華氏451度

我々は自らの感性と思想の砦である言葉を権力に奪われ続けている。言葉を奪い返そう!! コメント・TB大歓迎。

新聞について――ある記事を見てふと思ったことなど

2006-12-18 23:43:33 | 箸休め的無駄話

 私は新聞はあれば紙で読むという方である(全国紙のほか東京新聞ぐらいなら、常時打ち合わせに利用する喫茶店や、知人の事務所などでも読める)。紙の新聞は早晩廃れるなどと言われるご時世に古いようだが、割付――記事の配分の具合や見出しの大きさ、写真の大きさ、目立つ箇所にどんな記事があるかなどを見るのも結構おもしろいからだ。たぶん御存知の方が多いと思うが、新聞の記事は個々の記者が書いたものがそのまま載るわけではない。まずデスクがチェックし(※1)、整理部に送られる。

※余談1――新聞記者は短時間で取材して記事を書きあげねばならない必要上、文章をゆっくり推敲している時間はない。その文章を読みやすく直すのはデスクの仕事。不正確な部分や矛盾の感じられる部分があれば、書いた記者に尋ね、場合によってはすぐさま確認するよう指示したりする。昔からデスクという言葉はあり、机に貼り付いて仕事するのでそう呼ばれるらしい。新聞のほか週刊誌などでも、取材記事の多いところは普通、デスク職が置かれる。今はほとんどの記者がパソコンで記事を書くが、10年ちょっと前までは手書き原稿も多く、デスクはそれを赤色の鉛筆やボールペンでせっせと直していた(その作業を「朱筆を入れる」と言った)。もっとも――私は最近の新聞の現場は知らないけれども、雑誌などでは今でもプリントアウトした原稿に赤字を入れたりもしている。雑誌の記事は新聞記事より長いので、紙で読む方が楽なのかも知れない。

 整理部(最近は他の名称を使っている新聞社もあるようだ)では送られてきた記事の「価値」を判断をして、扱いを決める。どの記事をどのぐらいの大きさで扱うか、どの位置に置くか(トップに持ってくるか、隅の方に小さく入れるかなど)、写真をどうするかなどは整理部の判断によるのだ(※2)。場合によっては長すぎる原稿を短く切ることもある。見出しを付けるのも整理部の仕事である。ちなみに整理部の中には「校閲」という仕事があり、誤字脱字や用語の誤りをはじめとする「間違い」をチェックする(※3)。

※余談2――むろん新聞でも雑誌でも、デスクが手を入れたり整理部が判断を下すのは「記者の書いた記事」に限る。依頼して書いてもらった小説やエッセイ、評論などの署名原稿には当然、手を入れない(変換ミスなどによる明らかな間違いは別)。

※余談3――校閲者はさすがプロで、著名人の名前の間違いなどはむろんのこと、普通はほとんど気付かないようなミスも見つけ出す。私は以前、この道ン十年という校閲の専門家が、歴史上の年号の間違い(終戦の年などという、誰でもわかるものではない)や、記事に挿入された図面の間違いまで見つけ出すのを見てびっくりしたことがある。本人に言わせれば、「何となくカンが働く」のだそうである……。

 だから整理部はよく、「集まった記事はナマの素材。それを客に出せるよううまく料理するのが自分達の仕事」という言い方をしたりする。ともかく、我々の目に触れる紙面の構成を担当しているのは整理部なわけで、紙面の割付を見ればその新聞社の整理部の考え方や感覚がよくわかる。むろん整理部だけが独立しているわけではないから、それはイコール、新聞社の考え方や感覚、ということにもなるのだけれども(新聞社の方針を最も体現しているのが整理部であるとも言えるかも知れない)。

 たとえば教育基本法改定に反対するデモの記事が、社会面の下の方に小さく載っていた時。この記事はもともと記者がこれだけしか書かなかったのかな、それともデスクか整理部が切ったのかな、もしかすると「この記事はカット」と言われた記者が怒り、「小さくでも入れて下さいよ」と抗議したなんていう一幕があったかな。この見出しは随分そっけないけれど、アリバイ的に入れた記事だからかな、などと想像しながら読むのは結構おもしろい。変な読み方だけれども。

 どうでもいい話ばかり書いている……うっかり読んでくださった方は、いったい本論は何なのだ、とお怒りになるかも。でもどうか、怒らないでください。ブログは頭に浮かんだことを書き留める日記風の覚え書きである、というのが私のスタンスなのであります(開き直り)。

 ともかくそんなことで可能なら紙で読むのが好きなのだが、もちろん毎日何紙も読むことはできないし、第一、地方紙などは読みたくてもめったに読めない。だからWEB上でもしばしば記事をチェックする(速報をキャッチするのに便利であるし)。で、今日も見ていたら、ちょっとおもしろい(気になるとか、引っかかると言った方がいいかも知れない)記事をみつけたのでここで紹介する。

 毎日新聞・大分支局長の名入り記事。おそらく九州版の記事だろう。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061218-00000228-mailo-l44

◇◇◇以下、記事の抜粋◇◇◇

【教育基本法が、あっさりと「改正」された。審議が続いているというのに、各新聞は早い段階で「今国会成立へ」と報じた。教育への国の統制が強まらないか。愛国心が強制されないか。疑問を検証する記事は、「成立へ」と報じられてからはバッタリ減った。】

(続けて、支局長は『記者たちの満州事変』(著者・池田一之)の中の、次のような言葉を引用。)

【「日本の新聞は、結局、先読みなんだね。いい悪いではなく、現実がどこに向かうかを先読みしてしまう。満州事変がそうでしょう。(謀略と見抜いた記者はいたが)その時には満州事変はすでに既成事実化して、関心はもう関東軍の次の行動に移っていた」「既成事実を前提に先を読むから、どんどん後退するわけ。止めることができなくなる」】

【既成事実の「追認」と「先読み」。池田さんが指摘した新聞の悪弊は、治っていないと断ぜざるを得ない。教育基本法「改正」案が衆院を通過した後、大分市の街頭で手にした「改正」反対のビラには「国会前では連日、抗議のデモや集会が続いています」とあったが、それらの動きを伝えた新聞をほとんど見ない。タウンミーティングの「やらせ質問」発覚で、国民の声を聞いたという政府・与党の論理も崩れたはずだが、追及は弱かった。基本法「改正」を既成事実化し、成立時期の先読みに終始したのではなかったか。】

◇◇◇抜粋ここまで◇◇◇

 疑問を検証する記事は、「成立へ」と報じられてからはバッタリ減った。――って、あなた、そんなヒトゴトみたいな……というのが私の第一の感想。毎日新聞はある程度書いていた記憶もあるが(書いていたと言えば、朝日その他も少しは書いていたのだ)、同罪でしょう……。これを書いた支局長は真面目な人なのだろうけれども、ある種のインテリだなあ、とふと思ってしまった。ついつい評論家になってしまう。私は新聞に「評論」をしてもらおうとは思っていない。まず、事実を正確に報道してもらいたい。そして常に、庶民の側に立ち、庶民の視点を持って、権力を監視する役割を担って欲しいのだ。力と金のある側は、わざわざ新聞が味方しなくても、いくらでも自分達が言いたいことを主張し、知らせたいことを広報宣伝できる。いや、もちろん「うちは現政権を支持する新聞です」という所があってもかまわないのだが(その場合はそれを我が社の方針として明言していただきたい)、そうでないのなら、監視役であり続けて欲しいものだ。不偏不党なんて、逃げ口上ですよ。

 ただ、反省しているらしいことは認める。その反省がやっぱりアリバイ的言辞だったのかと言われないかどうかは、これからの紙面作り次第。しっかりと見ていますよ、毎日新聞さん。そして、いい記事があれば応援します。

 

 

コメント (5)
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