適当に山積みしている本を掻き分けていたら、足元に新書版の本が1冊転がり落ちた。新潮新書『本格保守宣言』(著者・佐藤健志)である。たしか、2か月ほど前に斜め読みし、妙に気になっていたのだということを思い出す。
帯には大きな文字でこう書いてある。〈ニセモノの「保守」にだまされるな〉
まず、本書の一部を引用してみよう。
【保守とは、もともと政治的な立場を指す概念ではないのである。たとえば『広辞苑』は、この言葉の意味として、「たもち(、)まもること。正常な状態などを維持すること」をまず挙げ、「機械の保守」という表現を引き合いに出す。つまりは「保守点検」や「保守サービス」という場合の「保守」だが、より普遍的な形で定義するなら、次のようにまとめられよう。――特定のシステムに関し、年月の経過や環境の変化にかかわらず、望ましいあり方が持続的に成立するよう努めること。】(18ページ)
著者は【歴史の大部分を通じて、人類はきわめて保守的だった】と書き、前近代においては抜本的・急進的な改革によって社会を変革することはほとんどなかった(ゼロではないが、きわめて少なかった)と述べる。したがって保守主義という概念も存在しなかったのであるが、18世紀後半になって「未来」や「進歩」の概念が成立し、急進主義が誕生するにいたったことで、そのアンチテーゼとして保守主義が生まれたのだというのが著者の認識であるようだ。
この本の紹介をするのが主旨ではないから適当にはしょってしまう(興味を持たれた方は立ち読みでもいいがどうぞ)が、著者は「保守」を「社会の大枠の維持を心掛け、急進的な改革も過度の守旧も廃して」「何をするにあたっても作用と反作用を充分に検討して慎重に取り組む」ことである、と定義しているように思われる。社会システムを慌てて変革しようとすると人々の想定範囲が突き崩され、世の中が不安定になるからである(というのが著者の主張であるようだ)。要するに「バランスのよさ」が保守の生命線、ということであるらしい。
だから――著者は、憲法改定を目論んだり、戦前の日本を肯定したり、愛国心をむやみに強調するのは「本格保守」ではない、と断言する。
ますます話をはしょってしまうが……この本を読んだ時に感じたことを次第に思い出してきた。細かなことは別として、私がひっかかっているものは大きく分けてふたつある。
(1)せめてこの程度は
私は……自民党支持という人々に対して、こんなことを呟いてしまった。「あんたら、せめてこの程度の認識を持ってんか」。著者は【人々が一丸となりすぎない体制の方が、じつは効率的】と言って国家主義を否定し、愛国心には適正範囲があると主張する。そのあたりで、私はふっと目眩のようなものを感じたのである。せめて……この程度のバランス感覚?の持ち主であればと。
(2)こういう「保守」が怖い
だが、読み終えた私は「こういう『保守』こそが怖い」とも思った。これは私の、ごくごく素朴な印象である。著者は改憲しなくても戦争はできる、という意味のことさえ述べている。「望ましいあり方が持続的に成立する」というのは、基本的に大きな問題はない。こんなふうな持ちかけられ方をすると、つい頷いてしまう自分のアホさ加減がイヤになるが(賢い人にはかまわんで、ほんま)……だが、その「あり方」の像こそが問題なのではないか。
安倍・前総理のように、神経に障るような挑発的な(もっと言えば、アホかいなと言いたいような)言動を繰り返す権力者は、実のところそれほど怖くない。私の周囲の「保守的と自称する人々」でさえ、眉をひそめていたぐらいだ。失言閣僚の面々にも、冷ややかな視線が向けられていた。
安倍内閣はいわば、きわめてわかりやすかったのである。私の正直な気分としては、彼にもう少し政権を担当して、恥をさらしていただきたかった。ところが……坊ちゃまはプッツンしてしまい、次に妙に地味で温厚そうな人物が首相の座に着いた。これは手ごわいです。キャンキャン吠える犬よりも、落ち着いて構える犬の方が怖い。「恋に焦がれて鳴く蝉よりも、鳴かぬ蛍が身を焦がす」……あ、ちょっと違うか。
またしても脈絡なくなってきたけれども、……そろそろ言葉遊びはやめんとアカンなぁと、いえ、これは誰かに対して言っていることやおまへん。自分に対して言い聞かせとることなんですわ。保守とは何か、革新とは何か、なんてのはヒトサマと議論するネタとしてはおもろいけど、私みたいな生かじりがやってしまうと、二匹の蛇が互いの尻尾くわえて呑み合うような雰囲気になってしまいまするな。
と、いうことで。またいずれ、もっとグチャグチャと書くかもですが。
◇◇◇◇◇注
【】でくくった文章は、本からそのままの引用。「」は私なりのまとめや言い替えによる。
◇◇◇◇◇余談
実はもっともおもしろかったのは、著者が『鏡の国のアリス』を取り上げ、その中でおこなわれるチェスのゲームを〈近代の比喩〉と述べている個所だった。空想(妄想、かも)を無限大にふくらませてくれる物語は数多いが、アリスの物語も確かにそのひとつではある。