★ 私は小学生の時からモンゴメリの村岡花子訳「赤毛のアン」を愛読していた。最も好きな小説だった。
しかし朝ドラの「花子とアン」は、もう我慢できないほど一方的で悪意を感じるほどの駄作だった。
日本が開戦、その描写は「日本が悪い」としか言いようのないほど、偏向に満ちたものだった。
特にナレーターのタレントは気味悪い。このごろ柳原白蓮が人気というが、もうわけがわからない。
白蓮の芸術についてではなく、その奔放な生きかたが週刊誌レヴェルで語られ、また女優の仲間由紀恵の美貌と演技によるものだろう。
その「特異性」が一般的にもてはやされている。
そこでジョルダーノの「アンドレア・シェニエ」を聴いた。
作曲者のジョルダーノはデル・モナコの歌うシェニエを聴いて感動し、「わがシェニエ」と言って、その楽譜を渡した。
マリオ・デル・モナコは愛国者で、戦後はじめて来日したとき、上野駅の戦傷病者を見て帽子をとり、駅構内で歌った。
そして聴衆にその帽子を持って回り、戦傷病者への募金を呼びかけた。「私も兵士だった」と。
デル・モナコのオペラ公演は昭和天皇が臨席された。
★ 動画は3つとも『アンドレア・シェニエ』から「私は兵士だった」
MARIO DEL MONACO - SI, FUI SOLDATO (GIORDANO - A. CHENIER)・・・NHKに残る貴重な録画、日本語字幕付き
ANDREA CH�・NIER - FRANCO CORELLI canta " SI FUI SOLDATO " UMBERTO GIORDANO・・・フランコ・コレッリ50歳のころ
マリオ・デル・モナコの「シェニエ」の剛毅さよりもインテリ詩人を感じさせる。コレッリも感動的なシェニエを演じた。
Placido Domingo - 'Si, fui soldato', 1985・・・プラシード・ドミンゴ、
しかし、ドミンゴはアサヒビールの宣伝で「シェニエ」のアリアを歌い、私を絶望させた。
★ 実在の詩人、シェニエはギリシャとフランスの血をひく外交官の息子としてイスタンブールに生まれ、パリで詩人として活躍。
フィランス革命前は貴族王族の退廃した生活に警告していたが、フランス革命には与せず、暴力革命となった革命政権を厳しく批判、
革命裁判にかけられる。シェニエは愛国の詩をうたい、革命政府の暴虐を批判、
弟子には作家のヴィクトル・ユゴーがいる。