華氏451度

我々は自らの感性と思想の砦である言葉を権力に奪われ続けている。言葉を奪い返そう!! コメント・TB大歓迎。

ムル&トマの「国家あるいは集団」(2)――忠誠嫌い

2008-03-13 23:43:36 | ムルのコーナー

 

トマ:すっごく間が空いちゃったけど、兄貴、前回の話の続き、する?

ムル:まったく間が抜けてるよなぁ。何の話してたのか思い出せないぐらいだよな(笑)。ま、いいか。毒にも薬にもならない井戸端会議だしさ。ボチボチでも何か考えるってのは悪くねぇし。

トマ:井戸端じゃないよ。公園の池端、だけど?

ムル:あほーーー。井戸端会議ってのはそれ自体がひとつの言葉なのっ。ほんともう、ガキと話してると疲れるワ。

トマ:えへへ。冗談だよーだ。この間は愛国心は趣味みたいなものだとか、国家ってのは不必要善をするから困るんだ、とかって話をしてたんだよね。

ムル:不必要善の話というのは話し出すとどんどん枝葉に走りそうなんで、ちょっと置いといてさ、今夜は「忠誠心」のことでも喋ってみようか。

トマ:忠誠心……兄貴が一番嫌いなものみたい(笑)。

ムル:おまえんちの華氏だって、親のカタキみたいに嫌ってるだろーが。

トマ:うん、そういやあ華氏がね、もう1か月ぐらい前に「忠誠心って何だ」って寝言を並べたんだって。

ムル:ああ、あの屁みたいなブログで。

トマ:その時に、愚樵さんって人が、「忠というのは社会に対する忠誠心。だから現代における忠誠心は、民主主義の原則に対してのそれであるはず」っていう意味のコメントを書いてくれたんだって。それ読んで、華氏は「うううう~~」と唸ってた。「愚樵さんの言ってること、すごくわかる。すごくわかるんだけど、何処か、ちょっと待てよという感じもする。この微かな違和感は何だろう」って。

ムル:で、悩んでたってわけか? ひょっとして確定申告ほっぽり出して?

トマ:きゃははは、まっさかぁ。そんな生真面目な奴じゃないって兄貴も知ってるじゃん? 時々、思い出して首ひねってるだけさ。

ムル:まっ、それはそれとして。……「忠」ってのは、具体的な人間でも組織でも観念でも思想でも何でもいいけど、ともかく自分自身の外に厳然と存在するものに対して、それを仰ぎ見て、身も心も捧げますってことだろうなと……これはまあ、おいらの解釈だけどよぉ。フラットな関係じゃねえよなって気はするな。

トマ:あなたのためなら死んでもいいわ~~ってやつ?(笑)

ムル:ばーか、混ぜっ返すなよな。変な話だけどよ、「忠犬」って言葉があるだろ。

トマ:あっ、渋谷駅前に像ができてる「忠犬ハチ公」。僕はまだ見たことないけど。

ムル:ハチ公はどうでもいいけどさ、「忠犬」はあっても、「忠猫」ってのはねぇよな。

トマ:そういやぁ、そうだね。

ムル:おいらたち猫は、人間を仰ぎ見たりはしねぇもんな。「猫は三日で恩を忘れる」とかって悪口言われるけど、おいらはあれ、結構じゃねぇかと思ってるのさ。どんな生き物でも、「忠○○」なんかになることはねぇ。自己チューで生きてりゃいいのさ。自己チューだからこそ、見えてくるものがあるんじゃないのかな。

トマ:あっ、また兄貴、話がズレちゃってるよ。

ムル:へへ、わりぃわりぃ。ちょぃと話を直線コースに戻そうか。おいらだってさ、その愚樵さんて人の言ってることは、多分、間違ってないと思うんだ。まっとうに考えればそうなんだよなって、おいらも思う。たださあ、何つうか……何かキラキラしたものに対して純愛めいた感覚を持つ時って、そういう自分を嘲笑したほうがいいかもっておいらは思うのさ。

トマ:『目覚めたとき、夢を嘲笑せよ』

ムル:ばかやろ、華氏の口癖を真似すんじゃねぇ。第一その言葉だって、何とかいう詩人の言葉の剽窃じゃんか。ほんと、独創性に欠ける奴だよな、あいつも。

トマ:うふふ。伝えとくよ。

ムル:ともかくもだぜ、おいらは民主主義とか平和とか人権とか、そういうものに対しても「忠誠」を誓う必要はないと思うんだ。ていうか、「必要に迫られているわけでもないのに同じ生き物を殺す」とか、「同じ生き物の間で上下の関係を作る」とか、そういうことっておかしいに決まっているじゃんか。人権とか、そういうものは――あ、おいら達の場合は猫権だな――「当然じゃん」の一言ですむ話だろ。わざわざ忠誠を誓うまでのことはない、とおいらは思うんだよな。

トマ:兄貴って、ほんと忠誠嫌いだね……。華氏も忠義とかって聞くと気分悪くなるらしいけど。『忠臣蔵』なんて、タイトル聞くだけでジンマシンが出るって言ってたな~。

ムル:忠義、忠誠……何でもいいけど、その手の概念には「自分の感覚は置いといて」という匂いがプンプンするじゃんか。あなたさまに下駄預けます、っていう……。

トマ:う~ん。それは兄貴の偏見かもだよ。

ムル:偏見かも知れないさ。でもおいらは「ギリギリのところで、やっぱり『忠』は認められねぇ」って声を大にして言うぜ。民主主義でも人権でもいいけど、それに対して忠誠を誓っているうちは、人間、何度も同じ轍を踏むような気がするのさ。たとえば民主主義でも、「おいらはこれが正しいと思う。微力ながら守るために力を貸すぜ」っていうのと、「おいらはこれが正しいと思う。忠誠を誓います」っていうのとでは、だいぶニュアンスが違うと思わねぇか?

トマ:主体的な関わりかどうかっていうこと?

ムル:おいおい、トマよぉ。そういうウソ寒い観念語は使うなよなぁ。観念語ってさ、使えばそれだけで何か大したことを表現したような気になる。そりゃまあ、その言葉が血肉になってるなら使ってもいいけどさ、何かモノゴトをうまくまとめた気になるために使うなんて、最低だぜ。人間はどうしてもそういうふうに走るけどさ、せめておいらたち御意見無用の猫族は、血肉になった言葉以外は使わないようにしようよな。

(話は中断。ぼちぼち続く)

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2 コメント

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大猫 (愚樵)
2008-03-14 04:54:43
>何かキラキラしたものに対して純愛めいた感覚を持つ時って、そういう自分を嘲笑したほうがいいかもっておいらは思うのさ。

ムルくん、大人なんですね。いや、ネコなんだから、大猫か。
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忠ということば (nz)
2008-05-08 22:59:21
忠と言う言葉について前からいや~な感じは持っていたのですが、この記事で何がいやなのかがよくわかったような気がしました。(しっかりわかったといいうほどしっかり読めてもいず考えられてもいませんので)
自分の考えを持たず主張せずただただ何かに付き従うという人間性を放り投げた状態を表す言葉なのですね。

よっしゃ!ひとつくっきりはっきりだ!
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