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〈21日の追記〉
昨日これを書いた時は信濃毎日新聞の社説を取り上げているのだが、私はうっかり同社は毎日と資本関係があると思い込んでいた。みやっちさんから「信毎は純粋な地方紙で、毎日とは資本関係はなかったはず」と指摘していただき、そう言えばそうだったかも知れないと慌てて調べたら……ご指摘の通りでした。みやっちさん、本当にありがとう。
というわけで一部書き直しました。
◇◇◇◇◇◇さて、本文
去る16日には、多くの新聞が社説で「教育基本法改定」を取り上げていた。駅売りで買える新聞は買い、手に入らないものはネットで検索して読んだ。やや遅ればせながら、その感想を走り書き的にメモしておく(※)。
なお、多くの社説はWEB上で読むことが可能。末尾に、ここで感想を述べた社説のURLを記載しておいた。
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改定を手放しで賞賛しているのは何処か、むろん皆さんもおわかりだろう。「『脱戦後』への大きな一歩」と手放しで評価しているのは、言わずと知れた産経新聞。
【改正法には、現行法にない新しい理念が盛り込まれている。特に、「我が国と郷土を愛する態度」「伝統と文化の尊重」「公共の精神」「豊かな情操と道徳心」などは、戦後教育で軽視されがちだった教育理念である。一部のマスコミや野党は愛国心が押しつけられはしないかと心配するが、愛国心というものは、押しつけられて身につくものではない。日本の歴史を学び、伝統文化に接することにより、自然に養われるのである。】
随分前――私のごく若い頃から、産経新聞は完全に右、と言うか自民党寄りだと言われていた。それならそれでかまわないし、妙にブレるよりもいっそすっきりしているとも言える。諸外国では新聞は(うちは○○党を応援している、などと)旗幟を鮮明にしているのが普通。日本でも「うちは与党を支持します」という新聞があっておかしくない。ただ、問題はそういった新聞も「不偏不党」を旗印にしていること。「(とってくれと頼まれたなどの理由で)何となく購読している」読者を騙してはいけない。
それにしても……現場で実際に押しつけられている状況を無視した、この文章の薄汚さ。こういう話の進め方を、牽強付会という。「(愛国心は)歴史を学び、伝統文化に接することにより自然に養われる」というのは、まあいいでしょう。私は愛国心のない人間であるが(非国民と言わたってかまわん)、生まれ育った国を愛するという場合はそういう面が強いのだろうなとは思う。だが、自然に養われるものならば、なぜ法律で縛りをかけねばならないのか。この社説を書いた論説委員には、「なぜ」という視点が欠けている。 二流人の私が言うのは面はゆいが、ジャーナリストを支えるのは「なぜ? なぜ? なぜ?」という噴き出すような疑問であるはず。翼賛ジャーナリズムは、ジャーナリズムの名に値しない。
読売新聞も、 【教育の憲法」の生まれ変わりは新しい日本の教育の幕開けを意味する。この歴史的転換点を、国民全体で教育のあり方を考えるきっかけとしたい】と教基法改定を礼賛。
【見直しの必要性を説く声は制定の直後からあった。そのたびに左派勢力の「教育勅語、軍国主義の復活だ」といった中傷にさらされ、議論すらタブー視される不幸な時代が長く続いた。】
中傷という価値判断を下すことによって、読売新聞は自らの立ち位置を明示したと言えよう。
【現行基本法が個人・個性重視に偏りすぎているため、「公共の精神」や「規律」「道徳心」が軽視されて自己中心的な考え方が広まったのではないか】というシタリ顔の文章を読むと、私は反吐が出そうになる。
おまえら、それでもジャーナリストか。しつこく言うが、私はマスコミの片隅で喘ぎ喘ぎ生きている二流ないしは三流のジャーナリストだ。食い扶持を稼ぐために恥を忍ぶことなど日常茶飯事である。血の小便と涙とが一緒くたに流れるような、汚い仕事だってやるさ。それでも、売り渡せないものだけはある。私と同じ名もない庶民を騙したり、傷つけたりしないこと。権力側の視点と自分の視点を重ね合わせないこと。それだけは守るという誇りを失ったジャーナリストを、私はジャーナリストとは呼ばない。
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いかん、いつもの通り仕事を終えての酒で酔ってるので(私は下戸なので少しのアルコールで酩酊する)、支離滅裂になってきた。
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他の全国紙を見ると――朝日新聞は【長く続いてきた戦後の体制が変わる。日本はこの先、どこへ行くのだろうか。 】【二つの法律改正をめぐっては、国民の賛否も大きく分かれていた。その重さにふさわしい審議もないまま、法の成立を急いだことが残念でならない。 戦後60年近く、一字も変えられることのなかった教育基本法の改正に踏み切った安倍首相の視線の先には、憲法の改正がある。 この臨時国会が、戦後日本が変わる転換点だった。後悔とともに、そう振り返ることにならなければいいのだが。】 と、あいもかわらずインテリ評論家的な論調。一応批判的な立場に立っているふうではあるけれども、読む方としては「あ、そう」という感覚でしかない。私らは無知な庶民ですが、そのぐらいはアナタに言われなくたってわかってますよ。我々はつまらない評論を読むために新聞を読んでいるわけではない。いい加減にしなさい。
おそらくどの新聞でもそうだと思うが、社説を書くのは「論説委員」。経営の一陣に食い込むほどは出世しなかったが、それなりに業績があり、文章も巧いベテランの記者が論説委員になる。彼らはいわば百戦錬磨の人間であると同時に、世の中の動きをシニカルに見ている面も強く、また自分の文章力に多大な自信を持ってもいる。しかも大半は高学歴で、知識も豊富だ。ある意味、始末におえない面もあるのだ。
さて、もうひとつの全国紙、毎日新聞。【これで「幕」にしてはいけない】というタイトルを付けて、教育を政治利用した安倍内閣を批判。
【個別の徳目や親の責任などは自然な理想や考え方といえるだろう。ただ、列記しなくても、これらは現行法下の教育現場でも否定されてはいない。授業や生活を通じて学び取っていることではないか。網羅しなくても、生涯学習や幼児教育などの分野は社会に定着しており、是正が必要なら基本法をまたず個別にできるはずだ。列記されることで、これらの考え方が押しつけられたり、画一的な形や結果を求める空気が広がりはしないか。振興基本計画に忠実である度合いを各地方が競い合うことになりはしないか--。】と、朝日新聞よりはかなり歯切れがいい。
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全国紙よりも健闘しているのは地方紙。なぜ地方紙の方が自由に元気にジャーナリズム精神にのっとった仕事ができるのかは以前に何度も書いたことがあると思うが……ややこしい話抜きで単純に言えば、全国紙は電通の全面的支配を免れ得ないからだ(細かい話はすっ飛ばしているので、そのつもりでお読みいただきたい。突っ込みはお断り。このエントリに限っては、揚げ足取り的な突っ込みは問答無用で削除します)。新聞にせよ雑誌にせよ、十万百万単位の読者の確保に血道を上げた瞬間に堕落への道を転がり落ち始めるのかもしれないと思う……。
その「頑張っている」地方紙にしてさえなお、(私の読んだ限りにおいては)真っ向から激しく糾弾したところはなかった――。(ついでに言うと、それを非難しているわけではない。実のところ、おそらくさまざまな圧力のある中で、よしよし、よくここまで言ってくれた、地道に頑張ろうね、という思いも強いのだ。いささか身びいきかも知れないけれども)
まず、東京新聞。同紙はけっこういい取材をしていい記事を書いており、私も応援の意味合いを込めてよく駅売りで買うのだけれども、社説に限ってはちょっとおとなしい……かな。
【公共の精神や愛国心は大切だし、自然に身につけていくことこそ望ましい。国、行政によって強制されれば、教育勅語の世界へ逆行しかねない。内面への介入は憲法の保障する思想・良心の自由を侵しかねない。新しい憲法や改正教育基本法はそんな危険性を内在させている】
信濃毎日新聞――【憲法の理想を実現するには「教育の力にまつべきもの」として、個人の尊厳を重んじる現行法から、基本的な考え方が大きく変わる。規範意識を植え付け、国が期待するあるべき姿を押しつける方向に教育がねじ曲げられないか、心配になる。】と、朝日新聞にやや似た評論家口調が少し気になる。
だが、それに加えて【最も心配されるのは、子どもの内面に踏み込む方向が強まることだ。安倍首相は「内心の評価は行わない」としたものの、日本の伝統や文化を学ぶ姿勢や態度を評価することは明言している】【教育基本法改正は、憲法改正にもつながる。自民党の新憲法草案は個人の自由と権利の乱用を戒めている。このまま、国の関与が強まる道を選ぶのか。岐路に立っていることを自覚しなくてはいけない。】と、やや踏み込んで書いているところを読むと、少し期待したい気分も。
神戸新聞――【最大の特徴は「教育の目標」の条項で「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する態度を養う」と記述し、初めて愛国心に触れたことだ。愛国心重視にこだわる自民党の姿勢を示したといってよい。改正の是非を問う論議でも、最大の論点はここだった。「国を愛するのは自然な心で、法律の枠で縛る必要があるのか」との声が少なくなかった。戦前、教育勅語を掲げて軍国主義教育に走った苦い歴史がぬぐいきれいからだ。こうした懸念への配慮を決して怠ってはならない。もう一つの特色は、前文に「公共の精神を尊び」の文言を掲げたことだろう。昨今の世相を見ても、公共心にもとる言動が以前より目立ってきたことは否定できないが、道徳の押しつけにならないよう教育をどう進めていくかが問われる。】
中国新聞――【改正教基法は「公共の精神」を前面に打ち出し、教育の目標に「我が国と郷土を愛する態度を養う」と明示した。国の関与を強める表現も盛り込まれた。能力対応の教育、家庭の責任、教員の養成と研修の充実も並ぶ。心の中まで踏み込み、運用次第では圧力が家庭にまで及ぶ可能性さえある。】
うーむ。真面目に、そして一生懸命に書いたのだろうということはわかるが、やっぱり少々評論家的な匂いもしないでもない。マスコミを応援しいたい人には「厳しすぎる」と見られ、マスコミは「マスゴミ」であり敵であると認識する人には「甘い」と嘲笑されるのを承知で言うのですけれどね。(ちなみに私は自分の仕事柄もあって、マスコミの良心的な部分を最大限応援したいと思っているほうです)
いきなり目を南に向けて、沖縄。
【一九四七年制定の教育基本法は憲法とともに戦後教育を支えてきた。制定以来初の改正には、戦後教育を否定する政治的な意味合いがある。】【沖縄は本土と異なる歴史を歩んできた。「愛国心」教育が少数派の沖縄の子どもたちに将来どのような影響を及ぼすのかも、危惧せざるを得ない。】(沖縄タイムス)
琉球新報も、「教育が時の政権の思惑で変えられる」ことにおののきを露わにする。さすがに本国の犠牲になってつい30年余り前まではアメリカの支配下にあり、未だに日本の基地の多くを押しつけられている土地柄だけに、「祭りだ、ワッショイ」的な脳天気な愛国心には腰が引けている。
(唐突だがここで今日のエントリは終わり。起承転結なんか、なんも考えずに書きなぐっているだけなので御容赦。)
〈社説URL〉
産経新聞http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/shucho/061216/shc061216001.htm
読売新聞http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20061215ig90.htm
朝日新聞http://www.asahi.com/paper/editorial20061216.html
毎日新聞http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/archive/news/2006/12/20061216ddm005070123000c.html
東京新聞http://www.tokyo-np.co.jp/00/sha/20061216/col_____sha_____001.shtml
琉球新報http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-19725-storytopic-11.html
信濃毎日新聞http://www.shinmai.co.jp/news/20061216/KT061215ETI090004000022.htm
沖縄タイムスhttp://www.okinawatimes.co.jp/edi/20061215.html#no_1
神戸新聞http://www.kobe-np.co.jp/shasetsu/0000192399.shtml
中国新聞http://www.chugoku-np.co.jp/Syasetu/Sh200612160178.html
◇◇◇◇蛇足的な余談
※遅ればせながら……と書いたところで、何が遅ればせなのだと自分自身の中で問う声があった。インターネット上では素早く情報が飛び交い、ブログでも“つい今し方の出来事”について書かれたエントリがたくさんある。だが、私たちブロガーは日々のニュースを追い、特ダネ競争に身をやつす新聞記者ではない。遅ればせだろうが何だろうがかまわないじゃないか。これは半ばは開き直りだけれども、半ばは自戒。今こそ本気で――むろん今まで本気でなかったわけではない。瀬戸際の本気で、と言えばいいだろうか――抵抗の意志を固める時であり、そのためには亀のような歩みであっても前に向かって歩み続けねばならず、記憶に刻むべきことはゆっくりとでも深く刻みつけておかねばならない……。