華氏451度

我々は自らの感性と思想の砦である言葉を権力に奪われ続けている。言葉を奪い返そう!! コメント・TB大歓迎。

「過半数」の分母は有権者総数、でしょう

2007-05-13 23:45:28 | 憲法その他法律

 津久井進さんから、「まだ未完成の国民投票法案」というエントリのTBをいただいた。国民投票法案の付帯決議全文を掲載し、同法は重要論点を先送りしてごまかすような内容のものであり、まだ決着はついていないと述べたものである。法律の専門家の意見としてなかなか興味深いので、一読をお勧めする。

◇◇◇◇◇

 ……というのは別に前置きではない。上記のエントリを読んでいる途中で、ふと思い出したというか気がついたというか、あ、これは書き留めておこうと思ったのが本日の記事(厳密に言えばただのメモ)である。テーマは「過半数」。何の過半数かって? むろん憲法改定に必要な「過半数」は、いったい「何の過半数か」という問題ですよ。

 憲法96条には、「改正の手続き」が定められている。条文は以下の通り。

【この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする】

 ここで問題になるのは「その過半数」の「その」が何を指すかであって、解釈は3通りあるらしい。(1)有権者総数 (2)投票総数 (3)有効投票総数、 である。(私はこのほかに国民総数という解釈もありうると思うが、では零歳の子供も含まれるのかなどと言われれば首をひねらざるを得ないので……やはりこれは現実的ではないだろう)。

 私自身の意見をさっさと言ってしまうと、私は(1)が最も妥当だと思っている。憲法は(何度もしつこく言い続けているが)国の根幹の方針、国のありようを定めたもの(私は先日のエントリの中で、学校で言えば建学の精神みたいなもの、とも言った)。不磨の大典でも何でもないけれども、変えるのは良し悪しは別として思想信条の転向に等しい。だから、全国民の(現実としては全有権者の)意見を聞く必要がある。

 実のところ改定には全国民の三分の二ぐらいの同意が必要だと思っているのだが、憲法で「過半数」と定めがある以上、まあ過半数でもかまわない。と言うか、仕方ありますまい。ただ、あくまでも「全有権者の」過半数、である。

 そんなにハードルを高くしたら改憲なんてゼッタイ無理だ、とのたまう人もおられるかも知れない。しかし国民(有権者)全体の過半数の同意を得られない「思想信条の転向」「国のあり方の改変」など、いったい何だと言うのか。

 おまえはいわゆる「護憲派」だからそんなことを言うのだと嘲笑されるかも知れないが、それは誤解である。私は現時点では護憲だが、かといって現憲法の1から10まで大賛成、というわけではない。たとえば私は天皇制に疑義を持っており、理想を言えば天皇制は消滅した方がいいと思う。したがって憲法の第一章には、とてものこと賛成とは言えないのだ。しかしこの章にしても、変える場合は「全国民(全有権者)の過半数」が必要だと思っているし、その意味で(かなり消極的に、現段階ではやむを得ないこととして、ではあるが)天皇制を容認してもいる。

 たとえば全有権者の半数にも満たない人々しか投票にいかないような、そんな「改定」なんぞチャンチャラおかしいのだ。ほとんどの国民が惻々と迫る身近な問題として考え、その多くが投票に行く状況であって初めて、「国のありかた」は変わってもいい(変わった先が私にとって嬉しい形かどうかはまた別だけれども)。

 一部のおぼっちゃまたちのキレイげな跳ね上がり・舞い上がりで、ドサクサ紛れに……まるで衣装や髪型が流行遅れになったから最新にしようと言わんばかりの軽薄さで、「国のあり方の根幹」を塗り替えられてたまるものか。

 

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国民投票法案可決……!!

2007-05-11 22:55:30 | 憲法その他法律

 皆さん既に御存知と思う。今日夕方、参院憲法調査特別委員会で国民投票法案が可決された。週明け早々、14日の参院本会議で可決・成立する危険性は非常に高い。

 与野党の比率から考えれば、「可決」は予想外の出来事だったわけではない。安倍内閣が(まるで憲法さえ変えればスバラシイ国になるかのような錯覚を起こすほど)ケンポウカイセイ、ケンポウカイセイと連呼しているところから見ても、しゃにむに可決を急ぐだろうことは実のところ目に見えていた。それでもなお、私は愕然としている。同じように「可決するだろうな」と怯えつつ、わずかな希望をつないできた人、それがアッサリ蹴飛ばされたことに暗澹としている人は多いのではないか。

 改憲論者の中にも必要とする声の多い「最低投票率制度」の導入さえ、与党は「ボイコット運動を誘発する」として退けた。おかしな話である。ボイコットする人が多くて最低投票率に達しなくなるほどの改定案など、そもそも出してくる方がおかしい。いったい何を怖がっているのか。そんなに怖いんですか、国民が。

 与党が多数を占めている限り、その暴走を阻止するのは至難の業だと改めて思い知る。もう、行くところまで行くしかないのかも知れない……。

 1年ほど前に「『よりマシ』はない。いっそ『さらに最低』が出てもいいかも知れない」などとヤケクソめいたことを書いたけれども、また同じような感覚が頭の隅を漂っている……。

◇◇◇◇◇

 NHKクローズアップ現代「9条を語れ 憲法は今」(5月7日放映)が話題になっている。私は見逃したのだが、大津留公彦さんがyoutubeの映像を掲載しておられるのを知った。今、観たところだが、NHKもそれなりに頑張っていることにホッとする。

◇◇◇◇◇

 戸倉多香子さんを応援しています。戸倉さんの目線は貴重で、こういう人に公僕として働いて欲しいと思う。ただし民主党は……う~む……。せめてしばらくの間、現・与党の暴走にブレーキをかける役割を期待したいところなのだが、あっさり国民投票法案の採決に応じるとは何ごとか。

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憲法「新権利盛り込み」は本当に必要か

2007-05-09 23:40:17 | 憲法その他法律

(参考/○毎日新聞の世論調査記事 ○朝日新聞の世論調査記事

 憲法記念日の少し前に、マスメディアなどが憲法に関する世論調査をおこなった。5月2日頃、新聞紙上でその結果を読んだ方も多いだろう。既に多くのブログでも、これらの世論調査が俎上にのぼっていたと思う。遅まきながらワタクシメも……。

◇◇◇現憲法を「評価」、しかし「60年経ったからそろそろ新しく」?◇◇◇

 毎日の調査でも朝日の調査でも、改憲賛成が反対を上回っていた。毎日の場合は「賛成51%、反対19%」。朝日の場合は「賛成58%、反対27%」。このパーセンテージだけ見ると、国民の過半数が憲法改定を望んでいることになる。おじいちゃまの宿願を果たしたいと叫ぶソーリは、さぞお喜びであろう。

 ただし――である。よくよく見れば(というほどでもない。結果全体をサッと見ればすぐわかる)どう考えても「今の憲法は不都合だと思って、積極的に賛成している」のだとは思えない。

 何しろ毎日・朝日共に、大半の人が現憲法を評価しているのだ。たとえば毎日の場合――改憲賛成派も約80%は「戦後の日本にとって憲法が役立った」と答えている。そして改憲賛成理由はと言えば、「(60年以上の歳月が経ったから)時代に合っていない」がトップで49%。2位は「1度も改正されていないから」で29%。この2つで何と約80%を占めるのだ。9条に問題があるといった、具体的な理由を選んだ人はごく一部に過ぎない。同紙は記事中で、次のように書いている。

【具体的に不都合があるというよりは「時代に合わせて新しくしたらよい」という意識が働いているようだ】

 何だかなぁ……と、皆さん思いませんか。「長いことモデルチェンジしていないことだし、そろそろこの辺で新しくしようか」なんて、奇妙キテレツな発想でしょうが。車や家電製品じゃあるまいし。

 毎度同じこことばかり言っているので自分でもシラケそうになるけれども、憲法というのは「国の理念、枠組み」を取り決めた大原則。学校で言えば建学の精神だ。建学の精神と言えば、慶應義塾のそれは「独立自尊(一身独立して一国独立する)」、同志社のそれは「キリスト教主義に基づき、自治自立の精神を涵養し、国際感覚豊かな人物を育成する」であるそうな(これは一言で言えばみたいなもので、多分もっと長いのだと思う。どちらも何かで読んだか聞いたかしたものを適当に取り出した。自分の出身校ではないので間違っているかも知れないが、在校生・卒業生の方、御容赦のほど)。慶應や同志社がそれらを変えたという話は聞いたことがない。

 

◇◇◇「加憲」なんぞ、しなくたっていい◇◇◇

 朝日の調査の方では、改憲を望む理由の一位は「新しい権利や制度を盛り込む」(84%)。いわゆる加憲の発想である。公明党よ喜べ。

 加憲と言えば、環境やプライバシーに関する権利などがよく挙げられる。そんな話を聞くと多くの人は「そうだよね。何しろ60年も前に作られたんだもんね。当時と比べると社会情勢が随分変化したんだから、それに合わせて補強するのはいいよね。プライバシーの権利なんかも、ちゃんと憲法で決まってた方が安心だし」と思うかも知れない。しかし! 本当にそうなのか?

 憲法13条には「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」とうたわれている。環境だのプライバシーだのといちいち言わなくても、私はこれで充分だと思う。憲法は幹の部分だけ押さえ、枝葉の部分は他の法律で補えばいいのだ。妙に具体的な細かいことまで決めたものは、「すぐ実情に合わなく」なってくるのが世の常。そんなことをしていれば、今後ことあるごとに「補強」して行かざるを得なくなる。

 またちょっと変なたとえ話をしよう。私は東京のはずれの古いマンションに住んでいるのだが、ここの管理規約は毎年とは言わないまでも、そう、3年に1度ぐらいは新しい条項が加わるのだ。何か問題が浮上するたびになるべく具体的に、なるべくきめ細かく決めようとするものだから、「じゃあこういう場合は?」「こういう問題が抜けてるんじゃないの?」という意見が出て来て、それに対応すべく新しい条項が馬に食わせるほど付け加わるのである(少し前に当番で組合の役員になった時、会合でキレて「そんなこと決めているとキリがないッ。管理規約はマンションの憲法だ。原則だけにして、後は決める必要があれば細則で決めろッ」とわめいた覚えがあったりして)。

 一組の男女(同性同士、でもいいけど)が共棲した場合でも、たとえば共同で使うものの費用について「折半する」「問題が起きればそのつど互いの権利を尊重して話し合う」といった大枠だけ決めておけばよいものを、ひとつひとつ決めていこうとすると話がどんどんややこしくなる。水道代はどうする、ガス代はどうする。入浴の回数と時間が違うのに折半はおかしいんでないの、なんて言っているうちはまだいいが、やがて枝葉末節の部分でエスカレートしていって収拾がつかなくなる(実体験だろうって? いや、それはそのぉ)。 

 私はもともと単純でいい加減な人間だから、規則(法)なんて少なければ少ないほどいいと思っている。むろん何も規範がなければ困るからある程度は決めておく必要があるが、少なくとも「幹の部分」はギリギリ単純な方がいい。厚化粧も過剰包装もオマケもまっぴらである。

 厚化粧と言えば……憲法はいわば裸体のようなもの。衣装を着せれば「古くさい」の「時代に合わない」のという話が出てくるかも知れないが、すべての装飾を取り去った肉体に古いもへったくれもない。ゴヤの『着衣のマハ』と『裸体のマハ』を見比べればよくわかる。

 

◇◇◇「新しい」というマヤカシ◇◇◇

 朝日新聞の方は昨年4月の調査で憲法9条について質問しており、その時に78%が「9条が日本の平和に役立った」と答えたことを記事中で紹介。今回の調査でも、9条を変えた方がいいという人は改憲賛成派でさえ50%だったという。しかも改憲派の多くは先に紹介したように「新しい権利や制度を」と考えており、「9条に問題あり」とした人はわずか6%だった。

 日本人って結構健全なのだな……と少しホッとすると同時に、背中の方から薄気味悪いものが這い上がってくる。安倍内閣が中心的な課題としているのは9条改定。そして、それに象徴される「戦後レジームからの脱却」(!)だ。首相がそれをやかましく言い立てているにもかかわらず、「新しい権利や制度の盛り込み」が必要だから改憲賛成、とはいったいどういうことだ。

 要するに、「新しい」という言葉に弱いのだろうか。〈新しいことはいいことだ〉。

 新しいことイコール正しいことではないよ、と呟きつつ、ふと自分は保守だったかと妙な気分になる。世間の常識なんかくそくらえと思い、常に今日よりも明日を夢見、「私のカナンの地」を夢見て駆け続けたいと思ってきたはずなのに、ひょっとしたら私は保守だったのか。

 いや、そうではない。これは「新しい」という形容にはまやかしが多いという証左なのだ。人は沈む夕陽でありたくなく、そして日々新しくありたいと思う。時代に、そして親しい者達に取り残されたくないと思う。その素朴な感覚につけ込むある種の詐欺が、此の世にはあまりにも多い。あんたもう古いんだよと言われれば、何の根拠もないその軽侮に怯える。私も年齢を重ねるにつれ、その怯えがひしひしとわかるようになってきた(何せ、ワンセグってのが何なのか、長いことわからなかった人間ですし……泣)。「戦後レジームからの脱却」などという一見かっこよさげな言葉はそのあたりの微妙な心理につけ込む毒を孕んで、反吐が出るほどにイヤラシイ。

 太古の昔から変わらぬものはあり、それがあるゆえに人はどうでもいいことを振るい捨てて夢見続けることができる。「変わらぬもの」は教育再生会議ふうの安っぽいものではなく、おそらく人間の尊厳にかかわるもの。紅旗征戎はわがことにあらず。言ってみたいよワタシも、なんていつぞやぼやいたけれども、今夜は結構まじめに宣言したい気分になっている。

 ひとの世の表面は目まぐるしく変わるけれども、そんなことは私には関係ない。「これがニューモデルですよ~。あれ、お客さん知らないの? 遅れてますよ~」などというペチャペチャまとわりつくような薄っぺらな宣伝に乗せられまい。百年経とうと千年経とうと、原則は原則なのである。私はいま、そこに本当に立ち返りたいと思う。

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もうすぐ憲法記念日――クーデターの「共謀」を許すな

2007-04-29 23:54:36 | 憲法その他法律

 4月も明日まで。そして間もなく憲法記念日がやってくる。何年か先にも、この祝日を私たちは祝うことが出来るだろうか。

 新聞等の報道によると、自民党が24日に開催した「新憲法制定推進の集い」で安倍晋三首相は「党の総裁として(憲法改正を)約束した以上、政治スケジュールに乗せる」と改めて表明したそうだ。「改憲は祖父の岸信介元首相が果たせなかった宿願だった。私たちの時代に宿題を果たさなければならない」とも述べたという。 また、25日に衆参両院が開いた憲法施行60周年記念式典でも、「憲法を頂点とした行政システム、教育、経済、雇用、国と地方との関係など基本的枠組みを時代の変化に対応させるため、改革が求められている」「自ら属する国、社会を愛情と責任感、気概を持って支え、守る責務の共有も重要だ」と述べ、憲法改正論議の高まりに強い期待を示した。

 祖父・岸信介の宿願……ですか。ファザコンならぬグランパ・コン首相には、ほんと困ったものだ。おじいちゃまの宿願をかなえようというのは、それ自体は別に問題はない。ただし個人的な事柄にとどまるならば、である。たとえば「富士山の見える所にドーンと豪邸建てるのが祖父の宿願だったから」とか、「商売を繁盛させて全国に支店を出すのが祖父の宿願だったから」とか、あるいは「郷土史を完成させるのが祖父の宿願だったから」などと言うのであれば、私も文句は言いませんよ。ああそう、おじいさんも喜んでおられるでしょうね、と言うだけだ。おじいちゃまの宿願うんぬんは、そういう私的な範囲にとどめて欲しい。公的な事柄で張り切られると、周囲はいい迷惑である。(余談だが――私は岸信介はそれこそ、超のつくA級戦犯だと思っている。アメリカは反共体制の確立のために彼を無罪放免?したのだが、彼はあの戦争で死んだ人達に対して償いきれないほどの責任があると私は思う。その責任に口を拭って権力の座に座り続けたこと一点をとっても、私は彼を許してはならないと思っている)

 首相は「責務」がどうこう、とも言う。これは彼(および彼と同様の思想を持つ政治家その他)が以前から言っていたことだから今さら驚かないが……と言うよりほとんど耳にタコ状態だが、聞くたびにゲンナリする。人権メタボリック症候群などという薄汚い言葉を吐いた大臣がいたことは、まだ記憶に新しいけれども……まったくもって権力者は「義務」や「責任」が好きだ。ほとんど責務フェチという感じである。

 いや、むろん趣味的に責務を好んでいるわけではない。彼らは権利よりも義務を重んじ、黙々と義務を果たしてくれる国民が大好きなのだ。そういう国民であって欲しいのだ。本当は権利などうるさく言う輩は邪魔で、できれば昔の社会のように「オカミ」に従順な、何をされても上から言われたことだからと諦め顔で従う国民が欲しいのだろうが、さすがに現代ではそこまで露骨なことは言えない。だから声高に「義務や責任」を強調するのだ。まず義務を果たしてから、権利を主張しなさい。それが人間として当然のことでしょう?と。

 これは、ぼーっと聞いていると正当な考え方のように響く。しかし、である。個人対個人の関係なら、それも一理も二理もあるだろう。たとえば友人同士、たとえば恋人同士の間で、権利だけを主張していては関係がおかしくなる。もっとも権利と義務とどちらが先というわけではなく、この二つは等価なのだけれども。ついでに言うと、権利とか義務とかというものを超えたところで人間の信頼関係は成り立つのであるけれども――いずれにしても、友人であれ恋人であれ、力関係が対等であるからこそ、そして同じ地平で拮抗できるからこそ、二つのものが等価になる。

 組織と個人の関係は、そうはいかない。組織と個人が向かい合えば、前者の方が強いに決まっている。精神的な問題として対等を主張することはできるし、私自身もそうしたいと思うが、現実問題としては個人など限りなくはかなく弱い。だからこそ、最大限、権利を守られねばならないのだ。

 国を守る責務? バカ言っちゃいけない。冗談は休み休み言ってくれ。私は……生きていくための便宜上、一種の必要悪として国家というものを認めているのだ。我々の(生存権をはじめとする)権利を守るために、国家という虚構を容認したのだ。中世の騎士物語の主人公達が貴婦人に無償の愛を捧げたのとは、話が違う。命を賭けて守る対象などであるはずがない。笑わせちゃ困る。

◇◇◇◇◇

 世の中は連休だが、私は休めるのは1日か2日だけで、後はほとんど仕事である……。働けど働けどの気分で手を見る気にもなれず、ヤケクソで酔っぱらっている。というわけで、いつもながらのまとまりのつかない文章でありました。お笑いくだされ。

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「憲法問題は関心が低いから最低投票率を設けられない」!?

2007-04-16 23:02:30 | 憲法その他法律

 何と申しましょうか……。

 国民投票法案は16日に参院本会議で審議入りした。その席上で簗瀬進議員(民主党)の質問に対して自民党の党憲法調査会会長・保岡興治衆議院議員が答弁に立ち、最低投票率について「国民の関心の薄い憲法改正においては最低基準に達しない可能性がある」と言ったそうだ。

「な、なぬ???」と耳を疑ったのは、私だけではあるまい。はン、関心の薄い問題だから投票する人は少ないだろう、だから最低投票率の設定はできないのだ――という意味ですか。どれほど与党の言い分を好意的に解釈したい人にも、そうとしか聞こえないはずだ。違いますかね。

 憲法というのは国の「基本方針」を決めるもの。この国をどんなふうに形作りたいか、どんな方向を目指したいかを規定するものである。学校でいえば建学の精神に相当する。不磨の大典などとは言わない。必要があれば変えてもかまわないとは思うけれども、変えるのは「よほどの時」である。まずは、革命なりクーデターなりによって国の形態が変わったとき(もし天皇制が廃止されたら、当然いまの憲法は変えざるを得ませんね)。それから多くの国民がその憲法によって不利益を被り、変えたいと悲鳴を上げた時だ。「何十年も変えていないから」と、いじくるものではあるまい。車やパソコンのモデル・チェンジじゃあるまいし。やや言葉が古いというのは確かかも知れないが、源氏物語ふうの、古語辞典と首っ引きでなければわからない文章ではない。誰でも意味はよくわかる。いいじゃないですか、それで。少なくとも私は何ら支障を感じていない。言葉というものは表層的な部分などは刻々と変わるが、一見古くさく見えようとも根幹の部分はおいそれと変わるものではないのだ。そんな、安っぽいものじゃあない。

 憲法を変えて欲しい、変えてもらわなければ我々は苦痛で耐えられない――と叫んでいる国民が、いったいどれだけいるのか。むろんいるでしょう、いるでしょうけれども、それが大多数だとは私は思わない。

 憲法に関して、国民の関心が薄い――というのは、ある意味で事実だと思う。だがそれは憲法が国民の間に浸透し、国民がその憲法に安心して身を委ねている証左でもある。たとえば人間関係においても、ピリピリと意識するのは疑念を持つ時、そして危機に瀕した時だ。さして問題がなければ、ことさらには意識しない(意識することが正しいのかどうか、常に意識しておくべきかどうか、さらに言えば意識しておくことの意味などについては、話が別である)。普段は特に考えもしないけれども、深層意識の中にしっかりと根付いている。基本方針というのは、元来がそういうものである。

 その「国民の多くが合意している国の基本方針」を、安倍政権は強引に変えようとしている。関心が薄い(と言うより、私の感覚では空気のように自然に共有されている)憲法の精神を、やみくもにドブに叩き込もうとしているのだ。脈々と息づいてきた庶民の感覚を強姦しようとしている、と言ってもいい(強姦なんて言葉を使うと、またしても18禁系TBが殺到するかなあ……ほんと、いい加減にしてくれ。削除するのは結構面倒、というか時間を無駄にしている感じに苛まれるんだからね)。

 関心が薄いから、最低投票率の基準に達しない可能性がある? はい、よく言ってくれました。これは安倍政権の正体をまざまざと見せる言葉であると私は思う。国民があまり関心持たないうちに、ドサクサ紛れに何もかもやってしまおうという。

 改憲がこの国の未来にとってプラスであると本当に思っているなら、それこそ「万機公論に決すべし」(わっ、明治初頭の話)。多くの国民が現憲法の精神を無意識のうちに信頼し、とは言っても日々の生活に追われて憲法のことを切羽詰まって考えておれないうちに、ドタバタと改憲しようなんて、そりゃズルイんでないの。

 国会議員のセンセーがたに言う。私はあなたたちに、国のゆくえを勝手に決める権限まで渡したつもりはこれっぽっちもありません。国民をバカにするのはいい加減にした方がいい。民衆は「愚」であるほうが楽なのだろうが、あなたたちが思っているほど、そしてその地平にとどめたいとひそかに願っているほどには愚かではない。ついでに言うと、目覚めた者は一部であり、その目覚めた者達は今なお眠り続けている大衆を啓蒙せねばならない――という熱にも私は組みしない。庶民は、眠り続けてなどいない。怯えおののきながらも、自分とそして自分の子孫達の命にかかわるものとして、この国のゆくえに激しい疑義を呈している――と私は信じる。なぜならば……思い上がりと言われてもいい、いい気なものだと言われてもいい、それでもなお、私は自分もまた庶民のひとりであると確信しているからである。いざとなれば徴兵されて戦場に狩り出され、ちょっと違うよなあと思いながらも流されてしまいかねない庶民、逮捕されて脅されればすぐに震え上がり、ヘコヘコと頭下げて転向してしまうであろう心弱い庶民であると。

 強くありたいと幼い頃から願ったが、ついにこの年まで強くなれなかった。しかしそれだけに、私は死を賭けて志を貫く人間に憧れると共に、脅されてつい逃げてしまう人々に限りない哀惜の念を持つ。私を含めたそんな人々を、断崖に追いつめるような国だけは許せないと思うのである。

 

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国民投票法案、委員会で可決

2007-04-12 23:33:25 | 憲法その他法律

 国民投票法案(壊憲法案、もしくは改憲準備法案)が、衆院憲法調査特別委員会で可決された。採決前提の審議には応じられないとして国民新党が途中退席するなどの野党の抵抗も蛙の面に何とやら、強行に押し切ったのである。与党は明日衆院本会議で可決し、参院へ送ると「決め」ている。

 国民投票法というのが必要なもの、あった方がいいものだったとししても、無理矢理に通すのは議会制民主主義を踏みにじる行為。私は民主主義の理想は直接民主制だと思っているが、現実問題として集団に属するメンバーがいちいち集まって話し合うわけにはいかない。だから私達は次善の策として、代理人を議会に送っているのだ。ただそれだけのことであり、国会議員のセンセー達に暴走する権限まで与えた覚えはない。

 国民投票法案について、新聞などはさほど大々的に報道していない。むろん少しずつは報道していたけれども、どちらかと言えば地味な扱いだったように思う(地方新聞まで丁寧にチェックすれば、執拗に大々的な報道をしてきたところもあるかも知れないが)。明日の日本の行方にかかわる、大特集を組むべきテーマなのに。

 ……とイライラしている時に、ペガサスさんがブログで紹介されている、佐賀新聞の社説を読んだ(11日の紙面)。タイトルは「国民投票法案 このままでは通せない」。国民投票法案の採決に反対する、と明確に書いたものである。

【党修正案では「白票は無効票とし、有効投票総数の過半数の賛成で成立」することになっている。ここでは「有権者の過半数」とすることや「無効票を含めた投票総数の過半数」とすることもあり得た。改正のためのハードルとしては最も低い方法が選ばれたわけだ。法案には最低投票率の規定がない。このため仮に投票率が50%だった場合、全投票権者の半数の過半数、つまり4分の1の賛成で憲法が改正される。これは白票がゼロとしての場合で、白票は無効票なのだから、もっと少ない賛成で改正に至る。憲法改正は高度な判断力が必要で、「分からない」「どちらとも決めかねる」という白票も当然多いことが予想される。だが現状では白票の扱いや、最低投票率規定はいらないのかなど、納得いく論議にはなっていない。】(社説の一部を引用)

「改正のための最も低いハードルが選ばれた」という歴とした事実を、マスメディアは大きく知らせる義務があると私は思う。

 村野瀬さんが、「与党による4月12日の国会運営の暴走に歯止めをかける電話、ファクス、メールを!」と呼びかけておられた。国会議員に対する電話等による抗議はまだまだ必要だが、私は同時に、各メディアにも「はっきりと報道して欲しい」と要請したいと思う。新聞、雑誌に読者の声を伝える窓口は村野瀬さんが2月7日にリストアップしてくださっている。地方新聞の窓口は私のこちらのエントリの後ろにも付けており、地方新聞の分だけ知りたければ短くて便利かも知れない。自由に使ってください。


 

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国民投票法案、来月半ばに衆院通過!?

2007-03-29 01:49:42 | 憲法その他法律

◇◇◇◇◇◇春というのに、このうそ寒さ

 どうやら春が来たようだ。そろそろコートをクリーニングに出そうかと思った途端に寒さがぶり返し、「出さなくてよかった」と胸をなで下ろしたのは半月ほど前だったか。この時期にひいてしまったしつこい風邪もようやく抜け、昨日は仕事に出かける途中でやっとコートをクリーニング店に預けてきた(また寒さが戻ったりしたら、どないしよう……)。ついでに歩いている途中で八分咲きの桜も見て、ほんの数分の花見。

 春というのは本来は希望に満ちた季節であるはずなのに……空は明るくても私の気分はちっとも晴れない。むろんごく個人的な事情?もさまざまにあるのだけれど、やっぱりこれも大きいな。そう、「国民投票法案」。憲法が土俵際に追いつめられている。

【自民、公明両党は27日、憲法改正の手続きを定める国民投票法案の与党修正案を国会に提出した。修正案は、投票年齢の「18歳以上」への引き下げなど民主党の主張を一部取り込んだのが特徴。与党は4月13日の衆院通過を図る方針で、今後は民主党の対応が焦点となる。これに先立ち、公明党は27日午後の政調全体会議で修正案を了承した。】(27日、時事通信配信)

 新聞各紙を買い込んでパラパラと見ると、「今国会に成立見通し強まる」という類の見出しが……そんな、他人事のように言ってくれるなよなあ……。

 国民投票法というのは「改憲手続きを決める法律」に過ぎず、過剰反応する必要はない、という人もいる。だが、それならばなぜ今、焦りまくって手続きを決めなければいけない? 与党が国会で圧倒的多数を占めているうちに改憲したいから、に決まっているではないか。初めに改憲ありき。

◇◇◇◇◇◇民主党よ、裏切るな

 怖いと言えばこれも怖い。

【民主党は安倍晋三首相が憲法改正を夏の参院選の争点とする考えを示したことに反発し、共同修正に応じなかった。鳩山由紀夫幹事長らは、与党案が民主党との修正協議を一部踏まえたとして党内を賛成でまとめたい考えだが、党内には参院選に向けて与党との対決姿勢を鮮明にすべきだとの意見も根強い。】(毎日新聞)

 民主党は寄り合い所帯で、自民党と双子のように――とまでは言わないまでも、兄弟のように似たところがあること。そして鳩山幹事長ら多くの議員が「改憲派」または「改憲派に近い考えの持ち主」であることは、百も承知。でもですよ。いやしくも反自民なら、「政治は生活である」と言うならば、同じ土俵に乗らんといてくだされ。せめて、「国民投票法案なんか、重要課題じゃないだろ」「なぜそんなものを急ぐのだ」と
言って下され。

◇◇◇◇◇◇正念場

 数日前、村野瀬玲奈さんが「衆議院のサイトに意見を送りましょう」と呼びかけておられた。ふとメゲそうになる自分を自分で蹴り飛ばしながら、私もここ2~3日、メールなどであちこちに「国民投票法案に反対します。万一、改憲手続きを決める必要があるとしても、与党案はひどすぎる。第一、必要性のあるものならば、何年でもかけて広く議論すべき」という趣旨の簡単な意見を送っている。ブログでしょうもない寝言書いてるより、その方がマシな気も……。

 まだ諦めないぞ。

◇◇◇◇◇◇

 Under the Sunのコラムで、ついさっき、発掘屋さんの国民投票法案に関する記事がアップされた。さっと読んだだけだけれども、おもしろいです。一読をお勧め。

◇◇◇◇◇◇

   

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「国民投票法案」を成立させるな

2007-03-09 23:24:24 | 憲法その他法律

 都知事選のほかに、これも気になる――。そう、国民投票法案。

【安倍晋三首相は7日、憲法改正手続きを定める国民投票法案について「自民党の中で象徴的に憲法記念日までに上げることが大切という気持ちがあるのはある意味、当然の気持ちだろう」と述べ、施行60周年を迎える5月3日を念頭に早期成立に改めて意欲を示した。】(毎日新聞・3月7日付)

 昨日の衆院憲法調査特別委員会は流会し、公聴会も日延べになったけれども、それはごく一時的に、ほんの少しだけスピードが鈍ったに過ぎない。与党は最初、今月中に特別委員会で採決→衆院通過→参院へ、というスケジュールを思い描いていたらしいが、少しばかり後ろにずれ込むぐらいは屁でもないだろう。

 それにしても……従軍慰安婦問題について「強制ではなかった」などと発言をし、国民に「恥ずかしくてお天道さまの下を歩けない」思いをさせておきながら、知らぬ顔で憲法改定ばかりに恋いこがれる首相って、いったい何者なのだ。ちなみにこの発言は、アメリカのマスコミにさえ批判された。ニューヨーク・タイムズ紙は、「世界に向けて嘘をつく」という発言を紹介し、安倍首相を「戦争の過去を軽視することでキャリアを築いてきたナショナリスト」と断じている。ほんともう、やめてくれ。安倍さん、そういう発言をしたいのであれば、政治家を辞め、おトモダチと「ナショナリズム同好会」でも作ってそこで発言して下さい。

 あ、話が逸れかけている。戻そう。

 国民投票法案について、私なりに考えてみたことはこれまで何度か書いた。別に大したことは言ってないので同じことを繰り返すのは止める。最近のエントリとして次のようなものがあるので、「こいつ何を言いたいのか」と思われた方は覗いてみてください。

国民投票法案を上程させるな・1」、「同・2」、「同・3」など。ついでながら、ムルも怒っています。 

 いつもお世話になっている村野瀬さんのところに、特別委員会メンバーなどの議員名簿が載っている。メールやFAX、電話などで抗議の声を届けよう。ついでだが、村野瀬さんのところで「国民投票法」は別名「壊憲手続簡略化法」と言う、と教えて貰った。うまい!! この法律の意味しているところが、よくわかります。 

◇◇◇◇◇

 民主党にもう少し「今の日本の方向は間違っている」という断固たる姿勢を持って貰いたい。戸倉多香子さんを応援しています。

 

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国民投票法案を上程させるな・3(そのほか)

2007-01-25 00:30:45 | 憲法その他法律

 

 安倍首相が26日の衆参両院本会議で行う、初の施政方針演説の概要が固まったそうだ。最重要課題に掲げるのは「教育再生」。また憲法改正への意欲を強調し、改憲手続きを定める国民投票法案の早期成立に向けた期待を表明するという。

◇◇◇◇裏切るな民主党◇◇◇◇

 hatakejinさんが、コメント欄で「結論は国会開会後に先送り 民主の国民投票法案対応」という共同通信の記事を紹介してくださった。どうもありがとう(何せ生活に追われている身なので、紙媒体のチェックもネット上の情報のチェックも漏ればかり。周囲の人間に対しては、息せき切って情報を追いかけるよりもモノゴトをゆっくり考えたいのだなどと時々えらそーなことを言ったりしているが、実はさぼってる面が大きい。こうやって教えていただくと本当に助かる)。

 昨夜のニュースによれば、民主党は「法案への対応を協議。通常国会中に結論を出す考え」であるそうな。

 民主党の動向に懸念を持っている人は多いのではないか。私は民主党にさほど大きな期待は抱いていない。私自身の感覚については何度か書いた覚えがあるが(たとえば小沢一郎氏が代表に選ばれた時のエントリなど)、保守二大政党になってどうすンだ、というのがいわば基本的な考え方である。ただ、これまでも書いたけれども「それでもなお、一定の期待をせざるを得ない」という気分も大きい。少なくとも当面は「少しマシ」でいい、「悪くない」程度でいい。恐るべきスピードで我々の生きている社会を変容させようとする為政者にブレーキをかける役割を期待したい、と言うかせざるを得ないのだ。無力な庶民としては。

 だから与党に歩み寄る姿勢を見せられるとマジでびびるし、少しでも期待の持てそうな情報があれば懸命にすがりつく。ほんと……まるで不実な恋人(恋人、とも言えないか。価値観が違うことは百も承知だし、ほんとに自分のことを思ってくれているかどうかは甚だ疑問なのだけれども、でもそんな酷いことはしないよね、ひどい裏切りはしないよなあ、とちょっぴり信じておきたい相手、程度かな)の一挙手一投足に振りまわされる少年のように。

 参院選に民主党から出馬予定のとくらさんは「今は、民主党も国民投票法案反対でいくべき」と言っておられる。ほんともう、頼むから国民投票法案の成立に向けた努力、なんかしないでよね。

 

◇◇◇◇むろん「護憲ありき」なのです(コメントへの返事)◇◇◇◇ 

 20日のエントリ「国民投票法案を上程させるな・1」に対して、次のようなコメントが入っていた。それに対する私の返事を書いておく。

【改憲のための法案作り」だと批判されていますが、あなたのこの文章も「護憲ありきの屁理屈」にしか聞こえません。自分だけがフラットな立場から論じているような振りをするのは読んでいて痛いです。この手のサイトには同じような考えをもった人たちが集まるので、「やっぱりみんなそう思っているのか」と、自分たちの正当性を過剰に意識してしまうのでしょうが、実際には私のように考える人の方がマジョリティなのではないかという気がします。ま、結局この手の話は(改憲派も護憲派も)どんなに論理を振りかざしても、根本の自分の主張のゴリ押しにならざるを得ないのかもしれませんね。なぜなら、どちらの主張も論理的には成立するのですから】

 署名は「通りすがりの者です」となっていた。HNのやりとりであるからこれでもかまわないようなものだが、私としてはできれば他の人と区別できる名前を名乗って欲しいという気分はある。さもなければ、「意見の交換」もできないではないか。コメント欄の存在理由の第一はコミュニケーションを求めていることだと思うので、できればこういう形は避けていただきたいものだが……(HNなんか適当に付けて適当に変えられるから意味ないじゃん、とも言えるけれども、そういうこと自体あまり好ましいとは思わない)

 ……まあ、それはいい。ともかく返事を書くことにする。

 最初に断っておきますと、私は自分の言い分が多数派か少数派かなどということには興味ありません。多数派であれば嬉しいことは確かですが、「そんな変なこと言うのはこの国でたった一人だよ」という事態になっても、同じことを言い続けたいと思います。

 私はブログというのは「個人が公開している覚え書き」に過ぎないと思っています。むろん中には非常に大衆性を持った、多くの人に訴えかけることのできるブログもあります(ほんの一例を挙げると、お玉さんのブログや、前出のとくらさんのブログなどですね)が、それは一部に過ぎない。もちろん数えていけば結構な数になると思いますが、全体から見ればやはりごく一部です。ほとんどのブログは「私的な覚え書き」ですよ。

 私自身のことを言えば、私はブログを大衆運動の手段とは思っていません(ついでに言うと――以前自分探しと自己実現を嫌悪するという記事と、その続きを書いた ときに「ブログだって自分探し・自己実現の手段でしょ」というコメントが入ったが、すんません、自分探し・自己実現の手段でもないですよ。私は非力でヘタレな庶民ですが、ブログで自分探ししないといられないほど無明長夜を踏みまどっているわけじゃあない。そこまで落ちぶれてないよ――なんて言うと、う~ん、さすがに言い過ぎか)。

 と言うより、自分のブログがそんな力を持てるとはまるきり思っていません。所詮は庶民の寝言、なのです。ある意味で無責任。いや、むろん書いていることについては責任持ってるつもりですが、責任の問題を徹底するならば、私は本名で、場合によっては住所その他も明示して書きます。無責任というのが言い過ぎなら、まあ、気軽に書き散らしている、と解釈していただきましょうか。そんなことは、文章をちらっとでも読んでいただければわかるでしょう。理路整然と持論を発表、なんぞしてるわけじゃないですよ(する力量もないけど)。

 少し話が逸れてしまいましたね。つまり私が言いたいのは、これはイチ庶民が公開した覚え書き、なのです。多数派かどうかはさほど問題ではないし、もちろん自分がフラットな立場で論じているなんて毛頭思っていません(第一、論じるなんていう高尚なこともやってるつもりはないです)。開き直るわけではありませんが――独断と偏見に満ちた文章ですよ、所詮はね。フラットな立場でもの言っているように聞こえたならば、それは私の表現力の不足に過ぎません。

 ただ、フラットな立場とか、中立的立場とかいうのが、本当にあり得るのだろうか。

 少なくとも私は「フラットな立場」で「厳正中立」にものを言うことは出来ません。むろんテーマによってはそれも可能ですが、自分の思想信条や生き方にかかわるテーマについてはフラットもへったくれもないでしょう。痛いという感想を抱かれるのはむろん貴君の自由ですが、私の方は「そう言われても困るのだが」と目をパチパチさせてしまうのも、これまた事実です。

 そう。私は「初めに護憲ありき」で発言しているのです。当たり前でしょう。

 それを「改憲を前提とした法案を成立させようとする」「安倍内閣」と、どっちもどっちだと言われれば――そう、どっちもどっちであるかも知れません。「どちらの主張も論理的には成立する」というのも、おそらく貴君の言われる通りだと思います。

 ただ、私はこれだけは言いたい。私は(好き嫌いでモノ言っちゃあいけないかも知れませんが)評論家的な物言いは嫌いです。今の時代――というより、おそらくはるか昔から――評論家になることはたやすい。周囲の誰彼よりも少し頭がよく、少し知識があり、少し表現能力があれば誰でもなれる。

 そして――私は長年マスコミの片隅で働いてきた人間なのですが(大した仕事はしていません。ほんと片隅で生息しているだけです)、我々にとって最も危険なのは「評論家的になる」ことです。ジャーナリストは職業柄多くの情報を得やすいし、「ペン」を握っているゆえに、ついつい「ヒトゴトのように現状を分析して教えを垂れるような、えらそうな口調」になってしまう。でもそれは堕落にほかならない。

 ついでですが、同じ危惧を(多方面から叱られるのは覚悟の上で言うと)私はインターネットで発信を続けている人達の一部に、たまに感じることがある。おそらく豊かな知識を持ち、分析力にも文章力にも優れているが故に、陥穽に陥ってしまう。(実のところ私も評論家ふうになってしまう自分に時々ドキッとする。私の場合は別にたいした知識も何もなく、おそらく職業病かなとも思ったりするのだが)

 すべての事象は――とまでは言いません。しかし少なくとも自分が関心を持ち、考え続けたい事柄については、「ヒトゴト」のような物言いをしてはいけない、と私は思っています。独断偏見と言われようとも、そしていかに拙くとも、自分のスタンスと感性に依拠して語ること。それだけが、一人の人間が生きていくための砦であると私は思うのです。

   

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国民投票法案を上程させるな・2

2007-01-22 23:44:37 | 憲法その他法律

 ドタバタしているので、今日は簡単なメモ書きのみ。(え? おまえのブログはいつもそうだって? あは、失礼しました)

〈引き裂かれるということ〉

 一昨日のエントリ(国民投票法案を上程させるな・1)に対して、「反戦老年委員会」のましまさんが次のようなコメントを寄せてくださった。

【国民投票法案上程を阻止するのは事実上困難だと思います。野党としては、ハードルを高くする修正案をぶつけて抵抗する以外ないでしょう】(以下略)

 ましまさん、そうなのです。事実上困難……なのです。自分でもそれがわかっていながら上程阻止をいう矛盾を感じつつ、それでもなお「上程阻止」と書かずにはおれませんでした。それが正しいのかどうかは、私にはまったくわかりません。情死覚悟で理念を守るか、勝つための戦術を優先するかという問題に、思えば私はごく若い頃から引き裂かれ続けていたような気がします。

 模範解答はない。仮にあったとしても、それをなぞる気は実のところありません。答えのわからない問題を突きつけられてオロオロ・ウロウロしつつ、あちらにぶつかりこちらにぶつかり、せめて嘘のない選択だけはしたい。

 

〈国民投票法案の問題点〉

 ――はいくつもあるのだけれど、覚え書きの意味で思いつくままに書き留めておこう。

○公務員等および教育者の地位利用による国民投票運動の禁止

 公務員や教育者の、「その地位を利用した」運動を禁止するもの。地位を利用――というのはすこぶる曖昧な言い方であり、その気になればいくらでも拡大解釈できる。市民団体の集会で「○○市役所の職員ですが」などとと自己紹介して発言しただけで、地位を利用したと言われかねない。

 また教職者が授業で国民投票に対して意見を言うのはむろんのこと、「現職の教師」が自分のブログで「改定案のこの点がおかしい」と述べることも引っかかる可能性大。「前を向いて歩こう」さん、聞こえてますか? 9条の会で発言したりするのも、多分引っかかりますな。大学で教職者の養成に携わり、個人としては地元の9条の会に参加している私の友人も、「オレなんかも何も言えなくなるってのかよ?」と目を三角にしている。

○新聞または雑誌等の虚偽報道等の禁止

 虚偽報道――は、いかんですよ。当たり前でしょ。でも虚偽というものには二つの面がある。ひとつは「絶対にあり得ない嘘八百」。たとえば太陽は西からのぼるとか、男も妊娠出産できるとか、天皇は人間ではなく神様であるといった類のものですな(それらを信じている人はいるかも知れず、信じること自体は個人の自由なのだけれども)。もうひとつは「まだ証明はされていないが可能性はあり」そして「時の権力にとって不都合なもの」だ。随分前のことだが、このブログに「共謀罪の悪夢」という駄文を載せたことがある。こんなこともあり得るかも知れない――という想像で書いた一種のコントであり、(似たようなことが頻出するとは思うが)そっくりそのままのことが起こるかどうかはわからない。だから言い方によっては、このコントは嘘っぱちだと言えないこともないのだ。

 世の中、「100%の嘘」とか「100%の真実」というものはさほど多くない。嘘にも少しだけ真実が混じっていたり、真実にもちょっぴり嘘(というと語弊があるだろう。ウラをとっていない噂話や、又聞きの話や、想像などを含むと考えてほしい)が混じったりする。 そして少しだけ想像力を働かせた記事や、匿名を条件に語った街の声などを「虚偽」と決めつけるのは、権力にとってはたやすいことなのである。

……まだまだ、ぼちぼちと続く。

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国民投票法案を上程させるな・1

2007-01-20 00:39:44 | 憲法その他法律

 昨日、安倍首相が通常国会で共謀罪の成立を目指すよう長勢法相に指示したという。TBをいただいた「みやっちBlog」さんほか、多くのブログでこの情報を取り上げ、共謀罪阻止の姿勢を表明している。むろんこの共謀罪は冗談ではない法律であり、私自身も成立したら最後という危機感が強い。

 だが危険なのは共謀罪だけではない。もうひとつ、今回の通常国会に持ち出されようとしている憲法改定の「国民投票法案」も、考えれば考えるほど背筋の寒くなる法案だ。与党は「改憲するかどうかは別として、改正の手順は決めておくのが当然」というふうな言い方をしているが、それは屁理屈というもの。百歩譲って「手続きにかかわる法律は必要」だとしても、慌てて作らなくてもいいはずだ。安倍首相は既に任期中に憲法を「改正」したいと明言し、今国会で国民投票法案の成立を目指すと表明している。17日に開かれた自民党第74回定期党大会の挨拶でも、そのことを述べたという。「やっぱし手続きは決めておかなきゃーね」ではなくて、「改憲のための法案作り」であるのは小さな子供でもわかる。

 野党第一党である民主党においても、特に鳩山幹事長は同法案の成立に積極的に賛成。去る10日、自民党の中山太郎衆院憲法調査特別委員長に対して「与党と共同修正案を提出する方向で党内調整に入る」旨を伝えたそうだし、昨日の記者会見でも法案成立に賛成の意を表明した。

 与党案を見れば――「有効投票数の2分の1以上」で改定できるという一項目だけとっても、「改定しやすさ」を何より重要視していることは一目瞭然。ほかに発議から投票まで「30日以後90日以内」というのも、常識で考えてもあまりに短すぎる。最低線である30日そこそこであったりすれば、ろくに憲法改定についての議論がおこなわれないどころか、国民の多くが「どこをどのように変えたいのか」「変わるとどうなるか」をよく知らされないまま投票日を迎えてしまう。大して関心を持たれぬうちにバタバタとやっつけてしまえ、という感じである。関心がさほど強くなければ自然と投票率も低くなり、そうなれば有効投票数の2分の1ぐらいは組織票だけで楽にクリアできる。 

 民主党案に多少歩み寄ったとしても、はっきり言って基本は大して変わらない。たとえば民主党は有効投票数ではなく総投票数の2分の1以上という案を出しているようだが、「国の根幹を定めた法律」である憲法を、そんな程度で変えてよいとは私は思わない。むろん私は憲法を「未来永劫変えてはいけないもの」と、まるで聖典のように崇め奉っているいるわけではない。必要があれば変えていいと思っているけれども、繰り返すように「国の根幹を定めた法律」なのだ。投票数に対して何%の賛成ならOKではなく、問題は全有権者のどれだけが賛成であるか。私としては、全有権者の3分の2以上の賛成は必要だと思っている(だから投票率が3分の2以下になれば、それだけで改定は不可能)。

 それでは絶対に「改正」なんかできないって? いや、できますよ。本当に必要な「改正」であれば。どれだけ時間がかかろうとも憲法は国民全体で考えていくべきことだし、そうでなければ主権在民は嘘ということになる。

 公務員や教育者の国民投票運動の禁止、報道の規制その他、与党案には「待て」と言いたい部分がたくさんある。と言うより、「そういう部分」だらけだ。ちなみに民主党案にも、眉をひそめる部分が多々。むろん報道の自由の保障などはそれだけ見れば結構だけれども、法案成立を前提としている姿勢そのものが何より気にくわない。うさんくさい。安倍内閣の「悲願???」であるところの「改憲」を目的とした、法案作りに賛成して、どうすンだ。

 現在の国会の勢力分布を見れば、上程されてしまえばこの法律は強引にでも通される可能性大。ましてや、民主党が妥協すればあっという間に成立する。間もなく始まる通常国会は、改憲の外堀を埋める国会。法案の危険性を、日常生活でも、そして(大した力にはなれないが)ブログでも訴えていきたい。

 ……ということで、怒りまくりながら続く。

 

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60年前の『あたらしい憲法のはなし』は今も新鮮

2007-01-10 23:55:37 | 憲法その他法律


 今日書店に立ち寄ったとき、興味深い印刷物を見つけた。大きさは文庫本より少し縦長で、わずか48ページだから、本というイメージではない。やはり印刷物、というのがピッタリする。題名は『あたらしい憲法のはなし』。1947年に文部省(当時)が新制中学の社会科の教材として作成したものの翻刻である(発行所はクオリ)。奥付を見ると20年ほど前に翻刻されていたので、読まれた人は多いのではないか。私は初めて知ったのだけれども。

 対象は中学1年生ということになっていたそうだが、文章は非常に易しく、たぶん小学校の3~4年生でも読める。しかも(子供向けと言うことでところどころ表現が回りくどかったり、少し甘ったるいなど気になる点はあるにせよ)基本的な部分はきっちり抑えてあり、子供だけでなく大人が読んでも読み応えがある。憲法のことを改めて考える上で、なかなか役に立った。

 一部、抜粋してみる。

【みなさんは、憲法というのものはどんなものかご存じですか。自分の身にかかわりのないことのように思っている人はないでしょうか。もしそうならば、それは大きなまちがいです。】

【こんどの憲法は、第一条から第百三条まであります。そうしてそのほかに、前書きが、いちばんはじめにつけてあります。これを「前文」といいます。この前文には、だれがこの憲法をつくったかということや、どんな考えでこの憲法の規則ができているかということなどが記されています。この前文というものは、二つのはたらきをするのです。その一つは、みなさんが憲法を読んで、その意味を知ろうとするときに、手引きになることです。つまりこんどの憲法は、この前文に記されたような考えからできたものですから、前文にある考えと、ちがったふうに考えてはならないということです。もう一つのはたらきは、これからさき、この憲法をかえるときに、この前文に記された考え方と、ちがうような変えかたをしてはならないということです。それなら、この前文の考えというのはなんでしょう。いちばん大事な考えが三つあります。それは、「民主主義」と「国際平和主義」と「主権在民主義」です。】

【いまやっと戦争はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いはしたくないと思いませんか。(略)そこでこんどの憲法では、日本の国がけっして二度と戦争をしないように、二つのことを決めました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄といいます。(略)しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国より先に行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって、相手を負かして、自分のいいぶんをとおそうとしないということを決めたのです。(略)また、戦争とまでゆかずとも、国の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことに決めたのです。これを戦争の放棄というのです】

【人間がこの世に生きてゆくからには、自分の好きな所に住み、自分の好きな所に行き、自分の思うことをいい、自分の好きな教えにしたがってゆけることなどが必要です。(略)この自由は、けっして奪われてはなりません。また、国の力でこの自由をとりあげ、やたらに刑罰を加えたりしてはなりません。そこで憲法は、この自由はけっして侵すことのできないものであることを決めているのです】

【戦争中は、なんでも「国のため」といって、国民ひとりひとりのことが、かるく考えられていました。しかし、国は国民の集まりで、国民のひとりひとりがよくならなければ、国はよくなりません】

「ご存じですか」「……いたしましょう」など、現代から見ればやや丁寧すぎる言葉使いもあり、このまま今の子供に読ませると子供の方は違和感を持つかも知れない(持たないかも知れない。私は子供がいないのでわからない)。だが、子供と憲法の話をするときの参考になることは間違いない。「正しいことをほかの国より先におこなったのです」――うん、当時の文部省はいいことを言っていたのだ。今の文部科学大臣その他に、爪の垢でも煎じて飲ませたい。
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9条改定賛成は40%以下(静岡新聞意識調査)

2007-01-08 00:15:48 | 憲法その他法律

 

 知人から、1月4日付けの静岡新聞に「憲法改正意識調査」の結果が発表されていると教えてもらった。この調査は同紙が昨年の末、県民を対象としておこなったもの。昨年と一昨年も同様の調査をおこなったようだが、前回・前々回と比べると改憲に対して慎重な姿勢が見られたという。報道によれば、特に「9条を変える」という意見の急減が特徴的だった。

(私は自分自身では改正という言葉は使わないが、調査では改正と呼んでいるので、質問の紹介などではそのまま使うことにする)

〈70%以上が憲法問題に関心あり〉

 質問項目は「憲法問題に関心がありますか」から始まって、合計11問。その第1問に対しては、「関心がある」と「ある程度関心がある」が合わせて71.8%。「あまり関心がない」プラス「関心がない」を、大きく上回った。むろん意識調査の場合、やや構えてよそ行きの答えをするきらいもなくはないが、それを割り引いたとしても「多くの人が少しは関心を持っている」とは言えるだろう。

 見直し議論に関しては、「改正に向けて積極的に議論すべき」11.4%、「議論した結果、改正することがあってもよい」63.8%、「議論はよいが、改正の必要はない」16.6%、「改正すべきでなく、議論する必要もない」1.9%。つまり積極的な改憲派は11.4%、積極的な護憲派は18.5%と見てよいだろう。

「議論した結果によって、改正することも可」というのは、同紙では改憲容認派と呼んでいるが、「本当に不都合なところがあるなら変えればいいが、不都合がなければ変える必要なし」という、ある意味、ごく常識的な意見ではないかと思う。不都合がないどころか、我々を守ってくれているものであることや、自民党などの「改正案」の問題点がはっきりわかれば、護憲にシフトする層ではあるまいか。

〈2人に1人は9条改定に反対〉

 第8問と第9問は、9条に関する問いかけである。まず第8問は「9条をどうすればよいか」であるが、「改正に賛成」は37.9%。「わからない」という人も13.1%にのぼったが、約50%は「変えなくてもよい」と考えている(ただし自衛隊の活動について解釈や運用で対応すればよいという意見と、解釈や運用もよくないという意見に分かれる)。

「議論の結果によっては改憲もOKだが、9条を変えることには不賛成」という意見が主流だと考えてよい。

 次の第9問は「集団的自衛権」に関する質問。これについては、「9条を改正して集団的自衛権を行使できるようにする」は16.9%にとどまった。

〈知ることの強さ〉

 ちなみに「9条改正に賛成」という意見は、前回(一昨年)は45.8%。前々回は50%を超えていたという。調査では自由に意見を書くところもあったようで、「ナショナリズムの隆盛が目立つ中での改正には危機感を覚える」「憲法改正よりもほかにやることがある」などの意見が解説記事で紹介されていた。

「9条改正派」が40%を割ったことについて、解説記事では「改憲に積極的な安倍晋三首相の誕生、防衛庁の「省」昇格、教育基本法改正に伴う愛国心の養成――などナショナリズムを意識させられる一連の出来事が昨年後半、相次いだことが大きな要因」「急速に改憲が現実味を帯びたことで、一種のバランス感覚が働いたのではないか」と述べている。コメントを寄せた静岡大学元学長・佐藤博明氏も、右寄りの法案が相次いで成立した結果、「『ちょっと待ってくれ』と県民の間に抑止力が働いた」と見る。また、各地で9条の会が次々と誕生し、浸透しつつあることも9条改正反対が増えた要因、とも付け加えていた。

 知らなければ「マズけりゃ変えたっていいんじゃない?」と軽く考える人々も、知れば「ちょっと待て」になっていく。憲法が何を守ろうとしているか、その何処を変えようと目論まれていて、変わればどんな社会が生まれるのか。それらを共に考え、広く伝えていく必要性を改めて感じる。

◇◇◇◇◇

 以前も書いたことがあるが、調査・アンケートの類は設問によって――言葉の用い方や質問項目の順番が少し違うだけでも、かなり違う結果が出る。一定の方向に回答を誘導することも可能だ。ちなみに以前、「死刑廃止は本当に多数意見か」という疑問を述べた時に、誘導的な質問というものと、そのわかりやすい例を書いている。

 だからどんな調査でも結果だけを鵜呑みにすることはできない(質問項目などをよく点検して、自分で判断すべきである)が、およその傾向を知るには役立つし、問い方その他全体を見ることで数字以外のものが見えてくることも多々ある。

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仏教と基督教の宗派が教育基本法改定決議に抗議

2006-12-22 23:27:22 | 憲法その他法律

 改定教育基本法の可決を受けて、各県の教職員組合や市民団体・法律家団体のほか、宗教界からも抗議声明が出されている。現在私が知っている限りでは、抗議声明を出した宗教団体は2団体。日本同盟基督教団と、浄土真宗本願寺派(いわゆる西本願寺)である。

◇◇◇◇◇

 日本同盟基督教団は「改正手続きと内容に大きな問題がある」とし、「『改正教育基本法』成立に関する抗議と意見」と題する文書を総理大臣・文部科学大臣・法務大臣宛に提出した。要旨は次の通り。

○不正な世論誘導をおこない、国会では充分な審議を経ないまま数の支配で強行採決に持ち込んだことは大いに問題である。

○総理大臣と文部科学大臣は「政府が法律に従っておこなうのだから、不当な支配にはあたらない」と繰り返したが、それは教基法成立の歴史的背景を踏まえていない答弁である。先の戦争における苦い経験(思想統制)を踏まえて、教育に対する政府の役割を、介入することでなく環境整備に限定したのである。今後、国民の内心にかかわる教育内容に政府が介入するなら、日本は思想統制を是とする全体主義国家に転落する。

○伝統と文化を学び尊重するのは意義のあることだが、それを靖国参拝の教育プログラム化に結びつけないよう強く求める。

抗議文全文はhttp://202.238.75.100/kyodan2/index.php?plugin=attach&refer=%B6%B5%B2%F1%A4%C8%B9%F1%B2%C8%B0%D1%B0%F7%B2%F1&openfile=2006_12_18.pdf

◇◇◇◇◇

 浄土真宗本願寺派の「『教育基本法』改定決議に関する抗議」の文書を安倍総理宛に提出した。抗議文は短いので、全文掲載しておく。

【このたび、「教育基本法」改定案が第165回臨時国会において、衆参両院で可決されました。/すでに本年11月8日、浄土真宗本願寺派として、「教育基本法」の改定についてはまだ十分な論議が尽くされていない拙速の案であり、党派性を超えた国民的議論の積み重ねによる慎重な審議と対応が必要であるとの声明をお届けしたところであります。/しかしそれに反し、十分な議論が尽くされず可決されましたことに抗議いたします。/私どもは、宗教教育を中心として、教育に関わってきた長い歴史を有しています。その教育の当事者として、教育の最も根本となる「教育基本法」の影響力や現実的運用に思いを致すとき、今般の論議が尽くされていないなかでの改定案可決は、将来に禍根を残すものとの危惧の念を禁じえません。/今後、私どもは、教育行政を厳しく注視してまいりたいと思います。】

◇◇◇◇◇

 私は信仰を持たない人間である。いわゆる宗教書の類は読むが、それはまあ……単に何でも読む人間だからということに過ぎない。特に寺や教会や神社などには背を向けているので、現代の宗教の細かい分類については常識程度(常識以下?)のことしか知らず、日本同盟基督教団もプロテスタントの一会派だなという程度の理解しかない(日本同盟基督教団の方、すみません。でも何せプロテスタントというのは会派が多くて……)。

 だがそんな私でも、浄土真宗ぐらいはかなりはっきりと知っている。実のところ西と東(真宗大谷派)の違いはよくわからないんですが――いや、歴史的にどうこう、などというのは知識としてわかっていますがね、思想的な部分の根本的な差異が今ひとつ理解できなくて――、そこを抜きで考えれば、まあ、知っていると言ってもいいでしょう。日本が仏教国だとはとても思わないが、仏教は生活に密着して存在してきたので、誰でもいつのまにか知識が(どうでもいい知識ではあるけれども)積み重なるのだ。

 浄土真宗は、禅宗と並ぶ巨大な宗派。浄土真宗本願寺派だけでも全国に1万余の寺があり、大学から幼稚園まで関連の教育機関も多い。それだけに、影響力も大きいと言えるだろう。むろん寺の檀家が、みんな「仏教徒」であるはずはない。寺に墓があるから葬式の時だけそこの坊さんを呼ぶ、という人が多いと思う。また関連の学校――たとえば龍谷大学や京都女子学園などに学ぶ学生・生徒とその親に至っては、宗教にはあまり関心がない人達が圧倒的多数ではないだろうか。それでも――葬式や法事の時だけの縁だったり、たまたま行った学校の縁だったりという場合でも、縁は縁。多少なりとも影響を受ける(この場合の影響は、信仰との関連だけではない)し、少なくとも宗派の意見・見解は「関係ない世界の話」と聞き流すことはできない。

 その意味で、本願寺派の抗議声明は大きな意味を持つと思う。むろん日本同盟基督教団の声明を軽視しているわけではない(重ねて言うが、日本同盟基督教団の方、すみません)。ただ、縁につながる人の数から言えば、やはり本願寺派の方が圧倒的に多いはず。京都新聞が抗議声明のニュースを小さくではあるが報道したのも、むろん京都という土地柄ねあるだろうが、もうひとつは影響の大きさを考えたためだと思う。

 他の宗教団体にも、是非、抗議声明を出して欲しい。心への介入を見過ごせば、教祖あるいは開祖が泣くぞ。教育基本法の改定は、まさしく「思想統制」への第一歩であるのだから。創価学会さん、あなたもですよ。初代の牧口会長は、治安維持法違反と不敬罪で獄死しているでしょうが。  

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改定教育基本法採決に(ムカつきながら)抗議する

2006-12-15 22:15:27 | 憲法その他法律

 今日、夕方6時少し前に参院本会議で教育基本法改定案が可決された。

 全国各地の街頭でも署名活動がおこなわれていたし、皆さんも政党や議員にファックスを送るなどして反対の意思表示をしてこられたと思う。つい先日おこなわれた「教育基本法「改正」情報センターのアピールに対する市民緊急賛同署名」は、数日間で総数1万8000人余の署名が集まった。

 それでもなお。――反対する多くの声を無視して、与党は強引に押し切った。これを暴挙と呼ばないなら、暴挙という言葉がビックリするだろう。

 衆院で採決が強行されたときも腹が煮えくりかえったが、ずっと怒り続けているので胃潰瘍になりそうだ。安倍政権は健康に悪い。(そう言えば辺見庸さんが脳出血で倒れたとき、友人のひとりが「辺見さんは今の社会に腹を立て続けて血圧が上がって、それで頭の血管が切れたに違いない」と言ったのを思い出す)

 ともかく、怒っているのである。あまりの腹立たしさに、ほとんど絶句状態。言葉も出ない。(書けばおそらく、「教育基本法採決の強行に満腔の怒りを」 、 「教育基本法・可決へごり押しは教育に悪い」 などで書きなぐったのと同じような話になるだろう……)

 改定教育基本法成立を受けての安倍首相の談話なるものの要旨が、時事通信から配信されていた。

 《首相談話の要旨》【改正教育基本法の成立は誠に意義深い。このたびの改正では、これまでの教育基本法の普遍的な理念は大切にしながら、道徳心、自律心、公共の精神など、まさに今求められている教育の理念などを規定している。この改正は、新しい時代の教育の基本理念を明示する歴史的意義を有する。本日成立した教育基本法の精神にのっとり、個人の多様な可能性を開花させ、志ある国民が育ち、品格ある美しい国・日本をつくることができるよう、教育再生を推し進める。学校、家庭、地域社会の幅広い取り組みを通じ、国民各層の意見を伺いながら、全力で進める決意だ。】(21時1分配信の記事)

 多様な可能性!! 志!! 品格!! 美しい国!! アンタにだけは言われたくないよ、という言葉の洪水。国民各層の意見を伺いながらって、アンタね、「絶対反対」だけでなく「もう少し慎重に」という意見まで無視した揚げ句に、そりゃないよ。この人は歴史を勉強していないのではないかなどと疑われたが、もしかして国語もやっていないのか。キレイでそれらしい単語だけ寄せ集めたらこういう上っ滑りな談話になります、という絶好の見本。

「ファシストどもがほくそ笑む日。今日は2006年11月15日。この日を忘れまい」とnizanさんが書き留めておられた。私もこの日を忘れまいと思ったけれど、今日という日は11月15日以上に忘れまい。私の周囲でも「これのどこが悪いのか、さっぱりわからん」と首捻る人の方が多い教育基本法が虐殺された日。憲法とリンクする法律であるがゆえに、憲法殺しを目指す者たちによって、その前夜祭の生け贄として屠られた日だ。

 だがまだ、負けたわけではない。ハムニダ薫さんの言葉を借りれば、「絶対にあきらめない」。少しずつ少しずつ(無理せずボチボチと)、彼らを追いつめていきたい。最後に笑うのは彼らではない。

 

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