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ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

アントニエッタ・ステッラのライヴ、ヴェルディ「アイーダ」~勝ちて帰れ

2010年06月12日 | オペラ
Antonietta Stella "Ritorna vincitor!" Nov. 24.1955


名歌手、アントニエッタ・ステッラ、ヴェルディの理想的な声、そしてこの情熱!かなり激しい歌唱だ。
そして特筆すべきは、名指揮者ヴィットリオ・グイとの熾烈な主導権争いがあちこちで感じられる。
ところどころ、指揮者とテンポが合っていない、これもこのライヴの魅力のひとつ。
今はこういうことをすれば、大変なことになるだろう。
今では指揮者は歌手の上に絶対者のごとく君臨、歌手は文句でもいおうものなら、取り換えられてしまう。
昔は指揮者も歌手によって学んだことも多かった、ときく。

しかし、当時新人のステッラ、20代の半ばだったはず。
絶対にお互いに譲らない、ふたりとも信念を持っている。

東京でもこのケンカは続き、1956年のイタリアオペラ来日公演の初日を飾るのだが、ステッラとグイのテンポをめぐる争いは、ステッラがオペラスコア(電話帳くらいのもの)を投げつけて、このケンカを見ていた日本人側を震え上がらせる、という事件が起こった。(練習指揮者だった岩城宏之氏が書いている)

今この演奏を聴いて、どちらも「ド真剣」であることがよくわかり、手に汗を握る名演だ、それに大型スケールのソプラノ、ステッラの豊麗な美声とそれがドラマとなって白熱の名演と燃えているのが、今の小粒の歌手だちには求められないものだ。

「勝ちて帰れ」祖国の父を思ってそう口走ってしまうアイーダ、しかし敵の将軍ラダメスは心から愛した人、どちらを勝て!と思っても、どちらかの存亡を意味するのだ、アイーダは罪深い言葉を言った自分を悔い、神に許しを願い祈る・・・ピエタと。
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戦後、焦土のナポリでステッラ激唱「アイーダ」~おお、わが故郷

2010年06月12日 | オペラ
Antonietta Stella "Qui Radam醇Qs verr醇A!...O patria mia" Nov. 24.1955

第2次世界大戦後、イタリア、特にナポリはすっかり焦土となった・・・そして名指揮者、ヴィットリオ・グイがまだ荒廃の生々しいナポリで「ナブッコ」や「アイーダ」を指揮、人々は奮いたった!

当時実力派の新人ソプラノ、まさに大型のスケールを持つアントニエッタ・ステッラは、最高のヴェルディ歌手、ヴェルディ「アイーダ」で敗戦国の王女が奴隷となり、絶望の淵で歌うこのアリア、<おお、わが故郷>は真に迫る名唱だった。
オー パートリア(故郷、祖国) ミーア(私の)・・・オー パートリア ミーアと繰り返すアイーダ、ヴェルディはこのフレーズに万感の思いを書いたのだろう・・・。祖国統一運動がヴェルディを鼓舞していたのだ。そして時代を超え、20世紀中葉、同じく万感の思いをこめて歌うステッラ、指揮者のグイ、ナポリの聴衆・・・。聴く私も万感、です。

☆写真はテノールのコレッリ。
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1950年代の名ソプラノ、ヴィルジニア・ゼアーニが歌う「メリー・ウイドー」

2010年06月12日 | オペラ
Virginia Zeani sings Vilja from The Merry Widow


ゼアーニは1950年代後半から活躍した美貌の名ソプラノ、当時、テバルディ、カラス、ステッラ、リガブェ、チェルクエッティ、ジェンチエルらが綺羅星のごとく、競い合っていた。

今から20年ほど前、ゼアーニに指導を受けているバリトン歌手(今は藤原オペラに所属)の話をきいて、「ああ、ロッシ・レメーニの夫人か」としか思わなかったけれど・・・これほどの名歌手がどうしてレコードもほとんどなく、日本では無名なのか・・・後日彼女の数少ない録音を聴いて驚いた。

「アイーダ」「ドン・カルロ」「トスカ」らのリリコ・スピントを主要なレパートリーとし、舞台での美貌は際立っていて、聴衆はカラスと並ぶ実力、と語っているのもずっと後、イタリアで耳にした。

スカラの天井桟敷のうるさい常連たちは、カラスやテバルディという日本でレコードがいっぱい出ていた歌手よりも、高く評価していた。ステッラや後のスコットもそうである。

「ジェンチエルは、長く歌いすぎた。過剰なヴィブラートで声量も減って」と人は言う。
チェルクエッティはノイローゼで引退、これも喉の負担が大きかった、って。リガブェは地味すぎた、華も必要か・・・。
ステッラはヴェルディを歌わせたら右に出る者はいない、そしてこのゼアーニは考えられないほどのレパートリーの広さ、もともとルーマニア人だから、歌うものはイタリアの歌手ほど厳しく「声に合った」という条件は付けない。

しかし、この音楽性、これはすごい!
第一回イタリアオペラで「アイーダ」での開幕、1956年はゼアーニかステッラか、迷ったあげく、ステッラに決まった、という話もきいた。
でもあの豊麗な声で全盛期だったシミオナートに声で対決するのはステッラ、ゼアーニは声そのものよりも、巧みな歌いぶりにその魅力があったようだ。
レハール「メリー・ウイドー」を原語のドイツ語でなく、イタリア語で歌っているが、何と流麗なことか・・・。なお、テノールはプレヴェディ。
コメント (8)
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