華氏451度

我々は自らの感性と思想の砦である言葉を権力に奪われ続けている。言葉を奪い返そう!! コメント・TB大歓迎。

来年5月「9条世界会議」開催

2007-09-27 23:50:18 | お知らせ・報告など

 既に御存知の方が多いと思うが、来年5月に日本で「9条世界会議」が開催される。これは「武力によらない平和の実現」という日本国憲法9条の精神を世界に広げ、全世界的な常識にするための運動である。呼びかけ人は、井上ひさし氏・加藤登紀子氏・佐高信・高遠菜穂子氏・森村誠一氏……ら多数(正確な数を数えてないんで、スンマセン)。

 詳しいことは「9条世界会議」のサイトを参照していただくのが一番だが、少しだけ紹介すると――2008年5月4~6日の3日間が予定されており、場所は千葉の「幕張メッセ」。ノーベル平和賞受賞者たちの講演、パネルディスカッションのほか、分科会、展示、反戦・平和をテーマにした映画、演劇、コンサートなどが企画されつつある。ほかにも全国各地で、イベントが計画されているそうだ。

 実行委員会では、世界会議のキャラクター(虹色の9の字を抱えた小さなこども)を描いたグッズ(缶バッチ、ポストカード、Tシャツ)も製作した。第一の目的はこの世界会議の情報を広めるためだが、むろん、売り上げは運営資金になる。

 グッズはまだ大々的には売り出されておらず、サイトにも載っていないが(近日中にネットで公開される予定)、つい先日、実行委員のひとりに会う機会があり、その時に写真を分けて貰ったので一足早く皆さんにお見せしてしまおう。上が缶バッチ、下がポストカードである。護憲関連のイベントなどでは販売されているので、もう知ってるよという人も多いかも……ではあるけれども。

 なかなか協力できない貧乏ヒマ無し人間なので、せめてカンパのつもりで……と思って、少しばかりグッズを購入した。知り合いの若い人たちなどに配って、世界会議の話などもしてみるつもりである。

 世界会議、私も行きまする。大勢の、お互い名も知らぬ同志たちと会うために。

 

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「レジームチェンジ反対」の共同声明文に賛同

2007-05-05 22:46:00 | お知らせ・報告など

 先月22日、gonさんが「七色の風よ吹け」というエントリで「現日本政府の体制変革(レジームチェンジ)に反対する」共同声明を提案された。

 その共同声明文「私たちは現日本政府の体制変革(レジームチェンジ)に反対し、現行憲法の民主主義原理の発展と具体化を求めます」が一昨日発表され、現在、賛同署名を募集中。遅まきながら私も署名した。

 共同声明文全文は上記エントリを見ていただくとして、その要旨にあたる声明の部分だけ、下にコピーておく。

◇◇◇◇◇以下、転載◇◇◇◇◇

私たちは、現日本政府がめざす体制変革レジームチェンジ)によって、日本が与党や行政指揮者の意向によって何の留保もなく戦争のできる国にされてしまうことに反対します。

私たちは、日本が非民主主義的あるいは立憲主義を否定する国に変えられてしまうことをなんとしても食い止めたいと願っています。

私たちは、日本が国民主権、平和主義、基本的人権の尊重という現行憲法の原理を発展させ、具体化させることを求めています。

私たちは、日本の平和と民主主義の恩恵を世界中の人々と共有することを望んでいます。

私たちは、それが自由と平和を愛し民主主義の擁護・拡大を望む世界の諸国民の願いでもあると信じます。

日本の政府与党である自民党が、「体制変革レジームチェンジ)」の意思を公言して憲法改定手続法をスタートさせようとしている今、残された時間は多くありません。

私たちは、私たちのこの意思が歴史の審判に耐えうるものであることを祈念しながら、このメッセージを世界中に送ります。そしてこのアクションが、国際社会全体を次のステージへと導く「平和への道」を切り開くことを願っています。心ある世界市民が、私たちの日本と、そして全世界の平和と民主主義を勝ちえるためのこのプロジェクトに、それぞれの国で、その地域社会で、その生活の場で連帯してくださることを心からお願いいたします。

◇◇◇◇◇転載終わり◇◇◇◇◇

 戦後レジームからの脱却――などというと妙に格好良く聞こえるが、要するに日本が戦争を放棄し、民主主義の真の実現に向けて歩き出した道のりを否定するということ。我々が目指していた行き先と、そこに行き着くための手段を変更するということだ。国のあるべき姿形を変える、ということでもある。安倍政権は、紆余曲折を経ながらも何とか前進してきた日本に宣戦布告したのである。今の日本が素晴らしいとは思わない。むしろかなりろくでもない国だと思っているが、辛うじて理念――国がマトモな姿を保つための原則だけは存在している。それを否定するのは犯罪以外の何ものでもない。

 なお、私個人の賛同表明の言葉(のようなもの)は4月25日「クーデターを許すな」というタイトルで掲載している。

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戸倉多香子さんと「日本の笑顔」

2007-02-25 17:45:44 | お知らせ・報告など

 

とくらblog」のとくらさんが、 「民主党・戸倉多香子」として開設しておられるHPを覗いた。

 皆さんよく御存知の通り、戸倉さんは今夏参院選で山口選挙区民主党公認候補として立候補が決まっている。上記のHPは、候補者・戸倉多香子の活動報告やお知らせを掲載したもの。そこには「日本の笑顔を守りたい」という大きな字が躍っている。この言葉は、「美しい国」などという薄ら寒い言葉とは比べものにならないあたたかさを感じさせる。

 私は主権者である国民の一人として民主党自体には「おかしいぞ」と思うことも多々あるが、それでも、いやそれだけに、戸倉さんのような「良識を持った人」を国会に送りたいと思う。とくらさんのブログを読まれている方は皆さん同じ感想を持たれると思うが、彼女の目線はあくまでも庶民のそれである。彼女が上から目線でものを言ったような文章、「勝ち組」の目で世の中を見たような文章は、一度も読んだことがない。多くの庶民が首を傾げることについて、平易な文章で語りかけるものばかりだ。

 HPの中に、「友人のひとりは、『大事な家族や友人たちと、一日一日を大切にして平和に過ごすこと』が、私たちおばさんの願いだと言いました。こんな小さな願いさえ、“ぜいたく”だと感じる日本にしないために、今ならまだ間に合います」という一文があった。

 庶民のひとりとして、庶民が願う社会を実現するために地元で市民運動を続けてきた戸倉さんが、その活動を全国レベルでおこないたいと思っているのだ。

 喜八さんほか何人ものブロガーがバナーを貼り、彼女の応援を表明している。遅ればせながら私もバナーを貼って、声援を送りたいと思う。残念ながら東京在住のため彼女に投票することはできないけれども、せめて気持ちだけでも。私も少しずつ声を上げ、小さなことでもできることを積み重ねていきたい。

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HP「サヨナラ!石原都知事」を覗いてみた

2007-02-20 23:39:06 | お知らせ・報告など

 都知事選告示直前までの「期間限定」で、石原都知事関連のデータを整理したサイトがある。内容は都知事の「発言」と、都政の年表である。

 サイトの名前は「サヨナラ!石原都知事」。

 2月8日に開設されたのでもうご存じの方が多いかと思うが、私はここしばらくあまりインターネットの情報をチェックしていなかったので、昨日知人経由で「開設のお知らせ」をもらうまで知らなかった。まだ見ていない方は、是非どうぞ。

 発言は「そう言えば聞いたことがある」ものが結構あるが、こうやって問題別に整理されると改めて「な、なんなんだ。こいつは」と気分が悪くなる。ちなみに出所の明確なものをということで、主に定例記者会見や都議会議事録から採録してあるから、いくら石原ファンでも「デッチアゲだ」などと言えるはずはない。

 怒りを確認するために、同サイトからごく一部を拾ってみよう。

〈憲法について〉2005年5月27日の定例記者会見で――「憲法自体が非常に歪んだ、狂ったもので、私は歴史的正当性がないと思いますから」。

〈団塊の世代&ニートについて〉2006年2月24日の定例記者会見で団塊の世代の高齢化対策に関して質問されたことに対して――「その団塊(の世代)が抱えている子供達が働かずに、ぶらぶらしているんじゃないの。あんなの、ただのごくつぶしだよ。日本は手不足なんだから。親が甘い顔してるから、ニートなんて出てくるんだよ」。

〈障害者差別〉1999年9月17日、府中療育センター(※重症の心身障害を持つ人のための施設)の視察をした時の記者会見で――「ああいう人ってのは人格あるのかね」「もう絶対よくならない、自分が誰かわからない、生まれてきたか生きてきたかもわからない。ただ、人間として生まれてきたけれども、ああいう障害で、しかもああいう状況になって、かけてるお金も大変なものだけど、しかし、こういうことやってるのは日本だけでしょうな」

 新聞記者に対する侮蔑的発言、というのもある。2005年6月3日の定例記者会見で「毎日新聞の記者が何も知らないくせに、馬鹿なことを書いて」と発言。それに対してある新聞の記者が「その問題は私も書きました」と言い、質問しようとすると「そのくらいのことわかるだろ、物書きなら。そうか物書きじゃないか、ただのブン屋か」と軽蔑したような口ぶり。「ブン屋、じゃありません」「じゃあ何様なんだ」とケンカ腰のやりとりが続く(都知事殿、よく袋叩きに遭わなかったものである。新聞記者はおとなしいなあ)。 

◇◇◇◇◇

 石原三選阻止へ向けて、秒読み段階に入った。  

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「国民投票法案」の徹底審議・廃案を求める署名運動

2007-01-26 22:54:06 | お知らせ・報告など

〈署名運動のお知らせ〉

 自由法曹団が、国民投票法案の徹底審議・廃案を求める要請書(衆議院議長および参議院議長宛)への署名を呼びかけている(要請書全文は記事末に掲載)。署名用紙はこちらにあるが、web署名も可。

 署名も意思表示手段のひとつ。小さなことでも、今できることを。国民投票法案に危機感を抱いている皆さん、ぜひ署名をし、周囲にも呼びかけましょう。

 

〈安倍首相が初の施政方針演説〉

 安倍首相は今日の午後、国家で就任後初の施政方針演説をおこない、、「美しい国、日本」の実現に向けて、「次の50年、100年の時代の荒波に耐えうる新たな国家像を描いていくことこそが自分の使命」と述べたという。「美しい国」にはもう耳にタコができる段階を通り過ぎて、悲しいことに「美」という字を見ただけでジンマシンが出て来そうな妙な状態になりつつある。ほんと、困ったものだ。

 演説の骨子は少し前に固まっており、報道もされていた。第一、施政方針演説というのは首相がこれまで言い続けてきたことの延長線上にあるわけだから(突然、全く違うことを言うわけはない)、寝耳に水という部分はむろんない。しかし節目節目で言葉として出てくるたびに、やっぱりギクリとする。「ふ~ん。またか」と変に慣れてしまわぬよう、いちいちギクリとしたいとも思う。

「教育再生」を内閣の最重要課題だと言い、 「公共の精神や道徳、国や郷土への愛着・愛情などの価値観を教えることが、日本の将来にとって極めて重要」と述べたこと。憲法改正に向けて、国民投票法案の今国会成立に強い期待感を表明したこと。集団的自衛権の行使に関する研究などを進めると言明したこと……etc.

「新しい国創り」を首相は言う。教育を変え、憲法を変えて、彼が創ろうと夢想(私から言わせれば妄想ですがネ)している「新しい国」に、私は住みたくない。安倍首相の「美しい国」は、大多数の国民が「本当に望み、夢見ているもの」とイコールなのだろうか。美しいとか再生などという、それこそ美しい言葉の目くらましに遭っているだけではなかろうか。詐欺は甘い言葉で近づいてくるのですゾ。

 

◇◇◇◇資料(自由法曹団ホームページより転載)

国民投票法案」の徹底審議・廃案を求める要請書

 日本国憲法のかかげる平和、人権、民主主義の理念は、国民に広く定着しており、とりわけ第9条は現在も将来においても日本と世界の宝であります。
 与党と民主党は、この日本国憲法を改定するため「国民投票法案」を国会に提出し、今国会で成立させるべく、修正協議をすすめていますが、どのように「修正」しようとも、第9条の改憲を直接の目的とした法案であることは明らかです。
 与党と民主党の修正協議の内容は、①国民の承認を「投票総数」(賛成・反対の合計)の2分の1超としており、これは「有効投票」の2分の1超と同じで最も少ない賛成で改憲が成立することになる②テレビ・ラジオなどの有料意見広告については、投票前14日間を規制しているが、それ以前は原則自由とするなど政党の資金力の多寡によって国民の投票意思を歪める危険性がある③本来自由であるべき国民の投票運動を公務員や教育者に限って規制する、など多くの問題点が指摘されています。
「国民投票法案」は、憲法第96条に基づく憲法改正の手続き法であり、その主体は主権者国民にあります。国民の意思を正当に反映しない法案を国民的な議論もない中で拙速に成立を急ぐことは、国会の歴史に汚点を残す大問題と言わなければなりません。
 ついては、現在審議中の「国民投票法案」は、徹底審議の上、きっぱりと廃案にされるよう要請します。

 

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今日から2007年、ひとまず新年のご挨拶

2007-01-01 03:00:52 | お知らせ・報告など


あけましておめでとうございます。

◇◇◇◇◇

ブログを始めたのは2005年の秋。いつの間にか、あしかけ3年目に入った。私は前々から、日々生きている中で気付いたことや少しばかり考えたこと、読んだ本の感想などを(毎日ではないにせよ)走り書き風にメモする習慣を持っていたが、ブログなるものに手を染める気は毛頭なかった。自分の呟きを公開しても仕方ないだろう、と思っていたのだ。その斜に構えた姿勢を変えさせたきっかけは、一昨年の衆院選だった。落書きめいた庶民の寝言であっても、チリも積もれば山となる。今の日本に怒りを持っていることを、1人でも多くの人間が表明することに何らかの意味があるような気がしてきたのだ。で、主に社会的な問題に関わる記事をブログに載せることにした。私と同じような人は多いとみえ、この時期にスタートしたブログは結構ある。

公開するとなれば、(わずかでも他者に読まれる可能性があるのだから)いくら何でも書き散らしのメモのままとはいかず、多少は筋の通った文章にするのではないか。それなら自分の頭をまとめる上で役立ちそうだし……という気持ちも大きかった。どちらかと言えば消極的かついい加減なスタートで、だから始めてしばらくはTBもあまり送らなかったような記憶がある。

だが、少しずつTBを送ったり送られたりして「知り合いブログ」が増えるにつれ、同じように今の状況に危機感を覚え、住みやすい(息のしやすい)社会を作りたいと考えている人が大勢いるのだと知った。同じ問題について、一緒に考えてくれる人が大勢いるとわかった。ブログを始めた最大の収穫は、それだった。もちろん日常の中で同じように考え、情報を交換し、行動する友人達はいるけれども、見知らぬ人達の間にも多数の同志がいるのだと確信できたことはやはり大きい。もうひとつの収穫は、多くの良質なブログに目を通し、さまざまな視点や感覚、考え方のベクトルなどを知ることができたという点だ。「ああこんな見方ができるのか」「この部分を自分は見落としていた」等々――目からウロコが落ちるという言葉があるが、私の場合はウロコが落ちっぱなしである。むろん、私が知らないことを無数に教わりもした。最初の目的であった「頭をまとめる役」に立ったかどうかの方は、残念ながらあまり自信がないけれども。

実のところ今でも私は、自分のブログで世論を喚起しようとか、広く持論を述べようとは思っていない。別に画期的なことを言っているわけでも、役立つ情報を提供しているわけでもないのだから。訴えたいこと、伝えたいことがあって公開しているには違いないが、それは私がひとりで大声を上げなくても、声がつながってさざ波のように伝わっていけばいい。個々の楽器が自由に出している音が、巧まずして壮大な曲になる、その音のひとつになれればいい。

そして、これからも「孤ではない」と確信し続けたく(たった1人でもかまわないと思っているが、これは自分自身のいわば基本的決意の話。もちろん実際上の同志は大勢いて欲しい)、ブログの輪の中で頭と感性に刺激を受け続けたいと思っている。

皆さん、本当にありがとう。今年もよろしくお願いいたします。
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基本法採決阻止へ緊急ネット署名

2006-12-12 00:23:12 | お知らせ・報告など

 ペガサスさん から重要なTBをもらっていたのに、お知らせするのが遅くなってしまった(都知事の話なんか書いてるより、こういう情報を先に皆さんに知らせる方が大切だった……反省)。ハムニダ薫さんほか多くの方が書いておられるので既に多くの方が御存知のはずだし、私の所じゃあ多分あまり効果ないんだよな……という気もするけれど、1人でも2人でも多くの方に知っていただくために。

教育基本法「改正」情報センター で、「公述人・参考人として教育基本法案の徹底審議を求めます」というアピールを出し、それに対する市民緊急賛同署名を集めている。呼びかけ人は西原博史(早稲田大学教授)・廣田照幸(日本大学教授)・藤田英典(国際基督教大学教授)の3氏。

◇◇◇◇呼びかけ文(転載)◇◇◇◇

1 私たちは、126日に公表した「【アピール】公述人・参考人として教育基本法案の徹底審議を求めます」の呼びかけ人です。

 私たちは、多くの問題を抱えた政府法案の今国会での採決を阻止し、政府法案の徹底審議を実現するために、この【アピール】への市民の方々からの賛同署名を広く募り、国会に提出することを決意いたしました。

 多くの市民の方々は、「何かおかしい」と思いながら、自分の声を国会に伝えることができず、もどかしさや、歯がゆさを感じていると思います。私たちは、この【アピール】を、多くの市民の方々が持っているはずのこのような思いを国会に届けるための媒介にしたいと考えました。

 今こそ、職業の壁を越えた市民と研究者との間の広い共同を実現し、「法案を採決するのではなく、その徹底審議を!」という広範な声を国会に強力に伝えるべきだと思っています。

2 そこで、教育基本法「改正」情報センターの協力を得て、電子署名により、私たちが呼びかけ人となった【アピール】への市民の賛同署名を集め、国会にそれを提出することとしました。情報センターHPからアクセスして、所定のフォームに入力すれば、署名をすることができます。署名の第1次集約を13日(水)午前10時とします。同日午後に参議院教基法特別委員会委員に手渡しする予定です。

3 電子署名の期間は限定されています。至急署名をしていただき、できるだけ多くの方にこの緊急署名をお知らせいただけるようお願い申し上げます。可能な限り多くの市民の方々の声を、私たちの【アピール】とともに国会に届け、今国会における政府法案の採決を阻止したいと考えています。皆様のご協力を心からお願い申し上げます。

◇◇◇◇転載おわり◇◇◇◇

署名集約まであと1日余り。皆さん、意思表示のひとつの形として、署名に参加しましょう。(12日午前0時現在、署名総数1万300人超)

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辺見庸講演メモ(3)――作業仮説を立てる

2006-12-09 23:12:48 | お知らせ・報告など

 ひとさまの講演要旨メモを書き続けて3晩目。私は何してるんだろという気分もないではないが――まあいいや。今夜は「私たちはどうすればよいのか」という、辺見氏の提言を簡単に紹介する。なお初めてこのメモを覗いてくださった方は、できればメモ(1)およびメモ(2) にさっと目を通してから読んでいただけると、わかりやすいかと思う。

〈体内化した監視装置〉

 辺見氏は「不名誉が我々の日常に埋まり込み、どれがSchande(注1)かわからなくなっている」と語った。

注1/Schande=今夏、ギュンター・グラスが自分が少年時代にナチ党の武装親衛隊に所属していたことを告白したときに使った言葉。「メモ2」参照。

 恥を感じることがなくなり、「監視装置が既に体内化している」とも語る。たとえば、天皇制に関して何らかの疑問を持つなどの「不敬者」(注2)を公権力に代わって痛めつける。「そのありかをどこまでも辿ると、我々の神経細胞まで行く」と、辺見氏の知り合いの編集者が言ったそうだ。

「何処にも目に見える暴力はないが、みんなで監視している。むろん右翼とかはいますけれど、『不可視の監視装置』がその共犯になっているのです」

注2/不敬者=辺見氏は具体的には語らなかったが、たとえば「下賜される勲章」を拒否(辞退)する人などもそれに含まれるのだろう。

 時間の限られた講演なので、多少、話が飛んだりはしょられたりするのはやむを得ない。この「監視装置」についても辺見氏は具体例を挙げるなどして詳しく説明することはなかったが――要するに「上から言われたことにみんなが従うようさりげなく監視し合い、異分子を巧みに排除していくという動き方」を意味するのだろうと思う。自分ではあまり意識しない、しかし骨がらみになった日常のあり方・動き方。彼は以前、その著書の中で「草の根ファシズム」という言葉を使ったが、それとほぼ同じ意味を持っているだろう。

〈単独者であること〉

 辺見氏は、「自分で認められないことを、静かに、どこまでも拒み」「うたいたい歌をうたい、おどりたい踊りをおどりたい」という。こういうごく当たり前のことを、普通にやっている人はたくさんいるのだが、この国は次第次第にそれを許さなくなりつつある。

 それに抵抗するためにどうすればよいのか。「勇気を持てということではありません」。それより、「単独者であること」が重要だと辺見氏は言う。むろん、組織に属するなとか、集団行動をするなということではない。「組織の成員であっても、自分の言説に個人として責任を持つ。意志的な個人へと自己を止揚していく。これが本当の革命なのです」「その『単独者』を妨害する者が、敵なのです。敵は仲間の中にも、そして自分の中にもいるかも知れません」

 ひとりひとりが単独者であることをかなぐり捨てたゆえに、日本は「言ってることと、やってることが違うじゃん」「昨日と今日と、言ってることが違うじゃん」的な人間が輩出し、それに対して本人も周囲も平気という国になったのであるという。

〈RPGによってものを考える〉

 単独者になるために、辺見氏は「こういう場合どうするか、常に自分にあてはめて考える」という。いわばロール・プレーイング・ゲーム(RPG)をするのである。氏が自分のRPGの風景のひとつに織り込んでいるものとして、「1943年に中国でおこなわれた生体実験」がある。氏はそれについて著書の中で詳しく触れているので、読まれた方も多いと思うが――インテリジェンスもありユーモア感覚もある医師達が手術台を囲んでなごやかに談笑し、その台の上に健康な中国人の青年が乗せられようとしている風景だ。青年は当然、怯えて逃げようとする。証言記録によれば、その時に周囲を囲んだ20人の医師全員が青年を押し戻したという。

 辺見氏は「自分がその20人の医師の1人だったら」と考える。「私も青年を押し戻していたに違いない。誰でもそうしたと思います。その怖さです」「戦後60年で、そのSchandeや罪を忘れてしまった社会。本当に怖い社会です」

 RPGは非常に大切です、と辺見氏は強調した。たとえば教育現場。教師達があちこちで叩かれているが、「自分ならどうするか」と懸命に考えてみる必要がある、と。「作業仮説を立てて繰り返し考えていけば、変なことを承認したり、集団の波に巻き込まれたりはしなくなります」

〈単独者の表現とは〉

「単独者の表現は、立て板に水ではありません」と辺見氏は言う。そして挙げたのが、ひとから聞いたという1教師の話。彼は上から命じられたことをどうしても承認できず(それが何であったのかは氏の話には出てこなかった。君が代問題かも知れないし、何か校則に関することかも知れない。わからない)、ひとりで校長室に行った。組合として談判するのでなく、ガタガタ震えながらひとりで校長室に行ったのだ。泣くだけで何も言えなかったかも知れないが、「崇高なことだと思います」と辺見氏はポツリ、という感じで言った。

「単独者は目立ちません。ただ、自分の言葉で語り、微光を放っている。そういう人を、私も何人か知っています。この時代に単独者であることは簡単ではありませんが、贋金に対抗するホンモノの言葉を持てるのは単独者だけです。皆さんもそれぞれ単独者として、これからもやっていって欲しい」という意味の言葉で、辺見氏の講演は結ばれた。

◇◇◇◇◇

「単独者」と聞くとスゴイ感じがするが、私は自分なりに、「周囲の顔色をキョトキョトうかがうのをやめ、自分自身の頭で(ボチボチとではあっても一生懸命に)ものを考え、(リッパでなくても借り物ではない自分の言葉で)語ろうとし、自分がどうしても嫌だと思うことは(怖くても)静かに首を横に振るという生き方」だろうと解釈している(ムム……私がまとめると、どうも表現が平俗になっていかん)。

 私もいつの日にか、単独者であると胸を張れる人間になりたいと思う。

◇◇◇◇◇

 これで一応、メモは終了。ほかにも強く記憶に残る話は2つ3つあったが、背景その他かなり説明しないとわかりにくいなどの理由で、辺見氏の話以外にかなりの字数を要する気がする。全体の流れをまとめる上では割愛しても支障がないと(私が勝手に)思ったため、この記録には残さなかった。また機会があれば改めて紹介し、考えてみたい。

最後の注――地の文でところどころ野卑&粗雑な表現が見られるのは、辺見氏の「言葉」とは関係ありません。あくまでも、氏の言葉を受け止めて咀嚼しようとした私のアタマが悪いのです。何せ個人のメモなので、御容赦。

 

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辺見庸講演メモ(2)――重く、深い恥辱

2006-12-08 23:20:21 | お知らせ・報告など
 昨日に続いて、辺見庸講演会で語られたことを自分なりのメモとして書き残す。イントロダクションの部分などは昨日「辺見庸講演メモ(1)」として書いているので、できればそちらもさっと覗いていただけると話が通りやすいと思う。

〈グラスのShande、日本のShande〉

 皆さんも鮮明に記憶しておられるだろう。ドイツの作家であるギュンター・グラスが今年8月、自分が17歳の時にナチ党の武装親衛隊(ヴァッフェンSS)に入隊していたことを告白した。グラスは1999年にノーベル文学賞を受賞した世界的に名高い作家で、ドイツ社会民主党を支持し、反ファシズムの立場で多くの発言をしている。それだけに彼の告白はドイツ国内はむろんのことヨーロッパ全体を震撼させ、厳しい批判も相次いだ。当時の報道によると、「ノーベル賞を返還せよ」という声もあったそうだ。
 辺見氏もこのニュースに接して、「ぶったまげた」と言う。「グラスは『ドイツの良心の番人』と言われている人です。そのグラスがSSだった!?と驚き、詳しい人に聞いて回りました」
 何を聞いて回ったのか。……グラスは新聞のインタビューに答えて、「SSの一員であったことは、自分にとって恥である」と述べた。そしてその恥を隠していることをさらに恥じ、ついに公に告白したのであるという。
 日本語に残っているけれども、実態はもうない『恥』という言葉。それをドイツ語で何というのか、どういう語感であるのかを、辺見氏はドイツ語に詳しい人に尋ねたのである。

 その結果わかったのは、グラスは「Schande(シャンデ)」という言葉を使った、ということだった。同じく「恥」と訳される言葉として「Scham(シャーム)」があるが、後者がいわゆる「羞恥」であるのに対し、前者は「恥辱」の意味合いを持つ。シャンデはシャームよりも、はるかに重く、深い言葉なのである。
「告白しないままでノーベル賞を受けたのは確かによくないことですが、その過去と、さらに過去を隠していたことをシャンデと言い、晩節を汚すのを承知の上でグラスはあえて告白したのです」
 これが日本なら――と、辺見氏は考え込んだそうだ。
「グラスの告白によってヨーロッパは蜂の巣をつついたようになりましたが、日本で似たようなことは起こり得るでしょうか。たとえば有名な老作家が、若い頃に特高警察にいたとか、戦争を美化するものをたくさん書いたと告白した時、誰が驚くか。誰も驚かないでしょう。なぜなら、みんながそうだったからです」
「日本にはシャンデはない。著名な作家が東条英機の演説の草稿を作ったりしていましたが、これもシャンデとは思われていない」

 作家も報道者も争って戦争美化の役割を担ったが、それをシャンデとは思わず、「皆さん、戦後もご活躍で」と辺見氏は吐き捨てるように言った。後ろの方にいたのでその表情までは見えなかったが、唇が歪み、頬が引き吊っていたのではないだろうか。
「この国の言説の病的なまでの主体性のなさ、無責任さの根っこは我々にあるのです」と、辺見氏はますます苛立つような口調になった。「グラスが告白した時と似たようなことは、日本では起きないでしょう。そのこと自体が、シャンデであると思います。不名誉が我々の日常に埋まり込み、何がシャンデであるのかわからなくなっているのです。『恥を感じる』深いところが、侵されたのです」

〈勲章を貰うという恥〉

 辺見氏はまた、昭和天皇の戦争責任に言及した。「あの方は、広島・長崎の原爆投下について聞かれた時、『戦争なのだから仕方なかった』とお答えになったのです。そう言われて怒りもしなかったマスコミ、そして国民の延長線上に、今の日本があると思います」
 大元帥閣下(という言葉を辺見氏は使った)の戦争責任を曖昧にすることで、日本人は自らの責任をも曖昧にしたのである、と。文化人も左翼も同罪で、その中で「主体性」は完膚無きまでに崩壊させられたのであると。

 シャンデの不在について考えているうちに、辺見氏はひとつ、「勲章」の問題に行き当たった。最近文化勲章や紫綬褒章などを叙勲した人のリストを見て、びっくりしたのだ。たとえば『人間の条件』に出演した仲代達矢、原爆詩の朗読がライフワークだと言っている吉永小百合。……護憲集会に参加する加藤剛ももらっている。おまえさんもかよ、と辺見氏は愕然としたそうだ。
「護憲と言いながら勲章をもらうなんて私はとんでもないことだと思うのですが、世間ではそんなことは関係ないらしい。それをシャンデとする基盤を、この国は作れなかったのです」
 勲章は、今でも戦前と同様に「下賜」という言葉が使われる。戦前戦中戦後を通して、実はこの国は何も変わっていないと辺見さんはつくづく思うそうだ。
 しかも勲章は、勲何等などといって人の価値に等級を付ける。そんなものを、護憲を標榜する文化人や学者達が喜んで貰い、恥だとは全く感じない。それに抗議する声も、嫌悪を表す声もない。思想には潔癖さが大切であり、潔癖さを欠くのはシャンデである――という意味のことを、辺見さんは講演の中で何度か繰り返した。
 私も、普段はそれなりのことを口にしている人々が勲章を嬉々として貰っている図は、見るに堪えないと思うほうだ。そう……あれは恥辱的な振る舞いなのだと改めて思った。そして、それをすぐ忘れてしまう自分の軽薄さも恥だったのだと。
 
 恥知らずは文化人や学者だけではない。「たとえば、何万人もの先生が生徒に『君が代』を歌うようにし向け、同じ口で『緑の山河』(注)を歌う。それをグロテスクだとは、誰も思わない。そこにシャンデを感じる力をなくしていまった。だから、言葉が贋金、偽札になるのです」

注/1951年、公募によって日教組が国民歌として提唱したもの(だったと思う)で、今も教職員の集会などでよく歌われる。最初の部分は「たたかい越えて立ち上がる/緑の山河 雲はれて」。

(ついでながら、辺見氏はこの歌に関して、自分はさほど素晴らしい歌詞だとは思わないが……とチラッと付け加えた。辺見氏の感覚なら、確かにそうだろう。辺見氏の感覚とは違うが、私もあれはちょっとあっけらかんと健康すぎて、言葉が滑っているような印象がある)

 思想における潔癖さということを辺見さんは強調したが、ここで言われた「思想」は、何も哲学者などの思想のような――狭い意味のものではないと私は思う。私たちは誰でも皆、(少し稚拙だったり知識不足だったり充分に練られていなかったりするにせよ)自分なりの思想を持っている。いや、持っているはずだ。だが、いくら口先でペラペラと綺麗に語っても、日常を生きていく中でそれを裏切るような振る舞いをするのはシャンデである、そして人間は時には恥多い振る舞いをしてしまうこともあるが、それをシャンデであると感じ、深く自覚し、記憶し続けなければいけない――と、辺見さんは訴えたかったのではあるまいか。
 
◇◇◇◇◇

 次回は辺見氏が提案する、「我々の自由を侵してくる状況に抵抗し、贋金に成り下がった言葉に対抗しするための道筋」をメモしたい。 
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辺見庸講演メモ(1)――贋金になった言葉

2006-12-07 23:46:16 | お知らせ・報告など

 ここを覗いてくださった中にも、行かれた人はあるのではないか。本日、辺見庸の緊急講演会を聞きに行った。昨日は国会議事堂前のヒューマンチェーンに半ば野次馬的に参加した。私は6時ぐらいはたいていまだ仕事中で、2日続けてその時間帯に体を空けるのはちょっとしんどかったりするのだが、今日の講演会はどうしても行きたかったのだ。

 辺見氏はいま、書き下ろしの準備をしているとのことで、講演はその草稿に基づくもの。出版されてから読んでも、内容的には同じものを把握できるだろう。私は(生活などに追われてドタバタしていることもあって)あまり積極的に講演会などに行く方ではなく、特に後で活字になると予測されるものは滅多に聴かない。だが今回は講演の情報をキャッチした時点から、何とか時間を調整して行くつもりであった。

 皆さん御存知の通り、辺見氏は一昨年脳出血で倒れ、さらに癌も発見されて闘病中。著書の中でも「もう自分には時間がない」と明言し、命のギリギリの瀬戸際という感覚で発言を続けようとしている。その肉声を、きっちりこの耳にとどめておきたかったのだ。そんなことを言うといかにも野次馬的な物見高い感じでイヤラシく響くかも知れないが、私はそういうやり方で――むろん彼のようにきっぱりした姿勢はとれず、表現も出来ないけれども、大勢の無名の抵抗者の一人として世の隅で生きていくささやかな思いを、自分自身で確かめたかったのだ。ちなみに講演の中でも彼は「先は長くない」と言い、「しかし自分の(肉体的な)状況をアンフェアだとは思わない。自分が健常だと幻想を持っていた時よりも、生息していることに実感を持っている。『永遠の今』を自覚するようになった」と語っていた。

 開演(午後6時半)の直前に駆け込んだ時には、明治大学・アカデミーコモンのホール(1192席)はほぼ満席。少しばかりの空席も2~3分のうちに埋まった。講演が終了して席を立った時、後ろ扉の近くで立っていたらしい人達もちらっと目に入ったので、入場率は100%超えていたと思う。ざっと見たところ半ば以上は中高年だが、学生風の若い人達もかなり目立った。講演に先立って、「講師の血圧測定のため、途中で休憩を入れること」と「講師の体調によって緊急の休憩もあること」の2点に了解を求めるアナウンスがあり、辺見氏の体調が気遣われたが、幸い特段のことはなく講演は終了した。

◇◇◇◇◇

  私は昔から忘却力が旺盛で聴きっぱなしでは何でもすぐに忘れるし、思いついたことも片端から忘れていくので、何かあれば記憶が鮮明なうちに自分の覚え書きとしてメモ的な日記を書き留めておく習慣があった。ブログは公開しているとはいえ、基本的なスタンスは同じ。今回も、自分の頭にきっちりしまい込む目的で講演の要旨などをここにメモで残しておく。(録音したわけでも何でもないので、氏の発言を100%正確に再現することはできない。しかも私の耳と頭を経由しているから、あくまでも私が理解した範囲でしかないし、当然のことながら自分に関心のある部分が強く響いている。ただ、内容的には間違っていないはずである)

 講演のタイトルは「個体と状況について――改憲と安倍政権」だが、辺見氏は最初に「副題とは直接関係ない話をするかも」と述べた。「医師や友人達から免疫力を上げろと言われているのですが、副題にある名前を音声にすると一気に免疫力が下がりそうなので」と言って会場を笑わせたが、安倍首相や現政権だけの話ではなく、もっと根本的な問題について語りたいということだったのだろう。事実、休憩を除いて2時間半に余る講演の中では、現政権や改憲、教育基本法改定、共謀罪新設に関する直接の話はほとんど出なかった。だが、現在の状況に不安や恐怖を持っている人間が抵抗の姿勢を保ちたいと思うときに、地を踏む足の指に懸命に力を入れるための考え方の――ベクトルのありかたのようなものを、彼は我々に必死で訴えたように思う。 

〈言葉がダメージを受けている〉

 辺見氏は「よく言われることだが、ここ数年で社会の状況は本当に悪くなった。ほんの数年前には考えもしなかったことが、ごく平気でおこなわれている」と言う。その中で、一番ダメージを被っているものは何かと考えたそうだ。肉体か。風景か。情勢一般か。……そのいずれでもない。

「私は、一番ダメージを受けているのは『言葉』だと思います」というところから、彼の講演は本題に入った。彼は好きな作家であるヴァルター・ベンヤミン(注1)の書簡の中から、次のような言葉を紹介した。

【言葉もそれ自体の純粋さを通してのみ、人を神的なもののなかに導きます。手段となった言葉などは雑草です】【内奥の沈黙の核へ向かって言葉を集中的に向けていく場合にのみ、真の言葉の働きを得られるのです】

注1/ベンヤミン=ドイツの文芸評論家。1940年、ナチスの追っ手から逃亡中に自殺した。晶文社から著作集が出ており(その最後の方の巻が書簡集)、ついでだが私は彼の『言語と社会』と『文学の危機』が非常に印象に残っている。

「いま、娑婆で聞く言葉、新聞の言葉、テレビで流される言葉は、ベンヤミンの言葉を借りれば雑草。私に言わせればクソです。そういう使い方しかされていないことに、恐怖を感じています」(辺見氏)

 言葉は本来の神秘的な響きを失った。自分自身、自分の言葉をニセガネ、メッキだと感じると辺見氏は言う。市民運動などで何気なく使っている言葉にも、フェイクがたくさんあるとも言う。

 そして、現代日本でメッキでない言葉を使える(使うことが出来た)人として彼は3人ほどの表現者を挙げた。たとえば詩人の故・石原吉郎。辺見氏は彼の思想には賛同できないが、しかし彼の詩を読むと言葉の深さに感動するという(私はあまり記憶に残っていないのだが、家には彼の詩集もあるので、さっそく読み返してみようという気になった)。余談だが、確かにそういうこと――思想信条的には必ずしも近くないのだが、言葉の真摯さに感銘を受けるということ――は確かにある。これほど苦しんでものを考え、感動的な言葉を産み出す人が、なぜこんな思想と結びつくのかと悲しみにひしがれることも。皆さんも多分、あるだろう。

〈「美しい国」という語感に……〉

 話を講演に戻そう。辺見氏はフェイクの代表に「美しい国」という言葉を挙げた。

「この『美しい国』という語感に(注2)恐怖、戦慄を感じて欲しい。殺意も感じて欲しいのです」

注2/辺見氏は「言葉」でなく、「語感」という言い方をした。言葉は単に何かを表す道具ではなく生きたものであり、匂いや響きや質感を持っているがゆえに、この言い方を選んだのではないかと私は思う。

 私は言葉というものに妙に過敏なたちで、常に「私たちの言葉は奪われつつある」と感じており、厭らしいほどに軽い、媚びを滲ませた言葉・言葉・言葉に鳥肌が立つ。むろん辺見氏のように明快に語れなどしないが、自分自身の覚え書きのつもりでちょっと感じたことをブログに残してもきた(注3)。だから辺見氏の語ることは、実感としてよくわかった――。

注3/比較的新しいところでは、「都知事三選にNO! &石原慎太郎の文章を巡って」、 「対話というもの」 、「『美しい日本語』を殺すな」、 「『美しい日本語』を殺すな・2」 、「『自分探し』と『自己実現』を嫌悪する」 、「『自分探し』と『自己実現』を嫌悪する・2」 、「奪われた言葉たち」、 「ねえ君、それは個性とは言わないと思うが」 など。

 実はまあ、ここまで書いたのは講演の前奏曲のようなもの。ではなぜ、言葉がフェイクになりさがったのか。フェイクに抵抗するには、どうすればよいのか――という問題について彼は語っていき、そちらが講演の核である。それについては明日の夜、メモの続きを書きたい。ちょっと仕事の準備があるので、今日はここまで。

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注目!村野瀬さんの情報提供ブログ

2006-11-14 23:48:56 | お知らせ・報告など

お玉おぱさんでもわかる政治のお話」でも既に紹介されているが、村野瀬玲奈さんがブログを始められた。村野瀬さんは各所のコメント欄で意見を述べられているので、御存知の方も多いと思う。また、以前「死刑廃止リレーエントリ」を試みたときは貴重な資料となるフランスの文献を翻訳してメール等で配布してくださるなど、積極的な情報提供もしていただいてきた。

 ブログの主な目的はその延長線上にあるようで、多数のブロガーに役立つ情報を提供すること――とりわけ有権者の声を政治家やマスメディアなどに届けるための名簿の作成・管理。

 と言うわけで、ブログ名も「秘書課、村野瀬玲奈です」だそうである。

 村野瀬さんに感謝して、皆さん、大いに利用させていただきましょう。 

 

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「教育学会市民賛同署名のお願い」

2006-10-09 16:50:25 | お知らせ・報告など

 kuroi-mazinさんkaetzchenさんから、「『教育基本法審議に向けての見解と要望』への市民賛同署名のお願い」のTBをいただいた。私も教育基本法の改定に反対する立場。さっそく署名したが、1人でも多くの方に知っていただきたいと思い、「お願い」をコピーさせてもらうことにした(コピー元はkuroiさんの『青空を待ちながら』)。全部コピーすると長いので、ちょっと覗いた方にもなるべく簡単に理解していただくため一部割愛したことをお断りしておく(全文は上記ブログのエントリをご参照ください)。

署名の第一次集約は10月15日。

◇◇◇◇以下、転載

署名のお願いです。
教育基本法「改正」情報センターが、日本教育学会歴代会長「教育基本法審議に向けての見解と要望」への市民賛同署名を始めました。第1次集約は10月15日です。

署名のご案内はこちらです。ごらんいただくとお分かりいただけますが、これは勉強会に参加された若い方が、どうしても市民向けの署名を集めたい!という思いで始められたものです。その方のメールを下に転載します。(ご本名が出ていますので、私がHNに変更しました。)

署名フォームはこちらです。匿名も選べますので、ぜひご協力をお願いいたします!

●詳細ののっているホームページ
教育基本法「改正」情報センターhttp://www.stop-ner.jp/

●趣旨説明
http://www.stop-ner.jp/061015shomei.pdf

●署名フォーム
http://www.fleic.dyndns.org/cgi-bin/gakkaisando.cgi

◇◇◇◇転載その2(資料)

教育基本法改正継続審議に向けての見解と要望 (2006年8月26日)


 政府は今年4月28日、国会に教育基本法改正案を提出し、他方、民主党も日本国教育基本法案を提出し、衆議院特別委員会で審議が行われたが、審議未了により秋の国会で継続審議が行われることになった。
 この審議に鑑みつつ、私どもは、改正問題に関する本見解を纏め、ここに意見書として委員各位に送呈する。来るべき特別委員会における論議においてもぜひご考慮願いたいと考える。 それとともに私どもは、広く父母・市民・教師・学生等々に対しても、教育学専門家がどのように考えているかについて理解を得ることができればと願っている。

1 政府案は現行法の全面改正案であり、民主党案は、現行法を廃止し新法として提案された。いずれの案も、なぜいま改正の必要があるのか、しかも全面改正が不可欠なのか、その立法事実は不明確であり、提案理由は説得力を欠いている。新法あるいはそれに等しい全面改正ならば、廃止理由も含めて、立法事実にはより丁寧な理由説明が必要である。今後継続審議に充分に時間をかけ丁寧な審議がなされるならば、現行法に仮に限界や問題があるとしても運用によって解決される事柄は何か、改正によって事態はさらに悪化するのではないかといった問題点も明らかになるであろう。しかし既往の審議を見る限り、このような配慮をうかがうことはできない。世論の一部にある「教育基本法を変えなければできない教育改革があるのか」といった素朴かつ正当な疑問に対して、明確な説明がなされているとは見られない。

2 政府の改正理由には、改正が憲法改正と一体のものであることは明言されず、それゆえに立法理由はいっそう不鮮明なものとなった。しかし、教育基本法改正論の歴史をたどれば、それが憲法改正を先取りしての改正という位置を占めて来たことは明白である。今回わずかに残された「憲法の精神にのっとり」という文言はそのことを糊塗したものに過ぎないと判断される。 さらに、改正の要点は、後述するように現憲法の精神に反するところがあまりに多い。他方、民主党案は、憲法改正とワンセットの教育基本法改正であり、それだけに「憲法改正に先んじての現行法廃止・新法提出」という手続き自体、明白な自己矛盾を犯している。

3 特別委員会では、教育を含む戦後の諸改革が占領下に押しつけられたものであるにもかかわらず、 未だにそれに引きずられているのは「敗戦後遺症」であるという言葉すら出された。また、それと重ねて、教育勅語の賛美や「国体」美化の発言も繰り返しなされた。これらは教育基本法の成立を含めて戦後教育成立過程の歴史事実を歪曲しているだけではない。占領下に日本の真の独立を願い、人間性開花のための教育という営みを通じて、国民の知性と文化の創造に期待した先人たちの努力を無視した議論である。軽薄な判断によって戦前教育を無媒介に戦後に連ねることは許されない。戦後教育改革に関する教育史研究の成果に対して真摯な学習が行われることを期待する。

4 両法案ともに、法律に規定して行く際に抑制すべき諸点(前文、教育の目的、目標、新設の家庭教育など)についての自覚がない。必要なことはすべて法に規定し、しかも教育は法に従うべきこと(政府案新設16条)を強調している。また、教育は政治から自立していなければならず、法はそのための限界を定めるもので、教育への不当な支配をチェックするのが基本法なのだという現行法の精神(これは憲法の精神でもある)からも逸脱している。国家と教育、教育と「伝統」の関係をめぐる最近の論調に照らせば、以上のような改正が行われるならば、法によって国家道徳を定め、教育でこれを実施し、目標達成へ向けて学校と教職員評価を行うという事態が生まれるのではないかと危惧される。

また、政府案新設の17条(「教育振興基本計画」)は、新法を政府の教育基本計画の立案・実施・予算配分の根拠法としようとしているものであり、現行法はもちろん、憲法の精神(第13条、19条、23条、26条)に反するものである。しかも教育振興基本計画は国会に報告すればよしとされており、政府・行政官庁の恣意的政策も合法化される。競争と評価を軸とする管理主義的教育に拍車がかかる恐れが充分に予想される。条件整備およびそのための長期計画はもちろん行われるべきである。ただし、そのためには、現行法第11条の趣旨に基づいて、 新たな立法がなされればよい筈である。

5 私どもはまた両法案に示されている教育観に大きな疑問を感じざるを得ない。

 教育は本来、子どもの人間としての成長発達とそれに不可欠な生活と学びの権利の保障を任務とするものであり、「はじめに国家の統治作用としての教育ありき」ではないはずである。 その点、民主党案の学習権規定には積極的な意義が認められる。しかし、発達する権利・学習する権利を子ども・青年・成人の権利の中核とみる観点からすれば、同法案の前文や第1条の教育理念・目的の規定とは矛盾してこよう。すなわち「学習権」という文言は記されているものの、その内容は、国家による道徳教育(愛国心教育を含む)を学ぶに過ぎないことになるのではないだろうか。国あるいは政府は、すべての子ども・青年・成人の成長発達の権利と学習の権利を保障するための条件整備にこそ積極的な役割を果たすべきであって、「道徳の教師」になるべきではない。

6 国会で教育が本格的に議論されるのは貴重なことである。しかしそれは直ちに教育の憲法ともいうべき教育基本法の改正につながるものではない。

現在提出されている2法案はいずれも廃案とし、引き続き教育問題を広く人々の論議にゆだねつつ、現行法の精神をより豊かに発展させることをねがうものである。

7 以上のことを前提にした上で、なお将来、現行法の「改正」が必要であるという国民的合意が形成されるような事態が生まれるとすれば、論議に当たって、以下の諸点に関して特段の配慮が不可欠である。

8 法律にどこまで理念や目的を規定できるかについては、現行法の成立過程においても論議され、「それはお説教ではないか」という厳しい意見もあった。 政府は法の限界を自覚し、抑制的に、しかし教育が戦争に奉仕したという事実の反省をふまえ、国際的な動向の中でこれ以上は譲れないという普遍的な原理・目的に限定し教育と学校の制度原理を示し、あとは子どもと教育にかかわる人々の子育てと教育への自由な取り組みを保障すること、政治および教育行政のなすべきことは教育の条件整備に限られるべきことを法定したのであった(前文、第1,2,3、4,10条)。

現行法が60年前に作成されたという歴史的限界を持つことも確かである。現行法の教育の目的規定さえ法になじまないとする見解は制定当時にもあった。しかし、仮に発展的・順節的改訂がなされるのであれば、先ずもって上記の法の精神こそが徹底して自覚されるべきである。

9 同時に、制定から今日までの間に、同法はいわば「未完のプロジェクト」として絶えず「再発見」され、その解釈も豊かに発展させられてきた。「能力に応じる」という文言の内容をどのようにとらえるか、「人格の完成」という概念に何を盛り込むか、「教育を受ける権利」(right to receive education )という表現は学習権を軸とする「教育への権利」(right to education )として考え直されるべきではないか、といった解釈が展開されている。これらの解釈深化の基盤には、戦後日本における教育実践の深まりと国際社会における教育理解水準の向上と展開がある。

改正をめぐる論議に際して最も重視されるべきは 現在の教育問題の根源を直ちに教育基本法のあり方に求めたり、 現代的用語の軽薄な導入に走ったりすることではなく、戦後日本と国際社会における教育実践の成果と理論の蓄積に敬虔に学ぶことである。それは国民的合意形成に向けての第一要件であると言えよう。

10 第二の要件は、基本法の任務は、教育に関する条件整備の原則を明示することにあるという理解である。そしてその原則は、憲法の精神と教育の条理とに基づいて設定されるべきである。

憲法と現行教育基本法が保障している教育の自由と自律性は、単に国家からの自由を意味するものではない。すべての国民に対して、その自由を行使して子育て・教育に関して積極的に発言し、子育て・教育についての合意の水準を高め、父母・住民が参加し、教師と共同して子どもを主人公とする学校づくりを進める自由である。言葉を換えれば、その自由の行使は「現代世代の未来世代への責任」を果たすための積極的な自由としてとらえ直されるべきである、私どもは、以上の理解を「教育の条理」をあらわすものと考え、基本法はもとより、 あらゆる教育法はその条理に貫かれていなければならないと判断する。

政府(教育行政)は、 法に基づき以上の条理に立つ教育活動・教育実践をこそ励ますべきである。例えば乳幼児期の保育・教育、高等教育、社会教育、 生涯学習なども、まさに社会の発展に伴って新たな条件整備が求められる領域であって、 今回の政府案が示しているように、 既に関連法が存在するのに重複して基本法に盛られればよいという問題ではない。

以上

発起人・日本教育学会歴代会長
大田 堯(都留文科大学元学長、東京大学名誉教授)、堀尾輝久(東京大学名誉教授)、寺崎昌男(東京大学名誉教授、桜美林大学名誉教授)、佐藤 学(東京大学教授)

賛同人・日本教育学会歴代事務局長
中野 光(中央大学名誉教授)ほか   

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緊急「都教委への要請署名」呼びかけられています

2006-10-02 22:50:57 | お知らせ・報告など

 もう既に御存知だろうか。kuronekoさんのブログに「東京都教育委員会に対する緊急要請への賛同署名のお願い」が載せられたことを、ハムニダ薫さん喜八さんkuroi-mazinさんkaetzchenさんからのTBで知った。明日締め切りなので、取り急ぎお知らせを。

 kuronekoさんのブログの記事を、コピーさせていただく。皆さん、石原都政に抗議の声をあげる都民を応援してください。

◇◇◇以下、コピー◇◇◇

東京都教育委員会に対する緊急要請への賛同のお願い
                        
突然のお願いをさせていただきます。私たちはこのたび、東京都教育委員会に対し、後掲のような緊急要請を行うことにしました。この要請にご賛同いただける方は、お名前、所属を添えて、次のいずれかへE・メールでお知らせ下さるよう、お願いいた
します。賛同署名の期限は10月3日(火)22時とさせていただきます。
  shomei@zendaikyo.or.jp
  kinkyushomei@yahoo.co.jp

呼びかけ人

石田米子(岡山大学名誉教授)  大西 広(全国大学高専教職員組合委員長)   勝野正章(東京大学教員)  小森陽一(東京大学教員)   近藤義臣(群馬大学教員)  斎藤貴男(ジャーナリスト)  酒井はるみ(茨城大学教員)  志水紀代子(追手門学院大学教員)   醍醐 聰(東京大学教員)  俵 義文(子どもと教科書全国ネット21事務局長)   浪本勝年(立正大学教員)   成嶋隆(新潟大学教員)     早川弘道(早稲田大学教員)    堀尾輝久(東京大学名誉教授)

   2006年10月●日

東京都教育委員会 御中  

東京地裁判決(9月21日)を踏まえた緊急の要請書

 東京地方裁判所(難波孝一裁判長)は、2006年9月21日、東京都立高校などの教職員らが、東京都教育委員会を相手取った訴訟で、国旗掲揚の際の起立や国歌斉唱の義務がないことを認め、東京都教育委員会の通達や校長の命令に従わなかったことを理由に教職員を懲戒処分をしてはならない、という主旨の判決を言い渡しました。
 この判決は、憲法第19条と教育基本法第10条に基づく、二つの重要な法的判断を行っています。
 一つは憲法19条に基づく判断で、判決は、「起立したくない教職員、斉唱したくない教職員、ピアノ伴奏したくない教職員に対し、懲戒処分をしてまで起立させ、斉唱させることは、いわば少数者の思想良心の自由を侵害し、行過ぎた措置である」と判示しました。つまり、東京都教育委員会の「10.23通達」とそれに基づく校長による職務命令、そして懲戒処分という、行政が行なってきた一連の行為は、思想・良心の自由を保障した憲法19条に違反すると明確に判断したわけです。
 もう一つは、教育基本法第10条に基づく判断です。判決は、国旗・国歌は国民に対し強制するのではなく、自然のうちに国民の間に定着させるというのが国旗・国歌法の趣旨であると判断しました。そのうえで判決は、最高裁学力テスト判決で示された
憲法・教育基本法解釈に従って、「10.23通達」に始まる東京都教育行政による、逸脱を許さない国旗・国歌強制施策は教育基本法10条に違反する(不当な支配」に該当する)と認定しました。
 ところが、東京都と都教育委員会は9月29日、この東京地裁判決の受け入れを拒み、東京高裁に控訴しました。これに先立ち、石原慎太郎東京都知事は9月22日の記者会見で、「当然控訴します」と開き直り、控訴の理由として、「通達に従って、指導要領で指示されていることを先生が行わない限り、それは義務を怠ったことになるから」「処分を受けて当たり前」と発言しました。
 しかし、判決はそもそも東京都教育委員会の通達も、それに基づく校長の職務命令も違憲・違法と判断したわけですから、教職員にはそれらに従う義務がないことは明らかです。この意味で石原都知事の発言は完全に論理破綻をしています。私たちは東京都と都教育委員会がこのように正当な理由を示せないまま行った控訴に抗議しすみやかに東京地裁判決に従うよう、強く求めるものです。

以上のことをふまえ、私たちは東京都教育委員会に対し次の3点を要請します。

1)今回の東京地裁判決に基づき、「10・23通達」をはじめ、国旗・国歌強制をめぐ
る、すべての通達とそれに基づくすべての職務命令をただちに撤回すること。
2)前記の諸通達と職務命令に違反したとしてなされた、すべての懲戒処分を取り消すこと。
3)今回の東京地裁判決の重みを真摯に受け止め、教員の思想・良心の自由を保障し、児童・生徒とともにのびのび学べる教育環境づくりを進めること。      

以 上

◇◇◇コピー終わり◇◇◇

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「国旗・国歌問題」都教委への緊急要請署名を

2006-09-26 23:28:34 | お知らせ・報告など

〈緊急のお知らせ〉

 国旗・国歌の強制を違法とした東京地裁の判決を不服として、東京都教育委員会は控訴を宣言している。それに対し「学校に自由の風を!ネットワーク」が控訴の取り止めと教職員の処分や国旗・国歌の強制の停止を求めて要請書を作成した。ちなみに同ネットワークは、杉並区で「新しい歴史教科書を作る会」の教科書採択に反対する活動から生まれたもので、学校に通う子供を持つ母親たちが中心。

 この要請書提出に際しての賛同署名を、是非――という情報が知人から送られてきた。署名集約期限は9月28日(木曜)正午。以下、呼びかけ文と要請書を、ほぼそのままコピーしておく(一部、重複したり読みにくい箇所だけ整理してある)。

<都教委への緊急要請賛同署名のお願い>

賛同署名の集約先→youseishomei@yahoo.co.jp

21日の東京地裁判決、原告・弁護団・支援者の皆さんのがんばりが生んだ勝利だったと思います。しかし、都知事や教育長は間髪をいれずに「控訴する」と明言し、マスコミもそれを大きく流すような傾向が生じています。ここは、世論が都・都教委を包囲していること、東京地裁の判決がきわめて当然のものであることを広く示していかなくてはなりません。今週中に、私たち市民の声を届けたく、下のような要請書を用意しました。賛同署名をつけて都教委に提出したいと考えています。この要請書にご賛同いただき、ご署名をいただければ幸いです。ご賛同いただけます場合は下記のアドレスまで、下記3行をコピー貼り付けして必要事項を記入返信ください。
(機械的に読み取りますので、このままコピー貼り付けしてください)

1氏名:         

2ふりがな:

3肩書き:

送り先⇒  youseishomei@yahoo.co.jp

(注/肩書きは職業でも居住市区でもOK。なくてもかまわない、とのこと)

〈賛同呼びかけ人〉
太田淑子 (君が代強制「解雇裁判」原告)、大山早苗 (子どもと教科書を考え府中の会)、岡 史明  (闘うシンガー・ソングライター)、沖野章子 (子どもと教科書全国ネット21)、記田和子 (杉並の教育を考えるみんなの会)、楠典子 (学校に自由の風を!ネットワーク)、楠正昭 (学校に自由の風を!ネットワーク)、洪美珍 (「こころとからだの学習」裁判支援全国連)、小島昌夫 (元女子美術大学教授)、近藤徹 (「日の丸・君が代」不当処分撤回を求める被処分者の会事務局長)、近藤光男 (被解雇者の会)、柴田 章 (東京・教育の自由裁判をすすめる会)、荘司美子(学校に自由の風を!ネットワーク)、鈴木加代子 (教育基本法「改正」反対市民連絡会)、鈴木国夫 (学校に自由の風を!ネットワーク)、醍醐 聰 (東京大学)、谷森櫻子(「こころとからだの学習」裁判支援全国連)、寺島やえ( 元私立高校教員)、東本久子(教育基本法「改正」反対市民連絡会)、西村恵子(学校に自由の風を!ネットワーク)、平野時英(生かそう教育基本法!子どもと教育を守る世田谷の会)、古荘斗糸子(うちなんちゅの怒りとともに!三多摩市民の会)、古荘暉(原告)、星野直之 (被処分者の会)、松井奈穂(図工教師)、松尾ゆり(都立高校保護者)、丸浜江里子( 学校に自由の風を!ネットワーク)、山本直美(杉並の教育を考えるみんなの会)、わしお由紀太(とめよう戦争・日野市民の会)

〈要請書全文〉

東京都教育委員会 教育長 中村正彦殿

「日本人なら日の丸・君が代に敬意を表すのは当然」「国旗・国歌なんだから尊重するのは当たり前」・・・そんな言葉が独り歩きし、日の丸・君が代、国旗・国歌に対するそれぞれの思いや意見を自由に口にすることすらはばかられるような雰囲気が作られていることに、私たちは大きな危惧をいだいてきました。また、そんな今の状況は、かつて国の中枢にいる人たちが「バスに乗り遅れるな」を合言葉に開戦派に同調し、アジア太平洋戦争に突入していった時代を思い出させるような状態であるとも感じています。法や通達などで人の心を縛ることが、どんな結果を導くか、日本の歴史は雄弁に語っていることを忘れてはいけません。
 そんな中で、9月21日に東京地裁で出された判決は、そんな過ちを繰り返してはいけないことを、今あらためて明確にしています。また、判決は思想・良心の自由は、決してだれも侵害してはいけないことをはっきりと示し、東京都教育委員会の2003年10月23日付通達の違憲・違法性を認定しましたが、これは憲法や国際的な常識に照らしてみても、至極当然のことです。
 判決を待つまでもなく、処罰してまで起立を強制し、君が代を歌えと言うこと、さらにそれを生徒に教えるよう強いることは、教職員の思想・良心の自由を侵害し不当な支配になるだけでなく、教職員や生徒、保護者の人権を侵害することです。
 都教育委員会がこの判決に従わず控訴し、こんどは自らが原告(控訴人)の立場になって争いを続けることは、都教育委員会に対する都民の信頼をさらに損なうことになるでしょう。子どもたちの将来を真剣に考えなくてはならないはずの都教育委員会が、多大な時間と労力、そして税金を使って裁判を続けることは、都民にとっても大きな損失です。
 東京地裁の判決を真摯に受けとめ控訴しないこと、また判決に従い教職員の処分や日の丸・君が代の強制をやめ、2003年10月23日付通達をただちに撤回することを、強く要請いたします。

◇◇◇

都民の皆さん、都教委へ抗議の声を! その手段の一つとして、上記の要請書に賛同署名を。

 

 

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「関心あるもの」と「関心ないもの」

2006-09-09 00:51:01 | お知らせ・報告など

昨日ブログを書きかけて、Under the Sun のコラムをお引き受けしていることを思い出した。急遽、そちらに書いてしまったので、よろしければどうぞ。タイトルは「真夜中のぼやき2つ」、テーマは「皇室に男子誕生」と「石原都知事三選」。読んで何か感想を持たれた場合も、そちらにお書き込みのほどを(さもないと本文のどの部分を取り上げて言っておられるのか、ほかの人にわからないので)。

UTSではほぼ隔日の割合で、コラムが更新されている。私は人数合わせで適当に書かせてもらっているだけだが、他の方のコラムはそれぞれに個性が出ていておもしろい。直接には社会的な問題、政治問題を扱っていないものも多いが、私は読むたびに「ストレートに叫ぶだけが能じゃないんだなあ」と思う。皆さん、どうぞ時々お読み下さい。 

 

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