売れない作家 高村裕樹の部屋

まだ駆け出しの作家ですが、作品の情報や、内容に関連する写真(作品の舞台)など、掲載していきたいと思います

『ミッキ』第5回

2013-04-30 01:07:28 | 小説
 ゴールデンウィークももう前半の3連休が終わりました。
 私はあまり体調が優れず、特に行楽に行くということはありませんでした。
 連載ものの小説を執筆したりしていました
 調子がいいときに、また近くの山を歩いてみたいと思います。

 今回は『ミッキ』の5回目を掲載します。



            
 
 二日続けて帰宅が遅くなり、母が「どうしたの?」と訊いた。調理場の近くの廊下でだった。私は「部活動、歴史研究会に入って、今日はそこで話をしていたの。これから、ときどき部活動で遅くなるから」と答えた。
「そう。部活動に入ったの。この前、どこに入ろうかな、と迷っていたけど、歴史のクラブに入ったのね。美咲、あまり身体が丈夫でないから、何か軽い運動でもやってくれるといいと思ってたけど。たまには慎二みたいに、くたくたになるまで自転車で走ってらっしゃいよ」
「犬でも飼ってくれたら、散歩に連れてって、あちこち走ってくるけど」
 最近、慎二が犬を飼いたい、と言い出した。高蔵寺に引っ越してもう一ヶ月が経ち、こちらの生活にも慣れ、慎二も友達が大勢できたが、やはり長年住み慣れた家を離れたのは寂しいらしく、最近は犬を欲しい、と言っている。私もつい慎二のように、それとなく犬をねだってしまった。
「そういえば、パートの山川さん、家で飼っているラブ何とか、という犬に、子犬が五匹産まれたから、いらないか、と言ってたけど」
「ラブラドール・レトリーバー?」
「そう。そのラブラブドール、何とか、という犬」
 母はその犬の名前をすぐには覚えられないようだった。
「犬、飼ってもいいの?」
「お父さんも飼ってもいいかな、なんて言っているけど、そのラブラブドールとかいう犬、けっこう大きくなるんでしょう」
「ラブラドール・レトリーバー。けっこう大きくて、力も強いそうよ。でも、利口で人なつっこいというけど」
「そんな大きくなる犬、大丈夫かな。子犬のころはいいけど、大きくなったら、慎二じゃまだ手に負えないかもしれないし、私は交通事故で膝を傷めているから、あまり散歩に連れてってあげられないし」
「学校から帰ってきてからなら、私が散歩に連れてってあげる。ラブラドールは、大きいけど、飼い主にはわりと従順だというから、大丈夫よ。なにせ、盲導犬になれる犬だから」
 私は犬を飼ってほしいので、何とか母を安心させたいと思った。
 そこへ、調理場の方から、「おい、もう戻ってこい」という父の声が聞こえてきた。今は一〇〇人近くいる寮生の夕食を作っている時間だった。パートで働きに来ている三人のおばさんと父、母の五人で一〇〇人分近い食事を作らなければならない。まもなく六時で、寮生の食事の時間になる。何人かの寮生たちが、食堂に入り、談笑しながら食事の時間を待っている。今は調理の追い込みの時間だ。
 名古屋市の小学校は、学校内の調理場で調理員さんたちが給食を作っている。私がいた小学校は、四人の調理員さんで、七〇〇人分の給食を作っていた。人数の割合でいけば、うちの寮の方が、ずっと調理人の数が多いのだが、食事の内容を見れば、小学校の給食より、かなり手間がかかっている。だから、寮の食事の調理の方が大変なのかもしれない。
 春日井市の小中学校は、慎二に聞くと、名古屋市の小学校のように自校で調理しているのではなく、どこかの給食センターで何校かの分をまとめて作り、それを各学校に配送しているそうだ。最初は春日井市の小学校には、給食を作るおばさんがいないことが不思議に思えたと、慎二は言っていた。

 家族そろっての夕食のとき、犬のことが話題になった。私たちの家族も、寮生と同じメニューだ。家族の分については、食費は免除してくれている。会社からの特別な計らいだ。その分、給料は安い、と父は言うが、倒産して、途方に暮れていたところを拾ってもらえたのだから、あまり文句を言うものではない、と母がたしなめた。以前は一国一城の主だったのだから、父の気持ちもわからないではないが。
 三人のパートのおばさんたちも、寮で食事をとっていく。寮生が食事をする前に、試食をする必要があるからだ。それに食事の後片付けが終わるのは、夜九時過ぎになるので、食事をしていく必要がある。もちろんパートさんの食費は、会社の経費として認められているので、給料から引かれることはない。
 私の学校のお弁当も、余った食材で作ってもらう。残った食材は、食中毒防止のためにも、廃棄しなければならないのだが、その辺のことは会社も大目に見てくれている。ただ、お弁当は前の晩とよく似たメニューが続くときが多いので、それだけはちょっと閉口する。しかし、今の経済状況では、あまりわがままは言えない。
 夕飯のとき、犬をもらえるかもしれないと聞いて、慎二は喜んだ。
 どういう犬? いつ来るの? などと慎二は矢継ぎ早に質問した。
 父も母も犬の種類の名前を正確に言えなかったので、私が「ラブラドール・レトリーバーよ。ラブちゃん」と代わりに答えた。
「ラブラドールなの? すごい犬が来るんだね」と慎二がはしゃいだ。
「まだ飼えるかどうか、わからんぞ。会社がだめだと言えば、いくら欲しいと言ってもだめだし。それに、けっこう大きくなるし、力も強いというから、慎二じゃ手に負えんかもしれないし」
 父があまり期待しすぎてもいけないぞ、と釘を刺した。そういう父も犬を飼いたがっているようだった。
「僕、犬が来たら一生懸命めんどうみるよ。お姉ちゃんもみてくれるよね」
「そうね。お母さんは私に少し運動しろって言うから、ラブちゃんが来たら、私も一緒に散歩して走ろうかしら」
 私も慎二も犬を飼いたいので、めんどうをきちんとみる、と約束した。
「でも、慎二は今まででもめんどうをみたのは最初だけで、そのうちちょっともめんどうみなくなったじゃないの? 文鳥のときも亀のときも、ハムスターを飼ったときだって。そのときはいつも掃除など、私が世話やらされていたんだから。気が向いたら、ときどき餌をやるぐらいで」
「今度はきちんとめんどうみるから」
「でも、ラブラドールという犬、けっこう大きくなるんでしょう? 力だって、慎二よりずっと強いかもしれないし。慎二で大丈夫なの?」
 小学五年生としてはやや小柄な慎二なので、逆に犬に引っ張られてしまうのではないか、と母は心配していた。まあ、今の時期、成長が早いので、この先中学生になれば、慎二もぐっと身体が大きくなるだろうが。早晩、私の背丈も抜かれそうだ。
「大丈夫。小さくても、僕、クラスでは強い方だから。転校生で最初のころはいじめられたけど、逆にいじめっ子をやっつけてやったんだ。今は一緒に遊んでいる、藤山や武藤たちともけんかして、やっつけてやったよ。あいつ、ちびのくせにやたら強いな、って言ってたよ。それで仲間にしてやったんだ」
「え、そうなの? おまえ、そんなこと、ちょっとも言ってなかったじゃないの?」
 いじめられたり、けんかしたりしていたなどということは、母も初耳だったようだ。藤山君、武藤君といえば、いつも自転車で慎二と一緒に走り回っている友達だった。担任も、クラスの仲間に溶け込んで、仲良くやってますよ、と言っていたが、担任が気づかないうちに、クラスのいじめっ子とそんなやりとりがあったのか、と母は驚いた。
「だから最初のころは、学校に行くのを嫌がっていたんだね」
 母は慎二がいじめられていたことに気づかなかったことを、申し訳なさそうに言った。
「さすが俺の子だな。見所あるじゃないか」と父は変なことに感心していた。母と私はけんかなんかして、大丈夫なのかしら、と心配していたが、やはり父親と息子というのは、女性とは見方が違うようだ。
「だから犬飼ってもいいでしょ?」
「それとこれでは話が別でしょう」と母は顔をしかめた。
「まあ、いいじゃないか。どっちみち会社がだめだと言えば、犬は飼えないのだし。明日にでも、支社の人に訊いてみるよ。もし飼ってもいい、というなら、山川さんに一匹もらえるように頼んでみる」
 以前、千種区の家にいるころにも、何年か犬を飼っていたことがあり、父も犬好きだった。
「お願いします。お父様」
 慎二がふだん言い慣れない「お父様」なんて言って、手を合わせたので、みんな大笑いになった。
「でも、もし会社がだめだと言ったら、諦めろよ。まあ、山川さんが言うには、前の寮長も犬を飼っていたから大丈夫だよ、ということだから、いいとは思うけど」