華氏451度

我々は自らの感性と思想の砦である言葉を権力に奪われ続けている。言葉を奪い返そう!! コメント・TB大歓迎。

昔話「御領主選び」

2007-09-18 23:57:53 | 現政権を忌避する/政治家・政党

 昔々、海の果てに――。大勢の人々が押し合いへし合いして住んでいる島がありました。

 この島はそのまたずっと昔から、御領主様が治めております。代々の御領主様の中にはとんでもない人もいて、生きていることが嫌になるほど重い年貢を取り立てたり、むやみに細かな規則を作って人々の日々の暮らしを締め上げたりしました。そして、ちょっとでも不満を漏らすと掴まえて首をちょん切られたりしたこともあったのです。そうなると島人たちもさすがに一揆を起こして御領主様に反抗したのですが、それは「悪政はゴメンだ」という意思表示でしかありませんでした。御領主様を追い払って自分達で島のあり方を決めよう、と思ったことは一度もなかったのです。

 島の長い歴史の中で、御領主様一族は何度か変わりました。今の御領主様一族は、60年ほど前に新しく表舞台に立った人達です。この島は60年ほど前に海の外の大きな国々と戦争をしてペシャンコになり、その当時の御領主様たちは力を失って、新しい御領主様一族が登場したのでした。もっとも実のところ、新しい御領主様たちは昔の御領主様達と縁続きでしたし、それに何よりも島で最も古い家系と言われ、なぜか島の人々の尊崇を集めている神官の家がそのまま残っていますから、何も変わっていないとも言えるのですけれども。

 いま、この島は、御領主様選びでお祭り騒ぎが繰り広げられております。100年ちょっと前、海の向こうの国々の「新しいやり方」を取り入れて、御領主様は「選ばれる」ことになりました。60年ほど前の、島が滅びかけるほどの経験をしてからは、それがもっと前面に出されてきたのです。

 御領主様は御領主様。同じ一族の間で誰が御領主様になっても、本当は大した差はありません。それでも島の人々は、つい「次は誰」という話題で盛り上がってしまいます。

 自分達が主導権を握るなんて、考えたこともない。島の人々は「名君幻想」に骨がらみになって、「善政を敷いてくれる」御領主様、つまり名君が欲しいのです。名君と言って言い過ぎならば、「よりマシな御領主様」への期待。他人任せ、他人頼みというのがいかにあやういものであるか、知っているはずであるのに。この島は、やはり――いずれは滅びていくのかも知れません。受動的な生き方は、実は生き物として最悪の選択肢なのですから。

◇◇◇◇

 福田VS麻生の報道には、もううんざりだ。どっちもどっち、五十歩百歩。同じ穴のムジナというやつである。自民党の息の根を止めるチャンスを、うかうかと見逃すまい。

 

 

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めでたさも中ぐらいなり参院選

2007-07-30 00:48:07 | 現政権を忌避する/政治家・政党

 妙に多忙な日々が続いてかなりバテ気味。夜は可能な限り早めに寝るようにしているので、本読む時間つくるだけで精一杯。先月からブログは開店休業状態である。今日は久しぶりに……参院選の開票速報をちらちらと観ながら少しだけ走り書きを。

◇◇◇◇◇

 戸倉多香子さん、残念です。本当に残念だ。お疲れでしょう、しばらくゆっくり休んでください。そして次の機会に、今度こそ国会に。

◇◇◇◇◇

 自民党の敗北、は大いに結構。でも「勝った」のが民主党というのは、私としては素直に喜べない(ほとんどひとり勝ちのような状況に見える)。東京では民主党が2議席を確保。共産党はずっと確保し続けてきた議席を失った。社民党の議席もない。私は「無党派」(注)だけれども、5議席もあってその中に共産党も社民党もナシというのはちょっと……じゃあない、かなり背筋が寒い。左翼政党が凋落し続け、挙げ句の果てに保守二大政党……嬉しくない図だ。

(注/「絶対的に支持」する政党はない、という意味で使っている。国政を担当する政党としては基本的に社民党・共産党を支持するが、どちらの党に対しても「ちょっと違う」と首を傾げるところもある。だから支持政党なし、というのが正しい気がしているのだ。)

 いまの与党に対して否定的な人達が、民主党に流れる。これが本当にいいことなのだろうか。保守とか革新とかいう言葉を使うのが正しいかどうかはわからないし、定義うんぬんを言い出すとどんどんややこしくなるが――いちおうわかりやすいから使うとすると、民主党は保守政党だ。「基本的に現在の社会の仕組みを変えない」という立場。ただし自民党とは少々意見の違いがありますよ、という立場だ。ソバとウドンぐらいの違いはあるが、どちらも同じ麺類であることに変わりない、という感じかなあ。あるいは腹違い(種違いでもいいけど)の兄弟といったところか。

 急な変化は怖いし、いろいろと面倒だ。だからできるだけ枠組みは変えないで、ただし「どうしてもこれだけはヤだ」という所だけは変えてもらいたい。あるいは、妙な走り方だけはしないでほしい。そういう感覚に民主党はフィットする……のだろうか。要するに「無難な選択肢」なのだ、おそらく。

◇◇◇◇◇

 20代前半の頃は、議会制民主主義がうさん臭く思えて仕方なかった。だが社会に出てウロウロ、オロオロと口を糊している間に、議会制民主主義のもとで一歩ずつ前進していくのが、迂遠に見えて実は最も良策なのだと次第に思うようになってきた。だから、議会のほとんどを、腹違いの兄弟ふうの勢力で占めてもらっては困る。

◇◇◇◇◇

 ただ、「今の与党はちょっとなあ」と感じている人が多かった、ということは確かだろう。だから、「めでたさも中ぐらいなり」。

 これを後戻りさせてはいけない。闘いはこれからだ。

◇◇◇◇◇

 安倍首相は続投するそうである。「改革」なるものを推進して「美しい国造り」をすると国民に約束したのだから、それを続けるのが使命――なのだそうだ(約束って、アンタが勝手に言ってるだけでしょうが。わたしゃ約束した覚えはないゾ)。ま、悪あがきをしていなさい。国民の前に、そして海外にも広く恥を晒して、自民党支持層からも「自民党はダメになったなぁ」と愛想を尽かされるまで……一揆が起きるまで、猿芝居をやっているのですな。  

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トカゲの尻尾

2007-07-04 23:50:18 | 現政権を忌避する/政治家・政党

 過疎ブログへようこそ(笑)。TBくださった皆さん、ほんとうにありがとうございます。ハードボイルド気取って生きてはおりまするが、やはりほんまのところは心弱い人間、仲間がいるみたいだなという感覚はひそかに泣けるほど嬉しい。

 7月に入ったら少しは一息つけるかと思っていたのだが……なぜか貧乏ヒマ無し状態が続きっぱなしである。むしろなぜか自分でもわからないが公私ともにせわしなさに加速度ついてきた雰囲気すらあり、生活に追われてホント息切れしそう。早死にするのかなあ(実のところ、もう夭折なんていう年じゃあないけど)……そう言えばうちはどちらかというと早死にの家系だったりするのだ。とほほほほ。あ、香典くれとは言いませんのでご心配なく。

 新聞も朝刊と夕刊を一緒に読む、それもうっかりすると摘み読みで、まともに読むのは2日分一緒になどというていたらく。テレビは全く観ていないし(もともとあまり観る習慣がないのだけれども)、ネットにつないでいる時間もあまりなかったりする。

 愚痴はこの辺で……生きている証拠にちょっとだけ本日のメモ。

◇◇◇◇◇

 トカゲの尻尾がひとつ切れた。そう……久間防衛相の辞任、である。原爆投下について「しょうがない」などと、ギョッとするようなことをのたもうた大臣が辞任した。

 もちろん「(辞任は)当然すぎるほど当然」と思っているのだが、もうひとつの感想が――「あ、トカゲの尻尾」なのである。久間防衛相は、こういうのが大臣だなんて、恥ずかしくてご先祖さまに顔向けできへんで、というぐらいの御仁だったのは確か。しかし、だからといって他の閣僚が恥ずかしくないわけではない。久間防衛相より小池防衛相のほうが良いとか悪いとか、そういう問題でも、無論ない。久間防衛相(あ、元防衛相と言うべきですね正確には)のトンデモ発言は、彼が個人的にしょーもない人間だったから出て来たわけではなく、彼が棲む世界(安倍政権と言ってもいいし、今の日本の権力者達の集団と言ってもいい)がトンデモナイ世界だから出て来ただけだ。決して「久間章生」なる個人が特別に、あるいは例外的に「悪い奴」だったわけじゃあない(いや、むろんろくでもない男だと思いますがね)。

 腐りきっているから……だから腐った言葉が、そこに所属する人間の口をついてシレッと出てくるのだ。彼は殊勝ぶって辞任したけれども、自分が悪いことをしたなどとはほんのちょっとも思っていないはずである。運が悪かったんだよなぁ、参院選も近いもんだから貧乏くじ引いたよな、と肩をすくめているはずだ。

 昔っから、トカゲの尻尾切りというのはよくある話。尻尾を切ることで、悪いのは彼だけですよ、ほかの人間はみんな真面目なんですよと見せかける図柄も嫌になるほど繰り返されてきたことだ。安倍政権もけっこう毅然としているね、潔癖なんだね、みたいな雰囲気が醸し出されるのが、実は私は一番怖い。ひとりのクビさえ切れば、後の全員は手が白いように思わせる心理的なマジック。

 本当を言うと――ちょっと変な話かも知れないが、私は「問題発言」する閣僚には居座ってもらって、「本音」を垂れ流して欲しいと思っている。醜悪さを徹底的に見せて欲しいと思っている。その意味で、久間防衛相の辞任はいかにも惜しい。

◇◇◇◇◇

 副都知事の話ほか、もやもやと頭を掻き乱していることはいくらでもあるが、それはまた、少し落ち着いてから――。日々の情報を追いかけ、日々の事件にそのつど反応するよりも、今は自分の基本の部分を確かめておくのが精一杯であり、半ばヤケクソで、それもまた大切ではないかと思ったりもしている……。 

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クーデターを許すな

2007-04-25 00:35:44 | 現政権を忌避する/政治家・政党

「そいつは帽子だ!」のgonさんが「七色の風よ吹け」の中で、「私たちは現日本政府の体制変革(レジームチェンジ)に反対します」という共同声明文案を出してておられる。私も今の政府がやろうとしていることは「クーデター」だと思う。

 gonさんへの賛同表明として、1月4日付けのエントリを再掲しておく。

◇◇再掲/安倍「改憲」内閣は右派クーデターを目指す◇◇

夕刊各紙を買い集めて来たら、何処にも出ていました、安倍首相の「年頭記者会見」の記事(おそらくテレビでも報道されたのだろうが、私はテレビはほとんど観ないので……)。

 この会見で、首相は「安倍政権のうちに改憲を目指す」ことを表明した。むろん彼は前々から何とかの一つ覚えのように「ケンポーカイセー、ケンポーカイセー」と繰り返している。だからいちいち驚く話でもないのだが、まあ庶民の一人としては彼の発言に毎度神経が反応する。このブログでも 「安倍改憲内閣、宣戦布告す」など、いくつかの記事を書いたように思う。

 むろん改憲の話だけしたわけではなく、ほかにも「教育再生(新しい教育基本法にのっとり、教育再生会議で具体案をまとめて必要な法改正をおこなう)」、「社会保険庁の廃止、解体、6分割」、「景気回復(成長戦略を推し進め、かつ競争力を高めて強い経済を目指す)」など、いわゆる「抱負」をさまざまに語ったそうだ。さらっと聞き流せば何と言うこともない――よく政治家などが並べる綺麗げなお題目だが、読めば読むほど胡散臭さを感じる、と言うかヒヤリとする。たとえば「競争力」「強い」などの言葉ひとつとっても、いかにも新自由主義の信奉者らしい臭いが満ち満ちているではないか。   

 だがやはり、何と言っても焦点は「改憲宣言」(教育や経済、医療福祉などに関する問題は二の次と言っているわけではない。すべてはリンクしており、その象徴が改憲であるように……ふと感じられた、ということである)。

 それにしても、内閣総理大臣が憲法改定を「重要課題」として挙げるというのは、いったいどういうことだろう――と、ごく素朴に思う。もちろん一国の憲法は、「何が何でも変えてはならない」ものではない。場合によっては、新しい憲法を制定する必要もある。だが、それは「よほどの場合」のはずである。たとえば革命によって体制がひっくり返ったとか、憲法があまりに不備または国民の不幸の源泉であるために国民の不満が噴出たとか。

 誰も不都合を感じていない――いや、そう言うのは乱暴かも知れない、一部の人を除いては不都合を感じていない、と言い直そう。ともかく大多数の国民は何ら不都合を感じず、むしろそれを守られているという感覚の強い憲法を、なぜ今、変えようとシャカリキにならねばならないのか。私たちはその「原点」の部分を、いま一度よく考えてみるべきだと思う。誰も不都合を感じていないものを強引に「変えなければ」と言いつのるのは、畢竟、「国の姿」を変えたいからだ。これはクーデターである。クーデターというと、軍が蜂起して……的なイメージが強いかも知れないが、こういう一見穏やかな?クーデターもあるのだ。

 首相は、今夏の参院選でも改憲を訴えると断言した。参院選は憲法選挙になるわけだ。一昨年の郵政民営化選挙(と、小泉内閣が勝手に位置づけたわけだが)より、はるかに国民の性根を問われる選挙になる。

 さて、あなたは憲法を変えたいですか。与党は「新しい時代にふさわしい憲法を」などとほざいているけれども、人間のモラルに古いも新しいもあるか。憲法はいわば「国の根幹のモラル」を規定するもの。それをころころ変えていいのかどうか。

 国民の大多数が、よくよく考えた末に「強い国」「他国の国民を踏みにじっても豊かになりたい国」「武力にものを言わせる国」を選択したいというのなら、何をか言わんや。私はさっさと日本を脱出します……と言いたいところだが日本以外で食って行ける自信がないので、人の世に背を向けて世捨て人にでもなります。税金なんか払わんぞ。生涯、猫一匹肩に乗せて流浪するぞ。

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そうなのだ、「悲観することはない」

2007-04-02 23:55:32 | 現政権を忌避する/政治家・政党

  

 一昨日、「沖縄戦集団自決は軍の強制ではなかった!?」という記事を書いた。高校教科書の検定で集団自決の記述にマッタがかけられ、削られたり修正された――というニュースに関する簡単なメモである。この問題については多くのブロガーが書いておられ、私がさらに付け加えて言うことは何もないのだが、そのエントリに対してなめぴょんさんがいいコメントを下さったので今夜はそれを紹介しておこうと思う。

【自分で考えようとする心を持ってればこんなわかりやすすぎる小細工にはだまされない。(略)集団自決そのものが教科書からなくなったわけじゃない。「集団自決に追い込まれた人々もいた」。この記述だけでも「何が人々を追いつめたのか」はじゅうぶん想像できるはずです。世の中、クラスの中の「空気」がどれだけ重く行動を縛るものか思い知っている者ならなおさら。必要以上に悲観することはないのだと思います。世の中バカなようでそんなにバカじゃない。】

 上記はコメントのほんの一部。詳しくは3月31日のエントリのコメント欄を見ていただければよいのだが、ともかくこのコメントで私は少し元気が出た。ありがとう、なめぴょんさん。

 そうなのだ……いくら権力側が姑息に規制しても、そこから見えてくるものがある。私達はそれを大切にして、伝えていきたいと思う。

 そして「これを言っちゃダメ、こんな表現はダメ」と言われても、私達はその締め付けをかいくぐって物事を、思想を伝えていくことは出来る。突然思い出したが、以前、「言葉への規制は言葉で破る」という記事を書いたことがあった(書いたはずだよな、と思って探したら、何ともう1年も前の話でありました)。内容をかいつまんで言うと、「憲法違反のアメリカ追従イラク派兵に反対し、即時撤退を求めます」という意見広告を新聞に出そうとしたところ、広告での審査で憲法違反という表現がひっかかった。それで「憲法を踏みにじるアメリカ追従の……」という表現に変えて、掲載したという。

 同エントリの最後の部分を、引用・再掲しておく。

【言論の統制・封殺にはまだまだ穴があるということだ。人によっては楽天的すぎると思われるかも知れないが、幸いにもまだ、国家総動員法の下、精神総動員運動が展開された頃の状況にまでは至っていない(規制する側も、やや人目を気にしているところが窺える)。だからまだ、網目をくぐったり逆手にとったりする余地は充分にある。アレは駄目、コレは駄目と規制されれば、「なら、これはどうよ?」と突きつけていくことができる。言葉には理論の裏打ちが欠かせないが、それを根っこの部分で支えるのは感性(この字を書くたびに、ほんとに恥ずかしい……のだけれども)だと私は思っている。そして感性は、無限に言葉を創造していくことができる。「戦前」を感じさせる世の中になってきたが、しかしまだ間に合う。ガンジガラメになってしまう前に、私は1つでも多く「抵抗の言葉」を探し、共有していきたいと思う。】

 私の現在の思いは、これに尽きる。……負けるものか。

◇◇◇◇◇

 都知事選で、浅野候補を支持しています。都民の一人として、これはある意味であやういほどのギリギリの選択。自分の中では、現都政にピリオドを打つのが最大の課題だと思うからです。

 ただ、だからといって、「吉田さんは出馬を取り止め、浅野さんに統一すべき」などとは毛頭思わない。んな、アホな。吉田さんの方が先に出馬表明したのだから降りろなんて失礼だとか、そういう話では無論ない。吉田候補に出馬取り止めを迫るのは、思想信条の封殺である(もっとも、逆も同じ)。

 現都政にピリオドを打ちたいと思う都民は多いが、その思いは個々の体験や生活感覚や仕事上の息苦しさや思想信条その他によって、相当グラデーションがある。あって当然であり、そのグラデーションと(それを容認するかどうかは別として)出来る限り真摯に向き合いたい。たとえ歩く道は違っても、いつの日にか、共に夢見た地平に達することができると私は信じる。いや、信じたいと思う。それを信じなければ、私はすべてを失った者のように荒野に立ち尽くすほかない。

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続・なぜ少子化がそんなに怖いのか

2007-02-13 23:51:09 | 現政権を忌避する/政治家・政党

 ちょっとドタバタしていて、パソコンを立ち上げてもメールをチェックするのが精一杯だった。で、2日ぶりぐらいにブログを開いたら……先週末のエントリ「なぜ少子化がそんなに怖いのか」に対していろいろと有意義なコメントを戴いておりました。皆さん、ほんとうにありがとう。私がコメント欄を開放しているのは、「なるほど~!」と膝を打ち、自分がモノゴトを考える上で役に立つ情報や意見が欲しいから(自己チューですね、すみません)。時には私のアタマと感覚では理解し難い――「げげげ」というコメントもないわけではありませんが、それはそれで別の意味で役に立つ?ので、たまにはいいかと(私の方針として、単なる罵倒や、特定の私人を中傷するものは原則として削除しますが、それ以外はなるべく残しておきます。これについては異論もあると思いますが……。むろん、今のところはです。その手のコメントばかり増えた場合は方針を転換するでしょう)。

 前置きはそのぐらいにして。私が「そっかぁ、なるほどな~」と感心したコメントを1つ2つ紹介し、私の感想を書いておこう(全文ではなく、一部を引用。また、他のコメントもそれぞれおもしろい。興味を持たれたら、ぜひ2月10日のコメント欄を御覧ください。いえ、別に私のエントリは読まんでいいです。そんな大したことは書いてまへぬ)。

〈人間が多すぎる〉

 まず、私が時々読ませていただいて目からウロコ的な刺激を受けている、「A Tree at ease」のluxemburgさん。


【わたしも多少急激であれ、少子化が進むのは自然の摂理と思っています。自国の国土で食えない状態である以上、食える範囲まで減るのは当然ですし、政治家が安全保障なんて語るのもちゃんちゃらおかしい。EUなどは加入の前に基本的に食えるようになって死刑を廃止してから加入となるようです。】

 まずは「そうか!!」と頷いた。私は漠然とした感覚でしかモノ言えない人間だけれど、こんなふうに言われると、何かすごくよくわかる。

 自然の摂理であるかどうかまでは私は確信持って言えないのだけれども、人間が多すぎるのかも知れないな、という感覚はある。実のところ地球全体で考えても「ヒトという生きもの」は多すぎるんじゃないだろうか、という気がするのだが、それはそれとして――少なくとも日本はちょっと過密。酸素不足、という感はある。

 
〈価値判断の入った言葉〉 

 次に組合員Aさんの、「価値判断が入った言葉」というコメント。

【私の職場では、晴れの天気を「良い天気」とか「好天」とか公式には使わないように指導されています。特に水不足の時などそうです。(中略)理由はもちろん、雨を望んでいる人にとっては晴れは「好天」でも何でもなく、望ましくない天気だからです。「良い、悪い」は非常に主観的なものです。公的な立場にいる人ほどこのことを肝に銘じなければならないでしょう。】

 晴れを「よい天気」と表現しない、という話は初めて聞いた。組合員Aさん、ありがとう。

 そ、そうなんですよ。私が不愉快に思うのも、公僕が価値判断の入った言葉を使うこと。いいとか悪いとか健全とか不健全とか、そういう価値判断をするのはほんと、越権行為だと私もずっと思っている。

〈増えることが値打ちではない〉

 価値観と言えば……「大きいことはいいこと」「多いことはいいこと」「増えることはいいこと」――それらすべての価値観に対して、私は疑問を持っている。

 人間は野放図に増え、母なるテラの身体を食い、傷つけてきた。多くの生きとし生ける同胞を絶滅させてきた。何の権利あって、そんなことができるのか。

 私はふと夢見る。狂気におかされたような競争と、進歩の幻想とのばかばかしさに気付き、やさしくゆったりと息づくことのできる社会を。

 

〈珍説展開〉

 冒頭で書いたエントリのコメントで――「ほんまかいな」と目がテンになったのは、漢魂さんという人のコメントだ。「男女は平等ではない」「少子化は、女性が役に立たないプライドを持って社会に出たせい」等々。ときどきTBやコメントを下さる水葉さんによれば、彼女のブログにも「男女は平等ではない」「生殖機能がない女なんて論外」「レイプされた結果の妊娠でも、子供を産んでほしい」といったコメントが寄せられたそうだ。

 私はあえて、この人のコメントを残しておく。結構ですよ、どんどんおっしゃってください。なぜならば、こういう(ご本人が本気で信じているのかどうか疑わしいほどの)考え方は、いわゆる保守層でも反感を覚える人が多いと思うからだ。たしか我らが都知事も子供を産めなくなったババアが生きているのは害悪みたいな発言をしたはずだが、ジミン党の女性議員先生がたの多くは(そして男性議員もかなりの割合で)そういう発言にはムッとすると思いますよ(笑)。うちの亡くなったジイチャンバアチャンなんかも絶対怒るね(笑)。彼らはそこそこに保守的な感覚の持ち主で、それこそ天皇のことを語る時は必ず「陛下」を付けるし、孫達にも「男の子じゃけん」「女の子じゃけん」なんて普通に言う人だったが、人間は国籍・出自や性別・年齢にかかわらず平等だという、人権の最低線ぐらいはわかっていた。

 その意味で、たまには(自民党や公明党を支持している人でも眉をひそめるような)暴論を述べていただくのも、実のところ私は嬉しいのである(イジワルだって? えへ)。ついでに言うと、そのうち「私が驚いた意見の数々」をまとめて、後々のために残しておくつもりでもある。 

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なぜ少子化がそんなに怖いのか

2007-02-10 01:18:08 | 現政権を忌避する/政治家・政党

〈前置きとして〉

「若い人達は2人以上の子供を持ちたいという極めて健全な考えを持っている」とのたもうた、柳沢厚労相。女性を「産む機械、装置」にたとえた発言については「陳謝」を繰り返しているが、「健全発言」のほうは陳謝・撤回を拒否している。7日の衆院予算委員会で、「みんなが子どもを持ちたくないと意思表示をしたら、私は困ってしまう。その言葉を撤回しなければならない理由が分からない」と述べたそうだ。何度でも言うが、この人はホントにわかっちゃいない。最初の問題発言に関して、「うっかり(何の悪気もなく)機械なんて言葉を使ってしまったからマズかっただけ」と思っているだけなのだ。    

おばさんをお嬢様と言っているだけの言葉にだまされない!」ととくらさんは怒っておられたが、柳沢厚労相はまさしく その手の表面的な言い換えだけでモノゴトが解決すると思っている御仁の典型。「ジジババ」を「お年寄り」と言い換え、「おんなこども」を「ご婦人やお子様」と言い換えたりして、それで文句ないだろと思っているのだ。

 

〈公僕の価値判断は越権行為〉

 それはともかくとして、「健全」発言の方である。「機械・装置」発言以上に、不愉快きわまりない。なぜ不愉快かと言えば、明確な価値判断が入っているからだ。

 私は沸騰しやすい「小さなポット」だけれど、それでも親戚のジイサンバアサンが「子供は2人以上持ちたいっていうのが、やっぱり健全な考え方ではなかろうかのう」と言ったのであれば、いきなり烈火の如く怒ったりはしない。そういう考え方を持つのは、いわば個人の自由であるから(その考え方は違うと噛みつくかも知れないが)。柳沢厚労相にしても、自分の家族の集まりか何かで言うのは自由。しかし厚生労働大臣の立場で、公の席で言ったというのが最大の問題なのだ。

 私は選挙権を持ち、税金を納めている国民の一人として、「公僕」に「勝手に価値判断する権利」を与えた覚えはない。それは越権である。(そんなこと言われれば自由にモノが言えなくなるじゃないかって? 当たり前です。公僕というのは、そのぐらい縛りのきつい立場なのだということを自覚してもらわないと困る)

 

〈後ろめたさとほろ苦さ〉

 私は子供というものを持っていない。考えれば考えるほど親という存在になることに腰が引け(自分がよっぽどろくでもない子供だったからかも知れない)、この年まで(苦笑)子供を持つという選択をできないままで過ごしてきた。だからこそ、というべきだろうか。私は子供を育てている、あるいは子供を育てて独立させた友人知人達に対して、常に後ろめたい、ほろ苦い思いを抱いている。

 だが、これだけは断言できる。後ろめたいのは、「自分は不健全だ」と思っているからではない。「見る前に跳べ」なかった自分のことを顧みるつど、勇気ある決断をした友人達に無条件で敬意を表するからである。いわば、自分が面倒なことから逃げてきたような気がするわけだ。ほろ苦いのは、ひとつ楽しみを捨てていたんだなと思うからだ。

  私の高校時代からの友人のひとりが、少し前に癌で手術した。一応手術は成功したが、はっきり言って予断を許さない状態。その手術前に彼が真っ先に言ったのは、「子供つくらなかったことを、ちょっとだけ後悔しているんだ……」。彼は二十代前半で結婚したのだが、(私とは理由も感覚も違うと思うけれども)さんざん迷った末に子供は作らないという選択をした。その選択を間違っているとまでは思わないだろうが、「子供を持ち、育てるということもしてみたかったな。きっと楽しかったと思う」と言って、深々とため息をついた。人生のターニング・ポイントを回ったひとりの男が、「大きな忘れ物をした気分」について――表面的にはサラリと冗談に紛らせた口調で漏らしたのだ。その気持ちは、私には痛いほどよくわかる。

 そして、後ろめたいのもほろ苦いのも(小泉前首相の真似じゃないけれども)私の「心の問題」である。他人にとやかく言われる筋合いはない。健全だの不健全だのと、シタリ顔で言って欲しくない。ましてや、我々の税金で雇っている「公僕」には。

 ひらべったい表情で、手垢にまみれた言葉で語って欲しくない問題のひとつ――おそらくは代表的な問題のひとつ、なのだ。人間という存在に対する愛情と憎悪のはざまで揺れ動きながら、ひとは子供を持つ、あるいは子供を持たないという選択をする。結婚してもしなくても後悔するだろうと言った昔の哲学者がいたが、子供を持つことも同じ。乏しい脳髄を絞り上げるようにして考え、考えた揚げ句にひとはひとつの道を選択する。その責任は性根を据えてとるべきであるが、他人に、ましてやオカミに健全だの不健全だのと言われる筋合いはない。

 

〈みんなが子供を持ちたがらなくなったら、って?〉

 みんなが子供を持ちたがらなくなったら、ますます少子化が進む。それでは困る――という考え方を持つ人は(多いか少ないか知らないが)いるようだ。でも、それはためにする類の極論だと思う。「みんなが子供を持ちたがらない」なんてことが、本当にあり得ると大臣は思っているのかね。私の友人知人は、圧倒的に子持ちが多い。中には5人もの、現代では珍しい大勢の子供を持つ友人もいる(あと1人2人欲しいそうで、仲間はみんなで勝手にしろと好意的にからかっているのだが)。ついでに言うと、シングル・マザーやシングル・ファザーもいる。

 出来る限り大勢の子供が欲しいと思うのも、子供はいらないと思うのも、配偶者はいらないから子供だけ欲しいというのも個人の自由。オカミに口出される話じゃあない。子供が(できるだけ大勢でも2人でも何でもいいけど)欲しければ欲しいなりに、子供が欲しくないなら欲しくないなりに、生きていける土壌を作るだけが、あんたがたの仕事なんだってば。そして子供を産み育てたい人達の応援するために、税金の負担をする気持ちも用意も充分にあるさ。別に年取ってから、次世代の人達に養ってもらおうなんぞという下心があるわけじゃあない。未来へ希望をつなぐ投資は、今を生きている私たちの責務だと思うからだ。

 

〈少子化、別にいいではないか〉

 話があちこちブレ続けて、ようやく今日書いておきたかった話にたどりつきつつある。そう、少子化の問題。

 結論から先に言うと、私は少子化がなぜそんなに問題になるのかわからないのだ。人口が減る? 別にいいじゃん、というのが私の素朴な感覚である。人間は、絶滅寸前の生物ではない。(こんなこと言うと語弊があるかも知れないが)地球のためには少し減った方がいいかも知れないぐらいだ。パンダじゃないんだからね、大丈夫ですよ。あんまり野放図に増えすぎたので、自然に歯止めがかかっているのではないかという妄想すら抱くことがある。

 ほかの国は人口が減らないのに、日本だけが減ることに危惧を抱いている人もいるのかも知れない。でも私は――あまり日本という「国」に執着はないので、それも別にいいじゃないか、と思っているのだ。正直なところ。

 子供に毛の生えた年齢の頃、老子の「小国寡民」にちょっとだけ憧れたことがあった。浮き世のゴタゴタの中で当時の切ないほどの純粋さは失ったけれども、今でもほんの少しそれに魅かれるものはある。日本などという「国」が張る肩肘を失い、ひっそりと息づくようになった時、この国が持っていた本当の宝物が鈍い光を放ち始めるかも知れない(うへ。私も愛国者なのかなあ? 嘘みたい)。

 今夜もまた、とりとめもない戯れ言でありました。

 

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安倍政権の正体見たり――厚労相発言

2007-01-30 23:42:08 | 現政権を忌避する/政治家・政党

〈最低の政治家による、最低の発言〉

 喜八さんや、dr.stoneflyさんluxemburgさん も怒っている。喜八さんは「正気の沙汰ではない」、dr.stoneflyさんは「心底頭悪いというか感性悪いというか」「真面目にコメントするのもアホらしい」、luxemburgさんは「いずれにしても政界から消えてくれ」と吐き捨てる。どちらのエントリからも、あきれてモノが言えないという思いがストレートに伝わってきた。そう……柳沢伯夫厚生労働大臣の、「女性は産む機械、装置」発言の話である。

(他の大勢のブロガーも怒りの記事を書いておられると思うが、ここ3日ほどドタバタしていたためブログを読んでいない。ついさっき、TBいただいたブログや普段よく読むブログなどを覗き始めたところなのである)

 私もこの発言について知った瞬間、最低だなと思った。今の内閣、今の国政を牛耳っている政治家の最低ぶりを証明する発言だと言ってもいい。

〈ゴメンですむ話ではない〉

 安倍首相は「不適切な発言であるから、厳重に注意した」そうだし、柳沢厚労相も記者団に対して「不適切な発言だったことをお詫びする」と述べたというが、同時に野党や市民団体からの辞任要求に対して、辞める気はないと明言している。「ただちに発言を撤回してお詫びもした」から――だそうだが、ほとんど開き直りとしか聞こえない。何でも謝ればチャラになる、と思っているのだろうか。そりゃ甘いんでないの。

 人間誰でも失敗するし、失言することもある。だが失敗にも失言にも、ゴメンですむものとすまないものがあるのだ。たとえば結婚式のスピーチで「新郎の勤め先は今、業績が悪化して大変だと聞きますが」などと言ってヒンシュクを買う類の失言(私の親戚に、これをやって後で周囲から叱られたオッサンがいる)。友人の新しいカノジョの前で、うっかり(友人がまだナイショにしていた)昔のカノジョの話をしてしまうとか。まあ、よほどのことがない限り謝れば許してもらえる。

 ゴメンですまないのは、その発言が本人のトンデモナイ価値観や感性に由来している場合。厚労相の発言は、まさしくそれにあたる。女性は生む機械・装置であるの、男性は種馬であるのといった発言は、その人間の深層にそういう意識がない限り決して出てこない。(ちなみに我らが都知事も、その種の失言の多いヒトである)

〈言葉が不適切?!〉

 首相も厚労相も、そして新聞等も、「不適切な発言」という。まるで「言葉の選び方を間違っただけだ」と言わんばかりに。

 そうではないのだ。たとえ「生む機械・装置」を「生む性」とか、あるいはキレイげに「人類を未来へつなぐ存在」とか言い換えたとしても、同じことである。言葉そのものの問題ではない。

 やっぱりね、というのが私の素朴な感想だった。あんたらは、国民を――というか「その他大勢の庶民」を、いくらでも取り替えのきく道具、部品だと(心の底で)思っているんだよね。半世紀以上も前、兵士は一銭五厘(※)で集められる道具であったそうだ。その意識が、今の為政者にも脈々と受け継がれている。

※当時のハガキ代。この値段でいくらでも徴兵できた。余談だが、知り合いに戦争中に「馬の軍医」だったという老獣医がいた(もう故人であるが)。彼によると、人間の兵士は一銭五厘で集められるが、馬はそれよりはるかに金がかかるということで、馬の軍医は人間の軍医よりはるかに大事にされたそうである……。

〈まったく……あんたら正気か〉

「美しい国」の実現のために、庶民は黙々と道具にならねばならないらしい。今は本当に21世紀か。まさか私は、タイムマシンで8世紀に連れて来られたわけじゃあないでしょうね? ルシャナ仏建立のために――それが国創り(たぶん美しい国創り)の一歩だと言われ、おまえ達も幸せになるのだと言われて、庶民が絞り上げられた時代に。

 女性は生む機械・装置などという目の飛び出るような発言をする政治家達は、同じ口で国民は国を守る機械・装置と言いかねない。いくら何でもそこまで露骨な言い方は控えるかも知れないが(もっとも頭の程度を見ると、本当に言うかも知れん)、もうちょっとオブラートに包んだ言い方でしゃあしゃあと言うだろう。ちょっと目くじら立てられれば(という感覚のはずだ)、形だけはゴメンと謝り、舌の根も乾かぬうちに似たようなことを言うだろう。先頃「法案上程断念」されたホワイトカラー・エグゼンプションも、国民を(国を富ませるために! 国際競争力とやらをつけるために!)働く機械・装置としか見ていないものだった。

 少子化が問題だというなら、国民が子供を生み育てたくなる、そして生み育てたくなる環境を整えるのが政治家の仕事。「公僕」たる政治家は、それ以上のことはしなくたってよろしい。それなのに勘違いして、自分達がご主人様だと思っている連中が多すぎる。自分達は命令する側であり、おまえたちが「自己責任で」もっと頑張れと。喜八さんではないけれど、ほんと「あんたら正気か」。

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安倍「改憲内閣」は右派クーデターを目指す

2007-01-04 23:52:54 | 現政権を忌避する/政治家・政党

 夕刊各紙を買い集めて来たら、何処にも出ていました、安倍首相の「年頭記者会見」の記事(おそらくテレビでも報道されたのだろうが、私はテレビはほとんど観ないので……)。

 この会見で、首相は「安倍政権のうちに改憲を目指す」ことを表明した。むろん彼は前々から何とかの一つ覚えのように「ケンポーカイセー、ケンポーカイセー」と繰り返している。だからいちいち驚く話でもないのだが、まあ庶民の一人としては彼の発言に毎度神経が反応する。このブログでも 「安倍改憲内閣、宣戦布告す」など、いくつかの記事を書いたように思う。

 むろん改憲の話だけしたわけではなく、ほかにも「教育再生(新しい教育基本法にのっとり、教育再生会議で具体案をまとめて必要な法改正をおこなう)」、「社会保険庁の廃止、解体、6分割」、「景気回復(成長戦略を推し進め、かつ競争力を高めて強い経済を目指す)」など、いわゆる「抱負」をさまざまに語ったそうだ。さらっと聞き流せば何と言うこともない――よく政治家などが並べる綺麗げなお題目だが、読めば読むほど胡散臭さを感じる、と言うかヒヤリとする。たとえば「競争力」「強い」などの言葉ひとつとっても、いかにも新自由主義の信奉者らしい臭いが満ち満ちているではないか。   

 だがやはり、何と言っても焦点は「改憲宣言」(教育や経済、医療福祉などに関する問題は二の次と言っているわけではない。すべてはリンクしており、その象徴が改憲であるように……ふと感じられた、ということである)。

 それにしても、内閣総理大臣が憲法改定を「重要課題」として挙げるというのは、いったいどういうことだろう――と、ごく素朴に思う。もちろん一国の憲法は、「何が何でも変えてはならない」ものではない。場合によっては、新しい憲法を制定する必要もある。だが、それは「よほどの場合」のはずである。たとえば革命によって体制がひっくり返ったとか、憲法があまりに不備または国民の不幸の源泉であるために国民の不満が噴出たとか。

 誰も不都合を感じていない――いや、そう言うのは乱暴かも知れない、一部の人を除いては不都合を感じていない、と言い直そう。ともかく大多数の国民は何ら不都合を感じず、むしろそれを守られているという感覚の強い憲法を、なぜ今、変えようとシャカリキにならねばならないのか。私たちはその「原点」の部分を、いま一度よく考えてみるべきだと思う。誰も不都合を感じていないものを強引に「変えなければ」と言いつのるのは、畢竟、「国の姿」を変えたいからだ。これはクーデターである。クーデターというと、軍が蜂起して……的なイメージが強いかも知れないが、こういう一見穏やかな?クーデターもあるのだ。

 首相は、今夏の参院選でも改憲を訴えると断言した。参院選は憲法選挙になるわけだ。一昨年の郵政民営化選挙(と、小泉内閣が勝手に位置づけたわけだが)より、はるかに国民の性根を問われる選挙になる。

 さて、あなたは憲法を変えたいですか。与党は「新しい時代にふさわしい憲法を」などとほざいているけれども、人間のモラルに古いも新しいもあるか。憲法はいわば「国の根幹のモラル」を規定するもの。それをころころ変えていいのかどうか。

 国民の大多数が、よくよく考えた末に「強い国」「他国の国民を踏みにじっても豊かになりたい国」「武力にものを言わせる国」を選択したいというのなら、何をか言わんや。私はさっさと日本を脱出します……と言いたいところだが日本以外で食って行ける自信がないので、人の世に背を向けて世捨て人にでもなります。税金なんか払わんぞ。生涯、猫一匹肩に乗せて流浪するぞ。

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「民主主義」殺害事件あるいは豚肉抜き豚汁の話

2006-12-02 23:37:18 | 現政権を忌避する/政治家・政党

 腹の立つことが多く、いちいち怒っていたら起きている間中ずっと腹を立てていなければいけないような具合。教育基本法の問題はむろんのこと、防衛庁・省昇格関連法案の衆院通過も、オギノフさん が「人間から『商品』へ」のエントリで怒っておられた労働ダンピング問題も、……そのうち怒るのに疲れて、世捨て人志願のモードに入るんじゃないかと本気で怯えるほどだ。まさか、不満を抱いた庶民が疲れるのを待っているのではないでしょうね……。

 一昨日「造反議員復党……これも教育に悪い」というメモを書いたが、これも腹立たしいことのひとつ。今夜はちょっと、想像インタビューをしてみよう。インタビュー相手は復党議員のひとり(特定の誰かをイメージしているわけではない。根っこはみんな同じなのだから)。

――このたび、めでたく復党なさったそうで。おめでとうございますと言っていいのか、ご愁傷様と言っていいのかわかりませんが。

議員「いきなり変なことを言うね、君は。めでたいことに決まっているだろう。これで一層、国政に力を尽くせるようになったのだよ。わっはっは」

――(アナタにそう、張り切っていただかない方がいいんですがね……)

議員「ん? 何か言ったかね」

――いえ、ただの独り言で。ところでセンセイは「安倍総理に感謝している。足を向けて寝られない」みたいなことをおっしゃったそうで。

議員「当たり前だろ。人間、恩義を忘れちゃいけない。恩知らずというのは人間のクズだよ、キミ」

――なるほど。で、安倍総理に頭を向けて寝られるとすれば、足は選挙民の方にお向けになるわけで?

議員「な、何を言うのかね。足を向けてうんぬんというのは、言葉のアヤじゃないか。そのぐらいのこと、学校で習わなかったのかね。だから日本の戦後教育はダメだと言うんだ」

――(あなたよりは日本語の使い方は正しいと思いますけどね。)でも結局のところ、そういうことでしょ。ところでセンセイ、復党なさるにあたって、センセイに投票した国民全員にひとりひとり、「私は復党したいのじゃが、かまわんかね」とお聞きになりましたか。

議員「また、そういう馬鹿なことを言う。キミは投票に行ったことがないのかね? 投票ってのは無記名なんだよ。投票した人間が誰かということもわからないのに、聞けるわけないだろ」

――いえ、いくら何でもそのぐらいわかっています。一人一人に意見聞くのは、不可能ですよ確かに。でも、理屈から言えばそういうことではありませんか? 

議員「キミは間違っている。国会議員っていうのはね、国民から委任状をもらって国政に携わっているのだよ。国民全員が集まって意見を出し合い、話し合うのは現実問題として無理だから、代表として議員を選出する。それが議会制民主主義だ。学校で習ったろうが」

――(学校学校ってうるせぇな、このオッサン。あんたよりは真面目だったと思うよ。)習いましたよ。でも白紙委任状を出すのだとは習いませんでしたね。自分の考え方や思想信条に出来る限り近い人を「代議員」として選び、代弁して貰う。議会制民主主義の基本はそういうことだと理解しています。

議員「私も白紙委任状を出せとは言っとらん。地元の後援会などを通して、国民の意見はよく聞いとるよ。それにだね、私に投票してくれた選挙民は、私のことをよく理解して、私なら国のために働けると信じて票を入れてくれたんだ。信頼関係というやつだよ」

――そうですか。信頼関係……ですか。水掛け論になるのでその話はやめますが、センセイは誓約書の中で「総理の所信表明を全面的に支持する」と書かれ、総理に忠誠を誓われたそうですね。これがどうにも納得いかないのですが、議員が忠誠を誓う相手は……忠誠って言葉は好きではないのですが、この際一応使うとしたら、相手は国民でしょう? もう少し狭めれば、自分に投票してくれた人々。忠誠誓う相手を間違えておられませんか。

議員「な、何を言うか。むろん私だって国民のことを第一に考えておるよ。当然だろ」

――(うわ、しらじらしい。)そうおっしゃるなら、そういうことにしておきましょう。ですがね、国民のことを考えるからこそ、総理の方針に対して反対するとか、苦言を呈するなどというのもアリじゃないんですか? たとえ安倍総理が戦後最高の素晴らしい首相であったとしても(自分で言ってて頭痛がしてきそうだな)ですよ、人間は間違いを犯すこともあるわけで。代議員が総理のイエスマンになってどうすんです?

議員「私は国民のことを考えるからこそ復党したんだし、国民のためを思えばこそ安倍総理を支持するんだ。私に投票した人達はわかってくれているはずだ」

――(わかってるはずって……ひとりひとりの意見なんか聞いてられないと言ったくせに。)要するに、ま、「自分を信頼せよ」ということですね。表面的には裏切ったように見えるけど、おまえ達のためにやってるんだから四の五の言わずに自分を信じなさいと。はぁぁ~。

議員「何だねキミ、ため息なんかついて失礼な。それに、裏切ったなどという剣呑な言葉を使って欲しくないね」

――私は日本は一応は民主主義国家だと思っていたんですがね、甘かったようですね。それともほそぼそと息づいてきた民主主義が、ついに殺害されたということですかね……。うわぁ、殺し屋~。

議員「日本は立派な民主主義国家じゃないか。成人は1人1票の権利を持ち、それによって政治に参加している。何処やらの国のような独裁国家ではない。そのぐらいのこともわからんのかね」

――でも、持っているのは投票する権利だけ。投票だけすればいい、後は任せておけ、時には考え方が大幅に変わったり、強引なことをするかも知れないが、庶民は黙っておとなしくしておれ、と。そりゃあ江戸時代なんかとは違っていますが、「議員が変節しようと何をしようと、国民は文句をつける筋合いはない」というのは「殿様が変なことをしても、お代官様が言うことをころころ変えても、民は文句付けられなかった」時代とそんなに変わらないような気が……。お任せ民主主義なんて、そんなのは「豚肉抜き豚汁」みたいなもんで。

議員「キ、キミは私ら国会議員を侮辱しに来たのかね!?」

――(ブジョクって、どっちが。主権者を舐めちゃあ、いけまへんで)

◇◇◇◇

 その時、秘書が入室。低い声で「先生、○○新聞(とある全国紙の名前)の方が来られて、もしお時間があったらお話し伺いたいと……」。

議員「おっ、そうか。じゃ、キミ、私は忙しいからこれで」

――え? 最初に約束いただいた時間の、まだ半分も経っておりませんが。

議員「忙しいと言ってるだろ」(と、席を立つ)

秘書「(慇懃無礼な声と態度で)先生はお忙しいので……ではどうぞお引き取り下さい」(おまえがインタビュー載せる弱小雑誌より、全国紙の方が大切なんだよという表情がありあり)

◇◇◇◇

余談――最後の蛇足的エピソードは実体験である。政治家、官僚、企業のエライサンなどの取材の場合、前もってきっちりアポイントメントをとって行ったにもかかわらず、大手新聞社やテレビ関係の飛び込み取材のために20分30分待たされたことも何度かあった(名もないフリーは辛いのだ)。言ってみれば私怨だが、これもやっぱり怒っていることの一つだったりする……。

 

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「造反議員復党」……これも教育に悪い

2006-11-29 23:51:40 | 現政権を忌避する/政治家・政党


(公私ともに超多忙でまともにモノ考えてられない状態なので、簡単なメモ)

 昨日、郵政民営化法案に反対して離党したいわゆる「郵政造反議員」11人の復党が本決まりになった(復党願を出したのは12人だが、平沼赳夫議員だけは誓約書を提出しなかったため復党を認められなかった由)。今後は落選した「造反(モト)議員」についても復党を認めていく方向。特に来年夏の参院選にくら替え出馬を目指す前衆院議員については、12月中旬にも優先的に復党を認める方向で検討に入ったそうである。

 キ・タ・ナ・イ・なあ……。

 復党組の一部は記者会見をしたが、出てくる言葉は言い訳と開き直りばかり。「民営化にはもともと反対ではなかった。もっと慎重に検討すべきだと言っただけだ」「法案に反対しただけ。民営化自体に反対とは一言も言っていない」……。そして「総選挙の結果、国民が民営化に賛成したのだから」。

 人間、考えが変わることはある。変わるということ自体は別に何の問題もない。しかし政治家の場合は、「その人の考え方」を支持する有権者たちの、いわば代表(代弁者)として政治の舞台に上がっているのである。基本的なところでころころ替わってもらっては困る。いや、変わるなとは言わないが、それならば議員を辞めるべきだろう。あれだけ郵政民営化反対反対と声を大にして叫んでおいて、誓約書まで書いて古巣に戻るとは……。(誓約書全文は新聞などに掲載されているので皆さん読まれたと思うが、要するに自分が悪かった、ゴメンナサイ、これからは反抗しませんという内容。いったいどんな顔して書いたのか、書くところを見たかった。いや、秘書が書いたのかな)

 これはどんなに言葉を飾っても、有権者への裏切り行為である。私は彼らに投票していないけれども、投票した人の中には金返せ――じゃなかった、「票返せ」と叫んでいる人も少なくないだろう。

 キ・タ・ナ・イ・なあ……。

 造反議員のセンセイがたは無所属生活がよほど辛かったのだろう、意地も誇りも投げ捨てて安倍総理の足元にひれ伏した。彼らは自分を「救って」くれた安倍総理に忠誠を誓うだろう。誓約書の中には「安倍晋三総理の所信表明を全面支持」という文言もある。今村雅弘議員に至っては、「全身全霊で総理のために頑張る」と記者会見の席上で明言した。あなたの忠実な子分(本当は奴隷と言いたいところだ……)になります、という媚態。その姿は正視に耐えないほど醜い。国政を預かる人物がそういう姿を見せるのは、それこそ子供の教育に悪いと思いませんか。

 それにしても……安倍内閣のなりふりかまわぬ暴走の酷烈さには、思わず言葉を失ってしまう。教育基本法の改定は秒読みに入り、共謀罪も浮上。私たちは既に包囲されている。


◇◇◇◇◇余談◇◇◇◇◇

 今日、知人と昼食を共にした時に教育基本法改定の話になった。その知人はいわゆる左翼ではなく、政治的にはむしろやや保守寄りの女性(既婚で子供2人。ついでにいうと、天皇皇后などについて語るときはちゃんと陛下と付ける人でもある)だが、「国旗掲揚、国家斉唱」を無理強いする動きは息苦しいという。彼女の言葉を要約して紹介する。
「今だって(東京の公立校は)いい加減うっとうしいのに、教育基本法が変わったらこれ以上うるさくなりそうで、ほんとにイヤ。そりゃ私は日本って好きだし、愛国心もあると思う。君が代にも日の丸にも違和感はない。でも、愛国心って上から押しつけたり、学校で教えたりするものじゃないよね。それをわざわざ法律に入れようというところに、キナくさい臭いがするんだ……」

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ファシズム仕上げ政権(UTSコラムに掲載)

2006-11-13 23:16:44 | 現政権を忌避する/政治家・政党

〈お詫び〉

 最近、たまに記事が消滅する。パソコンが悪いのか(古いパソコンをメモリなど増設して、だましだまし使っているのだが、そろそろ寿命かも知れない……)、それとも私が悪いのかは知らないけれど(これも大いにあり得る。私はおっちょこちょいで、しばしば必要なものまでうっかり削除してしまうのだ)。すぐ気がつけば同じようなことをもう1度書くが、何日か経って発見した場合はそこまでする気になれない(たとえば先週末にも、11月4日のエントリが消えていることに気がついた。まったくの覚え書き程度のものならまあいいが、あれは1人でも多くの方に訴えたいことだったのでゲソッとした)。寝言みたいなものなんで、ブログの記事はバックアップしていないし。前の記事を見てくださって、「何だこれは。タイトルだけじゃん」と首ひねられた方……申し訳ありませんッ。

 ともあれそんなわけで少々気が抜け、3日ほど記事を書かないどころかTBもろくにチェックしていなかった。送って下さった方、すみません。さっきちゃんと読み始めたところです。

 さぼり癖がつきそうなので(いや、ついてもかまわないのだが。大したこと書いてないし。ただ、メモを残す癖まで薄れると私としては怖い)、Under the Sunの連載コラム「新政権」で書いた記事を以下に転載しておく。

◇◇◇◇◇◇

「新」という字には何となく心を躍らせる匂いがある。新年、新緑、新生、清新、斬新。新入生とか新生児などというのも、いかにも未来を感じさせる言葉ではないか。新政権というのも本来は希望に満ちているはずなのに、ついこの間成立したばかりの安倍政権は明日に希望を繋げる要素がまるでない。KUMAさんの「不安倍増内閣」(10月25日)には腹を抱えて笑ってしまったが、笑っている場合ではない……。辛うじて評価できるとすれば、発掘屋さんが書かれたように「さまざまな問題を白日の下にさらした」(11月3日)ということだろうか。

 いや、いまにも一雨来そうな暗灰色の空のような、うっとうしくかつ不安な雰囲気を感じるのは、今回の安倍政権誕生の時が始めてではなかった。その前の小泉政権も、そのまた前の森政権も……。もしかすると私達は、心から歓迎できる新政権を持ったことがないのかも知れない。そして政権が新たになるたびに、「最低」が更新されていく。
   
 小泉政権が誕生した時、私は「これは生まれるべくして生まれた政権」だと感じた。小泉純一郎という政治家が「変人」であったために、世の中が無茶苦茶にされたわけではない(トンデモナイ男だということは確かであるけれども)。昔のドイツだって、ヒトラーというたった一人の男がいたためにあのような国になった、というわけではない。ヒトラーがある意味で時代(社会状況)が生んだ怪物であったと同様、小泉もまた時代の子であったと思う。緩やかにファシズム化の道を歩んできた日本において、一種の「ショック療法」(教育再生会議も、ショック療法という言葉を使っている……)のような形で飛び出してきた首相であった。

 そして安倍政権は……は、ついに生まれた「ファシズム仕上げ政権」であるような気もする。小泉政権下では愛国心その他、それまでしつこく囁かれ続けてはいたが言う方もやや及び腰だった言葉・言葉・言葉が臆面もなく剥き出しにされた。格差も事実上肯定された。それに対する反発はむろん存在したけれども、怒りの声は国を揺るがすほどの力にはならなかった。「ここまで言っても大丈夫」「ここまでやっても大丈夫」という判断の下で、安倍晋三が首相に就任したのである。安倍首相の祖父である岸信介は60年安保で国内が騒然とした時だったか、「それでも後楽園球場は一杯だ」と言ったとか(うろ覚えなので、細かい点は間違っているかも知れない)。多くの国民は安保条約なんかに関心持ってないし、自分達の日常生活や、ささやかな楽しみの方がずっと大切なんだ、と言いたかったのだろう。小泉――安倍と継承された政権の中枢にいる者達も、おそらくそう思っている。

 むろん私も、自分の生活が一番大事である。できる限り他者を押しのけたり傷つけたりせず、同時に何ものにも束縛されず自由気ままに1日1日を生きてゆきたいだけだ。食い扶持を稼ぐだけの仕事はするとしても、他の時間は好きな本を読んだり、時には海辺でぼんやりと空想にふけるなどしていたく、本当のところは国がどうの、政治がどうのなどと口角泡を飛ばして議論などしたくない。だが逃避志向のある私でさえささやかな行動に参加せざるを得ないほど、時代はひそかに切羽詰まってきた。

 ウンベルト・エーコの言葉によると、ファシズムとは「いかなる精髄も、単独の本質もない、ファジーな全体主義」だそうである。さすがにうまいこと言うなあ。うん、なるほど。辺見庸は『いまここに在ることの恥』(毎日新聞社刊。この本は少し前に自分のブログでも紹介した)の中で、日本のファシズムは「あらかじめのファシズム」だと言っている。「なからずしも上からの強権発動によらなくてすむ、全体的協調主義」「下からのファシズム」「私たちが躰のすみずみまで染みこませたファシズム」であると。少し、同著の一文を引用する。

【私はまったくコイズミには関心がありません。ただ、よく考えてみれば、われわれはあのような者どもを税金で多数飼ってやり、贅沢な生活をさせてやっている。いや、逆に、われわれはいつしか彼らに飼われ、ほしいままに扱われ、操られ、もてあそばれている。そのことは恥ではないか。われわれはああいうファシストを飼っていると同時に、飼育されてもいる。そしてそれは外部に飼っているだけではない、われわれの躰のなかにも飼っているのであり、とりもなおさず、われわれが飼いならされていることになる。】

 弄ばれた末に、私たちは「教育基本法も憲法も変えられる」「多くの国民は多少グズグズ言ったとしても、最終的には上が決めたことにおとなしく従うはず」と舐められたのである。日本人が「おとなしい国民」であるかどうかは、私にはわからない(○○国民論、などというものはやりたくない気持ちもある)。だが、うまく飼いならされているなという気はする。

 以前からよく聞く「日本人は自己主張が少ない」という意見にも、あまり賛成はしてない。ひとりひとり見ていれば、結構、自己主張する。もっとも私は自己主張というものを、無条件で「よいこと、賞賛すべきこと」だとも思っていない。たとえば大勢で誰かの家に遊びに行って食後「コーヒーと紅茶とどっちがいいか」と尋ねられた時。どっちかと言えばコーヒーがいいなと思っても、他の全員が紅茶といえば私は自分も「じゃあそれでいい」と言う。1人分だけ別のものを煎れる手間をかけさせることはない、と思うからだ。だが、実は巷にはこの手の自己主張があふれている。コーヒーにするか、紅茶にするか。カレー店に行くか蕎麦屋に行くか。年賀状を毛筆で書くか家族写真にするか。そんなところで一生懸命自己主張して、どうすんだ。

 もしかすると、そういう「個人の好みだろ、どうでもいいじゃん」ふうの部分で自己主張のエネルギーを使わされ過ぎて、肝心の所でおとなしくなってしまったような……気もするのだ。私たちは今、「全体協調主義」「あらかじめのファシズム」に渾身で抵抗しなければいけないのだが、主張する場所を間違えてはいけない。最低の更新にいささかうんざりして「あーあ、まだ続きがあるのかよ」と肩をすくめているうちに、私たちは土俵際に追いつめられていた。もう後はない。

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首相は空き缶ポイ捨て話がお好き

2006-11-10 23:16:04 | 現政権を忌避する/政治家・政党

 ずいぶん前に、安倍首相の『美しい国へ』を読んだ感想を書いた(当時は官房長官)。何人かの方から「わざわざ読みましたか、お疲れ様」と苦笑混じりのコメントをいただき、何でも読みたがる自分の悪癖にちょっと恥ずかしい思いをしたが……読んでおもしろかった(?)とは今も思っている(立ち読みすればよかったという後悔はあるけれども)。

 この本は腹が立つこと、唖然とすることが満載。 そのひとつに、日常的なモラルと「国に対する愛」を結びつける記述がある。かなり粗雑な結びつけ方だが、粗雑であるがゆえに、うっかり読み飛ばせば納得しかねない怖さがあった。好例は「空き缶ポイ捨て話」。

【飲み終わったジュースの空き缶を平然と道端に捨てられる人は、その土地に愛着を持っていない人だ】(同著94ページ)

 空き缶ポイ捨てはよくないという話が、愛国心に結びついていくとは……と驚いたが、安倍首相は空き缶話が好きらしい。去る8日におこなわれた民主党・小沢党首との党首討論(注)でも、教育問題のところで空き缶の話を持ち出した。「子どもが海で空き缶を投げたら注意しなければならない。また、投げないよう子どもに社会規範を身に付けさせなければならない」というのである。

(注/参考=自民党公式サイト民主党公式サイト

「今起こっている問題に対応するためには新しい理念と基本的原則を示すべきだ。規範を身につけ、公共の精神を培い、社会に参画し、貢献する態度を養い、道徳、自立の精神を教えていく必要があるだろう。現行法にはそれが欠けている」と安倍首相は発言し、教育基本法改定の必要性を訴えた――そうである。

 そりゃ私だって、空き缶ポイ捨てはよくないと思いますよ。でも今の教育基本法では子供に「空き缶のポイ捨てはよくない」と教えられない……って、嘘でしょう。

〈教育基本法第一条(教育の目的)〉教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に満ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない。

 これで充分、教えられるのではありませんかねえ……。

 私は平易な表現が好きだし、物事はできるだけわかりやすく表現すべきだと思う。ただし間違ってもらっては困る。「平易でわかりやすい」ことと、「粗雑で、一見わかりやすそうに見える」のは全然違うのである。「子供に空き缶ポイ捨てはいけないと教えるには、基本法を変えなければ」と言われて「へえ、そうなんですか。なるほど」と頷くと思われているなら、私達はよほど舐められている。

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「不安倍増内閣」だそうです

2006-10-25 19:52:24 | 現政権を忌避する/政治家・政党

 私も参加しているUnder the Sunの本日のコラムに、実におもしろい一文があったのでご紹介したい。コラムのタイトルは「『不安倍増』内閣」、書かれたのは「再出発日記」のくまさんである。

◇◇◇以下、コピー

安倍首相が出てきて「みなさん、私の名前は安倍です。よく「安部」とか「阿部」と書き違える人がいます。注意してください。」 と言っている。
頑固風のおじいちゃんがそれに応える。
「あたしゃあ、すぐ覚えたよ。「不安倍 増」内閣と覚えりゃ間違いないよ。」

――コピーはここまで◇◇◇

 いや、笑った。笑いました。むろんこの後でくまさんはご自身の「倍増する不安」について書いておられるわけで、皆さんにはぜひそれをお読みいただきたいわけだが、それにしても……言い得て妙。

 私も書き間違えます、確かに。皆さん御同様だと思うが、「あべ」と入力するとまず阿部、安部などと変換されることが多く、うっかりそのまま確定してしまうんですよね。でも今日からは反射的にチェックする習慣がつきそうだ。はい、皆さんも今日から絶対に間違えませんね(笑)。

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なりふりかまわぬ「目玉探し」の見苦しさ

2006-09-15 23:22:10 | 現政権を忌避する/政治家・政党

 女優・藤原紀香に、自民党が来夏参院選出馬を要請しているらしい。護憲派である彼女に自民党が手を伸ばしたことに驚いたブロガーたちが、さっそく「要請を受けないで欲しい」という記事を書いておられる。TBをいただくなどで私が現在読んだ限りでも、次のようなエントリがある。(ほかにもおそらく多くのブロガーが同じことを訴えておられるだろう)

藤原紀香さんへ自民党から出馬しないで!メールを出そうキャンペーン」(お玉おばさん)

藤原紀香さんにファンメールを!」(とむ丸さん)

藤原紀香さん」(喜八さん)

拝啓、藤原紀香さま」(ハムニダ薫さん)

紀香への手紙」(大津留公彦さん)

 実のところ、私は藤原紀香という女優のことをよく知らない。テレビをほとんど観ないので、顔もパッと浮かんでこない。井上ひさしとの対談などで護憲を表明しており、アフガニスタンなどにも赴いて反戦活動をしている人――程度のことを、それも何となく曖昧な形で知っていただけだ。そんな私でさえ、「自民党からの出馬要請」には驚く。いったい何を血迷ったのか、という感じである。改憲論者である安倍晋三氏が率いることになりそうな自民党が、「憲法の味方です」と言明している人に出馬要請ねぇ……。本人がどんな思想信条を持っているかなどはどうでもよく、単に有名だから、人気があるから、票を集められそうだから、人寄せパンダになってくれとヌケヌケ言っているのが丸わかりではありませんか。これで「OK」する人がいると思ったら、思う方がよほどどうかしている。だからまず要請は受けないと思うが、「NO」を期待している人間が多さを示すために、私もメールを送っておくつもりだ。

 ところで藤原紀香のほか、自民党は野球選手の新庄剛志にも出馬要請をしているらしい。自民党だけでなく、民主党も出馬要請しているとか。

【新庄選手のマネジメント事務所担当者は同日、自民、民主両党から新庄氏側に出馬をめぐる接触があったことを「事実」と認めた】(毎日新聞9月15日付)

 新庄剛志がどのような考え方を持っているのかは知らないが、「自民党とも民主党とも一致している」などという不可思議な話はあり得ない。これまた両党とも、単に票を集められそうだからというだけで要請したとしか思えない。

 自民党は昔から、すぐにタレントその他の有名人を掻き集めようとする。だから「またか」という思いもあるが、民主党までその真似をするとは。民主党よ、おまえもか。(むろん、新庄剛志が以前から民主党の政治的な理念に共感を示しており、それで出馬の話が出たというなら話は別。もっともその場合は、それでもなお要請などをおこなった自民党の神経を疑うが)

 これからも自民党は、多くの有名人に出馬を要請するだろう。むろんタレントやスポーツ選手、あるいは小説家、音楽家、評論家、教育者……何でもいいが、つまりはある世界で実力を発揮し、世の中に広く知られている人々――が政治家になって悪いわけではない。自身の思想信条や理想を持ち、その実現のために政治の世界に入ろうというのであれば、それは大いに結構なことだと思う。だが、甘言に乗せられて広告塔になることだけは止めて欲しいのである。

 そして民主党には、自民党と同様の「票になる有名人なら誰でもいいから」的な出馬要請は止めていただきたい(野党第一党の誇りぐらいは持ってくださいよね)。そのあたりは私達が政党の体質を見る際の、ひとつの基準でもある。

 

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