売れない作家 高村裕樹の部屋

まだ駆け出しの作家ですが、作品の情報や、内容に関連する写真(作品の舞台)など、掲載していきたいと思います

新刊発売

2012-09-28 19:37:23 | 小説
 近所の書店に行ったら、新刊『幻影2 荒原の墓標』 が店頭に並んでいました。その書店は著者の自宅の近く、ということで、特別に15冊置いていただけましたが、まだ初版の発行部数が少ないため、あまり書店には並びません。何とか重版してもらえるほど売れればいいのですが。なかなか厳しいです。
 自分としては、多少の自信作でありますので、買ってくださると嬉しいです。書店にない場合は、取り寄せていただくか、またはAmazonなどでも取り扱っています

 今回は『幻影』第21章を掲載します。いよいよ殺人事件として、警察も捜査を開始します



             21

卑美子より橋本千尋のデータをもらった三浦と鳥居は、まず区役所に行って、住民票を確認した。住民登録はまだ移動せず、当時の住所のままだった。本籍地は岐阜県大垣市で、近いうちに訪ねてみなければならない。
 それから、以前千尋が住んでいた賃貸マンションに聞き込みを行った。そして、千尋が勤めていたのは、名古屋駅の西にある足立商事という会社ということがわかった。駅西といっても、名古屋駅からはかなり離れており、中村区役所の近くだった。千尋が住居としていた松原町のマンションとは、距離としては近かった。
 二人は三階建ての社屋に入り、受付に行き、以前勤めていた橋本千尋さんの上司に会いたい、と言った。
 刑事の来訪ということで、受付の女性は緊張して、内線電話で人事課に問い合わせた。
 しばらく待たされた後、応接室に案内された。
 応接室でもしばらく待たされた。コーヒーを出され、それをすすりながら待っていた。五藤という五〇歳を超えているように見える男がやってきた。
「私が以前、橋本千尋の上司だった五藤ですが、警察の方がいったいどんな用件で?」
 おどおどした口調で言いながら、二人の刑事に名刺を渡した。名刺には経理部長という肩書きがあった。二人の刑事は、後藤ではなく、「五藤」と表記することを知った。
「橋本は平成一五年九月末日で当社を退職していますが」
「平成一五年九月というと、二年ちょっと前ですね。退職の理由は何ですか?」
 三浦が尋ねた。横で鳥居が五藤をにらみつけている。五藤は鳥居の視線に気圧されていた。
「そ、それは、確か結婚する、とか言ってましたね。俗に言う寿退職ですな」と少し冗談めかして言った。精一杯の虚勢だった。
「結婚ですか。それで、退職後の住所は聞いてますか?」
「いえ、特に聞いてません」
「退職後、雇用保険の離職票作成とか、退職金の連絡など、いろいろ連絡を取ったということはあるんじゃないですか?」
「いや、担当の者が、携帯も解約してしまったのか、もう連絡が取れない、と言っていたと思いますが」
 会社としても、退職後のことはまったくわからないようだった。
 住民登録はそのままになっていた。しかし、実際は一〇月上旬にどこかに越しているようだ。まだその足取りはつかめていない。
「ところで、何で今ごろ、橋本の件で?」
 五藤はそのことがずっと気になっていた。
「まだ橋本さんと確定したわけではありませんが、橋本さんと思われる遺体が発見されました。これは明らかに殺人事件と思われます。被害者の身元を確認するためにも、ぜひともご協力をお願いしたいのですが」
「さ、殺人事件ですか?」
 その言葉を聞いて、五藤は青くなった。
「検死では死後約二年を経過しています。退職した時期と、符合します。遺体が発見されたのは、死後かなり経過した後ですので、捜査が非常に難航することが予想されるのですが、当時の交友関係をまず徹底して洗いたいと考えています。橋本さんの婚約者の名前は知っていますか?」
「橋本の婚約者ですか? 特に何も聞いていませんが」
「橋本さんの上司だったのに、何も聞いて見えないのですか?」
「はあ、面目ない。何せ、急に退職したい、と申し出て。理由を訊いたんですが、結婚する、としか言いませんでした」
 五藤はハンカチで顔の汗をぬぐいながら弁解した。
「婚約者じゃなくても、当時親しくしていたような男はいましたか? または、険悪な関係とか」
「申し訳ないですが、私はプライベートなことまでは、把握していないのですよ」
「それじゃあ上司失格だがや。ところで、ガイ者の背中には、騎龍観音のいれずみがあったが、橋本さんはいれずみをしとったのかね?」と今度は鳥居がまったく別のことを尋ねた。
「ええー? 背中にいれずみですか? い、いえ、そんなことは知りませんが。まさか……」
 思いがけないことを訊かれ、五藤はうろたえた。
「会社なら社員の健康診断をするだろう?」
「いえ、そんなこと言われても。確かに毎年社員の健康診断はしていますが。そういえば、橋本は会社で健診を受けず、わざわざ他の病院で人間ドックを受けたから、とその健診結果のコピーをくれたことがありましたね。ひょっとしたら、会社では健診受けたくなかったからじゃないでしょうか」
「だろうな。背中や胸にいれずみが入っとっちゃ、会社で健康診断もできんわな」
「お仕事中、申し訳ありませんが、当時橋本さんと親しかった方に会わせていただけませんか?」と三浦は五藤に頼んだ。
「橋本と親しかった者ですか? ちょっとお待ちくださいよ」
 こう言って五藤は応接室を出て行った。
 数分して、五藤は三〇歳前後の女性を連れてきた。
「田中真佐美といいます。千とは同じ課にいました」
 その女性が自己紹介をした。
「せん?」と鳥居が訊いた。
「あ、橋本さんのことです。千尋ですから」
「ほう、それで千ね」
 真佐美はスタジオジブリの名作アニメからとった愛称だと言ったつもりだが、鳥居は単に千尋の千という字からつけられたあだ名だと解釈した。
「橋本さんは退職後、どこへ引っ越したか知りませんか?」と三浦は訊いた。
「いいえ、千、退職してから、携帯も解約しちゃったのか、連絡とれなくなっちゃったんです。千からも連絡はありませんでした」
「当時付き合っていた人のことは、何か聞いてませんか?」
「会ったことはありませんが、鈴木しげおとかいう、市役所に勤めている人だと聞いたことがあります。しげおはどういう字を書くか知りませんが。確か、千より二つ上だと言ってました」
「市役所、というと、N市役所ですか?」
「はい、N市役所だと聞きました」
 市役所勤務の鈴木しげお、当時二七歳ぐらい。後ほど市役所を当たってみるつもりだが、ありふれた名前だし、職員数が多いN市役所では、雲をつかむような話だと三浦は思った。
 N市はシステムが電算化されているので、鈴木しげおという名前を探すのはたいしたことではないだろうが、平凡な名前なので、おそらく何十人もヒットするだろう。一人ひとり当たって、犯人としての適合性を洗い出していかなければならない。
 それに、名前は偽名で、市役所勤務も虚偽の可能性は十分ある。しかし、何の手がかりもない今は、当たってみる価値はあるだろう。
「それ以外、何か気づいたことはありませんか? どんなことでもけっこうです。何が事件の解決に結びつくか、わかりませんからね」
「本当に千、いや橋本さんは殺されたのですか?」
「まだ橋本さんと確定したわけではありませんが、発見された遺体は、おそらく橋本さんではないかと見ています」
「そうなんですか。早く犯人が捕まるといいですね」
 三浦は、何か気づいたことがあれば、連絡ください、と言って、名刺に携帯電話の番号を書き加えて真佐美に渡した。
 三浦と鳥居は、千尋の履歴書と写真のコピーをもらって足立商事を後にした。
「あの狸親父、何も知らん知らんと言っとったが、なんか煮えきらんやっちゃなあ」と歩きながら鳥居が五藤のことを批判した。
「そうですね。何か隠しているような感じもしましたが」と三浦も相槌を打った。
「これから、被害者が以前住んでいたマンションの近くの歯医者を当たってみようと思います。ひょっとしたら職場に近いこの近所の歯科医に行っていたのかもしれませんが。歯に何本か治療の跡があるので、歯医者が見つかれば、カルテから遺体が千尋かどうか、確定できますからね」
「そうだな」
 とりあえずこの近所の歯科医を当たるため、近くの名駅署に行って、歯科医の場所を教えてもらうことにした。そのとき、三浦の携帯電話の着信音が鳴った。
「おい、おみゃー、そのあゆの着信音はやめときゃあ。刑事として、軽率だがや」と鳥居が嘆いた。鳥居としては警察と軽率を対比した、気が利いたしゃれのつもりだった。
 電話は田中真佐美からだった。千尋のことで話したいことがあるので、仕事が終わってから、どこかで会えませんか、という内容だった。会社から離れたところで話したい、というので、金山のBという喫茶店で午後六時に待ち合わせることなった。
 六時までは時間があるので、先に歯科医を当たることにした。住居の近くの歯科医で、千尋が治療したことがあることが判明した。三浦はカルテの提供を依頼した。最初は患者のプライバシーなので、と渋った歯科医も、殺人事件の被害者の身元確認のために必要だ、と鳥居に説得された。
「これで遺体の歯型と照合すれば、身元が確定だな」と鳥居が言った。
「おそらく遺体は橋本千尋に間違いないと思うが」

 金山のBという喫茶店は、すぐに見つかった。田中真佐美はすでに来ていた。
 金山はJR東海道本線、中央本線、名鉄、地下鉄が交差する、名古屋駅に次ぐ、名古屋第二のターミナル拠点である。中部国際空港の開港や、愛・地球博の開幕に前後して、金山総合駅の北側に、前年三月、アスナル金山という大規模な商業施設が開業した。
「わざわざ連絡くださり、ありがとうございました」
 三浦がまず礼を言った。鳥居は相変わらずむっつりした表情で黙っていた。
 ウエイトレスがオーダーを聞きに来たので、二人の刑事はホットコーヒーを、真佐美はホットコーヒーのケーキセットを注文した。
「上司の前では話しにくかったことですね。さっそくお話を伺います」
「はい。会社では部長から、余計なことは話すな、と釘を刺されていまして。でも、千、橋本千尋さんを殺した犯人を捕まえてもらいたいから。彼女、無口でおとなしい人だったけど、あんなことするなんて。きっと悪い男にだまされていたんだわ」
 真佐美は激高した。
「あんなこととは?」
 三浦は何かある、と感じた。
「実は、千、会社のお金を横領していたのです」
 やはりそのようなことが裏にあったのか。おそらく鈴木とかいう男に貢ぐためのものだろう。彼女を殺したのもたぶんその男。三浦はそう考えたが、最初からそんな先入観を抱くのは危険だと、自らを戒めた。
「彼女、経理担当だったから、多少の伝票操作で会社のお金をごまかすことぐらい、たいして難しくなかったはずです。彼女が辞めてから、会計の監査をしたとき、初めて横領が発覚したんです」
「その金額は、いくらぐらいだ?」と今度は鳥居が口をはさんだ。
「五千万円ぐらいだと思います」
「五千万か。けっこうやらかしたもんだな。まあ、あの程度の会社じゃ、一億なんて誤魔化せば、すぐわかってまうから、そんなもんか」と鳥居が言った。その言い方に、真佐美は少しむっとした。しかし、気を取り直して続けた。
「でも、あのおとなしくて人がいい千がそんなことするなんて、信じられません。絶対男に命じられて、仕方なくやったんだと思います」
「それで、会社は橋本さんの背任行為を告訴はしなかったんですか?」と三浦が尋ねた。
「いちおうしたと思います。近くの名駅署に話しているはずです。部長はたいした金額でもないし、会社の恥部を外部にさらすこともない、と反対していたようですが、社長や専務などに押し切られたようです」
「しかしあの五藤という部長、なんでそんな重要な話、俺たちに黙っとったんか? 何か後ろめたいことでもあるんか?」と鳥居が疑問を抱いた。
「そんなとこまで、私は知りません。殺人事件とは関係ないと思っていたんでしょう。私にも余計なこと話すな、と言っていましたから」
 鳥居に対しては、真佐美はつっけんどんに答えた。
「橋本さんが殺されたのは、その横領事件が関係しているのかもしれませんね。とても参考になりました。ところで、それ以外に橋本さんのことで気づいたことはありませんか?」
 真佐美は言うか言うまいか少し迷ってから、「実は、千、いれずみしてたので、びっくりしたことがあるんです。龍に乗った観音様の絵でした」と話し始めた。
「そのことは我々も知っています。遺体にいれずみの痕がありました」
「え、死体は白骨化してたんじゃなかったんですか?」
「遺体の一部が屍蝋化していて、いれずみが残っていました」
「そうですか。それなら、たぶん千に間違いないですね」
「橋本さんがいれずみをしてたことは、会社の人たちは知っていましたか?」
「彼女、いれずみのことは隠していたので、あまり知られていないと思います。私はたまたま更衣室で着替えのときに見てしまいましたが。彼女には絶対人には話さないでくれ、と頼まれましたし、私も誰にも言いませんでした」
「橋本さんはなぜいれずみを彫ったのか、聞いたことはありませんか?」
「彼女、昔からいれずみに興味があって、いつかきれいな絵を彫りたいと思っていた、ということは言ってました。それから……」
 真佐美はちょっと言いよどんだ。
「それから?」と三浦は先を促した。
「千の彼氏もいれずみが好きで、エッチするとき、いれずみがあるととても喜ぶのだそうです。最初、彼にいれずみのこと、知られたくないと悩んでいたそうですが、恋人なら隠し続けることなんてできないので、思い切って打ち明けたら、彼はきれいだ、と喜んでいた、と言ってました」
「変態だな、その男は」と鳥居が怒鳴った。
「私が知ってるのは、それぐらいです」
 鳥居が口を出したので、むっとしたのか、真佐美は口をつぐんだ。
「その相手の男について知っていることは、先ほどお聞きした、鈴木しげおという、当時二七歳、現在二九歳ぐらいの男、ということだけですか?」と三浦はさらに何かを引き出そうと思って、訊いた。
「人相とか、身長とか、声の特徴とかは?」
「すみません。さっきも言いましたが、私、千の彼には会ったこともないし、写真も見てないので、何も知らないのです」
 三浦は真佐美からできるだけ多くのことを引き出そうとしたが、現時点ではこんなものかと判断して、質問を打ち切った。
「それでは、何か思い出したことがあれば、どんな些細なことでもけっこうですので、連絡ください」
 二人の刑事はそう言い残して、喫茶店を後にした。