Antonietta Stella "Ritorna vincitor!" Nov. 24.1955
名歌手、アントニエッタ・ステッラ、ヴェルディの理想的な声、そしてこの情熱!かなり激しい歌唱だ。
そして特筆すべきは、名指揮者ヴィットリオ・グイとの熾烈な主導権争いがあちこちで感じられる。
ところどころ、指揮者とテンポが合っていない、これもこのライヴの魅力のひとつ。
今はこういうことをすれば、大変なことになるだろう。
今では指揮者は歌手の上に絶対者のごとく君臨、歌手は文句でもいおうものなら、取り換えられてしまう。
昔は指揮者も歌手によって学んだことも多かった、ときく。
しかし、当時新人のステッラ、20代の半ばだったはず。
絶対にお互いに譲らない、ふたりとも信念を持っている。
東京でもこのケンカは続き、1956年のイタリアオペラ来日公演の初日を飾るのだが、ステッラとグイのテンポをめぐる争いは、ステッラがオペラスコア(電話帳くらいのもの)を投げつけて、このケンカを見ていた日本人側を震え上がらせる、という事件が起こった。(練習指揮者だった岩城宏之氏が書いている)
今この演奏を聴いて、どちらも「ド真剣」であることがよくわかり、手に汗を握る名演だ、それに大型スケールのソプラノ、ステッラの豊麗な美声とそれがドラマとなって白熱の名演と燃えているのが、今の小粒の歌手だちには求められないものだ。
「勝ちて帰れ」祖国の父を思ってそう口走ってしまうアイーダ、しかし敵の将軍ラダメスは心から愛した人、どちらを勝て!と思っても、どちらかの存亡を意味するのだ、アイーダは罪深い言葉を言った自分を悔い、神に許しを願い祈る・・・ピエタと。
名歌手、アントニエッタ・ステッラ、ヴェルディの理想的な声、そしてこの情熱!かなり激しい歌唱だ。
そして特筆すべきは、名指揮者ヴィットリオ・グイとの熾烈な主導権争いがあちこちで感じられる。
ところどころ、指揮者とテンポが合っていない、これもこのライヴの魅力のひとつ。
今はこういうことをすれば、大変なことになるだろう。
今では指揮者は歌手の上に絶対者のごとく君臨、歌手は文句でもいおうものなら、取り換えられてしまう。
昔は指揮者も歌手によって学んだことも多かった、ときく。
しかし、当時新人のステッラ、20代の半ばだったはず。
絶対にお互いに譲らない、ふたりとも信念を持っている。
東京でもこのケンカは続き、1956年のイタリアオペラ来日公演の初日を飾るのだが、ステッラとグイのテンポをめぐる争いは、ステッラがオペラスコア(電話帳くらいのもの)を投げつけて、このケンカを見ていた日本人側を震え上がらせる、という事件が起こった。(練習指揮者だった岩城宏之氏が書いている)
今この演奏を聴いて、どちらも「ド真剣」であることがよくわかり、手に汗を握る名演だ、それに大型スケールのソプラノ、ステッラの豊麗な美声とそれがドラマとなって白熱の名演と燃えているのが、今の小粒の歌手だちには求められないものだ。
「勝ちて帰れ」祖国の父を思ってそう口走ってしまうアイーダ、しかし敵の将軍ラダメスは心から愛した人、どちらを勝て!と思っても、どちらかの存亡を意味するのだ、アイーダは罪深い言葉を言った自分を悔い、神に許しを願い祈る・・・ピエタと。