プッシュプル方式の動力車がチェコ鉄道からオーストリア連邦鉄道に交換、車掌さんも交代である。
シェンゲン協定によって加盟国間の行き来には、今はもうパスポート・コントロールはない。でも、改めてオーストリア連邦鉄道による検札があった。
同室のおじさんは物書きをしながら仕事をしていて、私はiPodで音楽を聴きながら、いつの間にか眠っていた。
目覚めた時、すっかり外は暗くなっていて、あと1時間ほどでウィーンに着く予定。おじさんに声を掛けられ、そこから話が弾んだ。おじさんはウィーンの人で、プラハに仕事で行っていたらしい。美味しいお菓子の店の地図を書いて教えてくれたり、私がノートにドイツ語で書いていた食べものの説明をしてくれたり、行く予定のところを解説してくれたりした。私が、『Kommissar REX』 の話を持ち出して、日本で見てたと話したら、オーストリアのドラマが日本で放送されているなんて!と、とても驚いて、しばしREXの話で盛り上がった。
ウィーンのひとつ手前の駅で降りたおじさんにお礼を言って別れ、その後間もなくウィーン南駅(Wien Südbahnhof)に到着した。
 
オーストリア連邦鉄道(ÖBB)の真っ赤な車体がカッコいい!
 ウィーン南駅

ウィーン市内の公共交通機関共通の24時間チケットを買ってトラムに乗り、ウィーン西駅(Wien Westbahnhof)近くのホステルに行ってチェック・イン。
プラハではホテル泊だったが、ウィーンでは宿泊代を押さえるため、ホステルを利用。「Happy Hostel」 というホステルは、各階にオートロックのドアが何個かあり、中に入ると綺麗なキッチン、バス、トイレがあって、その奥に4部屋という造りだった。部屋もとても綺麗でTV付き。プラハではTVがなかったので、それが嬉しかった。そして、とても大きなクローゼットがあった。
ひとつ難を言えば、余分のコンセントがなかったこと。充電したりドライヤーを使う時は、ベッド・スタンドのコードを抜いて使わなければならなかった。
 Happy Hostelの部屋

少し休憩したあと、まず西駅に行って、ウィーン滞在中に行くドナウ渓谷沿いの街とハンガリーのブダペスト行きのきっぷを買った。
そして、地下鉄U3でウィーンのシンボルでもあるシュテファン大聖堂がある街の中心地、シュテファンズプラッツ(Stephansplatz)まで行った。
外に出ると、目の前にで~んと大聖堂がそびえ建っていた。でも、ライト・アップはあまりされていなくて、南塔は相変わらず修復中のようで、幕で包まれていた。
Platzというのは、広場という意味。大聖堂のある広場から、グラーベンとケルントナー通りという2本の大通りが伸びていて、人通りも多く賑わっていた。
 暗い夜空にそびえるシュテファン大聖堂

とりあえずお腹も空いたことだしと思い、早速ウィーンのケーキを戴くことにした。ウィーンは “カフェ文化” と言われるくらい、カフェが街の文化や人々の生活になくてはならないもの。だから、至る所にカフェがある。
大聖堂そばの、少し喧騒からそれた静かな通りに面した 「Café Diglas」 に行った。お店に入ると、まず 「Grüß Gott!(グリュース・ゴット:ドイツ語でこんにちは)」 というのが礼儀。お店のスタッフもすかさず 「Grüß Gott!」 と返してくれる。
大繁盛のそのカフェは、雰囲気のいいインテリアで、想像していたウィーンのカフェのイメージのまんまだったのが嬉しかった。そして、ショーケースには美味しそうなケーキがたくさん並んでいる。好きな席に勝手に座っていいので、窓側の席についた。
ウィーンにはただのコーヒーというものはなく、メランジェというフォーム・ミルクが半分入った、カフェ・オレのようなコーヒーが定番。しばらくすると感じのいいウェイターのお兄さんが笑顔でやってきて、注文を聞きに来た。メランジェを頼んでからケーキを選びたいと言うと、ケーキのショーケースまで一緒に行ってくれて、なんと私はケーキを2個オーダーしてしまった。めちゃくちゃ美味しそうで、お腹も空いていたので、ご飯代わりにしちゃえ!って思ったから・・・。(笑)
ショコラ・ケーキと、表面が焼かれたメレンゲがのったクリーム・ケーキを戴いたのだが、もう至極の幸せ♪ チェコも美味しかったが、ウィーンも最高に美味しい!
地元の人は、メランジェにたっぷりとお砂糖を入れるが、私はノン・シュガー。ほど良い甘さのケーキが丁度いい。以前アメリカで食べたケーキが死ぬほど甘かったので、外国のケーキは甘いという固定観念があったが、今回食べたケーキはどれも皆丁度いい甘さでくどくなく、こんな大きなケーキ2個でもペロリだった。
店内ではピアノの演奏もあり、本当に雰囲気のいいカフェだった。お店を出る時は、「Wiedersehen!」(Auf Wiedersehenアウフ・ヴィーダーゼーエンの略でドイツ語でさようなら。でも、ネイティヴの発音を聞くと、“ヴィダーシェン” という感じ )と声を掛けて去るのが礼儀。そして、「Wiedersehen!」 と返してくれる。
 Café Diglas

美味しいケーキに満足したあとは、夜の街散策。ウィーンの中心部は、かつての市壁と堀の趾を都市計画によって道路や構築物で囲んだ環状道路が走っていて、その道路はリンクシュトラーセ(Ringstraße:通称リンク)と呼ばれている。
そのリンクをトラム#1と#2が外回り内回りでぐるっと一周走っているのだが、実は私がウィーンに行く一週間前に、このルートが変更になった。変更前は、トラムで一周すれば、リンク沿いの名所・旧跡・建物を網羅することができた。それが、途中で乗り換えたりしなければならなくなったので、変更の情報を知ってからプランを立て直し、新しくなったルートを確認しておいたので、スムースにトラムを使用することができた。
シュテファンズプラッツから王宮広場を抜けて、スタート地点はオペラ座。ライト・アップされたオペラ座は、シャンペン・ゴールドに輝いてとても綺麗だった。(タイトル写真)
トラムを一駅だけ乗ったり、一駅分歩いたりしながら、国会議事堂、ブルク劇場、市庁舎、ウィーン大学、ヴォティーフ教会、証券取引所、ウラニア天文台、と見て周り、楽友協会から歩いて “金色のキャペツ” セセッシオンを少し離れたところから見て、オペラ座近くのカールスプラッツ(Karlsplatz)から地下鉄とトラムを乗り継いでホステルに戻った。
 国会議事堂  
 市庁舎
 証券取引所  
 セセッシオン

カールスプラッツ駅のエスカレーター横のガラスに貼ってあったピクト・サインがユーモラスだったので、写真を撮っていたら、“この子はいったい何を撮っているんだろう・・・?” というような不思議な目ですれ違う人に見られてしまった。(笑)
 “ぶつかるよ!”
 
Karlsplatz駅は中心地の駅だが、東京と違って23時過ぎは人もまばら 


★前半のプラハを含めたこの日の万歩計の成果 : 歩数32.572歩、消費カロリー594.2Kcal、歩いた距離14.6km

中欧の旅 ~チェコ、プラハ編 Pt.5~

2008-12-05 | travelog


★11月1日 : プラハ(Praha)
5泊6日のプラハ滞在も、アッという間。この日はウィーンに移動。ウィーン行きの列車は13:33発だったので、午前中いっぱいはまだまだ観光できる。
チェック・アウトは正午だったので、スーツケースは部屋に置いたまま出かけた。
プラハ・ハムは美味しいのだが、メニューは毎日同じなので、ホテルの朝食に少し飽きてきた。この日は外で摂ることにし、カフェがオープンする時間まで、トラムで新市街のカレル広場に行った。
外に出ると、街は濃い霧に包まれていて、100メートル先は見えないくらいだった。プラハの車は、日中でもヘッド・ライトの点灯が義務付けられているそうで、その理由はこの霧とのこと。なるほど・・・。
 石畳に似合うトラムと停留所
 新市街塔とカレル広場

朝食は、「Café SLAVIA」 で摂ることにした。このカフェは、ウェイターの評判が良くないということを聞いていたのだが、どうしても店内に飾られている、とある絵が見たかったので、ここに決めた。その絵とは、チェコの画家、ヴィクトル・オリヴァの 「アブサンを飲む男」。
ブレック・ファースト・メニューより、きのこ&ベーコンのオムレツと焼きたてクロワッサンとラテ・マキアートをオーダーした。
オムレツはとても美味しかったのだが、クロワッサンがこない。パンが付いていたが、クロワッサンを頼んだし・・・と思い、最初はそのパンには手は出さなかったのだが、オムレツを食べながら待てど気配がないので、きっと忘れているんだろう、お会計の時に言えばいいや・・・と思ってそのパンを食べた。
オムレツも食べ終り、お皿を下げに来た時ももうクロワッサンはいらないやと思って何も言わずにいると、飲んでいたラテ・マキアートが残り半分以下になった頃になってクロワッサンを持ってきた。
焼きたてって、ホントにオーダーしてから焼いたのか?? 前のテーブルに座っていた、あとから来たおじさんもクロワッサンをオーダーしたみたいだったが、そのおじさんには私に出したあとすぐに出していた。
先に食べたバンは小さかったし、焼きたてクロワッサンは美味しかったので、何も言わずに食べたが、評判どおりのウェイターの態度・・・。
私のテーブル担当のウェイターはそうでもなかったのだが、お会計の時、お釣を全部チップにするには少し多かったので小銭を一部取っていたら、別のウェイターがやってきて、横から “サービス料は含まれていないから” と言ってそのお釣を全部取って行かれた。なんとがめつい奴! 
いくら窓際の席からの眺めと味は良くても、この絵がなければ、こんなサービスの悪い店には来ないさっ!
 Café SLAVIA
 「アブサンを飲む男」、この絵見たさに入った

ちょっと嫌な気分で店を後にし、近くのレギー橋を渡ってトラムでチェフ橋まで行った。少し霧は晴れたものの、レギー橋から見たプラハ城は、まだまだ濃い霧に包まれてほとんど見えなかった。
ちなみにチェフ橋は、『のだめ~』 で千秋がミルフィーの手下に拉致されたシーンのロケが行なわれたところ。
 カレル橋も濃い霧に包まれてほとんど見えない
 チェフ橋

チェフ橋を渡り、いつも歩いたのは夜ばかりだったヨゼホフ(ユダヤ街)で、シナゴーグ(ユダヤ教の礼拝堂)巡りをした。
中には入らなかったが、いろんなシナゴーグを鑑賞した。中でも “新旧シナゴーグ” という不可解な名前のシナゴーグの造りがユニークで印象的だった。このシナゴーグは、1270年に建てられたヨーロッパ最古のシナゴーグで、16世紀に新しく建て増しされたので、こんな名前が付いたらしい。
ユダヤ教の伝承に登場するゴーレムの人形を買おうと思い、お店に入ってみたが、どれも少し大きかった。親指くらいの大きさのが欲しかったのでお店の人に聞いてみたが、ないと言われ、諦めて再び街散策。
 新旧シナゴーグ   儀式の家
 ユダヤ民族の街と書かれた文字と、ユダヤ民族を象徴するダビデの星

“儀式の家” からすぐのところに、昨夜コンサートを観たルドルフィヌムがあり、昼間の写真を撮っていなかったので、ドヴォルジャークの銅像と共に写真を撮り(タイトル写真)、再びヨゼホフへ。
聖霊教会とスペイン・シナゴーグに挟まれるように、ユニークなデザインの像があった。よく見ると、下に “Franz Kafka” と刻まれている。カフカの像だった。
 カフカ像

カフカ像の前にあった小さな公園の入口で、面白いものを見つけた。犬のステッカーが貼られたポリ・バケツのようなものがあり、その上には固い紙袋が取り出せるようになていた。引っ張って取ってみると、なんとそれは犬のウンチを入れるための紙袋で、ポリ・バケツはその回収箱だった。


その後、ヨゼホフから旧市街広場に一直線で走っているPařížská(パジージュスカ)通り、通称パリ通りを旧市街広場まで歩いた。
もうここには何回来ただろう・・・。でも、何回来ても来足たらない。ティーン聖母教会の裏側などをじっくり鑑賞して、旧市庁舎の方に行くと、何やら人だかりができていた。
毎正時に動く、旧市庁舎天文時計の聖人たちのからくり人形を待っている人たちだった。このからくりは、かなりショボいと聞いていたので、人だかりの後ろを歩きながら遠くから見たが、やっぱりショボく、へっ?これだけ?という感じだった。
 天文時計とからくり人形   動き出すのを待つ群集

ヤクブ教会に立ち寄ったあと、最後にもう一度カレル橋に行ってみようと思って向かったが、とんでもなかった。休日の歩行者天国以上で、もの凄い人だったのだ。そんな人ごみの中、たくさんの露店や似顔絵描き、ストリート・パフォーマーなどが場所を占領しているので、更に通路は混み合ってしまう。
途中まで行ってみたものの、先に進めなく、時間的に渡り切ることはとてもムリだったので、旧市街側にある欄干の彫像を見たあと、ホテルにスーツケースを取りに戻った。
 カレル橋のおじさん楽団   最古の “ブロンズの十字架像”

途中、交通博物館から出ている土日祝日限定のクラシック・トラム “91番トラム” が走っている姿に出会った。
ホテルの部屋を出た時、丁度ルーム・メイクのおばあさんがいて、とっても可愛い声で “Thank you! Bye!” と声をかけられ、フロントのおじさんはドアを開けて笑顔で見送ってくれた。
Grand Hotel Evropaは、とっても居心地良くて、いろんなところへのアクセスにもとても便利だった。いつかまたプラハに来た時は、またここに泊ろう。
そして、ウィーン行きの列車に乗るため、プラハ・ホレショヴィツェ駅へと向かった。
 限定走行の91番トラム


★ウィーン編に続く。

中欧の旅 ~チェコ、プラハ編 Pt.4~

2008-11-30 | travelog


★10月31日 : プラハ(Praha)
クトナー・ホラから、プラハのフローレンツ・バスターミナルに着いたのは、定刻の14:15。そこから地下鉄C線でヴィシェフラッドに向かった。
ヴィシェフラッドとは、チェコ語で “高い城” という意味。かつてプラハ城のほかに、もうひとつの城があった場所。
今は城址公園として、市民の憩いの場所となっているほか、絵本作家として日本でも人気のカレル・チャペックや、大作曲家のドヴォル・ジャークやスメタナなど、多くの文化人が眠る墓地がある。
プラハの中心から少し外れているためか、観光客の姿はほとんどなく、地元の人たちが散歩したり集ったりするのどかな公園だった。
お兄さんのヨゼフ・チャペックがデザインした、カレル・チャペックのお墓は、とても独創的だった。
墓地の隣には、聖ペトロと聖パウロ参事会教会があり、教会の鐘がスメタナの 『わが祖国』 のメロディを奏で、お墓にいる時に流れてきたので、なんだかジーンとくるものがあった。
 カレル・チャペックのお墓   スメタナのお墓

それぞれのお墓の前で手を合わせたあと、教会に立ち寄り、城壁の上の道を歩いた。そこから見るヴルタヴァ河越しの景色は、のどかでとても綺麗で、遠くにプラハ城とカレル橋も見えた。
 ヴィシェフラッドの城壁から

ヴィシェフラッドを出てトラムの停留所まで歩いていると、途中にキュビズム建築のステキなビルがあった。これは、キュビズム建築の天才、ヨゼフ・ホホルが設計した住宅で、100年も前の建築なのに、とても近代的。
ヴルタヴァ河沿いを走るトラムに乗り、トラムの中から外の景色を見ながら(タイトル写真)プラハの中心まで戻る途中、ダンシング・ビルが見えた。ダンスをしているように見えるので、そんな愛称が付けられているこのビルは、建設された当時、歴史的景観が損なわれると、プラハ市民から猛反対を受けたビルだそうだ。
 キュビズム建築   ダンシング・ビル
 
プラハのトラムとその車内

だんだんと日が暮れてきたので、カレル橋のところを通り過ぎたところでトラムを降りて、カレル橋旧市街橋塔に昇った。
昨日昇ったマラー・ストラナ橋塔より少し高いので、昨日とはひと味違った景色が目の前に広がり、だんだんと暮れ行く街の景色を堪能した。
塔の階段は、四角い塔の中を狭い範囲でぐるぐると螺旋になっているので、下まで降り切った時にちょっと目がくらんだ。


プラハの街中で気になったのが、郵便ポストがないこと。見つけられなかっただけなのかも知れないが、アメリカやイギリスでは、日本同様街のあちこちにポストがあるのに、プラハにはない。
昨日のことだが、絵葉書を出そうと思い、ホテルの近くに中央郵便局があったので行ってみた。奥に記念切手を扱うコーナーがあったので、せっかくだからと思い、記念切手を買ってさて投函・・・と思ったものの、ポストがない。
チェスキー・クルムロフの郵便局では、局内にまとめて投函する差し出し口が設けられていたが、中央郵便局のどこを探しても、それらしきものが見つからない。
そこで、ロビーにいた男性客に聞いてみた。彼は、私の絵葉書に切手を貼っていることを確認したあと、外に導いてわざわざポストの場所まで連れて行ってくれた。
そして、外の入口のところにオレンジ色のボックス型のものがあり、それを指して、右側に入れるといいよと教えてくれた。
それがポストだなんて、気付きもしなかった。これなら、街のどこかにあっても気付かなかったのかも知れない。街中にポストがないなんてことはないだろう・・・。
 チェコの郵便ポスト

昨日買ったルドルフィヌムのコンサートに行く前に、食事をしようと思い、ブランド店が並ぶPařížská(パジージュスカ)通り、通称パリ通りをヨゼホフ(ユダヤ街)の方まで歩いて行った。
街を歩いていると、建物や風景のほかにもいろいろなものが目に入る。ピクト・サインも日本のそれとは違って、なんだかユーモアがあって可愛い。
 歩行者専用サイン   駐車禁止サイン
 “飛び出し注意” だろうか・・・
 プラハのボタン式信号、和訳で “待て”

夕飯に選んだのは、昨日お店の前を通ってメニューをチェック済みの、絵本作家ヨゼフ・ラダの作品に登場するキャラクター “Švejk(シュヴェイク)” の名がそのまま付けられた 「ŠVEJK RESTAURANT」。
お店の中は、椅子や食器に至るまで、Švejkの絵が描かれていた。英語のメニューもあり、手頃な値段でチェコ料理を提供している、気軽に入れるレストランだ。
プラハ最後の夜にオーダーしたのは、ビーフ・コンソメ・スープとチェコ名物スマジェニ・スィール(チーズを揚げたもの)とラテ・マキアート。パンも付いてきた。
スマジェニ・スィールには、ソテーしたポテトとサラダが付いていて、チーズ・フライとタルタル・ソースとの相性が絶妙だった。全然しつこくなく、チーズの香ばしさが口の中に広がって、とっても美味しかった。スープの味もあっさりしていて美味しかった。
何かŠvejkのキャラクター・グッズがあれば記念にと思ったのだが、特に販売はしていなかった。
 ŠVEJK RESTAURANT
 
翌日の昼間に撮った看板と外観

お腹も満たされ、そろそろ7時からのルドルフィヌムのコンサートに行く時間。レストランからルドルフィヌムまでは徒歩10分弱。
コンサートはドヴォルジャーク・ホールではなく、SUK HALLという800人ほどの小ホールで行なわれ、パルナス・アンサンブルという8人の弦楽八重奏団の演奏。
中にはチェコ・フィルに在籍している人もいるそうで、先日の教会コンサートの演奏より遥かにレベルが高かった。
ヴィヴァルディの 『四季』 やモーツァルトの 『小夜曲』、ドヴォルジャークの 『ユーモレスク』、ビゼーの 『カルメン』 など、私の耳にお馴染みの曲ばかり。最後はブラームスの 『ハンガリー舞曲』 で大いに盛り上がった。
アンコールは全員ピチカート奏法で演奏。コントラバスの人がとってもユーモアがあって、クルクルとコントラバスを回しながら弾いたり、わざと音をカスって笑いを誘ったりと、リラックス・モード。大歓声の中、拍手は鳴り止まず、再度登場。でも演奏はせずに挨拶だけだった。
これで、700CZK(3500円)はお得! 素晴らしい演奏で、プラハ最後の夜をとてもいい気分にしてくれた。
 パルナス・アンサンブル

そのあと、夜のカレル橋を歩いた。かなりの人で賑わうカレル橋では、ストリート・ミュージシャンがいたるところで演奏したり歌ったりしていた。
この日はハロウィン。でもヨーロッパはアメリカほど派手ではないので、ホテルのフロントや一部のレストランの店先にかぼちゃが置かれているのを見ただけだったが、向こうから奇声を発しながらスキップしてくる仮装した人たちがやってきた。なかなかキマッテいたので、カメラを向けるとポーズを取ってくれた。
 ストリート・ミュージシャン   That's Halloween!

そのまま歩いて旧市街に入り、Husova(フソヴァ)通りの 「Cream & Dream」 というジェラート屋さんでピスタチオとカプチーノのジェラートを買って、食べながらホテルに戻った。
ピスタチオのジェラートは、本場ローマに比べると少し甘かったが、カプチーノはほど良く苦味が効いていて美味しかった。
一旦ホテルの部屋に戻ったあと、最後の夜くらいはホテルのカフェに行かなくちゃと思い、お財布だけ持って1階にある 『のだめ~』 のロケでも使われた 「Café Evropa」 に行った。
オーダーしたアイス・コーヒーは、日本のアイス・コーヒーとは違い、コーヒー・フロートのようで、アイスクリームがたっぷりで美味しかった。
私の席の横にピアノがあり、しばらくすると演奏が始まったのだが、何曲目かから流れてきたのはなんと、滝廉太郎の 「花」! その後も 「赤とんぼ」や 「七つの子」、「上を向いて歩こう」 など、日本の曲のメドレー。思わず笑みがこぼれ、ピアノ弾きのおじさんの方を見ると目くばせしてる。
私のほかには、お客さんの中に日本人はいない。きっと私のために弾いてくれてるのね~と勝手に解釈。(笑) それにしても粋な演出だ。カフェを出る時に、おじさんにお礼の会釈をすると、おじさんはウィンク。ピアノの上のチップの小瓶にコインを入れて去った。
いい感じでプラハ最後の夜を満喫したあと、部屋に戻って荷物のパッキングをした。
 Café Evropa
 チラチラと私の方を見ながら演奏するおじさん


★この日の万歩計の成果 : 歩数32.879歩、消費カロリー606.4Kcal、歩いた距離14.7km


中欧の旅 ~チェコ、クトナー・ホラ編~

2008-11-28 | travelog


★10月31日 : クトナー・ホラ(Kutná Hora)
チェスキー・クルムロフに続いて、今日はクトナー・ホラという街に行く日。行きの列車が7:53発だったので、ホテルの朝食は摂らずに出かけた。お天気はいい!
プラハ本駅は国際列車も発着する、プラハの中央駅。現在一部工事中で、3階にあるアールヌーボー装飾のドーム型屋根のカフェに行きたかったが、通行止めになっていて行けなかった。仕方がないので、スタンドでカフェ・ラテを買って、駅ホームや構内を散策した。
列車の発着ホームは事前にはわからず、時刻掲示板にホームNo.が出てから行くというスタイルなので、掲示板の前には出勤前のたくさんの人が、上を見上げながら集まっていた。
そこでベンチに座っていたおじいさんと目が合い、ちょっとお話をした。おじいさんは英語が少しわかり、ウクライナの人で、孫に会うためにプラハに来たのだそう。
私の乗る列車の到着ホームが出たので、おじいさんと握手をして別れ、ホームへと向かった。
 自分が乗る列車の入線ホームを確認
 プラハ本駅ホーム

クトナー・ホラへは約1時間ローカル線で行くのだが、旅行前に下調べをしていた時、今まで行った人たちの旅行記によると、皆クトナー・ホラ本駅で降りて、セドレツ(Sedlec)という地区まで歩いていた。
しかし、Googleマップでセドレツ地区の地図を見てみると、セドレツに駅があるのを見つけた。そこでチェコ鉄道のHPで検索してみると、クトナー・ホラ本駅で乗り換えて行けることがわかった。乗継時間も7分と、便利。セドレツ駅を使えば目的地まですぐなので、セドレツ駅までのきっぷを購入していた。
ところが、プラハ発の列車が約15分遅れて到着。乗継の列車の発車時刻は過ぎてしまっていた。まあ、歩いてでも行けるし・・・と思っていたが、乗継の列車は、ちゃんと待ってくれていた。この辺の列車は、地元の人たちの大切な足だからだろう。反対側のホームに走って行く人と一緒に走って、一両編成の超ローカル列車に乗り込んだ。
クトナー・ホラ本駅からクトナー・ホラ・セドレツ駅まではひと駅で4分。列車を降りるとそこは、線路がなかったら駅とはとても思えない、田舎のバス停のようだった。もちろん無人駅。
 クトナー・ホラ本駅と乗り換える列車
 これでも鉄道の駅!

でもここまで列車で来て正解だった。駅のすぐそばに、目的地のひとつ、聖母マリア被昇天教会があったのだ。
ずっと修復中で中に入れないという情報だったが、入口が開いていて見学ができた。
まだ中の一部は修復中だったが、ステンドグラスもないシンプルな造りで、バロックの懺悔室や彫刻やフレスコ画が展示されていて、豪華絢爛な装飾の教会とはひと味違っていて、太陽の光が差し込む、茶色を基調にしたとても明るい教会だった。
 聖母マリア被昇天教会
 とても明るい教会内

聖母マリア教会を出たあと、すぐそばにあるもうひとつの目的地、コストニツェ納骨堂墓地教会へと向かった。
教会は、その名のとおり墓地の中に建っていた。そしてこの教会内は、約4万人の人骨だけで装飾されているのだ。
さっき行った聖母マリア教会との共通チケットで入館。受付で、日本語の解説書を渡してくれた。
墓地に人骨・・・とこれだけ聞くと、なんだか不気味な感じがするが、いざ中に入ってみると、その素晴らしさに息を呑むほどだった。祭壇はもちろん、紋章やシャンデリアに至る全てが人間の骨で出来ていた。しかも頭蓋骨がいっぱい。
ペスト大流行で亡くなった人や、フス教徒による戦争(フス戦争)で亡くなった人たちの遺体が用いられているとのこと。
中にいた日本人のカップルに写真を撮ってほしいと頼まれ、少し旅の話などもした。他にも10数人の観光客が見学していたが、日本人はそのふたりと私だけだった。


あまりにも素晴らしかったので、予定以上にそこで時間をかけてじっくり鑑賞したので、本来クトナー・ホラの中心街まではセドレツ駅からまた列車で行く予定だったが、その列車の時間はとうに過ぎてしまっていた。
今まで行った人の旅行記によると、皆ここから歩いていたが、シャトルバスのポスターがあったので、受付のお兄さんに聞いてみた。
でも、シャトルバスは6人以上のグループでなければ呼べないとのこと。歩くとどのくらいかかるのか聞くと、40分くらいと言う。まあ仕方ないか・・・と思っていたら、路線バスがあるよと教えてくれた。
バス停の場所を私に教えるため、地図を出そうとしていたが、私が “地図は持ってるよ” と言って取り出すと、バス停の場所と降りる場所を詳しく教えてくれた。その時地図に “ここがこの教会で・・・” と言いながら、ドクロ・マークを書いたオチャメなお兄さん。それを見ていた同じ受付のおばさんは、“何書いてんのよ!” と茶化す。バスの時刻を調べてくれて、10分後だよと教えてくれた。
バス停は最初に行った聖母マリア教会のすぐ横にあり、少し遅れてやって来たこの路線バスが最高だった。
黄色で可愛い形をしたミニ・バスで、運転手は若いお兄さん。車内にはラジオからNirvana(ニルヴァーナ)やSuzanne Vega(スザンヌ・ヴェガ)など、90年代のヒット曲が流れていた。そして、運転席の回りはぬいぐるみやマスコットだらけ。まるで自家用車のようだった。お兄さんはお菓子を食べながら、そして乗ってきたおばあさんと世間話をしながら運転。なんてアット・ホームな街なんだ!

地図を見ながら確認して降りたものの、方向感覚が掴めなかったので、同じバス停で降りた少し前を行く女性に声をかけたが、英語は話せないと言われた。
取りあえず地図を見せて、今居るのはこの地図のどこかと示して、行きたい教会の名前を言うと、なんと親切に教会まで連れて行ってくれた。
教会まで10分弱だったのだが、途中で曲がるところに案内板が見えたので、ここで大丈夫だよと身振り手振りで伝えたが、“いいのよ~” というような返事だったので、女性の行き先は教会と同じ方向なのかなと思った。でも、教会の前まで来て街の中心に行く道も教えてくれて、お礼を言って別れたあと、その女性はまた来た道を引き返して行った。なんていい人!
そんなこんなでいい人に出会えて辿り着いたのは、街の南西端にある荘厳でとても立派な聖バルバラ教会。この教会は、プラハ城の聖ヴィート大聖堂と同じ人が造った教会。横からの姿が、聖ヴィート大聖堂と似ていた。
ここでも中に入ると国名を聞かれ、日本語の解説書を渡してくれた。何かと親切な街だ・・・。
ゴシック様式の教会の中は、石と木の温かみが溢れる、とても落ち着いた内装で、特に素晴らしかったのが天井。花模様に広がる石のリブのカーブがとても美しく、ずっと見上げていたら、首が痛くなった。
主祭壇の奥の回廊に斜めに何個も並んだ礼拝堂が、ステキなフレスコ画で装飾されていたのも印象深かった。
 聖バルバラ教会  
 美しい天井
 斜めに並んでいる礼拝堂

教会の場所は少し高台になっているので、教会裏からは旧市街が見渡せた。(タイトル写真)
街の中心に行く道の端には、聖人の像が建てられていて、道の真ん中で遊ぶ子供たちの姿が、のどかな街の雰囲気を物語っていた。
 バルバラ通りとそこで遊ぶ子供たち

旧市街に入ると、街はこじんまりしていて、教会やモニュメントは狭い範囲で回ることができた。
帰りはバスだったので、街の中央のパラツキー広場にあるインフォメーションで、バス・ターミナルの場所を確認したあと、聖ヤコブ教会や、ペスト記念柱、“石の泉” というかつての貯水タンク、“石の家” と呼ばれる民家などを見てから、ピンクのファサードが印象的な聖ヨハン・ネポムック教会を見学した。
 石の泉
 聖ヨハン・ネポムック教会と教会の天井画

バスの発車時刻は12:50、チケットは、先日のチェスキー・クルムロフ行きのチケットを買った時に一緒に買っておいた。
2時間弱の滞在だったので、カフェなどに入ってゆっくりできなかったが、小さな街だったので見たいところに全部行くことができた。
バス・ターミナルは街の中心を少し外れていたが、歩いている途中見つけた古本屋で昔のクトナー・ホラの地図を買い、朝から何も食べていなかったので、バスを待っている間、屋台でホット・ドッグを買って食べた。
バスは列車より少し時間がかかり、約1時間半、ほとんど車内で寝て過ごし、プラハまで戻った。

★後半は、「プラハ編 Pt.4」 に続く。

中欧の旅 ~チェコ、プラハ編 Pt.3~

2008-11-27 | travelog


★10月30日 : プラハ(Praha)
プラハ滞在4日目にして、やっと雨から解放された。雲ひとつない青空とは言えないが、それでも雨よりはずっといい。
今日は、予定を変更したプラハ城に行く日。ホテルの朝食を済ませたあと、まず旧市街広場へと向かった。
まだ8時前だったので、広場にはほとんど人は居なく、天文時計のある旧市庁舎、ふたつの鐘楼がそびえるティーン聖母教会、外壁が美しいゴルツ・キンスキー宮殿、広場の真ん中のヤン・フス像、旧市街の聖ミクラーシュ教会をじっくり鑑賞。
 旧市庁舎と天文時計
 ゴルツ・キンスキー宮殿とヤン・フス像
 ティーン聖母教会   聖ミクラーシュ教会

プラハ城方面に行くトラムに乗るため、Husova(フソヴァ)通りに入り、ブラック・ユーモア溢れる作品を次々と生み出すプラハのアーティスト、デヴィッド・ツェルニー(David Černý)の “ぶら下がる男” を探しながら歩いた。
この通りはもう何度か通っていたのだが、いつも夜だったので見つけられなかった。上を見ながら歩いていると、ベツレヘム礼拝堂の方に曲がる角の手前に、ちょっと滑稽で不思議で、なんとなく可愛い “男” がぷら下がっているのが見えた。しかし、ツェルニー氏は何の目的でいったいここにこんな作品を残したのだろう・・・。
 ツェルニー作 『ぶら下がる男』

スーパーTescoの横からトラム#22に乗って、プラハ城前で下車。少し歩くと北門があり、両側に衛兵が立っていた。
英国っぽい制服で、バチカン市国のスイス衛兵のようなお洒落な感じではなかったが、微動だにしないその姿は、バチカンと同じだった。
 プラハ城の衛兵さん

北門から第二の中庭に入り、まずチケットを購入。やっぱり正門から入らねば・・・と思い、一旦外に出た。
プラハ城前のフラチャニィ広場には、だまし絵の外壁が美しいシュヴァルツェンベルク宮殿があり、城の横にある王宮階段を上りきったところから眺める景色は、2日前の見晴らしが悪かった時に比べると、遠くのテレビ塔まで見渡せて、プラハの街並が美しく広がっていた。
 シュヴァルツェンベルク宮殿   プラハ城正門
 
新王宮階段とそこからの眺め

正門を入ると、まず大統領官邸があり、ハプスブルク家の双頭の鷲の紋章のあるマチアーシュ門を通って第三の中庭に入ると、そこには目の前に、壮大で荘厳で見事な聖ヴィート大聖堂がそびえ建っていた。
第三の中庭はとても広いが、その端に行っても全景を写真に収めることはできなかった。
 聖ヴィート大聖堂

教会の中は、ばら窓や側廊のステンドグラスがとても美しく、中でもムハ(日本ではフランス語読みのミュンシャの方がポピュラー)のステンドグラスは、他のに比べると絵の感じやタッチが違っていて、とても柔らかくて優しく、そして例えようがないくらい美しかった。
 ムハのステンドグラス

見どころたくさんの教会内をじっくり見学して外に出ると、私が入った時にはなかった柵が置かれ、既に入場を待つ人々が行列になっていた。
私はオープンの9時を少し過ぎた頃に入ったのですんなり入れたが、10時近くにはもう行列。これがシーズン中だったら・・・と思うとぞっとした。
旧王宮に入り、天井のヴォールトがとても美しいウラジスラフ・ホールを見学。そこで私はどうしても行きたい場所があった。
カトリックとプロテスタントの三十年戦争の発端となった 「プラハ窓外放擲(ほうてき)事件」 の、プロテスタント信者がカトリックの横暴に怒って国王の役人たちを突き落とした窓がある部屋だ。
ノートにその事件のことをチェコ語で書いていたので、入口にいた案内係の人にそれを見せると、一緒にその部屋まで連れて行ってくれた。
歴史が刻まれた部屋に入り、役人が突き落とされるところを想像してみた。
 これがその部屋の窓

エンジ色が美しい、ロマネスク建築の聖イジー教会を見学したあと行ったのは、“黄金の小路”。
この通りは、かつて錬金術師が住んでいたと言われていたので、そういう名前が付いたそうだ。そしてこの通りの22番の家は、作家のフランツ・カフカが一時期住んでいた家。
黄金の小路の家はどれもカラフルで、今は全部おみやげ店やレストランになっている。
 「黄金の小道」 手前のブルーの家が “カフカの家”

黄金の小路を抜けて、かつて牢獄として使用されていたダリボルカ塔を見学したあと、別の道から引き返して北門を出て、ハプスブルク家のフェルディナント大公がアンナ王妃のために造った、“夏の離宮” と呼ばれているベルヴェデーレ離宮があるロイヤル・ガーデンに入って行った。
途中、聖ヴィート大聖堂の全体が見渡せて、城の中からは見ることができなかったミフルカ塔や白塔・黒塔、ダリボルカ塔も庭の端から見渡せた。
ベルヴェデーレ離宮は修復中で、その美しい外観は残念ながら工事の足場で覆われてしまっていた。
そして、ここでまたもや雨が降ってきた。あぁ・・・。
 聖ヴィート大聖堂全景
 手前の丸いのがダリボルカ塔、奥の四角いのが黒塔

でも、トラムに乗っている内にそんな雨もすぐ上がり、ここらでちょっとひと休み。
2日前にトラムから見て気になっていたお店、「Dobroty Caffé Vescovi」 に入った。テイク・アウトが中心の小さなカフェで、窓側に5席ほどのカウンター席があるだけだったが、お店のおばさんがとっても気さくな方で、ゆっくりとくつろぐことができた。
手作り感あふれるケーキ(プレートのチェコ語を写してきたが、意味を調べてもわからなかった)と、ラテ・マキアートをオーダー。
ケーキはビスケット状の生地にブルーベリーとクリーム・チーズが挟まっていて、生地の香ばしさと甘酸っぱいブルーベリーの味が絶妙に口の中で混ざり、とっても美味しかった。
これまで食べたケーキは、どれも外れなし。本当に美味しい!
 

カフェの窓越しに、このあと行く予定のペトシーンの丘に登るケーブルカーの線路が見えたので、ケーブルカーの駅まで迷うことなく行くことができた。
丘の上の塔には登らず、そのまま階段や小道を通って、プラハの街を見渡しながら下って行った。
雨に濡れた落ち葉が綺麗で、ちょっと風が冷たかったけど、歩いているうちに体もホクホクしてきて気持ち良かった。
前を歩いていた老夫婦が、仲良く手をつないで歩いている姿がとても微笑ましくて、思わず写真を撮ってしまったり・・・。
 ペトシーンの丘から
 黄色い落ち葉が綺麗

ペトシーンの丘から、プラハ城横のNerudova(ネルドヴァ)通りに入る途中、ステキなキャンドルのお店が目に留まり、ショーウィンドウを眺めていたら、ドアが開いてお店の上品な女性に “入って見て行ってくださいね” と招かれた。
お店の中に入ると、とってもステキなキャンドルや、木製のアクセサリーや陶器のオーナメントがたくさん飾られていた。
実は私はキャンドル好き。旅行に行く度に、必ずと言っていいほどキャンドルを購入する。このお店でも、全部修道院のシスターの手作りだと言うエンジェルの絵が描かれたキャンドルを2個買った。
ネルドヴァ通りは、かつて歴代の王の戴冠のためのパレードが通った “王の道” の一部で、レリーフのある建物がたくさん建ち並んでいる。
いろんな紋章のようなレリーフが建物の前に付いていて、動物や小道具など様々なデザインで飾られている。
これは、プラハにはその昔番地がなかったそうなので、その代わりにそのレリーフにちなんで、“黄金の鍵” の家とか “赤い羊” の家、などと呼んで区別していたのだろう。


マラー・ストラナ広場まで坂道を下り、“プラハの幼子イエス” が祭られている勝利の聖母マリア教会に行ったあと、カレル橋マラー・ストラナ橋塔に登った。
真下のカレル橋や、遠くに見える旧市街広場のティーン聖母教会など、塔の上から見るのは気持ちいい。


塔から下りたあとトラムに乗って国民劇場のところまで行き、レギー橋からプラハ城やカレル橋の景色を見たあと(タイトル写真)、風が強くなって寒くなってきたので、ニット帽を取りに一旦ホテルに戻った。
それから旧市街とヨゼホフ(ユダヤ街)をぶらぶらして、夕暮れ時の頃合いを見て旧市庁舎の時計塔に登った。たいていの塔は階段だが、ここはエレベーターだったので、ラクチン!
だんだんと灯りがともって行く街の様子はとても美しく、特に遠くに見えるプラハ城は幻想的だった。


ヴルタヴァ河岸からの夜景を見たくなったので、河岸にあるまだ行っていなかったドヴォルジャーク・ホールのあるルドルフィヌムに行ってみた。
ここでも毎日コンサートが開かれていて、ホール前の広場には当日券を売る人たちが勧誘をしていた。コンサートのプログラムが書かれたポスターを見ていると、そんな勧誘している女性に声を掛けられてしまった。
プラハを去る前に、もう一度どこかでコンサートを見るつもりにしていたが、その日のルドルフィヌムのプログラムはイマイチだった。でも、その女性が見せてくれた翌日のプログラムにそそらた。“ドレスアップする服は持ってきていないのよ・・・” と言うと、“ドレス・コードはないのよ!” とのこと。
それに、今日前売りを買うと、S席がA席の料金、A席がB席の料金で取れるとのこと。彼女が薦めたのはA席で、私も前方より真ん中が良かったので意気投合し、チェコ・フィルのことや日本のことなどを少し話して、翌日プラハ最後の夜のコンサート・チケットを購入した。
 ルドルフィヌム

そのあと、あまりお腹は減っていなかったので、カフェやレストランに入る気にはならず、屋台で買ったユーロ・ドッグを食べながら旧市街をぶらついた。
ユーロ・ドッグとは、恐らくチェコの通貨で1ユーロの値段なのだろうが、16CZKだったので、1ユーロよりも安かった。フランスパンのような感じの外側が少し硬いパンの中心をくりぬき、その中にソーセージが入っていて、食べ易くて美味しかった。
 ユーロ・ドッグ

再びプラハ城に行き、夜の聖ヴィート大聖堂を鑑賞。第三の中庭で写真を撮っていたら、寝転がっている男の人に出くわした。
一瞬ホームレス?と思ったが、寝転がって大聖堂をなんとかカメラに収めようと苦戦している姿だった。(笑) 彼と目が合い、お互いに “綺麗だね~” “カメラに全部入りきらないよ” なんて会話を交わした。
 夜の聖ヴィート大聖堂
 
城を通り抜けて旧王宮階段を下り、どこかでケーキを(またか?!)と思い、先日前だけ通ったジョン・レノンの壁の横にある 「Café John & George」 に行った。
店内は想像してたのとは大違い。私は、壁一面にビートルズやジョンの写真やポスター、レコード・ジャケットが飾られている店内を想像していた。しかし、ビートルズのかけらもなく、肩透かしを食らったようだった。しかもBGMはGreen Day(グリーン・デイ)。なんで?
メニューに “John & George スペシャル・ホット・チョコレート” というのがあったので、試しに飲んでみることにし、ケーキもチョコレトーケーキにしたので、チョコづくしになってしまった。でも、疲れていたのかその甘さが体には丁度良かった。
お店を出る時、思い切ってお店のお兄さんに聞いてみた。“このお店の名前は多分ビートルズにちなんで付けられていると思うけど、どうして音楽はGreen Dayなの?” と・・・。すると、“これはラジオなんだ” と苦笑い。そう答えたお兄さんは、ちょっとパンクっぽいファッションだった。(笑)

 
10時近くまでカフェでゆっくりしたあと、地下鉄でホテルに戻り、プラハの歴史に触れ、くまなく街を散策した一日を終えた。


★この日の万歩計の成果 : 歩数41.760歩、消費カロリー764.6Kcal、歩いた距離18.7km
 

中欧の旅 ~チェコ、チェスキー・クルムロフ編~

2008-11-26 | travelog


★10月29日 : チェスキー・クルムロフ(Český Krumlov)
外は相変わらず本降りの雨・・・。この日は、前日の計画立て直しで一日早めたチェスキー・クルムロフに行く日。なんとか晴れてもらいたい!
ホテルの朝食を摂り、バス・ターミナルのあるFlorenc(フローレンツ)駅に地下鉄で向かった。
昨日チケットを買いに行った時は、バス・ターミナルがわかりにくくて少しうろうろしたので、先に下見しておいて正解だった。
8:15発の全指定席バスは、ほぼ満員。チェスキー・クルムロフ(以下、クルムロフと略)までは3時間かかるのだが、シーズン中は通路に立つ人も多く、超満員なのだそうだ。
でも途中、バドワイザー(Budweiser)の語源となったビールの名産地、チェスケー・ブディヨヴィツェ(České Budějovice)など3ヶ所ほど停車して何人か乗り降りしたので、クルムロフまで行った人は半数以下だった。
バスは予定の11:15分より30分遅れて到着したが、嬉しいことに雨も上がり、太陽の光は望めなかったものの、傘を差さずに済むということだけで気持ちは晴れた。
クルムロフは、南ボヘミア州にあるS字型に流れるヴルタヴァ河に囲まれた、人口約14.000人の小さな街。でも、その小さな街全体が世界遺産なのだ。
およそバス・ターミナルとは言えないような広場に降りると、街の地図があった。
 バス・ターミナルは、右端の赤い○のところ

旧市街に向かって歩いて行くと、途中の高台から街が見渡せて、街のシンボル、カラフルなチェスキー・クルムロフ城の塔が見えた。
バスに3時間半乗りっ放しだったので、まずはトイレを済ませるのと軽く昼食を摂るために、カフェを探しながら歩いた。
旧市街に入ると、そこはもうおとぎの国のように可愛い家並が広がっていた。
しばらく歩くと、聖ヴィート教会があったので、中をサクっと見てから裏に回ると、そこから見渡す景色ものどかで、とても趣きがあった。
 バス・ターミナル付近の高台から見た街
 聖ヴィート教会
 教会裏からの景色

石畳の道がとてもステキで、お店の看板(サイン)も可愛い。人通りも少なく・・・というか、誰も居ない。ゆっくりと坂を下りながら、街の中心へと向かった。
 Kostelni通りとレストランのサイン

途中何軒かカフェがあったが、感じ良さそうなカフェを見つけたので、「Piazza Café」 というお店に入った。
サンドウィッチでも・・・と思っていたが、メニューを見たら写真付。パラチンキを見つけたので、それに決定。パラチンキとはクレープのことだが、バターは使っていないらしい。
オーダーしたのは、カッテージチーズ入りパラチンキ・ストロベリーソース添えと、ラテ・マキアート。
これがまたまた絶品! 生地は温かくて、デコレーションのホイップ・クリームも甘くなく、中のカッテージチーズが熱でほどよく溶けてとってもまろやか。
う~ん、満足満足! チェコでは、飲みもののトレイに必ずチョコレートやクッキーが添えられてくるのも嬉しい。


これだけでも十分お腹いっぱいになり、カフェを出てすぐ旧市街の中心スヴォルノスティ広場に出た。
ツーリスト・インフォメーションに寄って一応地図をもらったが、自分が用意していた地図の方が役に立った。
城を目指して歩いて行くと、今まで殆んど人に出くわさなかったのに、これから城に行くのと、城から戻ってくる外国人の団体客で、旧市街と城のある地区に架かる橋のところが賑わっていた。
 
Lazebnický橋から見た城の塔とヴルタヴァ河

城への近道の階段を昇り、城の敷地に入ると、まず左側に塔への入口があった。
そう、まず最初の目的は塔の上に登ること。城の建物内はガイドツアーだけだったしさほど興味がなかったが、塔の上から街を眺めることは楽しみにしていた。
クルムロフ城には、スグラフィット技法という平面に描いた絵や模様が、遠くから見ると立体的に見えるように装飾された壁、いわゆる “だまし絵” が施された建物がたくさんあり、まず塔の下部分にそれがあった。
 近付きすぎると立体効果はない

塔の木の階段はとても急で、少し前を年配のご夫婦が昇っていたのだが、かなり辛そうで、苦笑いしながら “先に行って” と道を空けてくれた。
途中の窓から外の景色を眺めながら、中ほどまで行ったところに何かあった。中に入ってみると “Hladomorna(英語でDungeon)” と書かれたプレートがあった。
Dungeonとは牢のこと。中を覗いてみたら、板張りの床が開いていて、下の方に骸骨が見えた。城の塔は、かつて牢獄として使用されていたのだろう。
更に上に行くと、今は使われていない大きな鐘があった。
 牢のあと
 塔の階段   塔の鐘

塔の上に着いた。
そこから見渡すクルムロフの街は、可愛い赤レンガの屋根の家並が広がり、街を囲むヴルタヴァ河がアクセントになっていて、とても癒される眺めだった。


さっき通ってきた橋や、城の中にあるバロックの劇場も見えた。


日本人の女の子が、カメラをかざして自分の写真を撮ろうと苦労していたので、声を掛けて写真を撮ってあげて、ついでに私も撮ってもらった。
こういう時でないと、ひとり旅ではなかなか自分の写真は撮れない。撮られるのはあまり好きではないが、せっかく来たのだから少しは記念に残しておきたい。
ひとしきり景色を眺めて、いい空気をたくさん吸って過ごしたあと、城の中に入り、第三の中庭の見事なだまし絵の建物を鑑賞。
 
だまし絵の建物で囲まれた第三の中庭

更に奥に進んで “お城の橋” と呼ばれている高い屋根付き橋を渡り、城の庭の方に向かって歩いた。
ほとんどの観光客はお城の橋で折り返すようで、庭に行く道や庭の中には誰も居なかった。
紅葉ならぬ黄葉(ヨーロッパには赤く色づく葉が少ない)が丁度見頃で、とても綺麗だった。
 庭へと続く道  
 城の庭

庭を抜けて城をぐるっとひと回りし、“赤い門” と呼ばれる正門を抜けて、スーパーや用品店、郵便局などがある地元の人たちの生活感溢れる通りに行ってみた。そこで見つけたお肉屋さんの看板に、心をくすぐられた。
 お肉屋さんの看板  
 郵便局のサイン

カフェに入って友人と母親宛に絵葉書を書き、郵便局に行って投函したあと、スーパーでお土産用と自分用のお菓子を買っていた時、ふと何か見忘れていたことに気付いた。 
熊だ! 城には何故か熊が飼われていて、城の名物にもなっている。そう言えば入口近くのお堀のようなところに人が群がっていた。
旧市街に戻る前にもう一度立ち寄って見に行ったら、熊さんは丁度冬眠の準備中。一生懸命穴を掘っていて、その姿が愛らしかった。
 カメラ目線!   冬眠の準備中

行きに通った時は 「Open」 の札が出ていたにもかかわらず、閉まっていたマリオネット・ミュージアムが開いていた。プラハにある国立マリオネット劇場の系列で(チェコはマリオネットが有名)、いろんなマリオネットが展示されている。
中に入ってみたが、結局受付に誰も居なく、呼びかけても返事がなかったので、“ま、いいか・・・” と立ち去り、一旦橋を渡って旧市街に戻った。
可愛いお店や面白いお店がたくさんあり、見ているだけでも楽しくて、古本屋や雑貨屋で買い物をしたあと、今度は別の橋からさっき歩いたお城の橋の下を通り、城の横の公園を通って城の回りを半周した。
 画材屋さん   そのドアのアップ、絵の具が指!
 マリオネット・ショップの魔女  
 下から見上げたお城の橋

丁度いい感じに日が暮れかけてきて、エゴン・シーレの文化センターに行ってみたが、まだ閉館時間になっていないのに閉まっていた。
海外ではこういうことはよくあるので諦め、17:15分のバスの時間まで、街をあちこち歩いて散策した。
 抜け道発見!  
 旧市街の中心スヴォルノスティ広場

バス・ターミナルに戻る途中、石畳の工事をしているところを通った。石畳を造るのは大変な作業。このように(下の写真)、石をひとつひとつ手作業で並べて行くのだ。
ヨーロッパは石畳が多いが、こんな気の遠くなるような作業によって造られているなんてことは考えもしないで歩いていたが、これからはひとつひとつの石に、職人さんの技と苦労が滲み出ているのだということを頭に入れながら歩かなければ・・・と思った。
 ひとつひとつ丁寧に並べて行く

Horni通りにも、だまし絵の建物があった。


そして、暮れ行く街を眺めながらバスに乗り込み、プラハへと戻った。
  

15分程遅れて、朝とは違う地下鉄Anděl(アンデェル)駅のNa Knižeci(ナ・クニージェツィー)バス・ターミナルに到着。
地下鉄B線で、Můstek(ムーステク)駅まで3駅。ホテルのすぐ前のカフェ・スタンドに立ち寄った。
メニューにはなかったが、チェコ名物スマジェニ・スィール(チーズを揚げたもの)はあるかと聞いたら、大きく頷いてくれて、熱々のチーズ・フライをふかふかのパンに挟んでくれた。(写真は撮り忘れた)
チーズのフライがこんなに美味しいなんて!という感じで、ホテルの部屋でゆっくり遅い夕食を摂った。


★この日の万歩計の成果 : 歩数19.357歩、消費カロリー357.9Kcal、歩いた距離8.7km