華氏451度

我々は自らの感性と思想の砦である言葉を権力に奪われ続けている。言葉を奪い返そう!! コメント・TB大歓迎。

食について慌てて考えた

2008-03-20 01:47:29 | 箸休め的無駄話

 

 ブログはほったらかし状態なのですが、その代わり?参加しているUnder the Sun のコラムをアップしたところ。このコラムは有志が交替で書いているものですが、おもしろいものが多いので皆さん時々のぞいてみてください。

 今月のお題は「食」。私は自分自身の、食べることに対するうしろめたさのようなものを書いてみました。

コメント   トラックバック (70)

久しぶりの寝言

2007-07-21 23:59:04 | 箸休め的無駄話

 慌ただしい出張から戻り、10時前からちびちび飲み始めて既に酩酊寸前(下戸なのである。酒代がかからなくてよいのだ、というのは下戸の負け惜しみ)。私はいい加減な人間で、仕事の経費の記録も本の整理も家の片付けも、「忙しいから後回し」などと言ってさぼっているうちにそのままになったりする。ブログも同じことで、ほったらかしにしていると自分がネット上でブログなどやっていたことも忘れてしまいそうになってきた(笑)。大したブログじゃない、たかが個人の寝言だから忘れっぱなしでも全然かまわないのだけれど、酔ったついでにたまには書こう……。

◇◇◇◇◇

 なぜか自分でもよくわからないが、超多忙な日々が続くまま7月も下旬。自宅で寝てない日のほうがずっと多かったのではないか。……という感じでしょうもなくあくせく暮らしているうちに、いつのまにか(という感覚で)参院選の投票日も間近に迫ってきた。掲示板に、「日本人に生まれてよかった」(日本に生まれてよかった、だったかな)などと麗々しく書いたポスターが貼ってあり、通るたびに目に入って、そのつど反吐が出そうになる。卑しい人間が「美しい国」と語り、それに対する阿諛が蔓延する。

◇◇◇◇◇

 つい先日、宮本顕治が死んだ。98歳であったという。訃報に接した瞬間の感想は、変な言い方だが――「あっ、ミヤケンは生きていたんだ」。彼が引退――というのだろうか、政治の表舞台から退いて久しかったのだ。

 私が10代半ばの子供のころ、彼はたしか共産党の委員長だった。もしかすると議長になっていたかな? いや、多分委員長だったはずだ。ともかく共産党のトップであることは間違いなく、その肩書きでの発言も少しは目や耳をかすめていたはずなのだが、それよりも私にとっての宮本顕治は、むしろ文芸評論家というのか文学研究者というのか……ともかくそういう匂いが濃かったように思う。それは多分、著作のうち一番最初に読んだのが『「敗北」の文学』だったせいだ。半世紀余りの間に無数の評論家や研究者によって馬に食わせるほど書かれた(その多くは消えてしまったのだろうが……)文芸評論のなかで、出色のもののひとつだと今でも思う。

 その後、社会思想系の論文なども少し読んだけれども、まだ私の中で「ミヤケン」は共産党の元議長というより、マルキシストとしての視点から文学を論じた論客、あるいは小説というものの力と怖さを知っていたマルキシスト、と呼んだほうがしっくりする。……宮本百合子との往復書簡を読み直したくなった。その前に『「敗北」の文学』読み直す方が先かな。

◇◇◇◇◇

 戸倉多香子さんを応援しています。

コメント (1)   トラックバック (14)

目覚めたとき、夢を嘲笑せよ

2007-03-13 22:53:45 | 箸休め的無駄話

 ようやく仕事を終え、飲みながらパソコンに向かって字を綴り始める……国民投票法案をはじめ、正念場を迎える問題が山積みなのだけれども、このところ妙に忙しいのと少し体調悪いのとで、いつもに増して頭が働かない。だから、紡ぎ出されるのは全くの無駄話(おまえが書いてるのは無駄話だけだって? あは、そうかも知れません)。ま、いいか。いちおう公開してはいるものの、要するに日記、私的な覚え書きなのだから。

  私はよく夢を見る。いや、正確に言えば「よく夢を記憶している」と言うべきだろう。誰でも就眠中に必ず夢は見ていて、ただ目覚めた時にそれを記憶していないことが多いだけだそうだから。ほんの少し神経が疲れているらしいときは、特によく夢を記憶しているのだ。電車の中の居眠り程度のわずかの間でも、ぶっ飛んだ夢をよくみる。多くの人が同様だと思うが、私の夢も主体はモノクロで、ただ部分的に鮮やかな色がついている。彼方にたなびく雲の、青みを帯びた紫色。掴み取った瞬間に消えた影のところどころ金粉をはたいたような銀色。誰かを殺した、あるいは誰かに殺されたらしい場面に飛び散った血の色。そう言えば私は昔から、殺されたり追わるように逃げたりする夢をよく見る。暑苦しい船底に潜んでまだ見ぬ遠い国に行こうとしている夢や、誰とも知れぬ者達の嘲笑を浴びながら何処までも何処までも泳ぎ続けていく夢や、深夜の公園でブランコを高く高くこぎ続けてそのまま白い月光に溶け込む夢や。心の奥底の何処かで、何ものかを恐怖しているのだろうか。

 昨夜――と言うよりもおそらくは今日未明に見たのは、そういう(殺される類の)夢ではないが、やはり奇妙な味のするものだった。何かにアクセスしようとしているのだが、どうしてもパスワードを思い出せないのだ。アクセスしようとしている対象が銀行のATMなのか、机の上に鎮座するパソコンなのか、それは何ともわからないけれども……ともかくパスワードを忘れてしまって、何度試みてもはじき出される。どうしてそんなに懸命にアクセスしようとしているのかは何しろ夢だからわからないけれども、アクセスできなければおまえは生きておれないのだという宣告を(その世界では)アプリオリに受けていた。

 また間違えたな。あと5回……あと4回……あと3回……。何処かで指を折る者の非情な、あるいはサディスティックな声を聞きながら脂汗を流し、私の記憶(それも何らかのパスワードというごく簡単な、日常的な記憶)を略奪したものを呪いつつ……私は眼が醒めた。

 【目覚めたとき、夢を嘲笑せよ】

  ――という詩の一節が確かあった(目覚めた後、だったかも知れない)。なぜこんな理不尽な運命に巻き込まれたのかわからず、逃れようともがけばもがくほど食い込む軛(くびき)の重みに耐え難いほどの思いを抱き……そしていっそ眼を閉じてすべての思考と行動を止めてしまいたいとさえ思いながら、それでも私は軛を外そうと七転八倒する。夢の中にまで息苦しく侵略を続ける何者かを嘲笑し、否定し続けるために。目覚めたとき夢を嘲笑せよという、ある種のニヒリズムに抵抗するために。

(何言いたいのかわからないって? そうでしょう、そうでしょう。自分でもわからんのですから。酔ってるんですよ、要するに。私は“手から口へ”の労働者なんで、昼間はいつもドタバタしていて少なくともプライベートではPC使うことができず、ちょっと落ち着けるのは夜、仕事終えてからだけなのだ。そして仕事終えると、下戸のくせについつい酒を飲む。だから……ブログを書くときはいつも酔いかけていて、おかげでわけわからぬ世迷い言になってしまう。覗いてくださる方には、ほんと申し訳ないのだけれども)

コメント (1)   トラックバック (10)

「死の床から孫達へ」(UTSコラム転載)

2007-03-10 23:40:03 | 箸休め的無駄話

 Under the Sunでは、メンバーの有志が交替でコラムを書いている(私もお手伝いしています)。大勢の人に訴えたい、共に考えて欲しいエントリをTBしてほしい。多くの方に覗いていただき、TBされたエントリを読んでほしい。そのためには、ときどきトップページが更新してあったほうがいいだろう――と考え、毎回テーマを決めて書き続けているのだ。前回のテーマは「子や孫への手紙」。私は子供を持たず、将来的にも子供も孫も持ちそうにないので、フィクションを書いてしまったのだが……ひとつはUTSコラムの紹介、もうひとつは今日も元気で生きておりますという記録みたいなものとして3月26日に掲載したそれを再掲しておく。(ほんとのことを言うと私のより、他の方のコラムの方がおもしろい。まだ読まれたことのない方は是非どうぞ)

◇◇◇◇◇以下、転載◇◇◇◇◇

2△△△年2月某日――

 ついに此の世では一度も会うことのできなかった、私の孫達よ。

 窓の外は一面、夕陽に染まっている。このはるか向こうに君達の暮らす国があるのだが、彼我の距離は天の川の両岸よりも遠い。私の命は間もなく尽きる。おそらく明日の朝日を見ることはできまい。その死の床で、私はこの手紙を書く。君達の手に届くかどうかはわからない。おそらく不可能だと思うけれども、万一の僥倖を信じて……。

 私は日本を――正確に言うと東京を離れる直前に、君達が通う小学校や幼稚園をこっそりと訪れたことがある。若い頃離婚し、自分の子供、つまり君達の親とはずっと離れて暮らしていた。ほとんど会うこともなく、だから子供が結婚したことも、孫が出来たことも風の便りに聞いただけだった。親としての義務も果たさず、子供の存在などほとんど忘れていたくせに、最後に孫の姿だけひそかに覗き見たいという衝動にかられたのは、いったいどういうことだろう。気儘に生きてきた自分に、そういうウエットな部分があったのが自分でも不思議なほどだ。
 ともあれ、その時のこと。小学校でも幼稚園でも、門の所に大きな日の丸が掲げられていた。小学校はちょうど校庭で朝礼が始まる所だったのだが、最初に君が代が流れたのには正直なところショックを受けた。入学・卒業式などの式典では君が代斉唱が当たり前とされ、反対する教師が次々と処分されたのはそれより随分前のことだった。そしていつの間にか日常の朝礼などでも君が代を歌うのが普通になったと聞いてはいたが、やはり目の当たりにこの目で見、耳で聞くと、慄然とせざるを得なかった。
 君が代斉唱の後で校長の、朝の挨拶と言うのだろうか、訓辞と言うのだろうか、何やら話が始まった。退屈なだけのお説教だが、子供達は皆、シンと静まって礼儀正しく聞いており、私語どころか直立不動の姿勢を崩す子もいなかった。私は門の陰でそれを見ながら、「彼ら」はついに、子供を飼い馴らしたのだなと思った。君達が生まれるずっと前に教育基本法が変わり、子供は飼い馴らす対象だという考え方が学校を支配するようになった。教師の言うことをきかない子供、秩序を乱す子供は容赦なく処罰されるようになり、やがておとなしい、暗い目をした子供達が増えていった……。私の孫もその一人なのだと思った時、逃げ出そうとしている自分を恥じたのだけれど、それでも私は踏みとどまれなかった。たとえ卑怯と罵られようとも、生まれ育った国を捨てたいという衝動が強かったのだ。

 私が日本を逃げ出そうと決めたきっかけは、

◇◇◇

――まだまだ続くのですが、長いので以下略。もし暇だから読んでやってもいいという方がおられましたら、こちらへ。 

コメント (6)   トラックバック (9)

ふるさとは私の中に――UTSコラム再掲

2007-02-17 01:36:16 | 箸休め的無駄話

 今の世の中は息苦しいよ、もっと住みやすい社会を作りたいね、みんなで幸福になりたいね、と考えているブロガーのゆるやかな輪であるUnder the Sunの隅っこに参加して、ほぼ1日おきで掲載されるコラムを手伝ってます。ここのところ忙しくてプライベートでパソコンに向かう時間はごく僅かなんですが、一応元気で生きている証拠として、先日――と言っても2月1日――のコラムを(前書きと後書きを除いて)再掲しておきます。ほんともう、箸休め。

 でも本当は私のコラムよりよほどおもしろくて、考える手掛かりになるコラムが常時掲載されておりますので、皆さん、それをお読みください。

◇◇ふるさとは私の中だけに在る◇◇

 今回のお題は「ふるさと」。この言葉を聞いてすぐ反射的に思い出すのは、たとえば――(あまりに有名なものばかりで改めて言うのも気恥ずかしいほどだが)――
「兎追いし彼の山……」の歌。kikyoさんが引用しておられた、「ふるさとは遠きにありて思ふもの」で始まる室生犀星の詩。そして啄木の短歌「ふるさとのなまりなつかし停車場の人混みの中にそを聴きに行く」。

〈ふるさとは言語の響き〉

 私は兎を追いかけた記憶も鮒を釣った記憶もないから、実のところ「彼の山、彼の川」の歌はさほどしみじみと響かない。故郷に歓迎されなどしないが逆に石持て追われたわけでもないから、「うらぶれて異土の乞食となるとても、帰る所にあるまじや」という感覚もない。ただ、啄木の歌は何となく感覚としてわかる。

 私は関西で生まれ、関西で子供時代を過ごした。年月としては既に東京暮らしの方が長く、普段使う言葉はほとんど東京のそれになった(時折関西弁も使うけれど、それはかなり――とまでは言えないまでも、相当に意識的な行為である)。それでもいまだに、関西風のイントネーションに懐かしさを覚えるのだ。お笑い番組などでやや大げさな感じで使われたりする「関西弁」ではなく、かすかなイントネーションに。そしてしばしば――特に(否定的な意味合いを含まない)感情的な発言をする時に、関西弁を使った方がピタッと来ることもある。たとえば「ワヤやがな~」とか「それが、なんぼのもんや」「どないせいっちゅうねん」とか。
 このところさまざまなブログで厳しく批判されている(私もつい書いてしまった)「女は生む機械」発言の厚生労働大臣。私の不快感は、実のところ次の一言に尽きるかも知れない。
「あほんだら!!」
(下品に感じられたら……すみません)

 実は私にはもうひとつのというか、第二の「ふるさと言葉」がある。母の郷里である、四国の田舎の言葉だ。子供の頃――特に小学校3年生頃から卒業する頃まで、私は春夏冬の長期休暇の半ば以上、母の実家で過ごした。そこで皆が使っていた何トカ弁も、幾分か私の中に刷り込まれている。むろん時として他郷の人にはわかりにくいほどの言葉を使うのは年寄り達に限られており、中年以下の人々――特に私と同世代のイトコ達などの言葉は、私とほとんど変わらなかった(ちなみにイントネーションは大阪神戸と変わらない)。だが、時たま私が普段暮らしている地域とは微妙にニュアンスの違う表現や語尾もあり、それが私の中に少しずつ少しずつ降り積もった。自分では使いこなす(?)ことはできないが、今もその微かな響きを聞くと――いささかだらしないことに、そしてハードボイルドを気取って生きている関係上あまりヒトサマには言えないのだが――ふと心が緩む。

〈ふるさとは原風景〉

 これはいったい何だろう……と改めて考えた。関西や四国の言葉が好きなのかと聞かれれば、それに対しては「否」とはっきり言える。いや、むろん嫌いというわけではない。要するに言葉としてのそれらには何らの思い入れもないのだ。
 だからおそらくは、その遠くでひそやかに響く音声が、私に自分が愛され抱かれていた日々、限りない未来があると信じていた日々を思い出させるということだろう。私の母も、母の身内の大人達も、子供に指示命令するタチの大人ではなかった。私を取り巻いていた身内以外の大人達も、(一部例外はあるにせよ)ひたすら優しかった。
 下校途中の私を呼び止めて、「ドーナツがあるから食べて行きぃな」などと声を掛けてくれた商店街のおじちゃんおばちゃん達(いやしいって? す、すみません)。毎年クリスマスになるとプレゼントを贈ってくれ、さらには代わる代わる会社の保養所を取って自分の家族と一緒に連れて行ってくれて「頑張って勉強しいや」「お母ちゃん、大事にしいや」と同じことばかり言った亡父の旧友たち。従兄に負けまいとして登った木から落ちて怪我をした時に、「おうおう、痛かったやろうのぉ。ばあちゃんが薬つけちゃるけんのぉ」と言いながら駆けつけて来た祖母(でも彼女は、もう木に登ってはいかんとは言わなかった。祖母だけでなく、私は周囲の大人達からよほどのことがない限り、あれをしてはいかん・これをしてはいかんと言われなかったという記憶がある。やってみい、行ってみい、読んでみい、考えてみい、と言われて育ったように思う。おかげでしょーもない人間になったと言われればそれまでだけれども)。あの頃の私は――他者から愛されていることを感じ、近づいてくる他者を無条件で信じることができたのだ。耳の底に残っている言葉の響きは、その時代を思い出す時に欠かせないBGMである。

 BGMと言えば、いわゆる「山や川」もBGMであろう(というより、記憶を呼び出した時の壁紙、かな)。その意味で、「兎追いし彼の山」の歌がよくわからないというのは半ば嘘かも知れない。
 私が生まれ育った土地は山と海がそれぞれ目の前に迫った所だったので、今でもそういう地形にはわずかではあれ懐かしいものを感じる(余談だけれども、東京で暮らすようになって何より驚いたのは、近くに山も海も見えず、従って方向の見当がつかなかったことである。私の育ったあたりでは山の見える方が北、海の見える方が南に決まっていたのだ)。だがBGMでも壁紙でも何でもいいが、いずれにせよそれだけが独立して存在しているわけではない。人は所詮、人との関わりの中で生きていくのであり、関わりのありようが風景の色も変えるのである。

 すべてを失っても、私には幼年時代がある――と詠ったのは、ヘルダーリンだったろうか。詩集を紐解くわけでもなく、単にいい加減な記憶で書いているので間違っているかも知れないが(皆さん、間違ってたらすみません。私は物覚えが悪いのです)……ともかくそういう意味の絶唱を綴った詩人がいた。
 幼年時代、とは言うのは当たらない。もっと広く、子供時代と言うべきだろうが――私は大人達に守られていると感じることが出来た。むろん人の常として思春期と呼ばれる頃になると物事を斜にかまえて見る癖がついたのだけれども、少なくとも十歳頃までの自分は紛れもなく「見守られ、そのことを信じている」子供だった。そういう時があったというただ一点で、私はギリギリ世界を見放さずにいることができる。今育ちつつある子供達、そしてこれから生まれてくる子供達にも、私はそういう「ふるさと」を残したい。
 ふるさとは人工的に創るものではない、ましてや愛せと強要するものではない。あたかも母の胎のように――自分というものが崩壊しそうになったときに、「私が生きていることを歓び、私を見守ってくれた存在たちを裏切ってはいけない」と踏みとどまれる砦。うつくしい国、などと薄っぺらな言葉で語る輩に、この砦を蹂躙させはすまい。

 突然思い浮かんだが、「国破れて山河あり」という、これまた有名すぎるほど有名な漢詩。私はこれをいつも「国破れても、山河あり」と読んでしまう。国なんざどうでもいい。国がなくなったって、私の、そして私たち一人一人の原風景は残る。いや、むしろ――国などという虚構の枠組みは、なくなってしまった方がいい。その時はじめて、私はふるさとという言葉を何の衒いもなく愛せるかも知れない。

(了)

コメント (3)   トラックバック (12)

犬と少年の登場するこの童話、ご存じないですか

2007-01-19 06:51:03 | 箸休め的無駄話

 まだ夜の闇の明けきれない時刻に、箸休め的なムダ話を――

 もう1年以上前になるかと思う。Under the Sunで本の話をしていた時に、「小さい頃に読んで記憶に焼き付いているけれども、題名も作者も忘れてしまった」童話について書いた覚えがある。誰かご存じの方がおられたら――と書き添えたのだがレスポンスはなかったので(泣)、ふと思い出したついでに書き留めておく。何かご存じの方、どうぞ教えていただきたい。

 ある家庭で子供達が「犬を飼いたい」と望んだが、父親である小説家(たぶん作者と重なっているのだと思う)は顔を引きつらせ、絶対にダメだと言い張った。ヤな親父だと子供達はむくれるのだが……何年も何年も経って父親が死んだ時、子供達は父親の未発表原稿を発見する。フィクションではなく、父親自身の思い出を物語風の体裁にし、三人称で記したものであるらしい。

 ……という簡単な導入部分があって、後はその父親の原稿になる。

 主人公の少年は貧しい家に生まれ、小学校を出てすぐ「商家の小僧」として奉公に出された(主人公のこの子供時代は、おそらく20世紀の初め頃だろう)。年長の奉公人達にいじめられ、追い使われるだけの存在だった少年の唯一の友達は、一匹の犬だった。私の記憶ではその商家に飼われており、ただし年取って番犬の役に立たなくなり、庭の隅でいわば飼い殺しにされていた犬だったような気がする。少年は自分もいつも腹を減らしているにもかかわらず、自分の乏しい食事を削って与えたりしてその犬を可愛がっていた。ひとりぼっちの少年と見捨てられた老犬とは、人間同士よりも愛し合い、片隅で寄り添って暮らしていた。

 少年にはひとつ、小さな望みがあった。それは「揚げまんじゅう」を食べたい、という望みだった。幼い頃からろくにおやつなど食べたことのない少年にとって、揚げまんじゅうというのは「手が届くかも知れない範囲」で最も高価で、最も美味しい、憧れの食べ物だったのだ。

 そしてある日、少年はついに揚げまんじゅうを手に入れることが出来た(どうやって手に入れたのかは忘れた。小遣いを貯めてやっと買ったのかも知れないし、雇い主の家族か誰かが気まぐれにくれたのだったかも知れない)。それを物陰に隠れてこっそりと食べようとしたとき――いきなり老犬が飛び出してきて、彼が宝物のように両手に持っている揚げまんじゅうを取ろうとした。いや、取ろうとしたと言えば語弊があるだろう……少年はいつも食べ物を分けてやっていたから、老犬にしてみればこの時も当然分けてもらえると思ったのだろう。むろん、単にじゃれていたという面もあるだろう。

 だが……やっとのことで手に入れた揚げまんじゅうを盗られそうになって、少年は一瞬、逆上した。オレのものだ、オレのものだと喚きつつ、じゃれかかる老犬を蹴り飛ばしたのである。キャインキャインと悲鳴を上げるのもかまわず、彼は目を逆立てて蹴り続けた……。

 それから何日かして、老犬は死んだ。おそらく老衰だったのだろうが――少年は自分が殺したのだと思った。自分が蹴り殺したのでなかったとしても、命の最期の時にじゃれてねだってきたのを自分は拒否した。なぜ、揚げまんじゅうを分けてやらなかったのだろう……。

「△△、ごめんな、ごめんな」と言いながら、死骸を抱いて号泣する場面の描写がある。ちなみに△△というのは犬の名だが、これはすっぽりと記憶から抜けてしまっている。揚げまんじゅうなどという具体的なものをありありと覚えているくせに、犬の名などは完全に忘れているのだから記憶というのは本当に不思議だ。いや、単に私が食い意地が張っていたせいか、もしくは揚げまんじゅうというのがどんなものかわからず、妙に気にかかったせいかも知れないけれども。

 そうやって……少年は自分がほとんど唯一と言っていいほど心許せる相手であった存在を失った。死別した、ということではない。

 少年はその後さまざまな紆余曲折を経て小説を書くようになったが、初老に近い年になっても、「犬」を見ると否応なく△△と真向かう気持ちになり、自分は許されない人間だと感じて心の深いところで血が流れる。だから――どれほど子供達に乞われても、どうしても犬を飼うことが出来なかったのだという意味の文章で、原稿は結ばれていた。

 何せ、10歳に満たない年で読んだ童話である。細かな部分はかなり曖昧だし(揚げまんじゅうというのだけは、99%確かだけれども)、本自体、親だか祖父母だかが買ってくれたものなのか、亡くなった親父の遺品だったのかも定かではない。ただ、少年と犬とが可哀想で可哀想で、親が何ごとかとびっくりするほど泣いたことは今も記憶に新しい。友情とか裏切りとか、あるいは人の心の弱さとか……私はさまざまなものを物語によって学んだ。この童話もそのひとつなのだが、作者の名さえ忘れているがゆえに、妙に気に掛かる。ほんと、誰かご存じだったら教えてくだされ。おせーてー。奥歯にサカナの小骨が引っかかったような気分なのです。

 

 

 

 

 

 

コメント (7)   トラックバック (5)

降誕祭前夜に

2006-12-24 23:30:20 | 箸休め的無駄話

 明日はクリスマスだという。私は(しつこいな……)信仰と縁遠い人間だからクリスマスだろうが花祭りだろうがめでたくも何ともないのだが、一応はメリイ・クリスマス。
(はるか昔、幼稚園の頃――花祭りは祝った覚えがある。花祭り、御存知ですか。正式には灌仏会。ゴータマ・シッダルタの誕生日ということになっていて、誕生仏に甘茶をかけたりする。なぜか私、幼稚園は仏教系だったのだ。いや、親も無信仰な人間だったのですが、一番近い幼稚園がそこだったので。何せ歩いて1~2分だったものですから、両親どもは送り迎えしなくてすむし、何かと便利と踏んだんですね。まったく安易な親たちである)

 今年ももう終わりだなあ……と思うと、ふと記憶に甦る詩がある。何かの区切り、節々に、つい思い出す詩と言ったもいい。私の好きな詩人のひとりである堀川正美の、『新鮮で苦しみおおい日々』。このブログでも一節を紹介したことがあるような気がするが、今日はその全文を――

◇◇◇◇◇

『新鮮で苦しみおおい日々』

時代は感受性に運命をもたらす。
むきだしの純粋さがふたつに裂けていくとき
腕のながさよりもとおくからの運命は
芯を一撃して決意をうながす。けれども
自分をつかいはたせるとき何がのこるだろう?

恐怖と愛はひとつのもの
だれがまいにちまいにちそれにむきあえるだろう。
精神と情事ははなればなれになる。
タブロオのなかに青空はひろがり
ガス・レンジにおかれた小鍋はぬれてつめたい。

時の締切まぎわでさえ
自分にであえるのはしあわせなやつだ
さけべ。沈黙せよ。幽霊、おれの幽霊
してきたことの総和がおそいかかるとき
おまえもすこしぐらいは出血するか?

ちからをふるいおこしてエゴをささえ
おとろえていくことにあらがい
生きものの感受性をふかめてゆき
ぬれしぶく残酷と悲哀をみたすしかない。
だがどんな海にむかっているのか。

きりくちはかがやく、猥褻という言葉のすべすべの斜面で。
円熟する、自分の歳月をガラスのようにくだいて
わずかずつ円熟のへりを噛み切ってゆく。
死と冒険がまじりあって噴きこぼれるとき
かたくなな出発と帰還のちいさな天秤はしずまる。

◇◇◇◇◇

 これは詩だから、ひとつひとつの言葉をしかつめらしく分析したり解説しても仕方ない(というより、言葉というものは本来そういうものであろう)。運命とは何か、精神と情事がはなればなれになるとは、あるいは残酷と悲哀がぬれしぶくというのはどういう意味かなどと解説しても仕方ない。むろん私には解説する力量もないけれども。(ついでだが……私は子供の頃から小説や童話や詩歌が好きで好きでたまらなかったがために、国文科や仏文科などの文学科を選ぶことが出来ず、社会科学系に進んだ。ひとつには作品の分析などというところから遠ざかって惚れた相手との身勝手なひとときを生涯楽しみたかったからであり、もうひとつはそれを超えて言語や言語芸術の魔力に迫るだけの才幹はない、と自分でわかっていたからである。ちょっとだけ専門用語を囓った凡手の分析ほど、噴飯なものはない。いや、それならいっそ理数系でもよかったのでしょうが、そっちは魅力もあまり感じなかったもので。いや、むろん能もないですがね、ならば社会科学に能があるかと聞かれれば、それだって相当疑問ですし)

 言葉というのはイマジネーションを喚起する「道具」(私はいま、この言葉に最大限の値打ちを込めて使う)である。果てしなく喚起され、体の隅々まで慄然とさせるイメージの群れ群れ。皮膚感覚、などという言葉があるが、あれは嘘だ。ほんものの感覚は、細胞のことごとくに電流を流すように全身を駈け巡る。

 この詩に初めて接したのは十代の半ば。ちょうどその頃に奔流のように多くの詩に接し、今でも記憶に留まっているものは数多い。そのなかでこれをふと取り上げたのは、先に言ったように「節目節目で否応なく思い出してしまう詩」だからである。

 特に……「してきたことの総和がおそいかかるとき」というフレーズ。したり顔で何かを言ったことや、小指の先ほど何かをしてそれで満足したことを否応なく思い出し、同時に自分の日常の厚顔無恥な言動ひとつひとつが甦る。全身の血がひくほどの羞恥のために思わず布団をかぶって胎児のように背を丸め、ガタガタと震えながら自分と向かい合わざるを得ない。

 私が「してきたこと」の総和が、今日も私におそいかかる。昨日も、今日も、そして明日も。

 この深い闇のなかで、かすかな灯火を見つけたいと四肢をあがく。私は塵のような存在に過ぎず、自分が生まれてきたことの意味など生涯わからぬだろうけれども、死ぬときに生まれてこなかった方がよかったと思うことだけは願い下げだ。私自身の命に意味があろうとなかろうとそんなことはどうでもいいが、自分が生まれてきた世界が美しいものであったと、少なくともほんとうに美しいものになろうとしていたことだけは信じて死にたい。そしてできることならば、自分が「してきたこと」がその世界にとっての邪悪に荷担せず、さらにできるならば――自分の力の及ぶ限り、邪悪であることに抵抗したのだという確かな手触りを感じて死にたいと。

 早世した父の享年を越えて以来、私はよく「死」というもの、ひいては「生きるということ」を考える。誰でも考えるであろう単純で本質的な課題だから、今さらのように言うこともないけれども。
コメント (1)   トラックバック (2)

新聞について――ある記事を見てふと思ったことなど

2006-12-18 23:43:33 | 箸休め的無駄話

 私は新聞はあれば紙で読むという方である(全国紙のほか東京新聞ぐらいなら、常時打ち合わせに利用する喫茶店や、知人の事務所などでも読める)。紙の新聞は早晩廃れるなどと言われるご時世に古いようだが、割付――記事の配分の具合や見出しの大きさ、写真の大きさ、目立つ箇所にどんな記事があるかなどを見るのも結構おもしろいからだ。たぶん御存知の方が多いと思うが、新聞の記事は個々の記者が書いたものがそのまま載るわけではない。まずデスクがチェックし(※1)、整理部に送られる。

※余談1――新聞記者は短時間で取材して記事を書きあげねばならない必要上、文章をゆっくり推敲している時間はない。その文章を読みやすく直すのはデスクの仕事。不正確な部分や矛盾の感じられる部分があれば、書いた記者に尋ね、場合によってはすぐさま確認するよう指示したりする。昔からデスクという言葉はあり、机に貼り付いて仕事するのでそう呼ばれるらしい。新聞のほか週刊誌などでも、取材記事の多いところは普通、デスク職が置かれる。今はほとんどの記者がパソコンで記事を書くが、10年ちょっと前までは手書き原稿も多く、デスクはそれを赤色の鉛筆やボールペンでせっせと直していた(その作業を「朱筆を入れる」と言った)。もっとも――私は最近の新聞の現場は知らないけれども、雑誌などでは今でもプリントアウトした原稿に赤字を入れたりもしている。雑誌の記事は新聞記事より長いので、紙で読む方が楽なのかも知れない。

 整理部(最近は他の名称を使っている新聞社もあるようだ)では送られてきた記事の「価値」を判断をして、扱いを決める。どの記事をどのぐらいの大きさで扱うか、どの位置に置くか(トップに持ってくるか、隅の方に小さく入れるかなど)、写真をどうするかなどは整理部の判断によるのだ(※2)。場合によっては長すぎる原稿を短く切ることもある。見出しを付けるのも整理部の仕事である。ちなみに整理部の中には「校閲」という仕事があり、誤字脱字や用語の誤りをはじめとする「間違い」をチェックする(※3)。

※余談2――むろん新聞でも雑誌でも、デスクが手を入れたり整理部が判断を下すのは「記者の書いた記事」に限る。依頼して書いてもらった小説やエッセイ、評論などの署名原稿には当然、手を入れない(変換ミスなどによる明らかな間違いは別)。

※余談3――校閲者はさすがプロで、著名人の名前の間違いなどはむろんのこと、普通はほとんど気付かないようなミスも見つけ出す。私は以前、この道ン十年という校閲の専門家が、歴史上の年号の間違い(終戦の年などという、誰でもわかるものではない)や、記事に挿入された図面の間違いまで見つけ出すのを見てびっくりしたことがある。本人に言わせれば、「何となくカンが働く」のだそうである……。

 だから整理部はよく、「集まった記事はナマの素材。それを客に出せるよううまく料理するのが自分達の仕事」という言い方をしたりする。ともかく、我々の目に触れる紙面の構成を担当しているのは整理部なわけで、紙面の割付を見ればその新聞社の整理部の考え方や感覚がよくわかる。むろん整理部だけが独立しているわけではないから、それはイコール、新聞社の考え方や感覚、ということにもなるのだけれども(新聞社の方針を最も体現しているのが整理部であるとも言えるかも知れない)。

 たとえば教育基本法改定に反対するデモの記事が、社会面の下の方に小さく載っていた時。この記事はもともと記者がこれだけしか書かなかったのかな、それともデスクか整理部が切ったのかな、もしかすると「この記事はカット」と言われた記者が怒り、「小さくでも入れて下さいよ」と抗議したなんていう一幕があったかな。この見出しは随分そっけないけれど、アリバイ的に入れた記事だからかな、などと想像しながら読むのは結構おもしろい。変な読み方だけれども。

 どうでもいい話ばかり書いている……うっかり読んでくださった方は、いったい本論は何なのだ、とお怒りになるかも。でもどうか、怒らないでください。ブログは頭に浮かんだことを書き留める日記風の覚え書きである、というのが私のスタンスなのであります(開き直り)。

 ともかくそんなことで可能なら紙で読むのが好きなのだが、もちろん毎日何紙も読むことはできないし、第一、地方紙などは読みたくてもめったに読めない。だからWEB上でもしばしば記事をチェックする(速報をキャッチするのに便利であるし)。で、今日も見ていたら、ちょっとおもしろい(気になるとか、引っかかると言った方がいいかも知れない)記事をみつけたのでここで紹介する。

 毎日新聞・大分支局長の名入り記事。おそらく九州版の記事だろう。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061218-00000228-mailo-l44

◇◇◇以下、記事の抜粋◇◇◇

【教育基本法が、あっさりと「改正」された。審議が続いているというのに、各新聞は早い段階で「今国会成立へ」と報じた。教育への国の統制が強まらないか。愛国心が強制されないか。疑問を検証する記事は、「成立へ」と報じられてからはバッタリ減った。】

(続けて、支局長は『記者たちの満州事変』(著者・池田一之)の中の、次のような言葉を引用。)

【「日本の新聞は、結局、先読みなんだね。いい悪いではなく、現実がどこに向かうかを先読みしてしまう。満州事変がそうでしょう。(謀略と見抜いた記者はいたが)その時には満州事変はすでに既成事実化して、関心はもう関東軍の次の行動に移っていた」「既成事実を前提に先を読むから、どんどん後退するわけ。止めることができなくなる」】

【既成事実の「追認」と「先読み」。池田さんが指摘した新聞の悪弊は、治っていないと断ぜざるを得ない。教育基本法「改正」案が衆院を通過した後、大分市の街頭で手にした「改正」反対のビラには「国会前では連日、抗議のデモや集会が続いています」とあったが、それらの動きを伝えた新聞をほとんど見ない。タウンミーティングの「やらせ質問」発覚で、国民の声を聞いたという政府・与党の論理も崩れたはずだが、追及は弱かった。基本法「改正」を既成事実化し、成立時期の先読みに終始したのではなかったか。】

◇◇◇抜粋ここまで◇◇◇

 疑問を検証する記事は、「成立へ」と報じられてからはバッタリ減った。――って、あなた、そんなヒトゴトみたいな……というのが私の第一の感想。毎日新聞はある程度書いていた記憶もあるが(書いていたと言えば、朝日その他も少しは書いていたのだ)、同罪でしょう……。これを書いた支局長は真面目な人なのだろうけれども、ある種のインテリだなあ、とふと思ってしまった。ついつい評論家になってしまう。私は新聞に「評論」をしてもらおうとは思っていない。まず、事実を正確に報道してもらいたい。そして常に、庶民の側に立ち、庶民の視点を持って、権力を監視する役割を担って欲しいのだ。力と金のある側は、わざわざ新聞が味方しなくても、いくらでも自分達が言いたいことを主張し、知らせたいことを広報宣伝できる。いや、もちろん「うちは現政権を支持する新聞です」という所があってもかまわないのだが(その場合はそれを我が社の方針として明言していただきたい)、そうでないのなら、監視役であり続けて欲しいものだ。不偏不党なんて、逃げ口上ですよ。

 ただ、反省しているらしいことは認める。その反省がやっぱりアリバイ的言辞だったのかと言われないかどうかは、これからの紙面作り次第。しっかりと見ていますよ、毎日新聞さん。そして、いい記事があれば応援します。

 

 

コメント (5)   トラックバック (8)

「愛と憎しみの……」UTSのコラムを勝手に再掲

2006-08-30 21:56:13 | 箸休め的無駄話

いろいろ書き留めておきたいことはあるのだが、少々疲れていて字を書く気になれない。ほんの気まぐれに、Under the Sunのコラムに書いた記事を勝手に再掲する。掲載日は8月11日、タイトルは「愛と憎しみのラプソディ・序」。UTSでは「前口上という名の(長い)言い訳」を付けていたが、その部分はカットして、本文?だけ。これはまあ、自分の覚え書きみたいなものである。自分の所以外で書いたものは、何書いたかすぐ忘れてしまうので。(……というわけで、御用とお急ぎのない方だけ暇つぶしにお読みくだされ。暇な人だけ集まるってのも困りますがね)

◇◇◇◇◇◇◇

ムル:こんばんわ~。おいおい、何かえらく疲れた顔してるなあ。また徹夜したのかよ。仕事? それともまたくだらねぇ本でも読んでたのかい? どっちにしても、疲れてるんなら酒なんか飲んでないで早く寝ろよな。


華氏:何だよぉ、またおまえか……。そりゃ早く寝ちまいたいけどさ、ヤなことが山ほど頭の中に押し寄せてさ、なかなか幸せな眠りってわけにはいかないのさ。

ムル:ふン。おまえがいくら悩んだって世の中1ミリも変わりゃしない。つまり、屁の突っ張りにもならねぇと思うがなあ……まあいいや、何がおまえの眠りを妨げているのか、ちょっと言ってみんしゃい。聞いてやるからよオ。

華氏:(な、なんか猫のくせに、いつもながら偉そうな奴だな……)言ったろ、山のようにあるって。そうだな、小さいことから言うと……たとえば「足し算か引き算か」という問題とかさ。

ムル:足し算か引き算?

華氏:そうだな……ええっとさ、ネット右翼、というのを知っているかい。

ムル:何となくね。左翼的なサイトやブログに殴り込みをかけていちゃもんをつけ、袋叩きにする連中のことだろ?

華氏:うん。定義としてはそうなんだろうな。

ムル:華氏のブログもネット右翼の標的にされてるってわけ?

華氏:まさか(苦笑)。「華氏451度」はちまちまと片隅で呟いているような、どっちかと言えば過疎ブログだからね。自分からネットで世論を形成しようなんて大それたことは考えていない。ネットで問題を提言し、それを大きな流れにする人達はいる。それはそれですごいことだし無条件で尊敬するけれど、「華氏451度」はそれとはちょっと違う。ごくごく個人的に考えたことのメモ、なんだよね。八方破れの。きちっと裏取ったり、資料を挙げたりする形では書いてないしさ。

ムル:きゃははは。開き直りやがった。要するに公開はしているけど単なるメモだし、いようがいまいがどっちでもいい「その他大勢」ってわけだな?

華氏:(う……いつものことながらこいつ、言いにくいことを言いやがる)ま、まあそうだね。だからさあ、標的にしようなんて酔狂な奴はしないさ。ほんの時たま、悪意の感じられるコメントが入ることはある。でも「大挙して押し寄せられる」なんてことはないし、無視したり、場合によっては「ネット上だろうと対面だろうとコミュニケーションの基本は同じ、それを踏まえて欲しい」と要求することで、たいていは2度と来なくなる。ただ、知り合いのブログはしばしば被害に遭っているからね。時々、さすがに真面目に考えるんだ。

ムル:ネット右翼にどう対処するかと?

華氏:いま言ったようにさ、「華氏451度」は実際の被害に遭ってない。だから現実に被害に遭った人からすると、「おまえは甘い」と言われるかも知れない。それを恐れているんだけどね。

ムル:けけけ。華氏って小心者だからな~。

華氏:ほっといてくれ!……って、何の話だっけ。そうそう、「おまえは甘い」と言われるかも、という話だね。若い頃はさあ、理想が先立って、「これでなきゃダメ」という引き算思考だったんだ。ところが年を経るにつれ、だんだんストライク・ゾーンが広くなってきてさ。

ムル:それはおまえさぁ、年とった証拠じゃーん。「そろそろ自分のピリオドが見えてきたかンね、世の中のことなんざ、どーでもいいや」になってきたんだよ。やだねえ、人間が年取るって。

華氏:やかましいっ! このバカ猫!(と、手近にあった広辞苑を投げる)

ムル:おおっと……暴力はんたーい。

華氏:ふン、バカ猫め。真面目に聞きやがれってんだ。

ムル:聞く、聞く。だからモノ投げるなよな。ストライク・ゾーンの話だよな。具体的にどういうことなのさ?

華氏:たとえば……若い頃は「うちの子は」と盲目的に信じる母親の愚劣さなんていうのは唾棄すべきものだった。ニッポンの母、なんておぞましいだけだった。でも今は、そういう母親が後ろにいるから、子供は好き勝手に出来るのだと思ったりする。

ムル:けけけけけ。華氏は根っこのとこ、マザコンだからな~。

華氏:うるさいッ! じゃあ別の話をしようか。以前はジャーナリズムなんて腐りきっていて、橋の端まで権力の手先だなんて思っていた。

ムル:自分もその中で飯食ってるくせに、よく言うぜ。

華氏:そう……飯食いながら、これは生活のためだと思っていた。でも同じように生活のためだと割り切ったつもりで働きつつ、怖ず怖ずと報道者の良心を小出しにする人々と出会って、ジャーナリズムは決して腐りきっているわけではないと感覚的にわかったのさ。「マスゴミ」なんて嘲笑されてはいるけれども、みんながみんな、腐っているわけじゃない。

ムル:ふん。華氏お得意の、ジャーナリズム擁護だよな。まっ、いいや。あんまりそんなことばっかり言ってると、自分がマスコミの人間だから身びいきしてヒステリックにかばってる、と思われるぜ。

華氏:別にいいよ、そう思われたって。身びいきってのは事実その通りかも知れないし。人間誰でも、自分が見通せる限りの範囲でしかモノを考えられないんだから。一部の天才は違うかも知れないが、私は天才じゃないし、こう言うと負け惜しみみたいだけれど天才に生まれたかったと悔やんだりもしない。「ひと山いくら」の庶民で結構。

ムル:あっちゃあ、また開き直りやがった……。

華氏:ほかに思いつくままに適当に言うとだよ、昔(笑)は天皇制を否定していたから、それを認める人達とは絶対に手を携えることができなかった。いや、今でも自分自身の思想としては天皇制否定だけれどね、最近は天皇制を認めている人達とも、「ま、いいか」という感じで一緒に行動できるようになってきたのさ。彼らの考え方も、「容認」できるようになったというか。それからひどく日常的な話題になるけれどね、昔は婚姻制度に対して強い疑義があった。

ムル:それは、おまえがモテなかっただけの話だと思うが……(モテるわきゃねぇよな)。

華氏:やかましいッ!!!! タヌキ汁、じゃなかった、猫汁にするぞーッ! もとい。さらに配偶者を「主人」「家内」と呼ぶことに抵抗があった。友人がそう呼ぶと、「その呼び方の根拠は何か」と言って、いちいち訂正を求めていたんだ。今だって「うちの主人が」「うちの家内が」と言われれば違和感ないことはないけれども、「生活上の、ひとつの習慣」としてサラッと容認することが出来る。

ムル:華氏よぉ、酔ってるだろ? 何か、話が随分と逸れてる気がするけど。結局、何が言いたいわけ?

華氏:う……。答えの代わりに、好きな詩人の一人である茨木のり子の詩を……。

【おらが国さが後進国でも
駈けるばかりが能じゃない
大切なものはごく僅か
大切なものはごく僅かです】
(「大男のための子守歌」より)

ムル:大切なものは僅かなんだから、それ以外は「どうでもいい」、「みんな容認」でいいっていうわけ?

華氏:そう言っちゃうと誤解を生みそうだけどね……ま、いいか。あそこが違う、ここが違うと角突き合うより、「大切なもの」を守ることにエネルギーを注ぎたくなったわけさ。ターニング・ポイントを回って、ようやく「大切なもの」が見えた気がする、ってことかも知れない。

ムル:それと、ネット右翼とどういう関係があるわけさ。

華氏:関係? なーんも、ない。

ムル:うぎゃ……。

華氏:でも、あるかも知れない。ともかくさ、馬齢重ねるごとに、「分断して統治せよ」っていう言葉が身にしみてきたわけ。

ムル:けけけ。馬齢、ときやがった。おまえの場合は、豚齢じゃねぇの? 栄養が足りてないふうだから、山羊齢かね。

華氏:やかましいーーー! 黙って聞けったら! ともかくだよ。弱者というのはいやが上にも細分化され、互いに角突き合うような構図になりがちなんだよな。為政者が意図的にそうしているという面もむろんあるが、同時に人間には「何ものかに対して少しでも優越感を持つことによって、自我を支えたい」という気持ちがあるのも事実だと思う。その二つがあいまって、血に飢えた狂気を産み出すんだろうね。

ムル:何か話が飛躍してきたなぁ。

華氏:飛躍は自分でもよ~くわかってるって。二晩徹夜して、ただでさえ冴えない頭が朦朧としてるんだから。たださ、「不安」とか「不満」とか「憎悪」とか、要するにマイナスのベクトルを持つ感情って、誰にでもあるじゃん。

ムル:華氏もあるのかい?

華氏:むろんあるさ。いっぱい、ね。私は平凡な人間だからね。具体的な他者に殺意持ったこともあるし、世界なんか滅びてしまえばいい、と夢想することもあるさ。破壊的な欲求が膨らんで、何でもいいからそれを満足させてくれるものはないかと右往左往することもある。だから、何かあった時に尻馬に乗ってお祭り騒ぎしたい気持ちは痛いほどわかる。私が子供の頃はインターネットがなかったけれど、あったら一歩間違えば私もネット右翼になっていたかも知れない。あるいはハッカーになっていたかも知れない。暴走族にもシンナー中毒にも殺人者にもならなかったのも、ほんの紙一重のこと。ちょっと話は違うが、今もたとえば自分がホームレスになっていないのは「たまたま」だと思っている。人間て、そんなに強いものでも優れたものでもない。そりゃさ、一部には特別な人もいるかも知れないけれど。

ムル:いい加減に、話をもとに戻してくれよなあ。で、何が言いたいわけ?

華氏:聞いてやるとかって寛容ぶりながら、あいかわらず態度のデカイ奴だな……。ま、いいや。ともかくさあ、マイナスのベクトルを「あっ、そこは危険」という所に向かわせちゃあいけないと思うんだよね。話のとっかかりに使ったネット右翼もさ、組織的にいわゆる護憲派ブログを破壊しに来る連中は論外だよ。でも「世の中はみんな敵だぁ」というハリネズミ風の感覚が昂じて、つかの間の攻撃快感に身を浸している若い子や、改憲論者の威勢のよさに乗せられて――マイナスのベクトルにガンジガラメになった時って、人間、どんなに薄っぺらでも威勢のいい言葉に酔うんだよね。と言うか、あえて乗ってしまうんだよね――尻馬に乗っているだけの若い子たちを、一律で敵視するわけにはいかない。

ムル:けけけっ。いい年して、甘い奴だよなあ。

華氏:ほっといてくれってば。でもね、これは不思議なんだけど(学者や評論家はきちんと説明してくれるけれども、一人の人間としてはやはり根源的に不思議だ)、人間て絶望すると右へ右へと惹かれていくことが多いらしい。右、という言い方は漠然としすぎてよくないかな。じゃあ、マゾヒスティックな方向、と言おうか。国のために。大義のために。正義のために。自分をゼロにしてそういう空疎な概念語に支配される世界だけが、彼らの救いになる。崇高めかした概念に殉じることができると信じる一点で、彼らは救われるのだろう……。むろん、左に寄っていく場合も少なくないけれどもね。

ムル:どっちにしろ、幸福なことじゃないって言いたそうな顔だな。

華氏:目覚めた時、窓から射し込む朝の光、寝巻のまま起き出して挽いたコーヒーの香り、人によってはひとつベッドで朝を迎えた異性(同性でもいいが)のおはようの一言。……この世は本当は、おいそれと絶望することができないほど祝福に満ちているからね。むろん絶望するのも勝手だけれどさ、他人を巻き添えにした絶望は困るよな。……いや、話が逸れてるな。若い子が甘美なニヒリズムで観念語に流されるのを止めるのは、大人の責任だと思う。

ムル:止めるために、どうすればいいのさ?

華氏:わからない。……わかってたら、こうしてグダグダと酒なんか飲んでないさ。でも今のままでは、この国は遠からず、勇ましくて綺麗な言葉に酔って「いつか来た道」を辿り始める。それを見る前にさっさと死にたいという思いと、死んでも死にきれないという思いに引き裂かれて、こうやって朦朧とし、早くベッドに倒れて眼が腐るほど寝たいと思いながら美味くもない酒を飲み続けているわけ。

ムル:おまえねえ、やっぱ疲れてるぜ。何か話が散漫で、言いたいことはわかる気がするけど頭も尻尾もないじゃん。他のコラムニストはきちっと起承転結整えてモノ言ってるのに、これじゃあ恥かいてるようなもんだぜ。日本語書いて飯食ってきたなんて、どの面下げて言えるのかね~。

華氏:くそーッ、うるさい、出て行けーッ!!
(六法全書か広辞苑か、ともかく分厚い本が窓枠にぶつかった音がして、暗転――)

コメント (9)   トラックバック (10)

コメント欄についての雑感(ああ、しんど)

2006-08-26 02:18:02 | 箸休め的無駄話


 夏バテで疲れている。気候がよくたって働きの悪い頭と神経がなおさら鈍っているので、簡単な雑感のみ。

〈ああ驚いた〉

 もともと私のブログは自分自身「単なる覚え書き」と煙幕張ってるぐらいで、これで世論を喚起しようなどとは毛ほども思っていない。第一、そんな立派なことなぞ言ってやしない。

 私のような普通の庶民でも日々の生活の中で考えることはあり、それをちまちまとメモしておく習慣は昔からあった。そのうち完璧にプライベートな範疇のものなどはひとさまに見せる気はないが、友人に見せて意見や感想を聞いてみたいようなものだけ、「世の人々がすなるブログというものを、負け組庶民もしてみむとてすなり」てな感覚で公開しているだけだ。基本的には自分が何かを考え続けるためのメモであり、一緒に考えてくれる人が少しでもいればラッキー。何人かの人にさっと読んでいただければ嬉しく、その上でもしもコメントなど戴ければ望外の喜び、というだけの話である。

 そういういい加減な覚え書きブログに、56ものコメント(現時点の数。もっと増えるかも知れない……)が連なるとは、これはもう天変地変の前触れか。ほんともう、驚いた。

 いや、56といっても、その大半は布引洋さん(いつも私の文章の足りないところを補ってくださったり、助言して下さる方)と、久々さん(最近よく来てくださる方)、このお二人のやりとりである。途中で自分の意見を書こうかと思ったこともあるが、なぜか気が引けて言葉を挟めぬまま。「横レス、失礼ですが」と言いそうになる自分に気づき、「自分が管理しているブログで横レスってのも変だよな」と思ったり……。

 コメント欄で論争していただくのは大いに結構である。コメント欄というのは、そのためのものという性格もある。私自身、コメント欄で丁々発止と議論を展開してもらうのは大歓迎だ。ただ、二人なり三人なり、ごく一部の人達のやりとりの場になってしまうのは私としてはあまり本意ではない。できれば多くの方のご意見が欲しいところである。もっともここまで突き詰めた一対一のやりとりになると、新たにコメントを入れようと思っても二の足を踏むだろうなあ……(何せ管理人が、横レス失礼、と言いかけるぐらいだから)。バッサリ削除という方針を採らない私が悪いのかなあ、などと、またしても酔っぱらいつつ反省?してもいるのだが。


〈久々さんのコメントについて〉

 久々さんは、私の考え方について批判的なコメントを寄せておられる(途中から布引さんに対する批判的な言辞に変わったけれども)。そのひとつひとつについて、細かく私の意見を述べる気はない。逃げているわけではなく、コメントが膨大すぎて、「ひとつひとつ」に答えてはいられないからだ。答えは今後の私のブログの中で、少しずつ出していきたい。

 ここでは彼の考え方そのものではなく、彼が書いておられた中で引っかかったことを1つ2つ取り上げ、私の感想を書いておく。揚げ足取りをするな、と言われるかも知れないが、プロであれアマチュアであれ、有償であろうと無償であろうと、文章を書くということは常に揚げ足をとられる危険性と背中合わせであると思う。ついでながら、私はブログの世界では良質のアマチュアでありたいと思ってもいるが、公開した以上、揚げ足をとられるのもバカよばわりされるのも承知の上である。変な言い方だが……長年の仕事で、それだけは慣れている。加藤紘一氏のように放火されるとそりゃ困るが(速攻でホームレスになる……)、「バカ。もっと勉強しろ」と罵倒される程度は屁でもない。

 以下、【】でくくっているのは久々さんのコメントである。

【よしりんの漫画に騙されてる? あのねぇ、私は本一冊読んで思想を変えるほどバカじゃないよw】

 いやぁ、はっきり言って感心しました。皮肉ではありません。私は貴君のように頭がよくないので、「一冊の本」でパッと視界が開け、人間観や人生観が変わったりします(苦笑)。小説でも童話でも詩集でもノンフィクションでも歴史書でも思想書でも、はたまたマンガでもいいですが、良質の本は、読めば人生について、人間について、命について、国について……エトセトラ、こちらの存在を揺さぶるほどの力がある。本というのはそのぐらい重みがあると思う私は、もう古い人間の部類に入るのでしょうか(ナサケナイ)。しかし「もしかすると自分もバカかも知れない」と思うのが、人間の「知」の基点かも知れないとも思っています。一冊の本を読んで思想を変えるほどバカじゃないと断言できるのは、あるいは不幸なことであるかも知れません。

【口が汚いのは自負してますし、左翼にとっては無茶苦茶な意見を言ってますから】

 ははあ、自認ではなく、自負ですか……。なるほど。私も(文章では猫かぶってますが、実生活では)口の汚い人間。でも、いいことだと自慢しているわけではなく、むしろ「口が悪くてゴメンね」という感じです。挑発的な言葉を使わずにものが言えれば、それに越したことはない。私はそう思っています。


〈ついでに:私が顔文字その他を嫌う理由〉

 これはお願いであるが――

【つまりは自分の価値観に会わないやつは子供かw まぁ当たってる。アホの左翼の嘘が次々とバレていっちゃ、子供はどんどん嫌中、嫌韓になるからなw】
【日本人には死者に鞭打つような風習はありません(><)】(共に、久々さんのコメント)

 顔文字の使用は控えて欲しい。「文字化けの原因になるので控えて欲しい」と、コメント投稿欄にも注意書きがあるはずだ。顔文字がいけないとか、まずいなどという気はさらさらない。私自身はほとんど使わないが、これは単なる習慣および趣味の問題であって、他人に強制する気もない(使いたい方は、どんどん使ってくだされ)。

 ただ私は、多くのコンセンサスを得ている顔文字で感情や感覚を易しく表現するのでなく、拙くとも「自分の言葉」で表現したい、表現してほしいと思っている。だから私のブログのコメント欄では、顔文字は(ゼロにせよとは言わないが)なるべく少なくして欲しいのである。「w」といった書き方も同様。「笑」と同じ意味だということは承知しているが、笑っている(嗤っている、嘲笑っている、何でもいい)ことを表現するのであれば、もっと言葉を工夫したい――と、少なくとも私は思う。「自分の頭で考え、自分の言葉で語る」というのは、そういうことではあるまいか。何かを表現しようとするならば、易きに流れてはいけない。
(ここは私のブログ。一銭ももらうわけではなく、アホかと言われつつマスターベーションしている私のブログである。いくらしょーもないブログでも、この程度の要望をする権利はあると思う。むろんそれぞれの方が、自分のブログでどういう表現方法を採られようと、それはご自由である)
コメント (6)   トラックバック (13)

勝ち組になりたいと思いながら過労死した、ある男の人生

2006-06-28 03:59:24 | 箸休め的無駄話
 その男は旧制中学を出て就職した。まだ帝国憲法が生きていた時代――と言うより、人々が治安維持法で締め上げられ、戦争に駆り立てられていた頃のことだ。本当は高校→大学は無理としてもせめて高等商業学校(というのが昔はあった。神戸高商は現・神戸大、東京高商は現・一橋大)に行きたいと思ったが、家計の事情がそれを許さなかったのである。彼の家は母子家庭で、母親は裏庭の小さな畑で芋などを作るかたわら、近くの街の工場で、当時の言葉で言えば「雑役婦」(臨時雇いの形で雑用をする女性労働者)をして働いていた。彼には既に社会に出ている姉がいたが、その頃は家を離れていて、家計を支えるのは母親の乏しい給料だけ。しかも彼の下にもまだ2人子供がいたから、カツカツ食べられるかどうかの生活であった。

 もともと彼が中学に行くことさえ、周囲からは「分不相応」だと言われた。全体がまずしい過疎の農村で、小学校の同級生のうち中学校に進学するのは1割に満たず(さらに大学に進学するのは、2~3年に1人という程度)、経済的に恵まれた家庭の子供に限られていたのだから。中学進学できたのは、それを強く勧めてくれた教師がいたおかげだった。その教師がいなければ、彼は小学校卒業と同時に「丁稚奉公」に出されていたに違いない。その村では男の子は「丁稚」や「給仕」、女の子は「女中」や「女工」として働きに出るのが普通だったのである。

 彼は、中学では入学から卒業まで一番で通したという。村の年寄り達は今もそれをひとつ話のように語るが、実は特別頭がよかったわけではない。要するにめちゃくちゃな「ガリ勉」(という言葉、今もあるだろうか?)だったのである。貧乏な母子家庭ということで子供の頃から差別を受けてきた少年が「幸せになりたい」と思った時、そのささやかな望みは「勉強してエラクなる」ことに直結した。身を立て、名をあげ、やよ励めよ――ほとんど『蛍の光』の世界である。だから大学へとまでは望まずとも、せめて高等商業に行きたかったのだろがその望みはかなえられず、彼は郷里を離れ、都会に出て職に就いた。

 しゃにむに働いて家に仕送りし、軽い結核に罹患し……治ればまた馬車馬の日々。戦後の混乱の中で母親と妹たちを養い、妹たちが結婚して家を出て行くのを見送り、……そしてようやく自分も結婚した。当時の男の結婚適齢期とやらはわからないが、おそらくやや遅い方であったろう。田舎の親戚の世話による、見合い結婚であった。相手の女性は、実のところあまり気が進まなくて断ったらしい(わからんでもない。学歴は女性の方もチョボチョボなので偉そうなことは言えなかったはずだが、扶養家族を抱えているわ、痩せっぽちで背が低い上ド近眼でまるで風采あがらないわ、結核の既往はあるわ……客観的に見ればかなり条件の悪い男だったのである)。だが(田舎の老人達の話によると)彼がすっかり舞い上がって、押しの一手で結婚にこぎつけたとやら。彼女は特別には何の取り柄もない女性だが、幾分か経済的な余裕のある家庭に生まれ育ったため、ほんの少しだけ「お嬢さん的教養」を身に着けていた。それが彼には何とも眩しかったらしい。

 彼は「上昇志向」の強い男だった。本を読みあさり、中学でちょっと習ったきりの英語を懸命に勉強した。その根底には、自分の生まれ育ちや学歴に対するコンプレックスがあったのだろう。同僚の多くは比較的恵まれた家庭に育ち、大学や高等商業を出ている。彼らに負けまい、負けまいとして、かなしいほど背伸びをしたのかも知れない。子供が生まれた時、汗だくで病院に駆けつけてきた彼は開口一番、「この子は大学に行かせてやる!」と言った。「必ず大学に行かせてやる。できる限りの教育を受けさせてやる」。いまどきそんなことを力み帰って言う親はいないと思うが、当時はまだ大学進学率は低かったのだ。

「教養」に対する憧憬も強かったようで、楽器の演奏が出来ることに憧れて、こっそりヴァイオリンを習ったこともある。ひょっとすると、お茶やお花も習いたかったかも知れない。妻はほんのまねごとだが独身時代に「お茶とお花」を習ったことがあり、趣味で絵を描いていた。そういう妻を持っていることが、彼はひどく自慢であったのだ。

 彼は妻が好きで、子供達が好きで、彼らを飢えさせず、自由に生きていかせるためには命を削ってもいいと思っていた。上の子が(と言うよりその頃はまだ子供は1人だけだった)4つか、5つになったばかりの時、彼は結核性肋膜炎を起こして(過労のせいもあったかも知れない)入院したのだが、そのとき妻と、平仮名を少し覚え始めた子供に宛てて毎日のようにハガキを書いた。ハガキの文言はいつもほぼ同じ、ごく簡単なものであった。「おかあさんのいうことをきいて、いいこにしていますか。とうさんがかえるまで、おかあさんといっしょにがんばってください。おかあさんをたのみます」……

 そして……彼は本当に自分の命を削ってしまった。40歳を目前にして、過労死したのである。日曜も祝日もなく働いて、ようやく久しぶりの休みが取れたある日。日中は2人の子供の相手をして過ごしたのだが、夜中にふと目覚め、子供に添い寝している妻の布団がずれているのを見て掛け直そうとした瞬間にくも膜下出血で倒れた。「風邪ひくよ」というのが最後の言葉であった……。

――「彼」は私の父、「その妻」は私の母である。――

 父が亡くなって何年か経った頃、彼の遺した本を片端から読んだ(古典と言われる文学書のほか、思想書・哲学書まで本棚に詰まっていた……)。下線を引き、細かく書き込みをした三木清の著作などを(内容などろくに理解できぬまま)めくりながら、私は「こんな本を読みながらも、最期まで上昇志向を捨てきれず」、最近の言葉でいうならば「勝ち組」になりたいとあがいた父を、かなしい人だと思った。

 見合いの後で2度目か3度目かに会った時、父は母に「自分で働くようになったら、靴を買おうと思ったんです」とポツリと言ったという(最近聞いた話である。母もけっこうな年になったせいか、やたらに思い出話をするのだ。あるいは私がようやく人間が練れてきて、カノジョの思い出話を聞いてやれるようになったのか)。中学時代、同級生は全員靴を履いてきているのに、彼だけは靴を買えず、普段履きの下駄だか雪駄だかで通っていた。それで、靴を買おう――になったのである。「かわいそうな人だなあ、と思って涙が出そうになった」と母は言った。それがどういう意味かは尋ねていないが、ひょっとしたらそれを聞いて父と結婚してもいいと思ったのかも知れない(可哀想ってえのは惚れたってことよ。……なんていうとBLOG BLUESさん風だが。いやあ、でも私もどこかにそういう感覚があるのである。しょうもない余談)。

「ほんとに、かわいそうな人だった」と母は何度か繰り返した。「働いて働いて、なあんもいいことないまま死んじゃって」
 独身の姉と同居している母親にはずっと仕送りを続けていたし、子連れで離婚した妹の面倒をみるだの、親戚の誰とかの借金の肩代わりをするだので、「ボーナスなんか右から左だったわ」と母は笑う。無理な残業を続けたのも、金のためだった。そんなに無理しなくてもと気遣う母に、父はいつも「もう少しだから」と言っていたという。もう少ししたら楽になる、地位が上がれば給料も上がる、近いうちに綺麗な家を買おう、一緒に旅行もしようね、などと言っているうちに、彼はポックリあの世に行ってしまったのだ。ちなみに「あんたもあんまり働かない方がいいわよ」というのが母の口癖である……。

 働くのは悪いことではない。働かざる者食うべからず。しかし、浮かび上がりたいと思い詰めて働くことほど、心を痩せさせることはない。父は子供の頃、靴どころか机も買ってもらえず、机代わりのミカン箱を台所の隅などに置いていたという(2部屋きりの小屋に住んでいたので、むろん自分の部屋なんぞというものもなかったのだ)。その境涯から「自分だけ巧く抜け出したい」と思ったとき、彼は過労死へのレールに乗ってしまったのである。

 お父さん、私はあなたのような子供を、もうこの世に存在させてはいけないと思う。

◇◇◇◇
ブログで個人的な話は書くまいと思っていた。別に隠し立てしたいわけではない(隠すようなことは何もないし)。ただ、ごく平凡な生活をしている私のプライベートな話など、ヒトサマにとってはおもしろくもおかしくもないからだ。もうひとつブログ(というよりすべての表現)には私小説的なそれと、全く私小説的な要素を含まないそれとがあり、私自身は手段として後者の方が容易だということもある。だが、ふと酔ったまぎれに自分が6歳の時に死別した父のことを書いておこうかという気になった……。個人的な話なので、適当に読み飛ばしてください(って、そういうことは最初に書くべきか。すみません)。



コメント (14)   トラックバック (13)

与太話「こんな国家」その2

2006-03-30 05:09:28 | 箸休め的無駄話
前回、極小独立国家というのも、いいんでないかい?という突飛な妄想を書いた。悪乗りして、ますますしょーもない続編を。「こんな国」を覗いてみた……という妄想である。(馬鹿話してる暇があったらもっと現在の切実な問題を真面目に考えろとおっしゃる方もあるだろうな……すみません。実はこのところ心身の調子が悪い。ペースを取り戻すためには好きな本を淫するように読みふけるか、くだらないことを考えるのが一番……少なくとも私の場合は。というわけで、覗いてくださってあきれかえった方、御容赦のほど)

言い訳めいた前置きはそのぐらいにして――

2×××年3月◇日(土曜)午前10時前
場所はアサボラケ国の役場……ではない、国会議事堂前の大広場。

 10時から今月の住民総会……ではない、国会が開催されるので、広場には三々五々住民が集まりつつある。議事堂は鉄筋コンクリート造の堂々4階建てで中にちゃんと大会議室もあるのだが、気候のいい時はたいてい広場で開催されるのだ。

 80年ばかり前に「日本」という名で呼ばれていた国は既に存在せず、現在はほとんど無数と言ってよいほどの極小国家に分かれている。こんな形になったのは、「旧日本」ばかりではない。実は100年ほど前から世界中でミニ国家の独立が相次ぎ、結果として昔の国名は跡形もなく消えてしまった例もいくつかあるのだ。世界中見渡せばミニ国家といっても人口100万人単位の所もあるが、アサボラケ国はミニ中のミニ。山林がある関係で国土の割に人口は少なく、7000人にやや欠ける。弱小国、などと言う人もいるが、住民、いや国民は気にしていない。なぜなら人口が少ないせいで、直接民主制を実施できるからだ。定期国会は毎月1回、ほかに何かあれば臨時国会が開かれ、そのつど18歳以上の国民が議事堂に集まる。むろん出席率100%とはいかないが、50%以上の出席がなければ議会が成立しないので、隣近所で誘い合わせて出かける習慣がつき、いつもだいたい60%は堅い。

 山田一太郎も妻の春子と一緒にやって来た。友人の鈴木良夫一家がゴザを敷いて座っているのを見つけ、自分達も隣に持参のゴザを敷く。ちょっと挨拶をかわした後、開会までの時間を世間話でつぶす。
「今日は、みいちゃん達は一緒に来んかったんか」と良夫が聞く。みいちゃんというのは一太郎・春子の長女で、アサボラケ国立銀行で働くシングル・マザー。昔は銀行といえば合併に次ぐ合併で巨大組織だったらしいが、今はどの国でも従業員100人に満たないのが普通である。アサボラケ国立銀行の場合など、せいぜい50人程度ではないか。その娘は去年、ナニワ国の大学を卒業した。ナニワ国はアサボラケ国から約200キロ離れた、この地域最大の国。アサボラケ国にはまだ大学はなく、大学に進学したい若者はみな外国の学校に行かねばならない。比較的近いヘイジョウ国あたりの大学なら自宅から通学できるが、ナニワ国の場合は難しく、一太郎の孫娘も在学中は大学の寮に入って週末ごとに帰国するという生活であった。卒業後はこちらで小学校の教師をしている。

「いやあ、実は今日は孫の結婚式なんや。当人同士と親だけでやるっつうことやから、ワシらは出んけどな」
「えっ。知らんかった。相手は何処の息子や」
「おまえは知らんわ。ナニワ国のほうで、知り合うたらしい。イセ国の生まれや言うてた」
「えっ。イセ国の子ォと、コクサイケッコン」と良夫は目を丸くしたが、別に国際結婚に驚いたわけではない。今日び、国際結婚など珍しくも何ともなく、アサボラケ国の国民にしても国際結婚の方がはるかに多い。驚いたのは、イセ国という相手の男の所属国に対してである。イセ国は王制を採っている。国王はテンノーと呼ばれ、旧日本国の「象徴」と呼ばれた一族の末裔であるらしい。一太郎も良夫も詳しいことは知らないが、テンノーはシントウと呼ばれる宗教の祭主でもあるらしい。ほかにもナス国とかハヤマ国とか、いくつかテンノーの一族を元首として戴く国があり、それらの国々は宗教的な親近感に基づく友好条約を結んでいる。それはともかくとして、これらの国家は国民のほとんどがシントウの信者であると聞く。

 こういう「ひとつの宗教の信者達が集まった国」は、ほかにもある。そして、シントウの信者は他の多くの宗教の信者がそうであるように、異教徒との結婚をしぶる。国際結婚が当たり前とはいえ、良夫らの知る限り、これまでアサボラケ国民がイセ国の国民と結婚した例はない。イセ国は鎖国しているわけではないが、帰化条件が厳しいとか、信者以外の他国人が観光であれ商用であれ3日以上滞在する場合はビザが必要であるなど、他国との交流にやや消極的なせいもあるだろう(もっとも、そういう国はシントウ国家以外にも幾つもあるが)。
「いや、生まれがイセ国いうだけや。別にシントウの信者いうわけやないんやと。で、大学出てすぐナニワ国の国籍取ったそうや。仕事もナニワ国でしとる」

「ふうん。で、国籍はどうするんや」
 ミニ国家がひしめき合うようになってから、いくつも国際条約が結ばれた(むろんすべての国が、すべての条約に調印しているわけではないが)。そのひとつに、夫婦が別々の国籍を取得することを認める、というものがある。婚姻関係を結ぶのは個々人の問題であり、夫婦は法律上の単位ではないという考え方から出てきたものだが、国籍が違うと実生活上で面倒なことが多く、別国籍の夫婦はごく稀にしか見られない。
「こっちの国籍にするらしい。婿になる子ォは、アサボラケ国が好きで、ここに住みたい言うとるそうやし」
「そやかて、ここからナニワ国まで通うのは難儀やで。あんたの孫娘は職場が近くてええやろけど」
「いや、こっちで働きたいんやて」
「ふうん」と良夫はちょっと嬉しそうな顔をする。アサボラケ国の人口は7000人弱だが、これでも随分増えたのである。独立国家になった頃は、5000人台であったらしい。人口が増えたのは出産が多いためではなく、ここ20年ばかりの間に他国からの帰化者が相次いでいるためだ。むろんアサボラケ国から他国に国籍を移す者もいるが、それよりも帰化する人数の方が多いため、じりじりと人口が増えてきた。やたらに増えるのも困りもの、という面はあるが、この国に魅力を感じてくれる人が多いのは国民にとって快い話だ。途中で随分失敗もしたが、すべて自分達で決め、自分達で手作りしてきた国なのだから。

 突然、春子が「あっ、ばばさまが来た」と叫んだ。視線の向こうに、車椅子に乗った婆さんの姿が見える。アサボラケ国最高齢者、そして首相の田中アンナさんだ。いやしくも?独立国である以上、元首(代表)は必要である。元首の選び方は国によってさまざまだが、30年ほど前まで、この国では議会の議長が首相を兼ねていた。ちなみに議長は選挙によって選ばれるのではなくくじ引きで決まっていたのだが、何の権限もない飾りであっても、1度はなってみたい人間はいるらしい。くじの不正が続出してゴタゴタした結果、国会で「最高齢者を首相にしよう」ということに決まったのだ。108歳の田中アンナさん(彼女が生まれた頃は、子供にカタカナのしゃれた?名前をつけるのがはやっていたらしい)が首相になったのは2年前。当時から多少ボケて……ではない、認知症のケがあったが、首相の仕事など大したものではない。他国との外交の場で挨拶してさまざまな文書に署名するとか、国会の開会時や学校の入学式・卒業式で挨拶するといった程度だから、少しぐらいトンチンカンでも用は足りる。入学式で「あけましておめでとう」と言ったり、国家公務員が作成した短い挨拶の言葉も忘れて突然にオペラのアリアを歌い出したりすることもままあるが、それもまあご愛敬だ。アンナさんはむかし声楽家として活躍していた人なので、今でも(さすがに声量は衰えたが)声はいい。実のところ、紋切り型の挨拶よりも、ソプラノの詠唱を聴くほうがいいと思っている人も少なくない。

 そしてひとつ大事なことは、アンナさんは現在のような極小国家乱立になった時代の生き証人でもある。かつて日本と呼ばれていた国が音を立てて崩壊し始めた頃はまだ子供だったそうだが、その後20年近く続いた動乱は目の当たりに見聞きしている。歴史の証人としても貴重な人物なのである。何しろ当時の事情を知っている人は次々と亡くなっているのだから……。

首相が到着し、いよいよ国会の開幕――続きは適当な時に、また。

コメント (5)   トラックバック (7)

与太話「こんな国家」

2006-03-29 01:21:27 | 箸休め的無駄話
BLOG BLUESさんが『小泉劇場政治にさよならを告げて』というエントリで、「政局ばっかで大局を示さない政党はスルーして、僕らが、これからの日本社会のグランドデザインを、考えてみようじゃありませんか。」と言っておられた。
(http://blogblues.exblog.jp/)

記事内では、グランドデザインの例として〈Make Your Peace〉さん、〈とりあえず〉さん、2者のエントリが紹介されている。

どういう社会がいいか? う~ん。私はとてもお二方のようなまともな論は立てられないが、突飛な思いつきを書いてみたいと思う。遊んでるんじゃない! と真面目な方には叱られそうだが、考えが煮詰まった時は馬鹿馬鹿しいことを考えて一度頭の中をシャッフルすると、突然何かがひらめくこともある。生真面目な方にはお勧めである。(もっとも、私はたいてい馬鹿馬鹿しいことしか考えていないのだが……)

さて、「こんな国家、こんな社会はどうよ?」であるが――たとえば「極小独立国家」というのはどうだろう?

市町村単位で独立国家になる(東京をはじめとする大都市は区の単位で)。なお、県単位ではちょっと大きすぎる。みんな顔見知り――とまではいかないが、知り合いをたどればたいてい何かの関わりが出てくるとか、20~30%ぐらいは何処かで顔を合わせた覚えがあるという程度で、しかも自分の足で一巡できる大きさの単位として、仮に市町村を考えた。

共和制、王政(って、誰が王位に就くのだろう?)、何でもあり。法律もむろんそれぞれ独自のものが作られるわけで、「国旗や国歌」も定める国あり、定めない国あり。義務教育の年限や教育方針なども、もちろんそれぞれ違う。

たとえば次のような国も出てくる。
◇直接民主制を採用し、ものごとはすべて、国の構成員のうち成人に達した者達が国会議事堂(昔の村役場)に集まって決める。何かあるたびに集まっているのでは生活や仕事に支障が出てくるので、法律はごく単純化。たいていのことは近所で話し合って決めるという流れに。
◇国会議員に政治を委ねるが、議員は選挙ではなく回り持ち(マンションの管理組合の感覚)。同一の人物が2期以上連続して務めることは出来ない。外交?などの必要上、首相を選ぶが、首相はいわば「右、代表」であって実際には何の権限もない。
◇収入の半分以上(60%以上?)を税金として納める。ただし住居や医療費、教育費は無料。傷病で働けなくなったり、年をとった場合は直前までの納税後所得が保障される。ちなみに土地はすべて国家?のもので、私有することはできない。
◇ある宗教の信徒ばかりが集まった宗教立国。教主(生き神さまでも何でもよい)のもと、教義に従って生活する。
◇その他、「親孝行」などの道徳を厳しく教育する国、完全自給自足を目指す国、国営のカジノで外貨獲得を図る国、法律や条例はすべて地方の方言で書き表す国、死刑を廃止する国、結婚制度を廃止する国、税金はすべて間接税という国、酒・タバコは禁止という国、それこそ何でもありなのである。

さて、極小国家が乱立すると次のようなことが起きてくる。
◇隣の国(現在の感覚では隣の町村)はもちろん外国だから、行くにはパスポートが必要。国民は通勤・通学定期の感覚で、パスポートを携えるようになる。あるいはみんなが面倒になり、いくつかの国では条約を結んでパスポートを不要にするかも知れない。
◇ともかくバスや電車に乗ればすぐに国境を越えてしまうし、「仕事で毎週、隣の国に行く」人、「月に1度は3つ先の友人の家に遊びに行く」人、「大学は遠い国に留学した」人……などが大勢いて、「国」や「国境」の意識は次第に薄れてくる。
◇代議員制をとる国の場合でも、議員はいわば「近所のおっちゃん、おばちゃん」。あまりエライ人だという意識は湧きにくいし、議会の傍聴もやろうと思えば簡単。
◇中には軍事を重視する国も出てくるだろう。徴兵制を採り、軍備に力を入れる。だが数万~10万人程度の国で軍備といっても、まさか今の日本の自衛隊のような軍備を整えられるわけはない。戦争ごっこのようなチャチなものになるのがおち。

そして――
それぞれの国が少しずつ(場合によってはかなり大幅に)違っており、しかも現在の「外国」のようにかけ離れた存在ではないので、「あっちの国の方がよさそうだ」と思った人は気軽に移住・帰化するようになる(当然、他国への移住や帰化、他国からの移住・帰化に対して厳しい制限を設ける国もあるだろうが、その是非もまた身近な問題として晒される)。結果としてそのうち、「似たような考え方、感じ方」を持つ人間が同じ国に住むように……。また、住民流出が目立つ国は「人気のある国(住みやすい国)」を見習わざるを得なくなるだろう。人気のある国が実は必ずしも構成員にとって住みやすいとは言えない(うまく騙され、飼い慣らされているかも知れない)という危惧もあるが、人間は馬鹿ではない……と信じたい。

まったく馬鹿話であるが、1割ぐらいは本気だ。現在の日本の不愉快な動きに対して無力感を覚えるのは、国が巨大すぎるからである。巨大というのは広さのことではなく力のことなのだが、広さが縮み人の数が減れば、随分と違ってくるだろうなと思ったりする。「わが国」と力んでも所詮はちっぽけな町村であれば、国家というものが単なる便宜上の仕組みに過ぎないことや、「国、国」と叫ぶ馬鹿らしさが見えてくる。

コメント (10)   トラックバック (10)

珍作落語「長屋政談」その2

2005-11-22 01:50:08 | 箸休め的無駄話
大家「家賃溜めてないぐらいで、そう威張ることもないと思うがね。まあ、おまいさんがひとさまに迷惑かけず、地道に暮らしてるってことは認めるよ」
クマ「で、がしょう? それなのに何で負け組なんぞと言われなきゃなんねえんでい」
大家「ひとりでそう、力みなさんな。誰かに負け組と言われたのかえ」
クマ「む、息子に言われたんでさ。おとっつぁんみたいな負け組にはなりたくねえって」
大家「ふうむ。息子がね。そう言や、おまいさんの息子は親に似ず優秀で、リッパな学校に行ってるんだっけ」
クマ「親に似ずってのは気持ちよくねえですがね、ま、そうなんでさ。勉強ができるってえから、かかあと相談して無理して教育を受けさせたんでやすがね。最近の学校は、親を馬鹿にすることをおせえてるんですかね」
大家「あたしに噛みつかれても困るよ。おまいさんの息子の行ってる学校は、それ、その何ていうか、勝ち組の子が大勢行ってる所だろ。その連中と同じテーブルにつきたい、と息子はしみじみ思ったんだろうな」
クマ「テーブルだかちゃぶ台だか知りやせんがね、あっしはお高くとまった人間になってもらいたくって、息子に教育を受けさせたんじゃねえんで」
大家「お高くとまった?」
クマ「ほれ、ちまたで言うじゃねえですか。セ、セ……セレ……」
大家「セレブかえ」
クマ「そういう名前でしたっけね。あっしらから見れば品がねえとしか思えねえんですが、自分がひとさまよりどれだけすげえか、どれだけ金持ってるか、みたいなことを言いつのるのに血道あげてる連中でさ」
大家「なんか、随分と短絡的な定義だが……ま、おまいさんの言うことはわからんじゃないな」
(続)
コメント   トラックバック (2)

珍作落語「長屋政談」その1

2005-11-15 01:01:26 | 箸休め的無駄話
クマ「こんばんわ。寒くなりやしたねー。ところでちょいとおせーて欲しいことがあるんでやんすが」
大家「クマさんかい。何だね、いきなり。この間みたいに、借金の申し込み方をおせえろ、なんていうのは困るよ」
クマ「そんなんじゃありませんって。この国のゆくえ、ってやつなんですがね」
大家「おやまあ、この国のゆくえだって? えらく大きく出たね」
クマ「そりゃ、あっしは無知無学でやんすがね、そんなあっしでも、昨今は首をひねっちまうことが多いもんで」
大家「昨今、とはえらい言葉を知ってるね。何処で聞きかじったんだか……いやまあ、それはどうでもいい。いったい、何に首をひねっているんだね」
クマ「いろいろありやすがね。まず、勝ち組・負け組ってやつからおせえてもらいやしょうか。大家さん、おいらは負け組ってやつですかい?」
大家「と、突然何を言い出すやら……。う~ん、客観的に見れば負け組だろうねえ」
クマ「さいですか。やっぱりね。そりゃあ、おいらは先祖代々、由緒正しい貧乏人でがすよ」
大家「由緒正しい貧乏人、なんて言い方があるかえ」
クマ「そう言葉尻をあげつらわないでおくんなさいよ。要するに貧乏人なんでさ。でも長屋の家賃だって溜めてねえし、誰にも迷惑なんかかけちゃいませんぜ」
(続)
コメント   トラックバック (1)