このところ、週に2回は徹夜にしている気がする。楽しく遊んで徹夜……ならそれなりに喜ばしいのだが、ショウバイがらみというのが悲しい。他の多くの仕事もおそらくそうではないかと思うが、私の仕事もだいたい11月末から12月半ばまでの期間、むやみに詰まってくるのだ。今のところワーキング・プアとまではいかないが、だんだんそれに近くなっている感覚も……。
Under the Sun のコラムを転載してお茶を濁しておこう。
〈我々は宣戦布告された〉
12月1日に、「『現代用語の基礎知識』選・ユーキャン流行語大賞」なるものが発表された。大賞は「イナバウアー」と「品格」だそうである。どちらも私の中ではほとんど流行していないので(イナバウアーは、実物の映像を見たことさえない。品格の方は、自分自身と縁がない)「あ、そう」と言うだけだが……候補とされた60語を見ると、「美しい国」「格差社会」「勝ち組・負け組・待ち組」「偽装請負」「再チャレンジ」「貧困率」など気の滅入るような言葉がちらほら。空が確実に曇り続けているのだなあ、と改めて思ったりする。いや、既に冷たい雨が降り始めているのだろうか。
前回のコラムで私は安倍政権を「ファシズム仕上げ政権」と呼んだ。「今年」という年自体に、私は同じ臭いを嗅いでいる。今年はファシズム仕上げの年――とまでは言えないけれども、少なくとも「ファシズム仕上げに向けての幕が上がった年」であったような。むろん、この国のファシズム化は随分前から徐々に準備され、ひそやかに進行していた。そして、年を追うごとに加速度がついてきた。1つの節目は、おそらく「国旗国歌法」が成立した1998年あたり。それまでは猫をかぶって一応はニコヤカな顔を見せていた「国家」が、露骨に牙を剥いてきた。
今年は――改革という名の凶器でこの国に大きな傷跡を印した首相が退場し、入れ替わりにファザコンならぬグランパ・コンのデマゴーグが颯爽と(と、本人は思っているのだろう)舞台に登場した年。そしてその首相が「任期中の改憲を目指す」と、日本国憲法にはっきり宣戦布告した年。半世紀後の歴史の本に「国民は、いつか来た道を歩むのかどうか決断を迫られた」と書かれるであろう年。それに続く文章が「国民は引かれていく先が屠所であるとは気付かぬまま」になるか、「しかし国民は賢明な選択をし」になるかは、これからの私たち次第である。
ひとつの希望は、これは私の単なる感触なのだけれども、昨今の与党の強引さにさすがに眉を顰める人が増えてきたこと。特に政治に関心が強いわけでもなく、どちらかと言えば保守的思想の持ち主であるような知人との世間話?の中でさえ、しばしばその種の話題が出る。やるがいい、庶民は愚かな羊だと高をくくっている政治家たちよ。もっと舐めて、もっとバカにして、庶民の(今は未だくすぶっている)怒りに火を付けるような発言をするがいい。最後に笑うのはおまえたちではない。
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