いわゆる「負け組」が、コイズミやイシハラを支持しているのはなぜでしょうね、というコメントを戴いた。それに関して思ったことをひとこと。
勝ち組・負け組という言葉を、私は基本的に好きではない。と言うより、ほとんど憎悪していると言っていい。それはひとつには、私が少数の勝ち組に入るよりも負け組になって、カフカ『審判』の主人公のように犬のように殺されるほうが人間として美しいと思っているからであり、人間を勝ち負けで決めるモノサシに吐き気がするほど嫌悪を感じているからである。そしてもうひとつは多分、私が(やや屈折した重みをもって発言するのだけれども)負け組だからである。
おまえ達から見れば、私は負け組であろう。けれども、おまえ達からそれを嘲笑される筋合いはない。その感覚が、もしかすると私の原点であるかも知れない。
さて、負け組がコイズミやイシハラを支持してしまう心理。――私はコイズミもイシハラも大嫌いだが、自分が負け組だから、ついそういう方向にいきがちな心理はよくわかる。ドメスティック・バイオレンスの被害者になった女性のように、児童虐待の被害者になった子供のように、虐げられた弱者は支払ったものが多ければ多いほど、自分を虐待する者から離れられない。虐待を(愛)情の発現として受け止める以外に自分の不幸をなだめる手段はなく、いつか何ものかを取り戻したいと思って、不実な相手にすがりつく。
何でもいうこときくからね。ボクを(あるいはアタシを)見捨てないで。
見捨てないで。見捨てないで――のリフレインがこだまする。今の日本は既に、荒野に見捨てられた孤児達で満ちあふれているのかも知れない。……私もその孤児のひとりだ。
勝ち組・負け組という言葉を、私は基本的に好きではない。と言うより、ほとんど憎悪していると言っていい。それはひとつには、私が少数の勝ち組に入るよりも負け組になって、カフカ『審判』の主人公のように犬のように殺されるほうが人間として美しいと思っているからであり、人間を勝ち負けで決めるモノサシに吐き気がするほど嫌悪を感じているからである。そしてもうひとつは多分、私が(やや屈折した重みをもって発言するのだけれども)負け組だからである。
おまえ達から見れば、私は負け組であろう。けれども、おまえ達からそれを嘲笑される筋合いはない。その感覚が、もしかすると私の原点であるかも知れない。
さて、負け組がコイズミやイシハラを支持してしまう心理。――私はコイズミもイシハラも大嫌いだが、自分が負け組だから、ついそういう方向にいきがちな心理はよくわかる。ドメスティック・バイオレンスの被害者になった女性のように、児童虐待の被害者になった子供のように、虐げられた弱者は支払ったものが多ければ多いほど、自分を虐待する者から離れられない。虐待を(愛)情の発現として受け止める以外に自分の不幸をなだめる手段はなく、いつか何ものかを取り戻したいと思って、不実な相手にすがりつく。
何でもいうこときくからね。ボクを(あるいはアタシを)見捨てないで。
見捨てないで。見捨てないで――のリフレインがこだまする。今の日本は既に、荒野に見捨てられた孤児達で満ちあふれているのかも知れない。……私もその孤児のひとりだ。